第一章

第一話 英雄を召喚したつもりが悪魔を呼び出してしまいました


(ああ、俺は死んだのだ)

 ジーク・ブルーこと藤原リイトは光ひとつ見えない暗闇の中を漂いながらそんな事を思った。

 英雄ロボ・グラムの時空爆発に巻き込まれ、この次元の狭間とも呼ぶべき暗闇に放り出されてからどれだけ経ったのだろう。

 もはや体のあらゆる感覚はなく、時間の概念すら希薄だ。

 まともな思考をも放棄してから久しい。今や彼は宇宙空間を漂う塵にも等しい存在だった。

(あれは……何だ?)

 そんな彼の感覚器を刺激するものがあった。

 それは光だ。

 針の先で空けたような極々小さな穴から差す光だ。

 光は小さいが、眩しい。

 光は直ぐ目の前にあるようにも、遥か遠くにあるようにも感じられる。

 距離感の無い闇の中に輝くそれに、リイトはゆっくりと手を伸ばす。

(どうなっている……?)

 無意識の行動だった。闇の中で光に向かって動いてしまう、動物としての本能から来る動きだ。

 長く忘れていた、体を動かすという感覚に違和感を覚えながらも、腕は過たず光へと向かう。

(光に手を伸ばして、何になる)

 思いながらも、半ば自動的に動く腕に導かれるまま体を起こす。

 背筋を立たせ、指を伸ばし、光を掴もうと体が動いていく。

 だが、光に指先は届かない。宙を彷徨う指は何もない暗闇を虚しく掻きむしるだけだ。

(あそこに行きたいのか、俺は)

 リイトは思い、しかしそれを自嘲気味な笑みで否定する。

(今更光の下に出て、何をするっていうんだ。復讐は終わった。もう俺には何も無い)

 闇の中であらゆる熱を失ったリイトは死んだも同然だ。

 全てはもう終わったのだ。

 後はただ、この体が滅びるまで闇の中を漂うだけだ。

 だが、一筋の光がそんな彼の思考に呼びかける。


 ――助けて。


 確かに聞こえるのは助けを呼ぶ声だ。

 エイユウジャーとして戦っている間、何度として聞き、そして応えてきた声。

(悪いな、俺はもうヒーローじゃない。仲間も、戦う動機すら失った俺では、お前を助けることは出来ない。今の俺は――何者でもない……)

 本当にそうか?

 復讐が終われば自分には何もないだって?

 では、大切な仲間達との絆も復讐と同時に消えてしまったのか?

(違う)

 世界を、大切な人達を守りたいという気持ちは、復讐を遂げてしまえば消えてしまうものだったのか?

(違う……!)

 リイトの――ジーク・ブルーの心にはまだ残っている。共に歩んだ仲間との絆が! 平和を愛する熱い心が!

 ならば、

(こんな闇の中で死んだように漂っている訳にはいかない!)

 思い、再び手を伸ばす。

 体にみなぎる力を込めて、今度は自分の意志で指先を伸ばす。

 だが光には届かない。

 血の巡りはじめた指先が、冷たい暗闇を引っ掻く。

 それでもジーク・ブルーは諦めない。

 右手がダメならばと、今度は左手を光へ翳し、それが目に入った。

 変身ブレスレット『エイユウ・ギア』。

(そうだ、闇を払い、いくつもの困難を退けてきたこの力なら……!)


「変身ッ!」


 どこまでも続く暗闇を、蒼い光が引き裂いた。


                     ◆


 クリムは中空へ浮かび上がる魔法陣に残った魔力を全て注ぎ込むべく杖を掲げた。

 分の悪い賭けだが、クリムに残された手段はもはやこれ以外残っていない。

 王都への旅路に同道していた行商人の夫婦は無事に逃げ切れただろうか。自分は精霊と英霊の多重召喚術士マルチサモナーだから大丈夫だと大見得を切ってこの場に残ったが、未だ見習い術士でしかない。火吹き大蜥蜴の相手など初めから無謀だったのだ。

 それでもクリムは体高だけで自分の二倍はある大蜥蜴を相手によく善戦した。『精霊界』エレメンタリアから土精を召喚し地面の陥没を命じて相手の足場を崩すと、そこへ烈風のように吹き荒ぶ剣戟の嵐を叩き付け、大蜥蜴を怯ませる。『英霊の館』ヴァルハラに呼びかけ、不完全ながらも顕現させた騎士王の御業『騎士の剣風』である。二刀の騎士が繰り出す百裂の剣戟に押されながらも、火吹き大蜥蜴がその名の通りに炎を吐き出し抵抗すると、それを風精の力で散らし、防ぐ。相手を拘束し一方的に攻撃できてはいたが、クリムの力で顕現させられる『騎士の剣風』に大蜥蜴の鱗を貫く威力は無い。そしてそれ以上に威力のある召喚術を彼女は持っていなかった。

 逃げ出そうにも『剣風』の手を緩めた瞬間、大蜥蜴は崩れた足場から抜け出すだろう。そうなれば巨体に似合わず素早い火吹き大蜥蜴に捕まるのは時間の問題だ。

 そもそも『剣風』すらいつまで放ち続けられるか分からないのである。学院アカデミー一の秀才と呼ばれるクリムであるが、騎士王の御業を行使し続けられる程の魔力は持っていない。

(なら、一か八かに賭けるのも悪くないわね)

 手持ちの召喚術で足りないならば、新たな召喚術を行使するまで。

 それもこの状況を打破できるような、強力な力を持ったモノ……

 

 召喚術とは『この世に在らざる者』の力の一端を別次元から現世へ喚び出し使役するための技術だ。そのためにはまず別次元と現世を繋ぐ通り道を作らなくてはならない。クリムが持っているパスは『精霊界』と『英霊の館』の二つ、そしてそのどちらも現状を打破できる強度の召喚術を行使できる太さでは無いし、対価として捧げられる魔力も無い。

 だが、どんなものにも例外がある。今回に関してそれは、のではなく、方法だ。

 相手の好む地形、時間、状況、術者……条件は多岐に渡るが、それらを満たした時『この世に在らざる者』は気まぐれに現世へ顕現する。


 だから強力な英霊や精霊を呼び出す条件が揃い、クリムの呼びかけに応えてくれる可能性は、決して零では無いのだ。

(零じゃないなら、縋ってみるのも悪く無い!)

 どうせこのままでは激昂した火吹き大蜥蜴に丸焼けにされるのがオチだ。ならば――!

 

「全ての悪を討ち滅ぼす偉大なる英霊よ! 今ここに契約す……汝には我が祈りを、我に汝の力が全てを! 我が呼びかけに答え、その姿を現し給え!」

 詠唱は即興のものだ。どうせ成功の確率は低い。それなら神話に登場する神の徒――英雄が、敬虔なる信徒の祈りだけで力のすべてを持ってして魔を討滅してくれれば良い……そんな都合のいい願いを言葉にしただけの、言うならばやけくその詠唱だ。

(お願い。だれか助けて!)

 

 そして、クリムの都合の良い願いは聞き届けられた。


 励起された魔力が現世に干渉し、旋風を巻き起こす。

 風に撒かれた大蜥蜴がたたらを踏み、後ずさる。

 空中の魔法陣から溢れだすのは膨大な蒼の光。

 そして光とともに、神話の英雄が顕現する。


 最初に現れたのは白い手袋に包まれた左手だ。

 それを追うように右手が現れ、大きく力強い掌が魔法陣を半ばから掴むと、まるで布を破るようにして真っ二つに引き裂いた。

 破り裂かれた空間から現れるのは濃い蒼色の頭部。のっぺりとした卵のような頭に顔はなく、目に当たる部分にだけ逆三角形の黒い模様があり、口に当たる部分は銀色をしている。

 体は人間のようであったが、蒼色の光沢を放つピッタリとした体の形を浮き彫りにする衣装を纏っている。衣装には白のラインがいくつも走っていて、胸には見たことのない紋章。手足には白い手袋とブーツ、左手にだけ金属製のブレスレット、そして腰には細いベルトが巻きつき、そこから剣を提げていた。

「嘘……本当に召喚出来ちゃった」

 それも力の一端だけでなく、英霊そのものか、遣わされた分霊か……いずれにせよ火吹き大蜥蜴相手には過剰な力だ。

 自らの起こした奇跡に慄くクリムにソレが顔を向ける。

 のっぺりとした顔からは表情が伺えない。

 なんとも名状しがたいその姿に、自分は冥界とのパスを開いて悪魔を呼び出してしまったのではないか、とクリムが考えてしまうのも無理は無い。

「あはは、最後の最後にとんでもないモノ喚び出しちゃった……」

 これで無事に学院へ帰れたら、自分は精霊遣いエレメンタリスト神話の詠い手ミンストレルだけでなく、悪魔召喚士デビルサマナーの三重召喚士である。見習いには過ぎた称号だ、飛び級卒業だってできるかもしれない。

 ……無事に帰れたら、だが。

「コレが悪魔だとしたら、私は対価に魂を持っていかれるのかしら……ま、どうせここで死ぬんだし、悔いは無いわ……」

 ただ望むなら、自分の魂だけで満足し、さっさと冥界へ返ってくれますように。

 クリムのそんな祈りを他所に、蒼き悪魔は大蜥蜴へと視線を向け、地を蹴った。


 疾い。

 

 瞬き一つで大蜥蜴に肉薄すると、悪魔の腰に提げられた剣が引きぬかれ、蒼き閃光を残して振りぬかれる。

 たったそれだけ。

 その一撃だけで、あれほど苦戦した大蜥蜴の前肢が宙を舞う。

 大蜥蜴は痛みに仰け反り、倒れ伏す。

「夢でも見ているのかしらね……」

 思わず頬を抓る。

 ……痛い。

 クリムが一人呆けているのを尻目に、悪魔は剣を大上段に構えた。動きの止まった悪魔に大蜥蜴の吐き出す炎が襲いかかるが、蒼光を放つ障壁に阻まれ、焦げ目一つ付けること叶わない。

 そして、掲げられた剣が膨大な光を放つ。光は剣先から真っ直ぐと伸び、大蜥蜴の全長をも超える長大な光剣を形作ると、重さを感じさせない速さで一気に振りぬかれた。

 結果は凄惨の一語。

 頭から尾まで唐竹割りにされた大蜥蜴が血飛沫を上げ、二つの重い湿った音響かせて転がった。雨のように降る返り血を浴びるのは、剣を鞘に納めた蒼い肌の悪魔。

 まるで地獄のような光景の中、悪魔がクリムへと振り返る。

(ああ、死んだ)

 クリムが思い、覚悟を決めたその時だった。

 悪魔は右膝を着き、指先を伸ばして肘を曲げた右手は胸の前に、そして優雅に伸ばされた左腕は斜め上を差す。 


「竜を滅する不死身の英雄、ジーク・ブルー見参!」


 そして若い男の張りのある声とともに、彼の背後で蒼色の爆煙が立ち昇ったのであった。

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