第9話 都倉(1)好機は盤上にめぐる


                 ⑵


 アナログゲームのファンが集う店『トーキング・キッズ』は、仲芽黒なかめぐろの雑居ビルにあった。僕は家を出る前に、飛波の用意した台本を何度も頭の中で反芻した。台詞とパフォーマンス、どちらも怪しまれてはいけないというのは至難の業だった。


 間口の狭い、築年数がかなりいっていそうな建物に足を踏み入れると、埃っぽい臭いがぷんと臭った。

 テナント表示をたよりに階段を上がってゆくと、突き当りに立て付けの悪そうなドアが見えた。階段を上り切った僕は、ドアの前でいったん足を止め、深呼吸をした。ドアノブに手をかけるのをためらっていると、背後から声がした。


「野間じゃない。もしかして君もゲームしに来たの?」


 振り向くと、見知った顔が立っていた。


「神坂か。……まあね。人から聞いて面白そうだったから、来てみたんだ」


「ふうん」


 重そうなダッフルコートに身を包んだ神坂幸人は、僕を値踏みするような目で見た。


「ゲームしそうなイメージじゃないけど、大丈夫かい。ルールも知らなきゃ楽しめないぜ」


「初心者お断りってかい。じゃあ、一番簡単なのを教えてくれよ」


 僕は少しむっとしながら言った。幸人は一瞬渋い表情を見せた後、

「すまん、たしかにここは初心者にゲームの楽しさを教える場でもあるよな」

 と、態度を改めた。幸人はばつが悪そうな顔のまま、僕の前を通ってドアをくぐった。


 僕は出鼻をくじかれた気分になりながら、知っている人間がいたことに、どこかほっとしていた。


 幸人の後に続いて中に足を踏み入れた僕は、意外に開放感があることに感心しつつ、周囲を見回した。テーブルが不規則に並べられた店内は、カフェというよりは飲食のできるゲームサロンといった雰囲気だった。


 僕は二人掛けのこじんまりした席に腰を落ち着けると、ポケットから折りたたんだメモ用紙を取りだし、そっと広げた。メモ用紙には飛波が描いたターゲットの似顔絵があった。


角ばった顔に度の強そうな眼鏡。気弱そうな表情は飛波から見たイメージだろうか。


 似顔絵を眺めながらぼんやりしていると、冬だというのにチューブトップを身につけた女の子がオーダーを取りに現れた。ゲームのキャラクターか何かだろうか、腰回りによくわからない金属をごちゃごちゃとつけている。


「いらっしゃいませ。こちらは初めてですか?」


 女の子は、メニューなのかマニュアルなのか、やたらと判型のでかい厚紙を携えていた。


「あ、はい。……知り合いから楽しいお店だと聞いたので」


 とてもゲームファンには見えないだろうなと思いながら、僕はおずおずと答えた。


「ではまず、ご利用法を説明いたします。ゲームはレンタルでも持ち込みでも構いませんが、チャージ料金がかかります。レンタルの場合はカタログの中からお選びください」


 異世界から来たような格好のくせに、口調がやたらとビジネスライクなのがおかしかった。僕は「友達が来るので、ええと……」と予定通りの答えを口にした。


「しばらく一人遊びをやっていたいんですけど、カードゲームみたいなものはありますか」


「ええと、そうですね……」


 店員がカタログに視線を落とした時、入り口のドアが開く音がした。反射的にドアの方を見た僕は、思わず声をあげそうになった。ターゲットの都倉が今、まさに店内に足を踏み入れようとしているところだった。


「これなんかいかがです?ワンプレイ三十分ほどで終わりますよ。一人でも二人でもできますので、初回だけなら私がお相手します。純粋にお一人がいいなら、ソリティアとか……」


 女の子の流れるような説明に、僕は半ば上の空でうんうんと相槌を打った。


「それでいいです。お願いします」


「承りました。では次に、ドリンクかフードメニューのオーダーをお願いします」


「ええと……」


 僕の視線はテーブルの上に広げられたメニューと、店内をゆっくり移動している都倉との間を忙しなく行き来した。


「ホットココアでいいです」


 ろくに顔も見ずに言うと、女の子はメニューを畳んで店の奥へと下がった。


 ターゲットはどうやら遊ぶゲームが決まっているらしく、六人がけの大テーブルでゲームに興じているグループの方へ近づいていった。どうやら全員が顔見知りらしく「遅かったな」「急に仕事が入って」などとと言っているのが口の動きでわかった。


 僕が店内に入ってきっかり二十分後、今度は飛波が姿を現した。


 飛波は最小限の目の動きでターゲットを捉えると、六人がけテーブルのすぐ近くに陣取った。僕はしばし成り行きを静観することにした。


 都倉の仲間たちが興じているのは、ボードゲームとカードゲームとを組み合わせたようなゲームだった。

 それにしても、と僕は思った。アナログゲームと一口に言っても、実に様々なヴァリエーションがあるようだ。店内を見渡しても、普通の玩具店ではお目に描かれないような奇抜な物があちこちに見られた。


 ジオラマのようなミニチュア模型で盤面を埋め尽くし、いったいどこにコマやカードを置くのだろうかと思うようなゲームもあれば、わずかなカードとコインのような物だけで、ひたすら相手の出方を伺うゲームもあった。


 参加者は皆、一見、おとなしいように見えるが、脳内ではおそらく将棋の対局のような激しい攻防が繰り広げられているのに違いない。


 都倉を視野に収めつつ、そこかしこで繰り広げられる戦いを眺めていると、女の子がカードとココアを乗せたトレイを手に、再び現れた。


「お連れ様が早く来られますとゲームが途中になってしまいますから、ごく簡単な物にしましょうか。ソリティアはご存じですか?」


 僕はかぶりを振った。知らない、という意思表示だ。女の子は目の前にトランプを広げ始めた。都倉もオーダーを終えたのか、ゲームに興じ始めた。やがて飛波がテーブルにやってきた男性店員と会話を始めた。どうやら順調に行っているようだ。


 女の子の説明はわかりやすく、僕はすぐに一人遊びの要領を呑み込んだ。女の子がテーブルから去った後、だんだんとカードゲームにのめりこみ始めた僕の耳に突然、男性店員の「えっ」という声が飛び込んできた。

 注意していなければ聞き逃すほどの小さな声だったが、僕はそれがミッション開始の合図であると直感した。


「それは……一応、ございますが結構、複雑ですよ。お一人ではできませんし」


「どなたか詳しい店員さんはいらっしゃいますか?もしプレイできなくともルールを覚えて帰りたいんです」


「ええと、一人いますが、ちょっと今、忙しいので……」


「じゃあ、待ってます。ドリンクはホットジンジャーで」


「かしこまりました」


 僕の所に来た女の子同様、ゲームキャラクターのような格好をした男性店員は、戸惑いを横顔に貼りつけたまま、キッチンに下がった。飛波は、わざとがっかりしたようなため息をついた。


 飛波からは見えないが、僕には飛波がゲームの名を口にした時、都倉が一瞬、動きを止めて聞き耳をを立てたのがはっきりと見えた。よし、うまく食いついてくれた。


              〈第十回に続く〉



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