第11話 都倉(3)彼女は振り返らない
さて、そろそろ、ちょうどいい距離かな。
僕はそれまで着ていたブルゾンを裏返すと、バッグから帽子と眼鏡を取りだした。これで多少の印象は変わるはずだ、僕は自分にそう言い聞かせた。僕はここからオリジナルのミッションを単独で開始するつもりだった。
二人に遅れること一分、僕は店を出た。つまり、二人の後をつけるのだ。
今まで飛波に言われるがままだったが、たまには自分の興味で行動したっていいだろう。
往来に立って左右を見回すと、左手の二区画ほど先に二人の後ろ姿が見えた。どうやら信号待ちをしているようだ。僕はぎりぎり二人が視野に収まる距離を保って歩き始めた。
取り立てて意味のない行動ではあったが、それでも飛波の知らない単独行動を取っていることが無償に楽しかった。
通りには二、三百メートルおきに電話ボックスがあった。かつて「ゼビオン事件」の前、携帯電話の普及によって絶滅寸前にまで追いやられた電話ボックスが、『実存党』の政策によってあっという間に路上に復活を遂げたのだ。
しかしせっかく復活を遂げた電話ボックスは、ガラス戸の内側から何百枚というチラシが貼られ、外から中の様子がうかがえないほどであった。この異様な眺めは仁本中、どこへ行っても見ることができるが、これほどひどい眺めは統郷だけだ。
今や仁本で一番の……いや、世界一のアナログ都市である統郷では、かつてウエブ上に星雲のように渦巻いていた広告群が窓という窓、壁という壁を覆い尽くすチラシにとって変わられているのだった。
電車に乗られちゃうとまずいな。……いや、それよりあいつがどこかのコインパーキングに車を停めてて、そいつに乗り込まれたらアウトだ。
そんな事を考えながら後をつけていると、二人は最寄り駅の方へと向かう角を曲がらずに逆方向へ曲がった。
電車じゃないのか。僕は焦った。
歩調を速め、少し遅れて二人が曲がった角を曲がると、百メートルほど離れたコインパーキングの前で二人が何やら言葉を交わしているのが見えた。
やはり、車か。
歯噛みして、次の行動を思案し始めた、その時だった。二人の前にどこからともなく長身の人物が現れ、声をかけた。人物は黒のロングコートにすっぽりと身を包み、おまけに黒いサングラスをしていた。
人物はまず、都倉に話しかけた。都倉はその言葉を耳にした途端、目を見開き、表情をこわばらせた。やがて都倉は目に悔しそうな表情を浮かべると、その場を立ち去った。
人物と飛波は会話を続けていたが、飛波の表情は険しかった。やがて人物はくるりと踵を返すと、その場を立ち去った。僕は人物が角を曲がるのを待って、飛波に駆け寄った。
「どうしたの?……今の一体、誰?」
息を切らせながら聞いた僕に対し、飛波が向けたのは強い非難の眼差しだった。
「どういうつもり?」
「どういうつもりって……」
「せっかく順調に行きかけてたのに、何で後なんかつけてきたの?」
「いや、ちょっと興味で……」
「何もかもぶち壊しにするつもり?頭おかしいんじゃないの?」
あまりにも一方的な物言いに、さすがに僕もむっとした。
「そこまで言うことないだろ」
「そう思う?」
飛波は急に押し黙ったかと思うと、くるりと僕に背を向けた。そのまま立ち去ろうとする飛波を僕は呼び止めた。
「待てよ。今の黒いコートの人は?」
飛波は足を止め、肩越しに振り返った。まなじりが吊り上がっていた。
「少年課の刑事だって」
「刑事?」
「いきなり『携帯電話とか、持ってないだろうね?』だって。都倉はびくびくしてたけど、私はむかついてしょうがなかった。なんで大事なところで邪魔すんのって」
飛波は忌々しげに唇をかんだ。よほど腹に据えかねたのだろう。
「本当に刑事かな」
「さあ、わかんない。とにかく今日はここまでだわ」
「ミッションはどうするんだよ。この次は?」
再び立ち去ろうとする飛波に、僕は声をかけた。飛波はぴたりと足を止め、振り向くと僕を睨み付けた。
「これ以上、私を不愉快にさせないで!」
飛波は僕に背を向けると、足早に立ち去った。
つまり、こういうことなのだ。怒りでわけがわかんなくなってる女の子って奴は、ぐちゃぐちゃに絡まってる糸みたいなもので、どれか一本だけ、怒りの理由を引っ張り出せと言おうものなら、さらなる怒りをぶつけられかねないのだ。
しょうがない、向こうから何か言ってくるのを待つか。
僕は仕方なく、踵を返すと最寄り駅の方に歩き出した。歩き出して間もなく、僕の目は路上の一点に釘づけになった。
「あいつら……」
〈第十二回に続く〉
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