第26話 飛波(7)君の嘘を聞いた夜


 姫川は文面にさっと目を走らせると、うーんと唸って腕組みをした。


「三つ目の文なんですけど、わからないですよね、こんなの……」


 僕が諦めを口にした時だった。


「いや」


 姫川は、それまで天井に向けていた視線をテーブルに戻した。


「わかったかもしれない」 


 姫川はノートを手にすると、あらためて見返した。やがて鼻からふん、と息を一つ吐き出すと、ノートをテーブルに戻した。


「インターネットカフェとのつながりは不明だけど、文章の示す意味は分かったと思う」


「本当ですか?どんな意味です?」


「いいかい?『七から十へ 星を間に山の民と川の民を取り持つウロボロス』ってあるだろう。これがもし、刹幌の何かを表すものだとすれば、星は前の文から考えて北極星、イコール北開道庁だ。


 道庁を挟む山と川……広く考えれば、何種類かの組み合わせが考えられるが、あまり広い範囲だとわざわざ暗号にする意味がない。ここはごく狭い範囲と考えるべきだろう。そうすると山は摸岩もいわ真瑠山まるやま、川は創世川そうせいがわと考えていいだろう」


「取り持つ、というのは?」


「山の民、つまり摸岩か真瑠山のあたりに住んでいる人たちと、創世川のあたりに住んでいる人たちの生活圏をつなぐなにか、だ。東の人が西に行ったり、西の人が東に行ったりする時にはどうするか」


「バスか地下鉄……ですか」


「そうだね。でもこの文ではウロボロス、とあるからね。ウロボロスと言うのは口で自分の尾を咥えた蛇の事で、円環構造を意味する。刹幌の地下鉄は円環構造になっていないし、バスは山と川を繋ぐ円環構造というにはあまりにも路線の形が不定形すぎる。つまり……」


「市電だ!」僕は思わず叫んでいた。


「そうなるね。最初の二つの数字は、おそらく日付だろう。実際、今月の七日から十日の四日間だけ運行する、ホワイトフェスティバルの特別電車があるんだ」


「それに乗れって言う事ですか」


「おそらくね。ええと……」


 姫川は自分のリュックから黒い板を取りだした。僕はあっと声を上げた。あれは禁止されている携帯端末——タブレットだ。


風花かざばなメノ号、これだ。こんな感じの車体だよ」


 そういうと姫川は僕らにタブレットの画面を見せた。画面上には可愛らしい女の子の絵が一面に描かれた市電のイラストがあった。


「今日は六日だから、あと一日あるな。その前に心強い味方を一人、引き入れておこう」


「味方?」


「元、伝説のエンジニアさ。ホワイトフェスティバルに行けば、会えるんじゃないかな」


                 ⑺


 奏絵のマンションは、王通りから西へ二キロほど行った真瑠山界隈にあった。


 僕らは横になれれば充分だと思っていたけれど、奏絵さんは僕らにシャワーを使うよう勧めてくれ、正直とてもありがたかった。


「私の仕事部屋にマットレス敷いたから、明日人君はそこで寝てくれる?」


 そう言って奏絵さんはリビングに隣接している部屋を見せてくれた。部屋を覗き込んだ途端、僕は自分の目を疑った。ギターやキーボードなどの楽器に混じって部屋の一角に、あきらかにコンピューターと思われる一式が据えられていたからだ。


「奏絵さん、あれって……」


「そう、パソコンよ」


「……いいんですか?あれ。管理人さんとかに何も言われないんですか?」


「うーん、正直、微妙ね。刹幌はデジタルに寛容な街だから、見つかったからと言って逮捕されるようなことはないけど、いろんな噂は立つでしょうね」


「いったい、どこで手に入れたんです?」


「うふふ、それは秘密。ここだけの話、音楽の世界ではどうしても使わないと成り立たないところがあるの。だから、こっそり持っている人は少なくないわ」


「じゃあ、インター……」


「インターネットをやっているか?こればっかりはいくら明日人君でも教えられないわ」


 奏絵さんは、意味ありげに微笑んだ。刹幌は統郷と比べるとまるでデジタル天国だ。


「でも、仲間がいるんですよね」


「……そうね。近いところだと、『ハヌマーン』のオーナーかな。統郷にいたときの、私の上司よ。その人が企業のエンジニアを離職した時、私も引き抜かれたの。


 口説き文句は『私と北の大地にAIの逃避行をしないか』って。思いきり危険な匂いがしたけど、音楽を続けるのに、デジタルに寛容なこの街の存在は魅力だった」


「じゃあ、姫川さんとか、お店の常連はみんな……」


「よそではできない話をするために、うちの店に来るのかもね」


 僕は急に味方が倍くらいになったように感じた。遠い最果ての地で飛波と二人きりで戦う覚悟をしていたのが、こんな形で仲間が増えるとは。


 洗面所から聞こえる、飛波のドライヤーの音を聞きながら、僕は刹幌に来て初めて戦いの足場ができたような気がしていた。



                  ※


 僕がその音を耳にしたのは、尿意を催してマットから身を起こした時だった。


 トイレに行くにはリビングを通る必要があったが、リビングのソファーでは奏絵さんが寝ている。僕は起こさないようそっとドアを開け、足音を忍ばせてリビングを抜けた。


 トイレに通じる廊下に出た時だった。ふと、洗面所の方から灯りが漏れていることに気づいた。


 ——電気の消し忘れかな?


 僕は洗面所に近づくと、ドアを細目に開けた。淡い照明の光とともに、呟くような声が耳に飛び込んできた。


「報告……経過は予定通り……はい。順調です。本人は気づいていません」


 ドアの隙間から中をうかがった僕は、思わず息を呑んだ。飛波が椅子に腰かけ、日記調のような冊子を開いて、その内側に話しかけていたのだ。日記調に見えるそのページは、どうやら液晶画面のようだった。おそらく日記にカムフラージュした小型の端末だろう。


 なぜ、飛波があんな物を持っている?いや、それは構わないが、あの報告のような行為はなんだ?飛波が端末を持っているなんて、一度も耳にしたことがない。


 僕はそっとドアを閉じると、トイレに向かった。用を済ませてトイレから出てくると、すでに洗面所の灯りは消え、人の気配もなかった。リビングに足を踏み入れると、暗がりの中で人が立ち上がる気配があった。飛波だった。


「あ、起きてたの。トイレ?」


「うん。君も?」


「ちょっと眠れなくて、日記を書いてたの」


「日記……そう」


「びっくりさせちゃってごめんね」


「いや……眠れるといいね」


 飛波の口調には、どこか芝居がかった響きがあった。僕は自分の寝室に戻り、再び横になった。マットレスの上に体を横たえても、もやもやとした疑問が胸に渦巻き、なかなか眠りに引き込まれなかった。


 報告って、いったいなんだろう。


 少しづつ仲間も増え、やっと孤独から解放されつつあるというのに、僕の中で新たな不安が膨らみつつあった。


             〈第二十七回に続く〉

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