第31話 メノ(3)知らない方がいい


        ⑶


「へえー、そんなことがあったんだ」


 姫川の話を一通り聞き終えた奏絵さんと椿山は目を丸くした。


「す、すごいよ。もしその話が本当だとしたら、すでに人間のポテンシャルをはるかに超える生命が現れたことになる。スーパーアイドルの誕生だよ。……畜生、なんで竜彦ばっかり。ああ、僕もそのメノちゃんとお話がしたいっ」


 椿山が大盛りライスの皿を手に持ったまま、身悶えした。


「ところで野間君、縁さん」


 姫川がスープを啜る手を止め、僕らの方を見た。


「明日一日、僕と真淵沢さんとメノとで、今後の計画を話し合いたいんだけど、いいかな?」


「それなら僕も加えてくれよ。……竜彦だけ毎日会えるなんて、ズルすぎる」


「おい、こっちは真剣なんだぞ。……まあ、いいか。奏絵さん、どうなの、こいつ。一日休んでも許されるの?」


「一応、オーナーに聞いてみるわ。大丈夫だとは思うけど」


 奏絵さんが答えると、椿山は「やった、じかに会えるっ」と小躍りした。


「そういうわけで、明日は君たち二人は、休暇ってことで」


「いや、休暇っていうか、もともと僕ら、ただの旅行者だから……」


 僕が言うと、奏絵さんが「本当、そうよね」と苦笑した。


「でもちょうどよかったじゃない、刹幌に来てから君たち、まだゆっくり観光もしてないんでしょ。この際だから明日一日、デートしてきなさいよ」


「デート?デートっていったい、何すりゃいいんですか」


思いもしなかった展開に、僕は面食らった。


「そうねえ、一緒にお茶を飲んだり、食事したり、街をぶらついたり……ようするに、そういうことをするのが、デートじゃない?」


 僕と飛波は思わず顔を見合わせた。おそらく二人とも同じ事を考えているに違いない。


「……それなら、いつもやってますけど」


                  ※


 思いもかけず生まれた「休日」は、なんてことのない街歩きから始まった。


 僕らは刹幌駅近辺の地上を連れ立ってぶらぶらと歩き、白く彩られた街並みを楽しんだ。


「さすがにホワイトフェスティバルには、もう行けないね」


 僕が言うと飛波は「もう充分だわ」と頷いた。


 北開道庁前の歩道を歩いていると、飛波が突然、足を止め「見て」と言った。


「何?」


「あのカラスたち……こっちを見てる」


僕はぎょっとして、塀の上に並んでとまっている黒い影たちを見た。たしかに、見ようによってはこちらを見ているようにも見える。


「あれがもし敵のAIだったら、私たちどこに行ってもずっと監視されてることになるわ」


「うん……でも僕らにはメノや真淵沢さんたちもついてる。攻撃してこない限りは、無視していればいい」


「わかってる……だけど気味が悪いわ」


「確かにね。四六時中、監視されてるなんて、あまり気分のいいもんじゃないな」


 僕は同意を求め、何気に飛波を見た。一瞬、飛波の目が泳ぐように揺れた。僕ははっとした。報告、という言葉が脳裏によみがえったのだ。


「……お茶でも飲もうか」


「うん」


 飛波は、僕を監視しているのではないか——僕は胸にわだかまった疑念を、必死で打ち消そうとした。


                   ※


「姫川さんたち、今頃どうしてるかな」


 立ち寄ったパーラーで、パフェを前に飛波がふと、思い出したように言った。


「そりゃあ、マニアックな話に花が咲いてるだろうさ」


「あの人たちにとっては、世界で最も過ごしやすいカフェでしょうね」


 僕らは、ハイテンションで電車と語り会っている男たちを想像し、苦笑した。


「私、ちょっとトイレに行ってくるね」


 飛波が席を立ち、僕はぽっかりと空いた席の向こう側をぼんやり見遣った。


 午前中だけあって、客はそれほど多くなかった。この混み具合なら、怪しい人物が入ってきてもひと目でわかるだろうと僕は思った。


 ——監視、か。


 そう思った瞬間、僕の目は飛波のバッグに吸い寄せられていた。バッグのポケットから顔をのぞかせていたのは『日記帳』だった。


 ——あれがもし、端末だとしたら。


 見たいという欲求と、そんなことをしたら飛波との信頼関係が一発で崩壊するという恐れとで、心が激しく揺れた。


 ——このまま気づかないふりをして、旅を続けたほうがよくはないか?


 ……が、結局、好奇心が勝った。気が付くと僕は飛波のバッグから『日記帳』を抜き出していた。


 日記は前半部が文字を書きこめるよう、普通の手帳になっており、後半に液晶の画面がしまい込まれていた。手帳部分は白紙のようだった。手帳の内容に興味はない、端末を見たいだけだ……そう自分にいいわけしながら液晶画面を開くと、目の前にバックライトの光が広がった。


『どうした、飛波……調子が悪いのか。定期連絡時間外だぞ』


 画面上には、幾何学的な模様が揺らめいている他は、何も映っていなかった。しかし聞こえた声は、たしかに神社で会った「父親」の物だった。


 いったい、これはなんだ?僕は戸惑った。


「何してるの?」


 いきなり声をかけられ、心臓が跳ね上がった。顔を向けると、目の前に飛波がいた。


「……それ、私のだから、返して」


 飛波は感情のこもらない声で言った。僕が日記を渡すと、飛波は無言でバッグのポケットに収め、そのまま上着を羽織り始めた。


「トイレがね、混んでたの。戻ってきてよかった」


 僕は反射的に飛波から目をそらした。言い逃れのできる状況ではない。


「……野間君の正体も見れたし」


 飛波はそう言うと、バッグを手にくるりと背を向けた。僕は咄嗟に言い返そうとしたが、言葉が浮かばなかった。


 ——じゃあ、君は何だ?一体誰に「報告」をしてた?今まで僕を騙していたのか?


「おい、どこに行くんだよ」


 僕が背中に声をかけると、飛波はドアの前で足を止めた。


「どこに行こうと私の勝手でしょ。ついて来ないで」


 そういうなり飛波は乱暴にドアを閉め、店外に消えた。僕はなすすべもなく、その場で頭を抱えた。


 やはり、見るべきではなかった——


 うなだれていると、いきなり後ろから肩を叩かれた。ぎょっとして振り向くと、以前、見たことのある顔が立っていた。


「……君、たしか奈月のクラスメートだよね。野間君、だったかな?」


 立っていたのは統郷のファストフード店で会った、松倉奈月の叔父という人物だった。


 なぜ、刹幌にいるのだろう?僕が首を傾げると、男性が口を開いた。


「出張と休暇を兼ねてきたんだけどさ、まさかこんな所で知り合いに会うとはね」


 男性——古屋昭ふるやあきらは言った。知らぬ間に薄れつつあった統郷でのあれこれが、一気にフラッシュバックとなって胸に押し寄せた。


「今の子、だいぶ怒ってたみたいだけど、追いかけなくていいのかい?」


「いいんです、どうせ追いついたところで口を利いちゃくれないでしょうから」


「何かわけがありそうだね。そうとう、気に障ることでも言ったのかな」


「そうじゃないんです。彼女の端末を勝手に見てしまって……」


「端末だって?」


 古屋の表情が険しくなった。端末と言う言葉に反応したのは明白だった。


「ちょっとその話、差し支えなければ、詳しく話してもらえないか?」


 古屋はテーブルに手をつくと、身を乗り出してきた。僕は周囲を見回した。


「いいですよ。ただし、周りに聞こえないよう、小声で話します。いいですか?」


「もちろん。できれば刹幌に来た経緯から、順を追って聞かせてもらえないかな」


「わかりました。お時間の方は、いいんですか?」


「ああ。今日はもう、仕事はないんだ。時間なら、いくらでもある」


          〈第三十二回に続く〉

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