第36話 古屋(2)凍れる街のレース


「まずい、敵だっ」


 僕が叫ぶのと同時に、機械がこちらに向かって移動を始めた。


「逃げるんだ、早く!」


 角刈り店長が叫び、僕と飛波は市場の出口に向かって走りだした。

 外に飛び出すと眩しい光で一瞬、目がくらんだ。僕は立ち止まると、周囲を見回した。


「たしか、自転車があるって言ってたよね」


「あっ、あれじゃない?」


 飛波が指さしたのは、ゴミ収集所の隣だった。見ると、たしかに自転車が二台、停められていた。片方に金属のサスペンションがついた運搬機らしき物がついているところを見ると、あれがそうに違いない。


「乗るぞっ」


 僕は自転車に駆け寄ると、運搬機に岡持ち型の解析装置をセットした。後方から見ると、まるっきり蕎麦屋の出前だ。


「どうやって運転するの、これ」


 飛波がサドルに跨りながら、言った。


「自転車と同じだよ。アシスト機能にはあまり期待しないほうがいい」


 僕はスタンドを外すと、ペダルに足を乗せた。同時に市場の出口から、モーターの唸る音が聞こえてきた。


 僕らが走りだした瞬間、アルミのドアが派手な音を立てて吹き飛んだ。一瞬、ペダルを漕ぐ足を止めて振り返ると、先ほどの機械が触手をうねらせながら姿を現すところだった。


「走れっ」


 僕らは敵に背を向け、飛び出した。背後で機械が向きを変える不気味な音が聞こえた。


「市場を右側から回りこもう。創世川沿いに出れば、何とかなるかもしれない」


 僕は市場の角で速度を緩めると、進行方向を西に変えた。創世川の手前まで来た時、僕の足が自然と止まった。背筋が凍りつくような光景が、そこにあった。


「あれは……」


 創世川をまたいで田貫小路と市場とを繋いでいる道に、数体の重機が待ち構えていたのだった。


「どうするの?」


 戸惑っていると、背後からリフト型重機の走行音が聞こえてきた。もはや、一刻の猶予もならない。


「Uターンしよう。こうなったら東に逃げるしかない」


 僕はいったん南に自転車を向けると、ペダルを踏み込んだ。走り出してすぐ、市場の真ん中を通る路地を左に折れ、今度は創世川に背を向ける形で走り始めた。


「どっちに行くの?」


「わからない。ジグザグに行くしかない」


 リフト型重機の小回り性能がどのくらいかはわからないが、どこかで必ずまくことができるはずだと思った。


「きゃあっ」


 東に走り始めて間もなく、飛波の悲鳴が聞こえた。僕は自転車を停めて振り返った。飛波の自転車の荷台を、リフト型重機のロボットアームががっちりと捉えていた。自転車を降りて駆け寄ろうとした時、背後でブザーが鳴った。


「充電が完了しました。ハイパー加速が使用できます」


 背後の自転車に目を向けると、ハンドルについている液晶画面が、いくつかあるスイッチの一つを大映しにしていた。


「飛波っ、振り切れっ」


 僕が叫ぶと、飛波も気づいたらしくハンドル脇のスイッチに手をかけた。


「よし、行くぞっ」


 僕は再び自転車に跨ると、ハイパー加速のスイッチを入れた。がくん、と前につんのめる感覚があり、次の瞬間、自転車は爆発的な急加速をした。同時に後方で重い物体が転倒する、鈍い音が聞こえた。リフト型重機がひっくり返ったらしい。


「飛波っ」


 僕が名前を呼ぶと、隣に飛波の自転車が姿を現した。


「ふう、危なかった」


「良かった、無事で」


 僕らはしばらく並走しながら、倉庫の多い一角を東に北に走った。


「そろそろ、創世川の方に戻れるかな」


「どうかしら……あっ」


 ふいに飛波が叫び、自転車を停めた。僕は慌ててブレーキをかけ、飛波の目線を追った。


 前方のビルの陰から、パワーショベルが出てくるところだった。通常のアームの他に、二本の細長いロボットアームを備えた特殊な重機だった。


「どうする?」


「引きつけて、かわそう。できるか?」


「私が先に行くわ。同じルートでついてきて」


 そう言うと飛波は、ペダルに足を乗せた。僕はにわかに不安になった。いくらかアスファルトが覗いているとはいえ、二月の刹幌だ。自転車が快適に走れる状況とは言い難い。急加速を避けるため、ぼくらはアシスト機能を切った。


「行くわよ」


 踏み固められ、摩擦がほとんどないつるつるの路面を、飛波は走り出した。前方からは蟹のお化けみたいな重機が、二本の腕を振りかざしながら迫りつつあった。


「それっ」


 走り出してほどなく、飛波は右脚を外側に開いた。そのまま車体を右に傾けると、自転車はドリフトしながら急角度で右にカーブを描いた。僕は岡持ちの重さを計算に入れ、早めに体重を移動した。

 僕らが右に曲がった後、パワーショベルが曲がり角を行きすぎ、急停車する音が聞こえた。こんなことをしてもおそらく、稼げる時間はわずかだろう。


「どっちに行こう」


「左だ、バスセンターの方角に行く」


「バスセンター?」


「地上は危ない。このままだといずれ包囲される。地下に逃げよう」


「地下に?自転車で?」


「少しの間ぐらい、担いで行ってもどうってことないだろう。降り口を探そう」


 相談しながら走っていると、やがて交通量の多い通りにぶつかった。僕らは自転車を停めて背後を振り返った。


「来るわ」


 百メートルほど後方から、パワーショベルが雪煙を上げて僕らに迫っていた。


「左もだっ」


 創世川の方向からも、別の重機が迫っていた。こちらはブルドーザーに似た車両だった。


「どうしよう?」


「あそこに地下に入る入り口がある。自転車を降りて、担いでいこう」


 僕は右手を指さした。十メートルほど先に、地下への入り口があった。

 僕らは入り口の前に移動すると自転車を停め、楽に運べそうな持ち方を思案し始めた。


「いっそ、折りたたんでキャリーバッグみたいになれば、いいのにね」


 飛波が不平を漏らした時だった。


「了解しました。キャリー形態、変形」


 いきなり自転車が喋り、自分から形を変え始めた。僕らの目の前で、二台の自転車がわずか数秒で持ち手のついた四角い箱へと変化した。


「岡持ちは、自分でお持ちください」


 声とともに、差し出すようにして上部から岡持ちが飛び出した。


「よし、降りよう」


 飛波と顔を見合わせ頷きあうと、僕らは階段に足をかけた。変形した自転車をがたがた引きずり始めた途端、背後から重機の上げる唸りが聞こえてきた。


 足を速め、どうにか地下道の入り口までたどり着くと、上の方から凄まじい激突音が聞こえた。振り返って恐る恐る見上げると、地下道への入り口に重機が激突し、埃と雪が舞い上がっているのが見えた。


「危ない、危ない」


 僕らは地下へと一路、先を急いだ。


               〈第三十七回に続く〉

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