第28話 飛波(9)白い宮殿のフーガ


 「やめてええっ」


 飛波の絶叫がこだました。触手で体をがんじがらめにされた飛波が、イカ型着ぐるみの頭上に高々と掲げられようとしていた。


「よし、アクセスできた。今度はこっちが主導権を握る番だ!」


 姫川が顔の上半分を魚に飲まれた状態で言った。続いてけたたましい電子音が鳴り響き、着ぐるみの動きが一斉に止まった。


「どうした……さあ、離せ、離すんだっ」


 姫川の悲痛な叫びが響き渡った。どうにか動きは止まったものの、着ぐるみたちは以前、僕らを離す気配がない。このままではまたいつ、前の状態に戻らないとも限らない。焦りと恐怖で汗が腋の下を濡らした、その時だった。


 どすん、という鈍い衝撃とともに、僕を捉えていた着ぐるみが横倒しになった。

 固い雪面に投げ出されて腰をしたたかに打ち、僕は悲鳴を上げた。


「いたたたた」


 見ると飛波や姫川、真淵沢も同様に、背中や腰を抑えながら雪面に這いつくばっていた。


 僕を拘束していた鳥型の着ぐるみは、会場のどこかから駆けつけてきた牛型の着ぐるみと、壮絶な取っ組み合いを繰り広げていた。


「いまのうちだ、逃げよう」


 姫川の声に僕らは、弾かれたように一斉に駆け出した。その後ろを、どうやらコントロールしきれなかったらしい敵の集団が、再び追いかけてきた。


「やむを得ない、特殊なルートで脱出しよう。あの大雪像の後ろ側に回るんだ」


 真淵沢の一言で、僕らは外国の領事館をモチーフにしたらしい雪像の裏側に回りこんだ。雪像の背面は表側とは違い、ただの白い雪の壁だった。真淵沢は姫川から黒い箱を受け取ると、表面を指でなぞり始めた。


「この雪像は、中に入れるようになっておる。それ」


 真淵沢がそう言って指を動かすと、ピッと言う音がして、壁面の一角に亀裂が生じた。見ているとそこを中心に縦横に亀裂が広がり、やがて扉のように左右に大きく開いた。


「行くぞ」


 真淵沢にうながされるまま、僕らは真っ暗な雪像の内側へと入っていった。


 雪像の内部にはシャフトのような立坑が穿たれており、その内側にやはり雪でできたらせん階段が上に向かって伸びていた。


「二階に行くんだ」


 僕らはらせん階段を一列になって上った。上り切ったところに、外界に通じる穴があり、外光が漏れていた。真淵沢の後に続いて外に出た僕らは、思わず息を呑んだ。


「ここは……」


僕らが出た場所は、雪でできた半円形のバルコニーだった。下を覗くと、まだ敵のコントロール下にあると思われる群衆が僕らを指さし、口々に何か叫んでいるのが目に入った。


「真淵沢さん、二階に出たのはいいですけど、ここから一体、どうやって逃げるんですか」


 姫川が尋ねると、真淵沢は短く唸って遠くを見た。


「心配はいらん、助けはもう呼んである」


 真淵沢が言うや否や、どこからか地響きのような音が聞こえてきた。続いてモーターの駆動音が聞こえ、頭上に象の鼻のような赤いクレーンが現れた。


「あれがここまで降りて来たら、つかまるんだ」


 真淵沢が言うと同時に、クレーンのアームがゆっくりと降りて来て、僕らの目の高さで止まった。真淵沢はアームに抱き着くと「一分くらいの間、全力でしがみつけ」と言った。


 僕らはしり込みしつつ、アームにつかまった。全員がしがみつくと、アームはゆっくりと上がり始めた。全員の足がバルコニーの床を離れた時、二階の出口から群衆がわらわらとバルコニーに溢れ出てくるのが見えた。


「いいぞ、そのまま公園の外に出すんだ」


 やった、成功だ、そう思った瞬間「わっ」という姫川の叫び声が聞こえた。見ると姫川の片足に、イカ型アイドルの触手が絡みついていた。


「やっ、やめろっ、離せっ」


 姫川はアームにしがみついたまま、じたばたともがいた。アームは上がり続け、やがてイカ型アイドルもろとも空中に持ち上げた。


「やばい、落ちそう」


 姫川が絞り出すような悲鳴を上げた。真淵沢が「ふん、軟弱めが」とくわえていた煙草を吐き出した。煙草は空中で閃光を放って爆発し、姫川を捕まえていた触手が緩んだ。


 クレーンを積んだ重機は、車道に停まっているトラックの荷台に固定されており、僕らはそのまま百八十度回転して車道を飛び越え、公園の南側の歩道にゆっくりと下された。


「よし、助かった。とりあえず地下に逃げよう」


 真淵沢はそう言うと、銀行の玄関から地下に向かって延びる入り口を指さした。


「……畜生、アイドルなんてもう一生、信じないからなっ」


 姫川は公園の方を振り返ると、額にびっしりと浮かんだ汗を拭いながら叫んだ。

 

                  ⑼


「そうか、電車に乗って行くのか。なるほど、面白い」


 姫川から暗号とインターネットカフェの話を聞き終えた真淵沢は、ふむふむと頷いた。


「取りあえず明日の始発に乗ることにしたんですが、真淵沢さんも行かれますよね?」


「うむ、そういう話なら行かざるを得まい。会社の方は有給消化で何とかしよう」


 真淵沢は姫川の話に前のめりになっているようだった。僕は王通りでの一件以来、気になっていたことを切り出した。


「でも、僕らの足取りが読まれてるっていうの、気になりますよね。今、ここでこうしていることも掴まれてるのかなって思うし」


 僕は入り口の方に目をやりながら、エビ天入りのスープカレーを啜った。


「うちは心配いりませんよ。特にこの二丁目は怪しい人たちに対する警戒が強いですから」


 水のお代わりを運んできた青年が言った。針金のようにひょろ長い体つきをしたウェイターで、椿山剛太つばきやまごうたという名前だと、姫川が紹介した。

どうやら二人は幼馴染らしかった。


「いいなあ、竜彦は面白そうなところに行けて」


「馬鹿、面白いで済むようなところじゃない。危うく着ぐるみに食べられかけたんだぞ」


 姫川は、鼻息を荒くして言い返した。


「ねえ椿山さん、この厚切りベーコン、トッピングでもう一枚、貰えないかなあ」


 突然、飛波が言った。逃げてばかりの一日で、尋常じゃない空腹状態のようだ。


「それ、結構、カロリーあるんです。一枚で十分だと思いますよ」


「えー、二枚食べたい。一枚じゃ足りないよ」


「一枚で十分ですって」


 草しか食べないような体格の椿山に言われたのが不満だったのか、飛波は「じゃあ、いい」とふて腐れたように言うと「お得なセットメニュー」というポップを指さした。


「ミニカレーうどんも頂戴」


 そういうと、飛波はぷい、とそっぽを向いた。……やれやれ、女子って奴はどうしてうどんが好きなんだろう?


             〈第二十九回に続く〉

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