第19話 都倉(11)寄る辺なき逃避行


                 ⑽


 自宅に戻った僕は美織先生に言われた通り、すべてのドアを施錠した。


 これから僕はどうなってしまうのだろう。美織先生が言うように、本当に家族に危険が及ぶことはないのだろうか。不安は膨れ上がる一方だった。


 誰でもいいから話がしたい。そんな気持ちを見透かすように、突然、電話が鳴り響いた。


「もしもし」


「野間君?……良かった、家にいたのね」


「飛波か?」


「そう。野間君、いきなりだけど、テレビつけてくれる?」


 緊張を含んだ声で、飛波が言った。


「またニュースか」


「そうよ、早く」


 僕はリモコンを手にすると、テレビの電源を入れた。映し出されたのは、見覚えのある雑木林だった。朝見た映像と同じものらしい。僕は嫌な予感が胸中に広がるのを覚えた。


『——警察は、この二人の中学生が何らかの事情を知っているものとみて、近く話を聞く方針です』


 画面上には、人間をかたどったシルエットが二つ並んで表示され、その下に『都立中学校二年の少年・少女(14)』という文字があった。


「なんだこれ……」


「私たちの事よ。時間がないわ。早く逃げないと」


「なんで僕らが逃げるんだよ。何もしちゃいないぜ」


「はめられたのよ。警察に拘束されたら最後、都倉殺しの濡れ衣を着せられてそのまま刑務所に収監されるかもしれない」


 そうだ、と僕は思った。中学生でも、場合によってはそういう事になるのだ。


「でも、逃げてどうするんだい。濡れ衣だったら、きちんと自分で疑いを晴らしたほうがいいんじゃないか?」


「私たちを陥れている誰かは警察に偽の情報を流していると思う。私たちは刹幌のどこかにあるネットカフェを見つけ出し、そこから正しい情報を流して身の潔白を証明するの」


「でも、刹幌に逃げるったって何の準備もしてないし、ネットカフェを見つけ出すっていったって、何日かかるかわからないじゃないか。それに親にはなんて説明するんだい」


「説明なんてしちゃだめよ。いい?朝も言ったようにありったけのお金と着替えを持って、家を出て。もう切符は買ってあるわ」


「切符って……飛行機に乗るのかい」


「飛行機は危険よ。空港に敵の手が回っている可能性があるわ」


「じゃあどうすんだ」


「新幹線で行きましょう」


「新幹線?」


「本当は統郷駅で落ち合うのがいいんだけど、人が多すぎてうまく会えない可能性があるから、地下鉄の改札で待ち合わせましょう。今から一時間後よ」


「待てよ、おい……」


 飛波は一方的にまくしたてると、電話を切った。僕はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていたが、やがてじわじわと恐怖が込み上げてきた。


 どうする?飛波の指示に従うか?もしうまく刹幌にたどりつけたとして、それからどうする?二月の刹幌で、頼る人も泊まるあてもなく、どうやって過ごす?


 ふと脳裏に美織先生の顔が浮かんだ。飛波と合流すれば、家から出るなと言った美織先生を裏切る事になる。僕にとって、どちらがましな選択と言えるだろうか。


 僕はテレビの電源を切ると、重苦しい気分でクロゼットの扉に手をかけた。


                  ⑾


「時間ぴったりね。……はい、新幹線のチケット。お金は乗ってからでいいわ」


 地下鉄の改札で落ち合うと、飛波は僕に切符の入った封筒を手渡した。


「いつの間に用意したんだ?」


 僕が尋ねると、飛波は準備がいいでしょ、と笑った。


 僕らは券売機で統郷駅までの切符を買い、改札を抜けた。ホームに出ると、折よく車両が入線するところだった。


「ここまで来たら、もう後には引けないわ。覚悟はいい?」


 飛波が僕の目を覗き込んで行った。僕は半ば自棄気味に「ああ」と言った。

 こうなったらどこへでも行ってやる。


 開いたドアから乗り込み、乗車口の近くに収まったその時だった。


 改札口の向こうから黒いコートの人物が突っ込んでくるのが見えた。


「まずい!」


 僕は「ドアよ早く閉まってくれ」と祈った。願いが天に通じたのか、人物がホームに駆け込むのと同時にドアが閉まり始めた。助かった、そう思った瞬間、僕は自分の目を疑った。


 僕の前にいた女性のバッグがドアに挟まり、隙間が生まれていた。車両はそのままゆっくりと動き出したが、ドアはわずかに開いたままだった。


 コートの人物はゆっくり移動しながら隙間に手をかけると、薄笑いを浮かべながらドアをこじ開け始めた。


 女性客はどうにかしてバッグを引き抜こうと苦心していたが、バッグはびくともしなかった。僕と飛波は思わずバッグのストラップに手をかけていた。


「せーので、思いきり引っ張って!」


 渾身の力を込めてバッグを抜くと、鈍い音がして勢いよくドアがしまった。


「ぎゃっ」


 うめき声が聞こえ、コートの人物がホームに尻餅をつくのが見えた。


 遠ざかる黒い影を見ながら、僕は胸をなでおろした。


「やれやれ、とんだ刑事だったな」


 僕が言うと、飛波は「向こうに着いても油断はできないわね」と険しい表情で言った。


 そもそも、僕らは誰に狙われているのだろう。政府だろうか、それともインターネットカフェの存在を僕らに知られたくない連中だろうか。


 あまりにも心もとない旅立ちに、僕は深いため息をついた。


          (第一部「統郷」了 第二部に続く)

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