第8話 美織(8)いにしえを知るもの


 「よう、なっちゃん。珍しいところで会うね」


「叔父さん」


 人影は長身の男性だった。三十歳前後だろうか。スーツをラフに着こなし、大判のブリーフケースを携えていた。


「野間君、紹介するわ。私の叔父さんで、古屋昭ふるやあきらさん。ママの一番下の弟」


 はじめまして、と男性は言った。急な展開に、僕はとってつけたような挨拶を返した。


「叔父さん、もしかして、仕事の途中?」


「ああ。得意先からの帰りさ。これからもう一つ、打ち合わせがあるんだが、その前にひと仕事していこうと思ってね。ここ、いいかな」


 そう言うと、古屋は僕たちの近くのテーブルに陣取った。なんとなく様子を眺めていると、古屋はブリーフケースから大量の書類を取りだし、テーブルの隅に積み上げた。


「見てくれ、この資料の量。ひどいもんだろう?僕が君たちくらいの時にカフェで見かけたビジネスマンは、携帯端末を操作しながらすいすい仕事してたものさ。それがどうだ、いざ自分が大人になって見たら、書類の山に埋もれてひいひい言っている。まったく、昔の光、いまいずこだな」


「なんです、それ?」


「荒れ果てた古城を歌った、古い歌さ。一体いつからこんな世の中になったんだろう」


 古屋はひとしきりぼやくと、ボールペンを片手に仕事に取り掛かった。


「古屋さんはもう一度、デジタルの時代が来ればいいと思いますか」


 僕は何の気なしに尋ねた。古屋は手を止め、僕らの方を見ると首を傾げた。


「どうだろう。……理系の友達の中には、こっそり古いPCを探してる奴もいるけどね」


「見つかりそうですか」


「さあね。なにしろ、デジタルスピリッツは2036年以来、切らしてるから」


「何です?」


「これも古い歌さ」


 ため息交じりに言うと、古屋は再び仕事に戻った。僕たちは話しかけるのをやめて自分たちの会話に戻った。


「……そうそう、叔父さんね、白崎先生の、大学の先輩にあたるんだって」


「えっ、本当かい」


 僕は驚いて、仕事中の古屋を盗み見た。たしかに、年齢的にはちょうど合う感じだ。


「まあ、付き合ってたかどうかまではわかんないけどね。なんでも白崎先生は昔からクールな感じで、異性だけじゃなく同性ともあんまりつるまなかったみたい」


 ふうん、と僕は相槌を打った。大学でも美織先生は自分の野望を隠していたのだろう。


「……そろそろ、行こうか」


「うん、そうだね」


 僕らは仕事に没頭している古屋に小声で挨拶すると、連れ立って店の一階へと降りた。


「あ、そうだ。……野間君、私、弟のお土産にアップルパイ買ってくけど、いいかな」


「うん、いいよ。……じゃ、あっちで待ってるから」


 僕はテイクアウト客用の椅子に腰かけ、一階席の方をぼんやり眺めた。目線を店の奥に向けた時、ふとあるテーブルのところで視線が止まった。


「……松倉、あの二人、神坂と新牧じゃないか?」


 僕の指摘に、財布をあらためていた奈月は「えっ」と声を上げた。


「どこ?……あっ、本当だ。あの二人って、仲良かったっけ?」


「さあ。教室ではいつもそれぞれ、自分の世界に没頭してる連中だから。そもそもこんなふうに外でお茶するなんてこと自体、意外な感じがする」


 自分でも偏見だと思いつつ、僕は正直な感想を述べた。それともボードゲームとイラストというのは、案外、接点があるものなのだろうか。


「そうだね、私もあの二人が付き合ってるって話は聞いたことがないな……それにたしか、新牧さんって、テニス部の柳原やぎはらくんと付き合ってるっていう噂があるし」


 僕は「柳原と?」と思わず聞き返した。柳原悟志やぎはらさとしといえば、不良っぽい言動で教師たちから目をつけられている生徒だ。


「意外だな。おとなしそうな新牧さんが。……おとなしいから、逆に不良っぽいタイプに惹かれたのかな」


「最初は柳原くんが新牧さんを気にいってアプロ―チしたって話だけど、もしかしたら、彼女も知らない世界を覗いてみたくなったのかもね」


「そういうものかな。……まあ、どうでもいいか。他人の恋愛なんて」


 僕が呟くと、奈月がアップルパイを受け取りながら「終わったよ、行こう」と言った。


「一応、声かけてく?」


 僕が背後を指で示すと、奈月は「ううん」とかぶりを振り、手をひらひらさせた。


「どうでもいいわ。他人の恋愛なんて」


 僕と奈月は、顔を見合わせて笑った。店外に出る前に、僕は何の気なしに奥の二人を振り返った。デートにしては、二人とも妙に深刻な顔をしているのが不思議だった。


             〈第二話に続く〉




 部屋でぼんやりラジオを聴いていると、ローボードの上の電話が鳴った。取ると母の声で「西江さんって子から電話よ」と告げられた。切り替えると飛波の声が耳に飛び込んできた。


「もしもし、野間君ですか?」


 僕は一瞬、耳を疑った。あの上から目線の飛波とは思えない、おずおずとしおらしい口調だったからだ。


「——なんてね。……どう?今の感じ。ちょっと君に気があるクラスメイトって設定だったんだけど」


 飛波は口調をがらりと変えると、喉の奥でくっくっと笑った。


「くだらない悪戯はやめろよ。普段、うちの家族が耳にしない名前だから、あとで母さんに根掘り葉掘り聞かれるかもしれない」


「聞かれたらこう答えて。とっても頭が良くてチャーミングなアイドルだって」


 飛波は悪びれることなく、言い放った。まったく、一昔前の携帯電話だったら、こんなバカな悪戯に巻き込まれずに済むのに。


「じゃあ今日はこのくらいで止めとくわ。……それから、あれこれ聞かれても、この間からしている話は、たとえ家族でも絶対に言ったらだめだからね。もし約束を破ったら……」


「僕の居場所はどこにもなくなる……だろ?」


「ピンポン。……それじゃ、本題に入るわね。例の暗号を知っている人物は、都倉彰吾とくらしょうごっていう三十代の男性。キャラクター商品を開発している会社のサラリーマンよ。趣味はアニメとゲームで『トーキング・キッズ』っていうゲーム好きが集まるカフェに週一で通ってる」


「ゲーム好きが集まるカフェ?」


「うん。店に現れるのは大体、土曜日の三時半ごろらしいから、まず君が先に行って待機していて。私はターゲットの都倉が店に入ったのを確かめてから、行くわ。私は店に入ったら、初心者だと言って店員にあれこれ質問する。その際、都倉の詳しい分野は調査済みだから、できるだけ話をそちらのほうに近づけていく。詳しく知りたがってる風を装ってね。で、狙い通り、うまいぐあいに都倉が食いついて来たら、大げさに喜んで「お友達になりたいオーラ」を出すわけ」


「大丈夫かよ。相手は三十代だろ?あんまり期待させたらまずいんじゃないか?ちゃんと会社勤めをしてるからって、女子中学生に手を出さないとは限らないぜ」


「私の事なら心配いらないわ。それより、暗号の事を聞き出すためには君のお芝居が重要なのよ。君にはあらかじめ、彼に対抗できるくらいのマニアックなデータを渡しておくから、メモを見なくてもすらすら言えるくらい、しっかり覚えてきて。いい?」


「あんまり自信ないなあ。暗記物は、苦手なんだよ」


「苦手かどうかはこの際、問わないわ。とにかく覚えて。そして私がオンラインゲームの事を知りたがった時、近寄ってきて自信たっぷりにこういうの。「君、Y中の子だよね?昔のゲームの事なら僕、詳しいよ」って」


「そしたら君は目を輝かせて「本当?」って言うんだろう?」


「またピンポンよ。野間君、冴えてるじゃない」


「同じ話を聞くなら、三十代のおじさんより同世代のほうが楽しい、そういう空気を出すわけだ」


「そう。ただし私がする質問の中には君に与えていないデータもあって、たぶん君は本気で「知らない」って言う。そうするとターゲットは「こいつ、そんな事も知らないのか」って自信を取り戻すってわけ」


「つまり、僕の任務はそうやってオジサンを嫉妬させる係ってわけか」


「そうよ。できるだけ自信たっぷりにふるまって、ターゲットに「この子を取られたくない」って思わせるの」


 やれやれ、本物の悪魔だな、こいつ。


「それで?僕は敗北を悟ってすごすごと店を出て行くわけ?背中に哀愁を漂わせて」


「その前に私たちが出て行くわ。君は一人店に取り残されて相手に優越感を与えるの」


「二人で出て行くって……どこへ?」


「さあ。これから考えるわ。いずれにせよ、ミッションはその日のうちに完了させる必要があるの。日暮れまでには暗号を手に入れて、バイバイってわけ」


「うまくいくかな」


「うまくいかせるのよ、君と私で」


 飛波はあくまでも強硬だった。僕はうんざりしつつ「わかったよ」と言った。


「それじゃあ、この次までに必要な台本を用意しておくわね」


              〈第九回に続く〉


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