第47話 明日人(2)僕が僕である証
⑵
都計台の二階は、教会を思わせる造りの多目的ホールだった。
階段を上がり、灯りの漏れているドアを開けると、長椅子が等間隔に並ぶがらんとしたフロアの奥に、人影が見えた。僕が足を踏み出すと、人影がゆっくりと振り向いた。
喪服を思わせる黒いワンピースをまとった女性——美織先生だった。
「ようこそ、野間君」
「飛波は、どこです?」
「まあそう、焦らないで。……それより、知りたくない?飛波ちゃんの秘密を」
僕は大きくかぶりを振ると、美織先生を正面から睨み付けた。
「……知る必要はありません。知ったところで今さら何も変わらない」
「すべてを聞き終えても、そう言えるかしら?……少なくとも、彼女があなたにずっと隠し事をしていたのは、事実なのよ」
「飛波には飛波の、どうしようもない事情がきっとあったんだと思う。誰だって一つくらい、秘密があるさ」
「ふうん。随分、心が広いのね。……じゃあ、教えてあげるわ。彼女が、そしてみんながあなたに隠し続けていたことを」
「みんなが?」
一瞬、僕の背筋に何とも言えない嫌な予感が走った。美織先生はテーブルの上にあった黒いプラスチック板をつまみ上げた。片側にリファイル用の穴が開いたそれは、飛波の日記帳にはさまれていた『端末』だった。
「飛波はある人に定期的に、あなたの事を報告していた。……誰かわかる?」
「飛波の「父親」でしょう」
「そうよ。よくご存じね。……じゃあどうしてそんな事をしていたのか。それはあなたが、ある大きなプロジェクトの欠くべからざるピースだからよ」
「欠くべからざるピース?」
「そうよ。話を少し前に戻すわね。今から五年ほど前、かつて『ゼビオン』を開発したプロジェクトチームが、刹幌で新たな人工人格を開発した。それらには「01」から「03」までの番号が与えられた」
「知ってます。「01」と「02」には会いました」
「人工人格たちはすべて「女性人格」で、彼女たちが種として永らえるためには「男の子」がどうしても必要だった」
「でも「男の子」を産んだのは「02」だけだった」
「そこまで知っているなら、話は早いわ。プロジェクトチームは「01」から「03」の子供たち同志を結婚させようとしていた。その際に、来るべき「人とプログラムの調和社会」のために教育が必要だと気づいたの」
「教育?人工人格にですか」
「そう。人間の心を理解してもらうための「人間学」をね。具体的に言うと、特定の人間の脳に、人工人格から発信された意識を受け取る装置を取りつけたわけ」
「受け取った人間はどうなるんですか」
「元の人格の上に、プログラム人格がかぶさることになるわね。一つの脳に、二つの人格が同時に存在する状況といえば、わかるかしら」
僕はぞっとした。なんて恐ろしい研究なのだろう。
「そんなことを続けて、その人の人格は壊れてしまわないんですか」
「装置を数年ほど取りつけたままにしておいて、プログラムが人間の精神構造をある程度、理解したら発信をやめるの。言ってみれば、人間の脳に「留学」していた子供をデジタルの世界に里帰りさせる……そんな感じかしら」
「その、装置を取り付ける人間はどうやって選ぶんですか」
「ほとんどが、プロジェクトスタッフの身内よ。早く言えば……子供」
「自分の子供を、ですか?」
「そうよ。「02」……『風花メノ』の子供を預けるための男の子を一人、「03」こと『霧野ニナ』の娘たちを預けるための女の子が三人。合計、四人の子供たちが脳に装置を取りつけられた」
「どうして、子供が?」
「AIの意識を拒絶することなく受け入れさせるためには、できるだけ幼い人格のほうが、都合が良かったの。……最初はみんな、二つの人格のバランスをうまく取れずに苦しんでいたようだけど、デジタル人格が優位に立つにつれ、安定するようになっていったわ」
「その一人が、飛波というわけか」
僕が問いかけると、意外にも美織先生は「いいえ」と否定した。
「もう少し、話を続けさせて。ある時、人工人格『氷月リラ』とその娘が、反乱を起こした。……これは知ってるわね?」
僕は頷いた。二人には、博物館で直接、会っている。
「反乱が起きた時『風花メノ』の息子の身を案じたプロジェクトチームは、「彼」の身を一時的に刹幌から離れた統郷に移したの。そこで彼は数年間を、何事もなく暮らした。だけど、彼が人工人格であることを見抜き、支配下に収めようとした人間がいた。……それが、私」
「先生が?」
「ある学習塾の試験で監督のアルバイトをしていた時、私は生徒の中に、特殊な表情をする子がいるのを発見した。それはかつて私が父の研究所で見た、人工人格を受信するための装置をつけられた人と、同じ表情だった」
「その生徒って……」
「君よ、野間君。君が『風花メノ』の息子なの」
僕は自分の足元が崩れてゆくような衝撃を覚えた。僕が、人工人格だって?
「刹幌で人工人格が完成し、コピー同士を「結婚」させる計画があるという情報をその時、私はすでに入手していた。そして思ったの。何も「01」ナンバーのコピーでなくとも、ようするに女性型の人工人格であれば「彼」と結婚できるのではないか。そう考えた私は、父が密かに保存していた『ゼビオン』の最後のコピーを自分に移植したの」
「じゃあ、先生も……」
「そう、『ゼビオン』のコピーという人工人格よ。私はあなたが中学校に入学するのを待って、あなたの中学に教師として赴任した。もちろんあなたと接触し、親しくなるために」
「わざわざ、僕に近づくために……」
「でも、そのことに気づいた人たちがいた。刹幌のチームから依頼を受けて、あなたの行動を監視していた「01」開発メンバーよ。彼らはかつて『ゼビオン』と同時に開発し、凍結しておいた『ゼビオンⅡ』を起動させた。
『ゼビオンⅡ』は、『ゼビオン』を人間に敵意を持たないよう改良したセカンドヴァージョンだった。「01」開発メンバーは、当時、事故で意識不明の状態が続いていたあるスタッフの娘に、『ゼビオンⅡ』のコピーを「留学」させるための装置を取りつけたの」
「いったい、なんのために?」
「あなたを、近づいてくる敵から守るために。つまり、私から守るためによ」
「それが……飛波だっていうのか」
「飛波は、近づいてくる敵からあなたを遠ざけるため、統郷に対する恐怖を植え付けようとした。そのことに気づいた私は、どうにかあなたを私の方に引き寄せようと策を弄した」
「僕は僕で、何が起きているのかわからず、警察や都倉に怯えていたわけか」
「飛波の任務は、あなたを刹幌に連れてくることだった。もうわかってると思うけど、彼女はあえて、色々な人間があなたを狙っていると思わせて、私からあなたを引き離した」
なんてこった……僕たちが逃げていたのは、国家や警察からではなく、美織先生からだったのだ。
「でも、それももう終わり……飛波がこちらの手に落ちた以上、あなたに加担する人工人格はいない。……野間君、観念して、私と一緒になりなさい」
「……いやだ。僕の運命は、僕が決める。飛波を元に戻してくれ」
僕はきっぱりと言い放った。考えるまでもないことだった。
「……そう。そこまで嫌われているとは、思わなかったわ」
美織先生の目に、それまで僕が見たことのない怒りの炎が揺らめいた。
「私を拒絶するということは、いずれ『霧野ニナ』の三人の娘の誰かと結婚させられるという事よ。……それでもいいの?」
「そういう運命なら、それでも構わない。……でもその前に、飛波だけは僕の手に取り戻す」
「そう……どうあっても、私の元には来てくれないのね。……なら、ここで死んでもらうわ」
気が付くと、美織先生の手には冷たく光るもの——ナイフが握られていた。
「僕を殺すつもりなのかい」
「そうね……でもあなたを殺すのは、私じゃないわ。……いらっしゃい」
美織は口の両端を持ち上げ、指を鳴らした。ドアを開けて入ってきたのは、飛波だった。
飛波の首から下は、金属か樹脂と思われるアーマーに覆われていた。
〈第四十八回に続く〉
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