第32話 メノ(4)美しく疑わしき幻


                ⑷


「ふうむ、そんなことがあったとは……にわかには信じられないような話だな」


 古屋は僕の話を聞き終えると、盛大にため息をついて天井を仰いだ。飛波を怒らせてしまったことで自棄になったわけではないが、僕は気が付くと、今までの経緯をつぶさに語っていた。


 ——どうせ、裏切り者なんだ。


 後ろめたい気分に言い訳をするように、僕はそうひとりごちた。


「仮にその、AI同士の戦争の話が事実だとしても、実存党が反デジタルでないのなら、君が統郷で狙われたわけがわからないな」


「そうなんですよね。反デジタル派の存在を政府や警察が煙たく思っていないというなら、僕らを襲ってきた連中は一体、何者なんでしょう」


「野間君、これはあくまでも一つの考え方にすぎないんだが——」


 古屋は声を低めると、そう前置きした。


「飛波君は、どこかと通信していた形跡があったんだよね。もしかしたら、最初から誰かに操られていたという可能性は考えられないかな」


「飛波がですか?まさか」


 胸がきりりと痛んだ。心のどこかであるいはと疑いつつ、あえて考えないようにしてきたことを指摘され、僕は激しく動揺した。


「うん。つまり飛波君は、誰かの指示で君を刹幌に連れてくる任務を負っていたんじゃないかってことだ。文通も、最初から仕組まれていたことかもしれない」


「でも、文通希望の返信を出したのは、僕ですよ」


「まあ、そこは何か、君の琴線に触れるような文章のテクニックがあったのかもしれない。とにかく、首尾よく知り合いになったところで、インターネットカフェと暗号の話を持ち出すわけだ。暗号の持ち主が彼女とグルだったかどうかは定かでないが、とにかく彼女には、暗号を手に入れる勝算があった」


「そんな……」


 では、あのアナログゲームカフェでの大げさな芝居も、すべてが予定通りだったというのか。そこまで手の込んだことをして、いったい何のメリットがある?


「あとは君を敵に狙わせて居場所をなくし、否応なしに逃亡せざるを得ない状況を作り出せばいい」


「美織先生や、クラスの連中も全員、グルだったっていうんですか」


「そうは言ってない。特に美織は……いや、あいつの話はやめておこう。とにかく、すべてが飛波君の計略だったと考えれば、それなりに説明はつく。つまり、統郷に敵はいなかったということだ」


「都倉が殺されたのは、どうなるんですか」


 僕は忌まわしい記憶を手繰り寄せた。古屋は目を閉じ、唸った。


「……これはあくまで僕の想像に過ぎないが……都倉はおそらく、死んでいないと思う」


「なんですって?」


 僕は思わず椅子から飛びあがりそうになった。


「君は都倉死亡のニュースを、自分の部屋のテレビで見たと言ったね?どこかでその内容が、話題になっていたかい?」


「いえ……よそでは一切、見聞きしていないです」


「では、君と飛波君が、お尋ね者になったというニュースは?」


「それも……テレビで見ただけです」


「ニュースの事を電話で君に教えたのは、飛波君だったね?」


「そうです」


「今すぐ、テレビをつけろと」


「ええ」


「もし、君が部屋にいることが前もってわかっていたのなら、おそらく百パーセント、近くにあるテレビを見るだろうな。だったら、あらかじめこしらえておいた映像を、君の部屋のテレビにだけ、映し出すということもできたかもしれない」


「まさか……それも飛波が?」


「もう一つ、刑事と称する黒づくめの人物の事だが、これも飛波君の仲間の可能性がある。……刹幌に来てから、姿を見かけていないだろう?」


「……はい、たしかに」


「もし本気で君たちをマークしていたのなら、刹幌だろうとどこだろうと、追ってくるはずだ。それが追って来ないということは、刑事などという身分の人間は、初めから存在しなかったという事だよ」


「でも暗号を解いているとき、僕の部屋にノックが……」


「ノックの主を見たかい?見なかったろう」


「ええ。ほんの十秒くらいの間に、消えてしまいました」


「その日、家には君たちしかいなかったのかい?」


「妹がいましたが、僕らと入れ替わりに、出て行きましたよ」


「出て行くところを見たかい?」


「えっ……でも、ドアを開け閉めする音が聞こえましたけど」


「見ていないのなら、ただドアを開けて閉めただけでも、出て行ったのと同じ音がするんじゃないかな」


「……たしかに。でも、妹が、なぜ?」


「野間君、君は王通りで、ナノボットを吸わされた人たちが襲いかかってきたと言ったね?妹さんもその日、何者かに操られていたのかもしれない。ノックをした後、君の呼吸を見計らって、素早く自分の部屋に隠れる。そういうこともできたんじゃないかな」


「信じられない……莉亜が」


「学校でクラスメートが突然、遅いかかってきたのも似たような物だろう。君を捕えるためではなく、おそらく学校にいられなくするために」


「じゃあ、美織先生は……」


「彼女の事は良くわからない。大学時代から、秘密が多かったしな。それで僕とも……いや、それはどうでもいい。とにかく、飛波君には今後、気をつけたほうがいい」


「でも今さら……」


 僕は飛波と過ごした時間を振り返った。逃避行の間、飛波は常に真剣な目をしていた。


「じゃあ聞くが、彼女がもし、何者かに操られていて、本当の彼女は君が思っているような子ではなかったら?それでも、今後、君は彼女と行動を共にできるか?」


僕は沈黙せざるを得なかった。僕が気を許している飛波は、作られたキャラクターなのだろうか。いつも見ている飛波以外の何を僕は知っていると言うのだろう。


「とにかく、君が刹幌に連れてこられたのには、何か理由があるはずだ。それが何なのかわかるまで、彼女には気を許さないことだ」


「わかりました。一応、忠告として受け取っておきます」


 古屋は席を立つと、僕に名刺を手渡した。


「なにかあったら、ここに連絡してくれ。君からデジタルと反デジタルの戦いが存在しないと聞いて、僕も色々なことが知りたくなった。その、人間を支配しようとしているというAIのこともね」


「お仕事は、どうするんですか?」


「……じつはさっき、仕事が終わったところだと言ったが、本当は辞めてきたんだよ、会社を。どうしても、コンピューターに関する仕事がしたくてね」


「そうだったんですか……」


「いいかい、これだけは覚えておいてくれ。僕の仮説を信じようと信じまいと自由だが、少なくとも僕は君の敵じゃない」


「ええ、わかりました」


 古屋が立ち去った後も、僕の頭の中では、別れ際の飛波の冷たいまなざしが現れては消えを繰り返していた。



                  ⑸


 まだ陽の高い時間だったが、僕は『ハヌマーン』に行くことにした。飛波とは連絡の取りようがなかったし、姫川たちは電車の中、奏絵さんは仕事だったからだ。


 楽器店『極光洞きょっこうどう』のガラス戸をくぐると、店主の多嶋弦太たじまげんたが声をかけてきた。


「よう、どうした?随分と早いじゃないか。飛波ちゃんはどうしたの?一緒じゃないの?」


「ええと、あのう……ちょっと色々あって、別行動になったんです」


 僕が口ごもると多嶋は「ははあん」と顎を擦った。


「さては、喧嘩したな?それで彼女の頭が冷えるまで、時間を置きたいんだろう」


「ええ、まあ」


「いいね、青春だよな。うらやましい。……だけどさ、下の店は今、休憩時間で閉店してるぞ。いつも午後二時から四時は仕込みということで店を閉めてるんだよ」


「えつ、本当ですか。……まいったなあ」


 僕は途方に暮れた。この刹幌で唯一と言っていい拠点に入れないのでは、ますますもって行き場がない。


「ここで待ってるかい?それとも……」


 多嶋がそう言いかけた時だった。背後から「あいかわらず、ごちゃごちゃした店だねえ」と、女性の声がした。


「あ、母さん。珍しいね、こんな時間に」


 母さんと多嶋に呼ばれた女性は、六十歳前後の恰幅のいい人物だった。……そういえば、鼻のあたりが似ていないこともない。


「なに、ちょっとばかし暇になったんでね。流行ってるかい?下の店は」


「あいかわらず、常連ばっかりさ」


「あんたが楽器にばかり力を入れてるからだろうさ。アルバイトにばかり任せてないで、たまには厨房に立ったらどうだい。店長だろう?」


 僕は唖然とした。この人は、カレー店の店長でもあったのか。


「なにせ下の店に来る連中はデジタル大好き人間ばかりだからね。少しはアナログに興味を持ってくれないと、絶品カレーを作ってやろうって気にならないのさ」


「ふん、デジタルばかり悪者にするんじゃないよ。アナログ楽器の良さくらい、あたしにだってわかるさ。さて……と」


 女性は大きめのバッグから、バンダナとエプロンを取りだした。


「せっかくだから、久々にお店に立つとするかね。……ところでそっちの男の子は?あんたの弟子かい」


「ちがうよ、母さん。この子は統郷からやってきたお客さんさ」


「ふうん、そうかい。統郷ね。……まあいいや、カレーを食べたいのなら、あと三十分待ちな。その代わり、創業者みずからが仕込む味だからね。いつもとは一味違うよ」


 女性はそう言うと、にっと歯をむき出した。


             〈第三十三回に続く〉


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