第23話 飛波(4)我ら流民となりし


                  ⑸


 刹幌の中心部はこの時期、いたる所白く輝くイルミネーションで覆われている。


 もちろん季節的にはイルミネーションくらい仁本のどこであろうと見られるのだが、整然とした街並みと、眩い光に彩られた街路樹の取り合わせが異国に迷い込んだかのような心地を与えてくれるのだ。


「ね、気が付いた?」


 唐突に飛波が切り出した。僕は「えっ?」と間の抜けた反応を返した。


「液晶パネルの広告が多いでしょ。統郷とまるで違うと思わない?」


 僕はあっと叫んだ。そういえば、そうだ。


 統郷は実存党のお膝元だけあって、広告に関しても厳しい統制がなされている。液晶パネルによる動く広告は実質、ほぼ禁止に近かった。そのため、建物の壁や窓に紙の広告がべたべたと大量に貼られるようになっていた。


 それと比べると、刹幌の町並みは驚くほど華やかで、変化に富んでいた。紙より薄い有機液晶がビルの壁面や自動車の車体に貼られ、動く風景と化していた。電話ボックスの扉にさえ、極小の液晶広告がびっしりと隙間なく貼られ、色と動きで客を呼んでいる。


首都圏から遠い分、この街では電子製品の使用率が高いのに違いない。


「もしかしたら刹幌にインターネットカフェがあるのは、敵の影響が及びづらいからかな」


 僕がふと浮かんだ考えを口にすると、飛波は「多分そうでしょうね」と頷いた。


「……ね、田貫小路に行ってみようよ」


「まだ八時だぜ。早いんじゃないか」


「いいじゃない。お店を探しながら、ぶらぶらしようよ」


 飛波はさきほどまでとはうって変わって、目を輝かせながら言った。僕はあっけにとられた。頼る人もなく、お金もあまりないというのに、このはしゃぎようは一体、どういうことなんだろうか。まるで故郷に戻ってきたみたいだ。


「いいけど、あんまりはしゃがないようにしようぜ。僕たち、お尋ね者なんだからさ」


「……そうか。たしかに、そうよね」


僕らは光と音に溢れた街の中を、商店街目指して歩いた。


「奏絵さんの働いてるお店って、何丁目だっけ?」


「……ええと、二丁目だって」


「ね、端から端まで歩いてみようよ。まだ時間あるし」


「えー、けっこうあるぜ」


「いいじゃない。せっかくの旅行なんだし」


 こんな旅行、一生に一度で十分だと言う言葉を飲み込み、僕は頷いた。


 僕らは田貫小路のアーケードを西に向かって移動した。ゲームセンターやドラッグストアなど、どこの商店街にもある風景の合間に、巨大な木彫り熊や狸の置物など、他の地域ではなかなかお目にかかれない物が突然、姿を現すのが面白かった。


「外国人が多いね」


「本当だね」


 何気なく歩いていると気づかないが、たしかに仁本人とは違う顔つきの集団がそこかしこにたむろしていた。


「ゼビオン事件」以降、統郷には外国人の姿が目に見えて減っていたが、ここ刹幌がその代わりに外国人のるつぼになりつつあるようだった。


 そういえば、と僕は思った。店構えの中にもインド料理やロシア料理など、心なしかエスニックな店が多いようだ。北欧から東南アジアに迷い込んだ気分を味わっていると、突然、商店街に「まてっ」という鋭い声が響き渡った。

 続いて何かが倒れる音と、仁本語ではないわめき声とが入り混じってあたりは騒然とした。


 声のしたほうに目を向けると、十メートルほど先にあるアジア料理っぽい構えのカフェから、一人の太った男性が転がるようにして飛び出してくるのが見えた。男性は大きな紙袋をいとおしむ様に抱きしめながら、必死の形相で僕らの方に駆けてくるのだった。


「どうしたんだろう、あの人——」


 そう言いかけた瞬間、僕の傍らを男性が走り抜けた。通り過ぎた瞬間、かちゃん、と小さな音を立てて何かが路上に落ちた。


「なんだ?」


 僕は身をかがめ、男性が落としたらしい物を拾いあげた。指先ほどの大きさの、チョコレートのような黒い板に、僕はなんとなく見覚えがあった。おそらく電子部品の一種だ。


「なに、それ?」


 手元を覗き込んできた飛波に、僕は「さあ。何かの部品かな」と曖昧な答えを返した。


「ふうん。なんか怪しい感じだったね、あの人」


 飛波が男性の去った方向を見つめて言った。僕は拾い物をポケットにしまうと「行こう」と言った。


 少し景色が寂しくなりかけたところで、僕らは向きを変えて引き返した。来て早々、面倒に巻き込まれてはかなわない。少し早いが、奏絵の働いている店に向かうことにしよう。


 それにしても、気候が違うだけで、こうも見える景色が変わるものだろうか。


アーケードを吹き抜ける乾いた風に顔をさらしていると、なんてことない商店街の風景も、奇妙に謎めいて見える。


 さまざまな言語で客を呼び込んでいるドラッグストアは、店の中も外も巨大な液晶パネルで覆われ、極彩色の広告が目まぐるしく動いていた。

 そうかと思うと、その近くにご機嫌な紳士の人形が壁面から顔を出している店があったり、年季の入った刃物の店があったりする。過去と未来が、混じり会うことなく共存している、そんな感じだ。


「もうちょっとで、教えてくれた番地を行き過ぎるんだけど……」


 飛波が眉を寄せ、小首を傾げた。僕は行きつ戻りつしながら、あたりの店構えを確かめた。飲食店はあるが、スープカレーの店はなかった。


「変ね、私、注意してみてたけど『ハヌマーン』なんてお店、なかったよ」


「うん、たしかに……あ、ちょっと待って。……かすかに匂いがする」


「匂い?」


「うん。香辛料の匂い」


 僕は鼻をひくつかせた。雑多な匂いに混じってうっすらとエキゾチックな匂いがあたりに漂っていた。


「匂いの一番濃いあたりを中心に探そう」


 僕らは嗅覚に全神経を集中し、アーケードの中を行ったり来たりした。やがてある一点で、僕らは足を止めた。そこから一定距離以上、離れると匂いが薄まるのだった。


「ここだ。ここがおそらく中心だ」


 僕らが足を止めたのは、老舗っぽい楽器店の前だった。


「ここ?そんな感じ、しないけど……カレー店の看板も、出てないし」


「とにかく入ってみよう」


 僕は意を決して楽器店の分厚いガラス戸を押し開けた。途端に、爆音のようなギターの音が鼓膜を震わせた。店内は壁と言わず床と言わず、楽器とその関連機器で埋め尽くされていた。


 値段さえもわからない商品の間から、絃の張替えをしている店員の姿が見えた。

 長い髪を後ろで縛り、バンダナをまいた中年の店員は、僕らに気づくと顔を上げた。


「ん?……なんだい?」


 鼻の上にちょこんと乗った丸眼鏡を指で押しあげながら、店員は言った。


「あのう……この辺にスープカレーのお店があるって聞いてきたんですけど」


「スープカレー?」


 店員はぎらりと光る眼で、僕らをねめつけた。僕は反射的に身を引いた。なにか気に障ることを言ってしまったのだろうか。


「ええと、匂いがしたんです、このあたりで」


「匂いだって?……ふん、そりゃあ、するだろうな」


 店員はつまらなそうな口調で言うと、僕らから目線を外した。


「……下だよ。そこのアンプの後ろに階段がある」


 店員が目で示した場所を見て、僕は目を丸くした。フロアの隅に大きなアンプが四つほど固めて置かれ、その陰に穴のように見える四角い闇が覗いていた。


「アンプの後ろって……どけろってことですか」


「ああ。遠慮しなくていいよ。下の店に行く連中は、みんなそうやって入る」


 僕と飛波はアンプの前に進んで行った。たしかに、間近で見ると、真っ暗な空間に向かって階段が伸びていた。僕らは協力してアンプを脇にどかした。出現した階段を見ても、その下に店があるかどうかはよくわからなかった。


「ここから降りて行くんですか」


「気が進まないなら、やめたまえ。何も無理にカレーを食べることはない」


「い、いや……ありがとうございました」


「行くの?」


 飛波が僕の顔を覗き込んできた。


「行くしかないだろう」


 僕らは楽器店の床にぽっかりと空いた穴から、下の暗がりへと降りて行った。


            〈第二十四回に続く〉

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