第22話 飛波(3)湯気の向こうの顔


                 ⑶


 夏江が指定した光越前の地下広場とは、地下歩道を抜けたところにある、地下街同士をつなぐ広い空間の事だった。


「これから、どうすんだい」


 壁面の一角に据えられた大型テレビを背にした飛波に、僕は言った。


「さあ。とりあえず、どこかに腰を据えて暗号を解かなくちゃね」


「それなんだけど、君のおばさんの部屋にお邪魔するのはいいとして、絶対、色々と聞かれると思うぜ」


「でしょうね。聞かれたら、あくまで小旅行だって突っぱねてね」


 飛波はいつもの強気な表情を浮かべて言った。


「家に連絡されたらどうすんだい。あっという間に連れ戻されちまうぜ」


「そして逮捕される……でしょ?」


 僕は返事に窮した。そうだった。僕らはお尋ね者なのだ。幸い、ニュースに写真は出ていないが、この刹幌にも僕らを捕えようとする者がやって来ないとは限らないのだ。


「大丈夫よ。ああ見えて苦労している人だから、多くは訊かないと思うわ」


 飛波がそう断じた時だった。人影が僕らの前に現れた。


「この子かい、泊めて欲しいっていうのは」


 野太い声が、頭上から降ってきた。思わず見上げると、コートに身を包んだ四十歳前後の男性が僕らを見下ろしていた。


「ええ。何とかしてあげたいところなんだけど……」


「ふむ、そうは言ってもな。こっちだって仕事を無理やり切り上げてきたんだ。邪魔されていい気はしない」


 男性はそう言うと、じろりと僕らを見た。とうてい友好的とは言い難い眼差しだった。


「やっぱり、難しいかしら」


「泊まるだけならカラオケでもどこでもあるだろう。交番で保護してくれるのなら、それはそれで手間が省ける」


「そんな……この季節だし、危ないわ」


「なに、もう中学生だろう。統郷からここまで来られたのなら、自分たちで何とかするだろうさ。いくらか現金でも与えておけばいい」


男性に強引に押し切られ、夏実は押し黙った。


「……ごめんなさい、飛波ちゃん。泊めてあげたかったけど、今晩はやっぱり無理みたい」


 そういうと、夏実は札入れから数枚の札を抜き出し、飛波に押し付けるように握らせた。


「……だめですか」


「ごめんね。……でも夜だし、寒いから気をつけてね。笹木野の方に行っちゃだめよ」


 口ごもる飛波に「それじゃ」と言い残すと、夏実はコートの男性と肩を並べてその場から立ち去った。


「あーあ。フラれちまったかあ」


 僕が呟くと、耳元でうっという押し殺した声が聞こえた。見ると、飛波が怒りに顔を紅潮させていた。


「なんなの、あの男……。子供だと思って」


 飛波は手の中で紙幣をぐしゃりと握りつぶした。僕は飛波の手に自分の手を当てがった。


「待てよ。頼る人がいないんなら、どんなお金でも、ないよりはあった方がいい」


「……そうよね。もとはといえば私たちが一方的にお願いしたんだし、こうなるのも当然かもね。でも……」


 飛波は目に悔しさを滲ませたまま、その場にしゃがみ込んだ。おそらく、ここまで張りつめていた気持ちが、体よくあしらわれたことで切れてしまったのだろう。


「飛波」


 僕は飛波の傍らに屈みこんだ。飛波は迷子のように目線をさまよわせていた。


「……ラーメンでも食おうぜ」


 僕はしょげている飛波に笑いかけた。不思議と気分が楽になりかけていた。


「うん」


 僕らは味方が一人もいなくなった刹幌の街を、肩を並べて歩き出した。


                  ⑷


  十五分後、僕らはラーメン店のカウンターに並んで座っていた。


 刹幌ではよく知られた老舗店で、やはり老舗の文具店の四階にある店だった。


 僕は幼い頃、何度か父に連れられてきた記憶があった。


「味噌が底に沈んでるから、よくかき混ぜて食べてね」


 店主の言葉とともに湯気を上げているどんぶりが僕と飛波の前に置かれた。

 味噌の香ばしい香りがふわりと鼻先を包み、唾液が溢れた。僕はれんげを手にすると、熱々のスープを啜った。


「……うん、懐かしい」


 スープが舌の上を通り過ぎると、塩辛さの中に甘みを含んだ味噌の風味がじわりと広がった。僕はメニューの中にシューマイを見つけ、飛波に語りかけた。


「シューマイも、食べる?」


 表情を覗き込もうとして、僕はおやと思った。ラーメンをすする飛波の横顔が、今にも泣き崩れそうに歪んでいたのだ。


「……お父さん」


 聞き取れない位の小さな声で、飛波が言った。僕は驚いた。


 お父さん?あの、神社で会った男性か。僕が見る限り、父親は飛波と敵対しているようだった。それが、なぜ?


「飛波?」


「……えっ、なに?」


 こちらを向いた時、飛波の目はいつもの冷静な色に戻っていた。


「いや……シューマイ、食べるかなと思って」


 僕が言うと、珍しく飛波は笑顔を見せた。


「そうだね、食べよっか」


 僕はほっとしながらも、飛波にも色々あるんだろうな、と漠然と思った。


 ラーメンを食べ終えた僕らは、文房具店の中をあちこち歩きながら、次の目的地の検討を始めた。


 やみくもに通りに出てしまっては風邪を引きかねない。まずは方向を定めなければ。


 事務用品が並ぶ棚の前をうろうろしていると、突然、女性の声が飛んできた。


「あら、また会ったわね、明日人君」


 見ると、地下歩道でわかれた根橋奏絵だった。


「どうしたの?待ち合わせは?来なかったの?」


 好奇心をあらわにした表情を見て、僕は思い切って窮状を伝えることにした。


「フラれました。泊めるのは無理だって」


「泊めるって……もしかして今晩、泊まるところがないの?あなたたち」


 僕は頷いた。必要以上に興味を持たれるのはいつものことだ。


「ふうん……なにかわけがありそうね。いいわ。うちに泊めてあげる」


「本当ですか?」


 僕と飛波は思わず声をそろえて言った。


「……ただし、私、これからアルバイトがあるの。部屋に帰るのは十時過ぎになるけど、それでもいい?」


「はい、大丈夫です」


「……とはいえ、君たちくらいの年の子を夜の街に放っておくわけにもいかないわね。九時くらいにうちの店に来てくれれば、そんなに待たせないで済むかな。それでいいかしら」


「どこのなんていうお店ですか?」


田貫小路たぬきこうじにある『ハヌマーン』っていうスープカレー店よ。田貫小路はわかる?」


「はい、わかります」


「じゃあ、九時になったら来てちょうだい。これ、お店の電話番号」


そう言って奏絵は僕に一枚のカードを手渡した。猿を思わせるエキゾチックな動物の絵と、電話番号が書かれていた。奏絵にカードをもらうのは今日で二度目だな、と僕は思った。


「悪いけど九時まで、イルミネーションでも見て来てね。……じゃあ、後で」


 奏絵は手を振りながら、僕らの許を去った。


「さて、あと二時間、どうしよう」


「決まってるじゃない。イルミネーションを見るんでしょ」


 そういうと、飛波はいきなり僕の腕をつかんだ。僕は驚き、思わず身を引いた。


「あっ、野間君、冷たいんだ」


 からかい口調の飛波に僕はわざと「冷たくなったかもな。なにせブリキストン線を超えてきちゃったし」とそっけなく返した。


             〈第二十三回に続く〉


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