第4話 美織(4)天使は禁書を求める

                 


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「嬉しいわ、来てくれて」


 僕が席に収まるやいなや、美織先生は目を輝かせた。まるで水商売の女性みたいだと僕は思った。


「人生で初めてですよ、学校をさぼるのも、親に嘘をつくのも」


 僕はわざとあてつけがましい口調で言った。親には学校に行くといい、学校には登校途中の公衆電話から具合が悪いと欠席を告げた。一日で二度の嘘は、今後もないかもしれない。仏頂面を決め込んだ僕を見て、先生はくすくすと笑った。


「でもこっちにはちゃんと来たじゃない。先生は最初から来ると思ってたわ。……それに、嘘をつくのは大人への第一歩よ。よくできました」


 お気楽な物言いに、僕は天井を仰いだ。やれやれ、この人には胸が痛むという感覚がないみたいだ。


「……で、話って何です?授業半日分に値するくらいの話なんでしょうね?」


「そうね、どのくらいの価値があるかは、あなたのとらえ方によるわ。少なくともあなたにとって興味深い話であることは、保証します」


 やはり「あれ」か。僕は可能な限り声を低めると、おそるおそる切り出した。


「……インターネットの事ですね?」


 美織先生は、小さく頷いた。なぜ彼女はこの話題に、ここまでこだわるのだろう?


「それ以外にあるかしら?そう思ったから、来たんでしょう?」


 美織先生は、挑発的だった。僕は間髪を入れず、問いを重ねた。


「どうして僕が「頭」や「網」に興味があるとわかったんです?」


 僕の思いきった質問に、美織先生は一瞬、考える素振りを見せた。「頭」と「網」は、それぞれ「PC」と「ネット」の隠語だ。どちらも人前では口にできない、危険なスラングだった。それを知っていること自体、先生の知識が深いものであることを物語っている。


「うふふ、まあ、そう焦らないで。それよりどうして私が野間君に目をつけたか、知りたくない?」


 美織先生は、僕の瞳を正面から覗き込んだ。悪戯っぽい目つきは、大人の男性ならぐらっとくるものかもしれないが、僕の目には悪戯好きの妖精としか映らなかった。


「そもそも先生は僕の担任じゃないですし、見当もつかないです」


 本心だった。あるいはどこかにばれるような行動があったのかもしれないが、残念ながら思い当たらなかった。


「野間君、一週間くらい前、尽坊町じんぼうちょうの古本屋さんにいたでしょ」


 僕ははっとした。確かにそれくらい前に、古本屋を何軒か回っていた。


「検閲の網からこぼれた「未チェック本」を探していたのよね?」


 美織先生の言葉は、僕の心臓をわしづかみにした。まさにその通りだったからだ。もしかして、どこかで見ていたのか?


 未チェック本とは、PCやネットに関する記事を掲載した雑誌が、政府の検閲を逃れてそのまま古書店に流れたものを言う。チェック済みの本と未チェック本の違いは、記事が切り取られているかいないかだけ。したがって、うまくそっとレジに運ぶことができれば、購入することも可能だ。


 もちろんばれたら売ってはもらえない。それどころか、通報される恐れさえある。それでもマニアがこの行為を止めようとしないのは、宝探しにも似た興奮があるからだ。


「見てたんですね……ということは先生も「未チェック本」を漁りに来てたんですか」


「まあ、そんなところね。どうしても知りたいことがあったから」


「どうしても知りたいこと?いったい、何です?」


「まあ、そう先を急がないで。順を追って話すわ」


 美織先生はそう前置くと、より一層声を低めた。僕は内心、冷や冷やしていた。こんな話をしているところを誰かに目撃されたら、警察に通報されるのではないだろうか。


「今から十年以上も前、まだ、インターネットがこの国を実質的に支配していたころの話よ。私の父親は優秀なプログラマーで、複数の研究者たちと共同で人工知能の開発をしていたの。ところが十二年前に起きた「ゼビオン事件」が元で、すべての研究を中断せざるを得なくなったの」


 美織先生は、今では禁忌のようにさえなっている事件の名を口にした。


「ゼビオン事件」。それは僕らの生活を一変させた、この国にとって決して忘れてはならない一大事件だ。


              〈第五回に続く〉

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