第29話 メノ(1)暴走する鋼鉄少女
⑴
早朝の西四丁目は、ビジネスマンや夜の接客業を終えた人たちがまばらに行き交っていた。まどろみから覚め、ゆっくりと身じろぎしているような朝もやの街を、僕らは市電の停留所へ向かった。
ハレーションのような白っぽい日差しの中でたたずんでいると、ごとごとと地面を震わせ、カラフルな女の子のイラストがペイントされた車体が姿を現した。
「ははあ、これが『風花メノ電車』か」
姫川が車体に施されたペイントをまじまじと眺めながら言った。風花メノというのは、刹幌で誕生したキャラクターの名前らしい。
「西四丁目、発車します。お急ぎください」
運転手兼車掌が、よく通る声で告げ、僕らは数名の利用客とともに電車に乗り込んだ。
「発車します……次は西八丁目」
どことなく間延びしたアナウンスとともに、独自の金属がぶつかるような音を立てて電車が動き出した。僕は両側の風景を眺めながら、さて、乗ったはいいが、これからどうなるのだろう。一周してしまうのだろうかと首を捻った。電車は徐々に加速してゆき、あっという間に次の駅についた。
「ほか、お降りになる方はいらっしゃいませんか」
アナウンスが流れ、ドアが閉じると、窓に貼られている大量の液晶広告がめまぐるしく変化した。次の駅に近い店の広告に、一斉に変わったのだ。クラシックな電車と最新型の動く広告。この取り合わせも刹幌らしかった。
「次は——」
しばらく何事もなく運行し、運転手が次の停車駅を言いかけた、その時だった。急ブレーキとともに、突然、電車が停車した。
「な、なんだ?駅でもないのに」
姫川が、慌てて車窓の外を見た。僕もつられてきょろきょろと周囲を見回した。……と、飛波が唐突に僕の脇腹をつついた。
「ね、あれ見て」
飛波が指さした辺りの窓を見ると、液晶広告のテキスト部分が、明滅していた。
そこには『今、乗っているほかの乗客は全員、敵だ。敵をここで降ろすので、トラブル発生の報告を受けても絶対、電車を降りるな』と表示されていた。
まさか、と思っていると、いきなり「トラブルが発生しました」とアナウンスがあった。
「ただ今、予期せぬ機器トラブルが発生し、運行上の安全が確保できなくなりました。いったん停車いたしますので、乗車中のお客様は当車両を降りて次の電車にお乗り換えください。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけしております」
アナウンスが終わると、ドアが解放された。数少ない乗客たちは、ぞろぞろと電車を降り始めたが、僕たちは互いに目で合図をしあい、車内にとどまった。
「発車しまーす」
運転手が当たり前のように発車アナウンスをした、その時だった。
「逃がすなっ!」
突然、道路に降ろされた乗客の一人がドアの外から叫んだ。同時に最後に降りた男性が、閉じたドアの隙間に手をかけ、車体にしがみつくのが見えた。
「危険ですので、駆け込み乗車はご遠慮ください」
電車はなおも乗り込もうとする男性を無視し、加速を始めた。しがみついた男性がレールの振動に必死で耐えているのがドア越しに見えた。
「あっ、やばい。カーブだ!」
フロントガラス越しに見える線路が、先の交差点で大きく左に弧を描いていた。
線路の角度と現在の速度を合わせて考えると、どう考えても曲がり切れる状況ではない。
「危ないっ」
姫川がそう絶叫した時、足元からモーター音のような振動が伝わってきた。
何だろう、そう思った瞬間、車体が大きく撥ねあがった。線路を曲がり切れず、前に飛び出したのだ。同時に、ドアの外にしがみついていた男性の姿も消えた。
僕は鉄の車輪が雪の解けたアスファルトに激突する衝撃を思い描いた。
「うわっ」
次の瞬間、車体に伝わったのは、弾むような不思議な感覚だった。一旦、ふわりと浮いた車両は二、三度路上をバウンドすると、そのまま何事もなかったかのように南一条道路を西に向かって直進し続けた。どうやら鉄の車輪がゴムタイヤと入れ替わったらしい。
「なぜだ……パンタグラフが外れているのに」
姫川がつぶやいた直後、前の乗車口がいきなりがこじ開けられ、さきほど降り落とされたとばかり思っていた男性が車内に入りこもうとしていた。
「まずい、なんとかしなきゃ」
僕が何か武器になるものはないか、あたりを見回した、その時だった。
「うわっ」
身体をねじ込もうとしていた男性が、悲鳴とともにドアの外に姿を消した。見ると運転手の片手が、ドアの方に向かって突き出ていた。手の先に切符を切るハサミがあり、先端からなぜか青白い火花が散っていた。運転手はそのままゆっくりと立ち上がると、運転席を離れ、こじあけられたドアを閉めた。
「は、離れて大丈夫なんですか?」
姫川の問いに、運転手はこくりと頷いた。自動運転なのだろうか。
『あとは私がやるから大丈夫。
「はい、お嬢様」
突然、社内全体に、若い女性の声が響き渡った。
「まさか……電車が喋ってる?」
姫川の言葉に反応するように、可愛らしい笑い声が響き渡った。
『あはは、驚いてる、驚いてる』
「ひょっとしてこの電車、アイドルなのか?」
『そうでーす。風花メノ、またの名を『零下二七三』。世界で唯一の、考えて話すインターネットカフェへようこそ』
僕らは全員、言葉を失った。探していたインターネットカフェは、電車型のAIだったのだ。
『野間君、縁さん、エンジニアのお二人さん、ようこそメノのお店へ』
「君が、僕らをここへ呼んだのか」
姫川が言うと、メノは『うーん』と口ごもった。
『呼んだっていうか……運命?今から説明するから、焦らないでよ』
メノの話しぶりはデジタル知性というよりは人格を思わせるものだった。
『あ、ちなみにそこの男性は車掌の荒鳩。一応、趣味で運転もするけど、まあ、私の執事みたいなものね。体術はプロ並みだから怒らせないほうがいいよー』
「線路を外れてますけど、あなたは市営交通の支配下にはないんですか?」
『私は私よ。本名は人工人格02。この街で生まれた、新しい種族よ』
「人工人格……?」
真淵沢が驚嘆の声を上げた時だった。メノがいきなり、電車を急停車させた。
「なっ、なんだっ」
よろけながら外を見た僕は、車窓から見える風景に思わず目をみはった。
降り始めた雪の中を、大型の除雪車が正面から向かってくるのが見えたのだ。
『あー、まずいなあ。あいつって乱暴なんだよね。特にあの、前についてるブレード?あれ、当たったら痛いんだよね』
メノが呑気な口調で言った。このまま突っ込んできたら、こちらが粉砕されそうだった。
「野間君、後ろからも!」
飛波の声に振り返ると、後ろから回転式の羽根で激しく雪を舞いあげながら追いかけてくる除雪車があった。
「は、挟み撃ちだ。どどど、どうしよう」
姫川が情けない声を上げた。電車は脇道のない一本道に入りこんでいた。
「ふむ。あいつらも『アイドル』か。アイドル同志で潰し合いとは、中々面白い」
「あ、あんな荒っぽいアイドルは、嫌だあああっ」
「ほう。私はセクシーだと思うがね。特にあの、Vの字になったブレードなんか」
「正確には、除雪グレーダでございます」
車掌の荒鳩が、厳かに補足した。そんな会話をしてる場合じゃないだろう。
『やったー、モテモテっ』
「どうするんだい、メノちゃん」姫川が泣きつかんばかりに尋ねた。
『うふふ、でも全員、好みじゃなーい』
メノがまるで、告白をお断りするかのような口調で言った。
『——節足型、ジャッキ射出』
突然、それまでのメノの声とはうって変わった無機的な声が車内に響いた。
思わず窓の外に目を向けると、車体の側面から一列に、無数のシャフトが脚のように伸びるのが見えた。シャフトは道幅まで広がると、途中で折れ曲がった。一見すると、車体が巨大なムカデとなって道幅一杯に足を開いているように見えた。
『インシュレータ及びリフティング、スタンバイ』
声が響くのと同時に、垂直に折れ曲がったシャフトの先端がリング状に広がり、
高速で回転しながら雪面に突き刺さった。
『いやーん、真冬なのに、生足出しまくりー』
再びメノの声に戻った音声が言った。次の瞬間、車両全体がぐん、と垂直上昇を始めた。車体から伸びた脚の、関節から先がジャッキのように僕らを持ち上げているのだった。
『ごめんなさい、やっぱ、あなたたちとは付き合えないみたい』
メノがそう言った瞬間、車体の真下を走り抜けたロータリー車と、正面から突っ込んできたグレーダとが勢いよく激突した。
轟音とともに粉雪が盛大に舞い、僕らの視界を白く埋め尽くした。
『うーん、男同士の熱い抱擁……目覚めさせちゃったかな。次の停車駅は、地上』
ゆっくりと降下し、タイヤが雪面に着地した。節足型ジャッキがするすると車体に戻り、電車はその場で通常ではありえない九十度の旋回をした。
『では、路線を変更しまーす。山の中を三十分ほど走行した後、本来の路線に戻る予定』
アナウンスの後、電車は交通量の少ない道へと吸い込まれていった。
〈第三十回に続く〉
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