第20話 飛波(1)寒い都へ来た二人


                ⑴


 新幹線が刹幌さっぽろに到着したのは、夕方の六時過ぎだった。


 シートに押し込まれてこわばった手足を伸ばしながら、僕は刹幌駅のホームに降り立った。


 どうやら敵はいないようだな。


 もしかしたら刹幌駅のホームにも敵がいるかもしれない、飛波と車内でそんな話もしたが、幸いなことにそれらしい人物の気配はなかった。


 僕らは人波の間をすり抜けるようにして、地下へと降りた。統郷ほどではないにせよ、刹幌も北の果てとは思えないほどの雑踏だった。

 僕らは駅ビルに隣接する大型デパートに、建物伝いに移動した。飛波の親戚が、地下の総菜売り場で働いているというのだ。


「正直、もう長いこと会ってないんだけど、頼めばひと晩くらい泊めてくれる気がする」


 僕は「任せたよ」とだけ言った。飛波らしい、多分に希望を含んだ計画だったが、どのみち今の僕らに安全なルートなどないのだ。


 デパートの地下総菜売り場は夕方と言う時間帯のせいか、平日にもかかわらず移動するのも困難なほどの賑わいだった。


「なんだよ、全然、統郷と変わんないじゃん」


 僕が不平を漏らすと、飛波が「当たり前でしょ。大手だもの。……それに野間君、小さい頃こっちにいたんでしょ。覚えてないの?」と呆れ顔で言った。


「うーん。なんかそのころの記憶がおぼろげでさ。今の自分とは別人っていうか」


「そうね。幼い頃の自分って、今の自分とは何か感覚が別っていう気がするよね」


 飛波は珍しく、僕に全面的に同意した。女の子はこういう場所になれているのか、僕があちこちで買い物客にぶつかるのに比べ、飛波はまるで魚のようにするすると人波をすり抜けて行った。


 僕はせめて飛波の背を見失わないよう、必死に目で追った。やがて売り場の奥まで進んだところで突然、飛波の足が止まった。


 飛波の視線の先に、カップに入った試飲用のお茶を勧めている女性がいた。

 声をかけるタイミングを見計らっているのか、飛波は珍しく緊張した表情をしていた。


「こんばんは」


 飛波が声をかけると、女性が振り向いた。一瞬「だれかしら?」という顔をしたが、一呼吸おくと目に驚きの色が現れた。


「あらあー。飛波ちゃんじゃない。大きくなったわねえ。統郷に住んでるのよね、たしか。……今日は旅行?」


「はい。ちょっと急に刹幌に来る用事ができて……こちらはお友達の野間君」


 唐突に紹介され、僕は慌ててぺこりと頭を下げた。中学生が急な用事って、いったいどんな生活してるんだよ。


「はじめまして、柾木夏実まさきなつみといいます。飛波ちゃんのお母さんの従妹にあたります。……飛波ちゃん、用事って言ってたけど、お友達と二人だけで統京から刹幌まで来たの?それってもしかして……家出?」


 夏実は最後の「家出」のところを、あたりをはばかるように声をひそめて言った。当然の反応だろう。飛波は想定済みなのか、落ち着き払った態度を崩すことなく応じた。


「家出じゃないわ。まあ……小旅行ってとこかな。それでね、実は泊まるところを決めないで来ちゃったんだけど、おばさんのところ、今晩、駄目かなあ」


 飛波は小細工をせず、いきなり用件を切り出した。唐突な頼みに夏実は目を白黒させた。


「泊めてって……ホテルも予約しないで来たの?……何だか怪しいわね。ボーイフレンドと来るってこと、お父さんは知ってるの?」


 夏実は当然の疑問を口にした。無理もない。異性と二人きり、泊まるところすら用意せず旅行に来たというのだ。普通に考えたら家出か駆け落ち以外にありえないだろう。


「知ってるっていうか、そんなに心配はしてないと思うわ。野間君とも別に変な関係じゃないし、取りあえず一晩だけ、お願いします」


 飛波は必死の表情で訴えた。これで話が成立しなければ、次を探すしかない。

「私のマンションってことでしょ。しかも男の子と二人でねえ……ちょっと考えちゃうわ」


 夏実はあきらかに目に困惑の表情を浮かべていた。やがて、売り場に試飲を求める客が現れた。夏実は僕らに目で合図を送ると、いったん接客に戻った。客が立ち去った後、夏実はため息をついて僕らの方を向いた。


「しょうがないわね。とりあえず私、もうすぐ上がるから待ち合わせましょう。……光越の地下にある広場、わかる?六時を過ぎたら行けるからそこでで待ってて」


「わかった。それじゃあ、待ってます」


 飛波はうなずくと、僕を促してその場を離れた。あまり好感触とは言えなかったが、いたしかたない。宿を用意してこなかったこちらの準備不足だ。僕らはデパートを出ると、ひとまず夏実が指定した待ち合わせ場所に移動することにした。


             〈第二十一回に続く〉



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