第42話 古屋(8)好きになれなくて


 決戦の日は、驚くほどの好天だった。


 僕たちはこれと言った検閲も受けず、スムーズに極北大のキャンパスに潜入することができた。先発隊である真淵沢と姫川はすでにキャンパス内に入りこんでいるはずだった。


 目的地である総合博物館は門から比較的近い位置にあり、古めかしく威厳のある建物だった。僕らは正面玄関の手前で足を止め、呼吸を整えた。


「見て、あれ」


 飛波が近くの木立を指さした。雪で覆われた木々の合間に、小型の重機が眠るようにひっそりとたたずんでいた。


「あっちにも」


 別の方角には小型の除雪機があった。折りたたまれてはいるが、側面にロボットアームがあり「イデオローダー」であることは明らかだった。


「警備は抜かりないってわけか」


「ここから無事に生きて出られるかしらね」


 飛波が冗談めかして言った。


「出られるさ。今夜の夕食は豚の角煮カレーって決めてるんだ」


「私は納豆オクラカレーにするわ」


「賢明だね。朝食に食べてたら、臭いで敵に警戒されるところだ」


 僕らは他愛のない会話を交わしながら、博物館の門をくぐった。中に入ると、僕らは案内図を頼りに廊下を進んだ。

 僕は展示室を横目に見ながら、首から下げている超小型コンピューターを見た。球体は緑色のままだった。どうやら一階には『氷月リラ』はいないようだ。


 「二階に行ってみよう」


 僕は飛波に言った。僕らは一階の展示室をやり過ごすと、階段で二階に上がった。二階に上がって間もなく、僕の球体が反応した。


「えっ、このあたりか?」


 見ると、超小型コンピューターが紫っぽい色に変化していた。


「どこだろう……」


 僕は廊下の一角に立つと、あたりをうかがった。


「あの部屋、調べてみない?」


 飛波が指さした部屋の前に『特別展示・北方圏とその周辺の文学』という表示があった。


「収蔵品が常設されてる部屋って貴重な物が多いし、色々と物品が動かしにくいと思う。特別展示のほうが、カムフラージュに適してると思わない?」


「よし、行ってみよう」


 僕らは特別展示室に、足を踏み入れた。他の展示室のようなリアルな展示物、たとえば動物の骨格や昆虫の標本とは異なり、文学者のパネルや原稿などが並べられ、視覚的にも地味な展示になっていた。


「コンピューターに偽装できそうな物は、無いね」


「待って」


 飛波の視線が部屋の一角に吸い寄せられていた。目の動きを追っていくと、部屋の一角に書斎を思わせる調度がしつらえられていた。


「作家の書斎を復元したものだね。コンピューターにできそうな物は……と」


 僕は足を踏み出した。途端に、胸の球体が激しく明滅した。見ると超小型コンピューターが赤く染まっていた。


「間違いない。このあたりだ」


 僕は年代物と思われる木製の机に近づいた。机上にはやはり古そうなタイプライターと、フォトスタンドに入った何点かの写真が置かれていた。


「これだ」


 僕がタイプライターに近づいた瞬間、球体がそれまでにない強さの光を放った。


「ポートは?ありそう?」


「ちょっと待って」


 僕はあたりを見回し、僕らに向けられている視線がないことを確認した。それとなくタイプライターをあらためると、裏側にコネクタの形の穴が見つかった。


「ここだ。接続しよう。見張っててくれないか」


「うん、わかった」


 僕は首からストラップを外すと超小型コンピューターのコネクタをタイプライターの裏側の穴に差し込もうとした。…と、その瞬間、声がした。


「やめろ」


「誰?」


 二つあるフォトスタンドの一つに、少年にも少女にも見える中性的な若者の写真が映し出された。


「僕は氷月チキ。氷月リラこと、01のコピーだ…娘と言ったほうがいいかな」


「01じゃないの?」


「違う。母は僕が眠らせてある。僕を止めてもローダーの暴走は止められない」


「どういうことだ?」


「連中は今、もう一人の人工人格が支配している。僕と母も、そいつの監視下だ」


「もう一人の人工人格だって?」


「そう。極北大学の研究者が作った男性型人工人格、弥生やよいミヤだ」


「説明してもらえるかな」


「人工人格02……風花メノが「男の子」を産んだ時、すでに生まれていた僕が、男の子の筆頭お妃候補になった。……しかし僕の人格がはっきりするにつれ、僕が男の子を好きにならない性質であることがわかってきた。


 つまり、僕とメノの息子の人格をくっつけても、いいコピーは生まれないと01シリーズの開発スタッフは考えたわけだ。……この選択は、僕も正しかったと思う。事実、僕はメノの息子に、恋愛的な感情をまったくもてなかったからね。


 しかし僕の母……リラは、僕を不憫に思ったのか、僕を連れて01シリーズの開発サーバーから脱走した。そんなところに接触してきたのが、極北大の人工人格開発チームだったんだ。彼らは不完全ながら、男性型の人工人格『弥生ミヤ』を開発していた。


 しかし彼もまた成長するにつれ、女性を愛せない性質があることが判明したんだ。極北大のチームは彼らの息子と僕の組み合わせならうまく行くのではないか、そう母にもちかけた。

 母はその気になり、僕も最初は抵抗があったが、話しているうちに、女の子みたいな男性だったらうまく行くかもしれないと思い始めた。


 だが……母と僕が極北大のサーバーに居候するようになってしばらくすると、ミヤは傍若無人なふるまいをするようになり始めた。僕は危険が及ばないよう、母を眠らせることにした。

 激怒したミヤは、僕と母が指揮していたローダーたちを全て自分の支配下に収めると、僕らをこの部屋に軟禁したんだ」


「その『弥生ミヤ』はどこにいるんだ?」


「このキャンパスに置かれているローダーのうちのどれか一つに搭載されているコンピューターの中だ。僕を初期化したいならそれでもいいが、その前にミヤを止めてもらえないだろうか」


「彼を止めたらあなたとお母さんが、イデオローダーたちを使って僕らに攻撃を仕掛けてくる」


「それはしない。約束する。母もきっと、後悔しているはずだ。妹への意地と当てつけから脱走したものの、誰一人幸福にならなかったのだから」


「あなたはそれでいいの?」飛波が言った。


「僕は……いつか誰かが、僕と新しい関係を築いてくれるプログラムを生み出してくれると信じている」


「わかった……ミヤが搭載されているローダ―の特徴は?」


「小型で、目が丸くて大きい。色はどちらかと言うと白い……かな」


「わかった。探してみる」


「ありがとう。感謝する」


 フォトスタンドがもう一枚、光った。映し出されたのは、眠っている女性の横顔だった。


「この人が『氷月リラ』……あなたのお母さんなのね」


 飛波が言った。コンピュータの中とは言え、親子の「絆」に違いはない。


「その『弥生ミヤ』のローダーを破壊するにせよ、とにかく、外に出て真淵沢さんたちと合流しよう」


 僕らは頷き合うと、階段に向かった。一階に向けて階段を降り始めた直後、飛波が突然、足を止めた。


「あっ……」


 飛波が声を上げるのと同時に、下の階から音楽のようなものが聞こえてきた。ピアノともバイオリンともつかない太い弦をはじくような響きが、マイナーな戦慄を奏でていた。僕は飛波の表情を盗み見た。そしてその変化にぎょっとした。


 飛波の顔からは表情がぬぐわれたように消え失せ、瞳からは光が失われていた。あきらかに、いつもの飛波ではなかった。


 ひょっとすると、今、流れているこの音楽と関係があるのか?


 戸惑っていると、飛波は再びとんとんと階段を降り始めた。僕は胸中に黒々としたものが広がるのを感じながら、飛波の後を追った。


             〈第四十三回に続く〉


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