第46話 明日人(1)君を迎えに行く


                 ⑴


 『極光洞』のドアを押し開けると、多嶋がギターをチューニングする手を止めて僕を見た。


「おや野間君、どうした?姫川君たちと一緒じゃなかったのかい?」 


 多嶋は首を傾げた。僕は黙ってかぶりを振った。


「飛波ちゃんは僕らが捜すから『ハヌマーン』で待っててくれって」


 僕は顔を上げずにそう告げた。多嶋は「ふむ」と言って弦をはじいた。


「そっか。……ちょうど中休みだけど、そういう事なら開けようか。……ちょっと待って」


 多嶋は地下に通ずる階段に姿を消した。ドアを開け閉めする音が聞こえ、スパイスの匂いがぷうんと漂ってきた。


「よーし、来てもいいぞ。好きな席に座ってくれ」


 多嶋に誘われ、僕は階段に向かった。がらんとした店内に入ると、エプロンをつけた多嶋が鼻歌を歌っていた。


「何かしなくちゃいけないのに、何もできない時って苦しいですね」


 僕が言うと、多嶋は黙って深く頷いた。


「まあ、こういう時は焦ってもしょうがないさ。おごってやるからチャイでも飲んで、出番が来るのを待つんだな」


 多嶋がキッチンに消えると、僕はテーブルに頬杖をついて誰もいない店内を眺めた。


「こんにちはー。ちょっと早めに来ちゃった。……あれ?明日人君?」


 ドアを開けて入ってきたのは、奏絵さんだった。


「どうしたの、こんな時間に。……一人?」


「奏絵さん。僕は飛波の何を知っていたんだろう」


「え?」


 僕は奏絵さんに、総合博物館での一件を打ち明けた。


「そうね……それはショックね。でもそれって、新たな情報がプラスされただけでしょ。飛波ちゃんは飛波ちゃん。違う?」


「それはそうですけど……もし、飛波が僕たちの所に戻ることを拒否したらって思うと」


「その時はその時よ。諦められる人間になることも、大人の条件よ」


 僕は「わかりました」と答えた。だが、本当は何もわかっちゃいないような気がした。


「ほい、チャイ、入ったよ」


 多嶋がトレーに金属製のカップを乗せて僕の前に現れた。


「それでも飲んで、落ち着きな」


「はい……」


 僕はカップに口をつけた。その直後、キッチンで電話が鳴り響いた。


「電話だ。……まあ、ごゆっくり」


 多嶋はそう言い残して消え、奏絵さんは物入れからエプロンを取りだした。


「明日人君。大切なのは気持ちよ。居場所がわかったら、いつでも飛び出すくらいの気持ちで、どんと構えていればいいのよ」


 僕が奏絵さんの言葉に頷いた時、キッチンから声が飛んできた。


「おーい、野間君。電話だ」


「僕に?……誰からです?」


「……白崎さんっていう女性からだよ」


 僕はキッチンに駆け込むと、多嶋からひったくるようにして受話器を奪った。


「……もしもし」


「もしもし、野間君?……声に元気がないわね。大丈夫?」


「飛波を、どうしたんです?」


「ふふ、まあそう焦らないで。彼女を取り戻す最後のチャンスをあげるわ。今夜八時に、都計台の二階ホールに来て」


「都計台の?」


「必ず一人で来るのよ。いい?」


「待って、飛波はその、本当に人工……」


「知りたいことは、来たら教えてあげるわ。……じゃ」


 電話は一方的に切られた。僕は受話器を握りしめたまま、呆然と立ちつくした。


「どうしたの?」奏絵さんが聞いた。


「忘れ物を預かっているから、都計台の二階まで、取りに来いって」


「そう……で、行くの?」


「うん。文庫本なら後で買い直せるけど、今度の忘れ物は、一度失ったら二度と取り戻せない気がするから」


 受話器を置くと、僕は顔を上げた。待っててくれ、飛波。


             〈第四十七回に続く〉


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