第2話 音をつかまえるもの
彼女とは、昼食を共にする程度の仲になった。
お互い約束はしていないけれど、裏庭でぼんやりとしている姿を見つけると、隣に座って昼休みを過ごす。
授業をサボりがちだから、スペシャルカツサンドを手に入れられたことや、極度の弱視なのにコンタクトも入れていないこと。エサを食べにくるリスに、リスモと名前を付けたこと。寮住まいなことや、放課後は音楽室で過ごしていること。
少しづつムジカのことを知る事が出来たが、彼女がヴァイオリンを弾く姿は、未だ目にした事が無い。
「それ、何聴いてるの?」
小作りな彼女の頭には不釣合いなほど大きくて高価そうなヘッドフォン――検索してみたら、実際目玉が飛び出るほどの価格だったのだが――が気になって、尋ねてみた事がある。
無言で手渡してくれたそれを、微かに残る彼女の体温を感じながら掛けてみるも、何も聞こえない。会話の邪魔にならないように、極小さな音で鳴らしているのでもなさそうだ。
けげんな顔を返したぼくにムジカは、
「そうやって、じぶんのなかの音をつかまえる」
こくこくと頷いてみせる。
ヘッドフォンのコードは胸ポケットに収められた、MP3プレイヤーに繋がっているようだが、それに何が入っているのかまでは教えてもらえなかった。
夏が近付くにつれ、裏庭で彼女の姿を目にする事が少なくなった。授業にもほとんど出ていないらしい。
放課後、ぼくは思い切って音楽室に彼女を尋ねてみた。練習中だった吹奏楽部員は、第2音楽室にいるんじゃないかと教えてくれた。旧校舎の端にあるそこは、使われていない楽器を仕舞ってある、実質的には倉庫のような部屋だ。
使われている教室自体が少ないためか、人気の無い廊下を歩き、第2音楽室へ向かう。途中、壁に鉛筆で書かれた音符の群れを幾つか目にした。筆記具は持ち歩く様になったみたいだけれど、ノートの方は忘れたままなのだろうか。
扉を開けると、異様な光景が目に飛び込んできた。
壁中びっしり楽譜で埋め尽くされ、床にも音符が書き散らかされたノートの切れ端が乱雑に投げ捨てられている。
薄汚れた毛布を敷物に座り込んだムジカの左手には、ヴァイオリンケースが置かれているが、彼女の意識が集中しているのはそれではない。
目の前に置かれた、古ぼけた奇妙な装置――コピー機ほどの大きさで、真空管やアナログメーターが目立つ、一見すると古いラジオか通信機のような物――のボリュームを、無心に調整している。
「ミュー!?」
肩を叩かれ、ようやくぼくに気付き振り向いた彼女の顔には、寝不足と疲労を示す隈が黒々と描かれていた。
「きみか。なんだかひさしぶりだね」
奇妙にハイな調子で応える。
「ちゃんと寝てる? 今日はもう帰って休んだ方が良いんじゃない?」
「それよりきいて。この世のすべての音を捕まえる方法がわかったよ!」
「本当に? すごいじゃないか! おめでとう……」
悩んで篭った成果があったという事か。ぼくには理解できないレベルの話とはいえ、彼女自身が納得できる答えが出たのなら、それは素直に賞賛すべき事だ。それなのに、熱に浮かされた彼女の瞳を目にし、ぼくは得体の知れない不安を感じざるを得なかった。
「その機械は? ここにあったの?」
「ううん。でも、これで音をつかまえる……ちがうな、音をつかまえるものをつかまえる」
帰り支度をするでもなく、再び装置に向き直ってしまったムジカを説得する材料を探していたぼくの目に、彼女と装置の間に置かれたものが写る。
空のペットボトル。食べかけのチョコレート菓子。周波数か何かか、数字の羅列が書かれたメモ。『REVELATIONS OF GLAAKI Ⅸ』と題された、手書きの冊子。その上に文鎮代わりに置かれている、緑色のガラス細工は――
「――リスモ?」
ボリューム摘みを弄っていたムジカの手が止まる。
「そう。リスモの音はつかまえたよ」
装置からヘッドフォンのプラグを抜き、ヴァイオリンケースに手を伸ばす。
「聞いてみる?」
一度も耳にしたことの無い、ムジカの演奏を聴くことが出来る。それに、彼女を連れ出す切欠になるかもしれない。溢れる好奇心に言い訳めいた理屈を付けながら、ぼくは部屋の隅にかためられていた椅子の群れから一脚を取り出し、腰を掛けた。
肩と顎で固定すると、彼女は滑らかに弓を滑らせ始める。リスモの曲だとあらかじめ聞いていたからだろうか。技術云々は解らなくても、森の中を小動物が楽しげに跳ね回る姿が頭に描かれる。
曲の調子が変わる。
不安。大きな生き物がいる。
でも、食べ物があると呼んでいる。
おっかなびっくり近付いてみる。
差し出される見知らぬもの。恐る恐る口にする。
美味い!
木の実や昆虫とは比べ物にならない脂質の多幸感。
この大きいのは良いヤツだ!
凄い! リスモとミューの出会いの光景が、説明されずとも目に浮かぶみたいだ!
かさり。後で何かの気配がする。
振り向くと、小さな影がばら撒かれた紙の上を走る姿が見えた気がした。
かさり。今度は前で。
視界の端を、栗色の縞模様がかすめた。
「部屋の中にリスモが入り込んでる?」
ムジカが満足げに微笑む。
その足元で、触れてもいないのにガラス細工が澄んだ音と共に砕け散った。
演奏が終わると共に、部屋の中を跳ね回っていた気配も消える。
気のせいだったのか?
それとも、どこかに隠れたんだろうか?
少し気味が悪い。
きょろきょろしていると、ムジカが毛布にへたり込んだ。演奏で体力を使い果たしたらしい。
「ごめん、無理させて!」
慌てて近寄り寮へ帰るよう促すも、ここで休むという。不審に思い問い詰めると、ここで何泊かしているらしい。夏休みに解体作業に入るため、旧校舎の警備システムは減らされて行っているそうだ。彼女は警報を鳴らさず、夜でも外や寮へと行ける抜け道を幾つか確保したのだとか。
「いや、それでも見回りとかくるんじゃあ?」
「そのときは、こうやって床と一体化する」
毛布をかぶって平たくなって見せる。
「あ……うん」
毛布と床の色が違う。一体化できていない。
それでも、未だ見付かっていないという事は、それだけ警備が甘いという事だろう。
悩んだが、もうムジカはスランプを脱しつつあるようだ。秋のコンクールで演奏しなければ、さすがに問題になると聞いている。頑固というか、人のいう事をまるで聞かない、自由すぎる彼女を無理に連れ出すよりも、気が済むまでやらせた方が良いのかも知れない。
ぼくは彼女を残しコンビニで弁当や携帯食料を買い込むと、彼女に教わったルートを辿り第2音楽室に戻った。ムジカは食欲はなさそうだったが、もそもそと携帯食をかじり、ペットボトルの紅茶で流し込んでいる。
抱きかかえてでも連れ出すべきだったと後悔するのは、その2日後の事だった。
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