第16話 都倉(8)災いを秘めし暗号
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「日曜日に君の家に行きたい」と飛波から電話があったのは、美織先生との一触即発があった二日後のことだった。僕は「家族に変な目で見られる」と遠回しに断ったが、飛波は「女の子を連れて来たら株が上がるわよ」と意に介さなかった。
結局なんだかんだで押し切られ、僕はろくに心の準備もできないまま、日曜日を迎える羽目になった。
「縁飛波と申します。初めまして」
淡いピンクのワンピースで現れた飛波は、玄関口で出迎えた妹の
「可愛いー。何、お兄ちゃん、なんでこんなレベルの高い子がうちに来んのよ」
僕はにやついている妹を無視して「上がれよ」とぶっきらぼうに言った。
「僕の部屋は二階だ。父さんと母さんは親せきの家に行ってて留守だから、わざわざリビングに行って挨拶する必要はないぜ」
「お邪魔します」
僕が先に立って階段を上り始めると、飛波がとことこと後からついてきた。
「じゃあ、私も出かけるから。二人きりになったからって、警察に捕まるようなことはしないでね」
階段の下から、莉亜の憎まれ口が飛んできた。僕は無視して二階に上がった。しばらくすると、玄関のドアを開け閉めする音が聞こえてきた。莉亜が外出したのだろう。
「まあ、いろんな意味で捕まるような話かもしれないけどな」
部屋の前で僕が言うと、背後で飛波がくすくすと笑った。僕は深呼吸を一つすると、決して広いとは言えない自室に飛波を招き入れた。
「へえ、全然、ごちゃごちゃしてないんだね。男の子なのに」
部屋に入るなり、飛波が言った。僕はローテーブルを出しながら「まあね。物を置くのが嫌いなんだ」と返した。
テーブルを挟んで向き合うと、自分の部屋なのに身の置き所がないような、妙な気分になった。外で会うのとはまた違った気恥ずかしさに、僕は目線をあちこち動かした。
「そういえば」と僕は唐突に浮かんだ疑問を口にした。
「結局、あの黒づくめの自称『刑事』はなんだったんだろうな」
僕が刑事の事を思い出したのには理由があった。数日前、黒いコートの人物にこの部屋の中で襲われる夢を見たのだった。
「本当は刑事じゃないんじゃないかな。刑事って大体、二人組だし、そもそもあんな格好してたら逆に怪しまれるでしょ。おそらく、何らかの目的で都倉をずっとつけてたのよ」
「つまり暗号の存在を知っている人間か。今後はあいつにも気を付けなきゃな」
「それより、これ見て」
そう言うと、飛波はバッグから一冊のノートを取り出し、開いた。
「なんだこりゃ。ゲームや小説に出てくる予言か言い伝えみたいだな」
僕は正直な感想を述べた。ノートにはこう書かれていた。
○ ブリキと石の作りし線、それを超えた果てに神の住まう国あり
○ 海路を往く者、五辺の輝きを求めん。荒野を旅する者、風に舞う六辺の花を求めん
○ 七から十へ 星を間に山の民と川の民を取り持つウロボロス
正直、まるで意味がわからなかった。飛波に「君はわかったのか?」と聞くと「全然。さっぱりよ」と肩をすくめた。
「でもさ、都倉がこれを肌身離さず持ち歩いてたってことは、向こうもまだ、全部の文章を解読できてないってことでしょ。私たちにもまだ、チャンスはあるってことよ」
まあ、そうかもしれないが、いくら何でも手掛かりがなさすぎだ。
「どっから手を付けんだよ、これ」
いくぶん投げやりな口調になって言うと、飛波は悪戯っぽい目で僕を見た。
「あのさ、私、少しわかったような気がするんだけど」
「本当に?」
飛波はテーブルの上に身を乗り出すと、僕に「一行目の所よく見てくれる?」と言った。こうして至近距離で顔を突き合わせていると、甘い匂いが鼻先をくすぐってくる。僕は暗号に集中しようと、視線をノートに落とした。
「一番最初の『ブリキと石の作りし線』ってところ」
「うーん。まるでわからないけどな。ブリキと石ってのは、それぞれ何か別の物を意味しているのかな」
「そうじゃないの。ブリキはブリキでいいのよ」
「?」
「石だけを英語にして、つなげてみて」
「ブリキ・ストーン?」
「聞いたことない?ブリキストン線」
「いや、聞いたことないな。……それ、何の名前?」
「ブリキストン線っていうのはね、津軽海峡のあたりにある動植物の生息限界を示す線なの」
「生息限界?」
「たとえばツキノワグマは津軽海峡より北にははいない。逆にヒグマは津軽海峡より南にはいない。そういう生き物の生息地を分ける線よ」
「それがブリキストン線か。そこを「超えた果てに」ってことは……」
「神の住まう国っていうのは、たぶん漢字で表すと「神が居る」。そういう地名が多いのは」
「北開道か。つまりこの一つ目の文は、北開道を表しているわけだ」
「おそらくね。じゃあ次に行くわね。『海路を往く者、五辺の輝きを求めん。荒野を旅する者、風に舞う六辺の花を求めん』。これはどう?」
「全然、わからない。五とか六とか、数字が鍵になっているとは思うけど」
「そうね。……野間君、百科事典って持ってる?」
飛波が唐突に問いを放った。脈絡のなさに僕は面食らった。
「百科事典だって?持ってるどころか、見たことすらないよ」
僕は父親のぼやきを思い出した。図書館で分類表示を見ながら「いちいち面倒くさいな、「いったい、いつになったらネット辞書が復活するんだ」と不平を漏らしていたっけ。
「きっと百科事典には色々載ってると思うんだ。五辺とか六辺の手掛かりも……」
「じゃあ、見当もつかないってこと?」
思わず落胆の声を上げると、飛波が急ににやにやと笑いだした。
「……ふふん、でも、なんとなくわかっちゃった」
「本当に?」
「合ってるかどうかはわからないけどね。……いい?まず、五辺の輝きっていったら、光が五つでしょ。形からいうと、いわゆる星印よね。海路を往く者っていうのは、ようするに船乗りの事。船乗りが求める星と言ったら?」
「さあ。……なんか聞いたことがあるような、ないような」
「北極星よ。ほぼ天の中心にあある北極星は、どこから見ても大体、同じ位置に見えるの。だから昔の船乗りたちは北極星の見える方角を一つの目印にしてたらしいわ」
「へえ。物知りなんだな。……確かにそんな話を聞いたことがあるような気もするけど」
「謎解きはここからよ。北極星っていうのは、北開道の開拓のシンボルなのよ。開拓の象徴ということはつまり、中心となる役所にも当然、その星が描かれているってわけ」
「星が描かれている役所?……ということは」
「
「……
「風、それに花という単語が出てくるでしょ。
「カザバナ?……いや、ないな。そう言う名前の花があるの?」
「あるわけないでしょ。風花っていうのはね、雪のことよ。結晶が六角形であることから六辺花とも言うわ。つまり、六辺と言うのは雪のことなわけ。これで材料が揃ったわ」
「刹幌に、雪?……そりゃあ北開道なら雪をイメージするんじゃない?普通」
「そうね。でもまだ、あるでしょ。荒野を旅する者って。だだっ広い陸地の旅、つまり刹幌を旅する人が雪を求める……どう?」
「ホワイトフェスティバルか。たしかに一行目の北海道とも繋がってくるけど……でも、探してる店がフェスティバルの中にあるっておかしくないか?確かホワイトフェスティバルって、一週間くらいしかやってないだろ。その間しか開けてない店ってことなの?」
「わからないわ。その答えがおそらく、残りの行の中にあるのね。……とりあえず、行ってみるってのはどう?」
「北開道にかい?むちゃ言うなよ」
「だって、もしホワイトフェスティバルに手掛かりがあるのなら、今しかチャンスはないわ」
「それはそうだけど……行ったって、暗号が解けなきゃ目的は果たせないぜ」
「行く途中に残りの文章を解読できれば、問題ないでしょ。私たちでさえ解けるぐらいだから、都倉たちもここまではわかったはずよ。急ぐに越したことはないわ」
「そういうことじゃなくてさ、僕ら中学生だろ。期末試験も近いし、第一、お金はどうすんだよ。親だって子供だけで北開道旅行なんて到底、許しちゃくれないぜ」
「うーん、そこはほら、思いきりよ。お小遣いの蓄えぐらい、少しはあるでしょ」
「だから、そう言う問題じゃないって……」
飛波をうまく説得できる言い方はないか、そう考えていた時だった。突然、飛波の表情がこわばった。
「今、何か音がしなかった?」
「音?どんな」
「みしっていう音。階段に足をかけた時の音みたいな」
「誰か帰ってきたのかな。莉亜かな?」
僕は耳に全神経を集中した。
みし、みし。
音がした。あきらかに、階段を上がってくる音だった。
「でも、誰かが帰ってきたにしろ、そもそもドアを開ける音がしなかったぜ」
僕は浮かんだ疑問を口にした。知らず声が震えていた。
みしっ。
足音が止まった。階段を上り切ったのだ。
「……妹さんかしら」
「妹はさっき出ていったし、帰って来たとしても、まっすぐ自分の部屋に行くよ」
室内を静寂が支配した。僕と飛波の鼓動の音すら聞こえそうなほどだった。
「いったい、誰——」
そう言いかけた時だった。ドン、ドン、という音がしてドアが強くたたかれた。
「誰?……莉亜?母さん?」
ドン、ドン!
返事はなく、ドアを叩く音は一層大きくなった。飛波を見ると、真っ青になって小刻みに震えていた。僕はこの間見た、悪夢を思い出した。
「くそっ、誰なんだ」
僕は思い切ってドアノブに手をかけた。すると僕の動きを見透かしたかのように、突然、ドアを叩く音がやんだ。
「…………?」
僕はゆっくりとドアノブを回した。背後で飛波が「気を付けて」と小声でつぶやくのが聞こえた。僕は意を決すると、思いきってドアを引いた。
「あっ……」
僕は一言叫ぶと、その場に立ち尽くした。ドアの向こう側には誰もいなかった。
「いない……どういうことだ?」
僕は飛波を振り返った。飛波は「わからない」というように、かぶりを振った。
「私が野間君の家に来たのが、まずかったのかな」
飛波が震えながら、小声で言った。黒いコートの人物が都倉をマークしていたのなら、飛波が暗号を入手したことも知っているかもしれない。もし後をつけて来ていたら……
僕は背筋に冷たいものを感じ、自分の部屋の中にも関わらず、思わず周囲を見回した。
「いや、そんなことないさ。僕らの気のせいかもしれないし」
僕はあえて強気の言葉を口にした。飛波はぎこちなく笑うと「そうだね」と返した。
〈第十七回に続く〉
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