第39話 古屋(5)誘いの魔女、再び
「ね、こうしてちょっと距離を置いてアーケードを見ると、すごくきれいだと思わない?」
田貫小路三丁目の手前で信号待ちをしていると、ふいに飛波が言った。
「そうだね……時間帯のせいもあると思うけど」
僕は素直に同意した。紫がかった空とイルミネーションの向こうに、色とりどりの看板が覗くさまは絵の中の風景のようだった。
それにしても、奏絵さんはどうしてお店に来ず、僕らを呼び出したのだろう。他の人たちには聞かせたくない話でもするつもりだろうか。
そんな事をぼんやり考えつつアーケードに入ると、突然、けたたましいサイレンの音とともに、アナウンスが鳴り響いた。
『ただ今、アーケード内にて、災害が発生しました。歩行者の方は至急、アーケードの外に出るか、速やかに地下に避難してください』
「何があったんだろう」
「とりあえず、逃げましょ」
繰り返されるサイレンが恐怖をあおり、アーケード内はちょっとしたパニックになっていた。僕らは反射的に地下に向かう階段を目指した。……が、近づいてみると、階段の前は同じように地下に避難しようとする人たちでごった返していた。
「やっぱり外に出よう」
地下に降りるのをあきらめ、アーケードの外へ足を向けようとした時だった。何か大きな物の気配をすぐ近くに感じた。
「きゃああっ」
飛波の悲鳴に振り返ると、大きな剥製の熊が、飛波を羽交い絞めにしていた。よく見ると剥製の熊には、腕が四本あった。熊は二本の腕で飛波の身体を、残る二本の腕で飛波の頭を押さえつけていた。
僕はその場から動けず、そうこうしているうちに、アーケード内の歩行者たちは潮が引くように僕らの周囲から消えて行った。
「飛波……今、助けるから、じっとしてて」
僕は必死で打開策を巡らしながら、飛波を励ました。と、突然、轟音が鳴り響き、アーケードの入り口にあたる床面から巨大なシャッターが上に向かってせりあがった。
「な……なんだっ?」
巨大シャッターは、西と東の両方から出現し、アーケードの開口部をすべて塞ごうとしていた。
「まずい、閉じ込められる!」
僕は叫んだ。だが、飛波が自由を奪われている状況では、どうにも動きようがなかった。
人気のなくなった商店街の中で、どうやって剥製の熊から飛波を取り戻すか考えていると、あちこちの物陰から人影らしき物が現れた。人影はよく見ると、腕や腰に健康器具を巨大にしたような、ごついパッドを装着していた。
あれは……真淵沢さんが言ってた、アイ・トルーパーって奴だ!
アイ・トルーパーとは強化服を装着した、敵の戦闘員のことだった。戦闘員とはいってもAIに操られている一般市民がほとんどで、介護用のアシストスーツを改造した戦闘服は使用者が女性であろうと老人であろうと、通常の人間をはるかに超える運動能力を発揮するのだった。
たしかにトルーパーたちの中身は、よく見ると老人や主婦のような女性が多かった。おそらく、ナノボットによって操られているのに違いない。
「みなさん、目を覚ましてください!僕らは敵じゃありません!」
僕は無駄と知りつつ、叫んだ。だが、トルーパーたちはぎこちない足取りで僕との間合いを、じわじわと詰めてきた。と、その中からふいにもう一体、熊の剥製が姿を現した。
二体目の熊は、なぜが腕に鮭を抱えていた。熊は飛波に近づくと、立ち止まった。いったい、なにをするつもりなのだろう。固唾を飲んで様子をうかがっていると、熊が抱えている鮭の口がくわっと開き、その奥から銃身に似た筒が現れた。
——あれは、ナノボットの発射口だ!
「やめろ!やるなら僕からだ!」
僕は思わず叫んでいた。飛波を羽交い絞めにしている熊が、飛波の頭を爪でがっちりと押さえつけ、前を向かせた。僕は駄目もとで、熊に突進しようとした。すると、間近で声が聞こえた。
「やめなさい」
声は女性のものだった。驚いたことに、声と共に熊の動きがぴたりと止まった。
「ずいぶん、男らしいことを言うようになったわね、野間君」
僕は声のした方を見た。トルーパーの間から、黒いレザーのロングコートを着た女性が姿を現した。女性は、やはり黒のフルフェイスマスクをつけていた。
「その声は……」
「久しぶりね、野間君。こんな遠くまで追いかけさせて……私を裏切ったらおしまいだって言ったでしょ?」
女性がゆっくりフルフェイスマスクを脱ぐと、僕がよく知っている顔が現れた。
ぞっとするほど美しい、女教師の顔が。
〈第四十回に続く〉
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