第15話 都倉(7)その手をはなして


                 ⑸


気が付くと僕らは、最初に話をした神社の境内にいた。飛波は濡れた石の上に、ためらうことなく腰を下ろした。公園の時と同様、表情は硬く強張っていた。


「この場所、好きなんだな」


「うん。落ち着く」


 飛波はいつもの半分くらいの声量で言った。会話の糸口が見いだせず黙っていると、飛波が突然、「……あのさ」と言った。いつも上から目線の飛波にしては、らしくない切り出し方だ。


「暗号、手に入れたけど、どこで解く?」


「手に入れたって……紙に描いてもらったの?」


 飛波の軽い口調に驚きながら、僕は訊いた。


「写真。ノートを写真に撮った。……で、それをまたメモ帳に書き写した」


「じゃあ、もしかして都倉は暗号を写されたことに気づいてないんじゃ……」


「見せてくれたんだから、向こうの負けよ。「絶対、誰にも言わないように」とか言ってたけど、写真に撮っただけだし、気づいてなければそれはそれでよし」


 相変わらず怖い女だ、と僕は思った。


「ひとつ、考えてることがあるんだけど……君の家で解くって言うのはどうかな」


 いきなり予想外の提案を聞かされ、僕は絶句した。


「僕の家だって?なんでまた。家族になんて説明すりゃいいんだい」


「君の家なら、さっきみたいに知らない人に聞かれる恐れもないし、思いきり広げられるでしょ。どっかの会議室なんか借りてたら、手間がかかって仕方ないもの」


 飛波は自分から美織先生に秘密をばらしたことなど、忘れたかのような口調で言った。


「いや、しかしだからってよりにもよって僕の家なんて……」


「あら、自然でしょ。家族に紹介がてら、ガールフレンドを家に呼ぶのは」


 飛波は急に悪戯っぽい口調になって言った。どうやらいつもの調子が戻ってきたようだ。


「こっちの都合はお構いなしかよ。事前に言っとかないと誤解を招くだろうが」


「そこをうまくやるのが男でしょ。ちゃんと印象が良くなるように言うのよ」


 やれやれ、都合のいい時だけ、女の子ぶるつもりかよ。


 僕がため息をついた、その時だった。


「ここにいたのか」


 不意に横から声が聞こえた。見ると、手水場の脇に年配の男性が立っていた。


「いい加減で馬鹿な遊びはやめるんだ、飛波」


 男性は僕らのいる方に歩み寄ってくると、飛波を睨み付けた。


「いやよ。もうあとへは引けないわ」


 飛波は強い口調で、男性に言い放った。男性はまなじりを決すると、いきなり飛波の腕をつかんだ。


「来い」


「嫌っ。そうやって暴力で思い通りになると思ってたら大間違いよ」


 父親だろうか。「乱暴はやめてください」と言おうとして近づくと、男性の方が僕に向かって口を開いた。


「君は中学生か」


「は、はい」


 男性の放つ威圧感にあおられ、僕は思わずかしこまっていた。


「悪いことは言わない。面白い子だと思ってこれまで付き合ってきたのだろうが、それもここまでだ。これ以上、この子には近づかないほうがいい」


「どうしてですか」


 僕が食い下がると男性は、やれやれ、と言った様子でため息をついた。


「この子は、病気みたいなものなんだ。現実の社会が受け入れられないんだ」


「それを言うなら、僕だってそうですけど」


「だからと言って生活を犠牲にしたりはしないだろう。こんなおかしな娘の口車に乗せられて時間を無駄にすることはない。受験だってあるんだろう?」


 なおも食い下がる僕に、男性は諭すような口調で言った。


「ありますけど、何が無駄で何がそうじゃないかは、自分で決めます」


「何だって?」


 男性はぎろりと目を剥いた。知的な風貌だが、気は短いらしい。


「……ふん、そうか。そうやっておまえは子分を手なずけていたわけか。……母親と同じだな」


「やめてっ」


 飛波が手首を掴んでいた男性の手を振り払った。


「だったら好きにしろ。その代わり、どんなことになっても助け舟は出さないぞ」


 男性は捨て台詞を残すと、僕らに背を向けた。男性が立ち去った後、僕はうずくまって震えている飛波に歩み寄った。


「野間君」


 飛波はゆっくり立ち上がると、足元に視線を落としたまま言った。


「もう帰って。また連絡する」


 僕は何かかける言葉はないか、考えを巡らせた。が、何も浮かばず、結局「うん」とだけ返した。


 石段の方にとぼと歩いてゆく飛波の背中に、僕は思わず声をかけた。


「飛波、僕は君の子分なのか?」


 飛波は足を止め、振り返った。気のせいか、瞳が潤んでいるようにも見えた。


「言ったでしょ、同志よ。それ以上でも、以下でもないわ」


 それだけ言うと、飛波は石段の向こうへ姿を消した。

 

           ⑹


 目を覚ますと、自室のベッドの上だった。


 暖房の温度設定を上げ過ぎたのか、無性に暑かった。


 僕はベッドから体を起こし、リモコンがあるローテーブルに近づこうとした。


 なぜだろう、手足がひどく重い。足を一歩、前に動かすだけで、毒液を流し込まれたような不快感がじわりと広がるのがわかる。唸りながらどうにかテーブルにたどり着くと、背後で何かがきしむような音がした。


 振り向くと、壁に密着していたはずの本棚が、十センチほど前にせりだしていた。


 ——何だ?地震か?


 そのまま見つめていると、突然、目の高さの棚板から漫画の本が、押し出されるようにばらばらと前に落ちた。


「うっ」


 本が抜け落ちた棚の隙間から、人間の顔が覗いていた。


 壁と本棚の間は十センチ程度しかない。その隙間に立っている何者かが、白く濁った死人のような目でこちらを見ているのだった。



 ぐううっ


 喉の奥を鳴らすような音が聞こえ、また、ばらばらと本が落ちた。下の段にできた隙間から、今度は骨ばった手が現れた。


 いったい、何をやってるんだ?ここは僕の部屋だぞ。


 ぐううううっ


 先ほどの音が、一段と大きく響いたかと思うと、本棚そのものがぼろぼろと崩れ始めた。


 すべてが崩れ落ち、本棚があった場所に立っていたのは、黒いコートに身を包んだ死人のような男だった。


 あいつか?飛波と都倉に声をかけた刑事。……いや、刑事を名乗っていた人物。


 男はぎこちない足取りで、ゆっくりと僕の方に進んできた。僕はテーブルの前を離れると、部屋のドアに飛びついた。背後からべた、べた、と粘ついた足音が聞こえてきた。


 僕はドアノブを握り、力を込めた。……が、期待に反してドアノブは動かない。


 開かない、そう思った瞬間、ドアの外から声が聞こえてきた。


「野間君、そこにいるの?」


 飛波の声だった。なぜ僕の家にいるのか疑問に思いつつ、僕はドアの向こうの飛波に必死で状況を説明した。


「ああ、いる。黒いコートの奴が僕の部屋に隠れていたんだ!」


「部屋の中にって、どういうこと?」


「そんなこと、僕にもわからない。……それよりドアが開かないんだ。助けを呼んでくれ」


「わかったわ。ちょっと待ってて」


 ドアの向こうから飛波の気配が失せ、僕は恐る恐る後ろを振り返った。次の瞬間、自分の物とは思えないような絶叫が喉からほとばしった。


 すぐ目の前に黒いコートと死人のような白い顔があった。次の瞬間、僕の意識は深い闇の中へと没していった。


              〈第十六回に続く〉


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