第二話 異世界のヒーローをタダで帰す訳にはいきませんでした
青い煙が晴れるまで、どれだけ時間がかかっただろうか。すっかり視界が晴れた頃になって、ジーク・ブルー――藤原リイトはすっくと立ち上がると変身を解いた。
おかしい。
邪竜帝国の戦闘員に襲われ泣いていた子供はだれも、神話戦隊エイユウジャーが決めポーズをとった途端、キャッキャ、キャッキャと手を叩いて喜んだというのに、目の前で腰を抜かしながらも変に座った目をした少女はニコリともしない。
(やはり、五人揃っていないと駄目か)
見当違いの納得をしたリイトは腕を組み、悩んだ。自分は子供が苦手だ。そういうのは紅一点のピンクや子供好きなイエローに任せっきりであった。自分は口下手な方であるし、整っていながらも鋭い三白眼や引き結ばれた口元が子供を怖がらせる事は自覚していた。だからこその適材適所だと割りきっていたのだが……
(イエローに子供の扱い方を習っておくべきだったか……)
内心「こいつ子供好きというよりロリコンなのでは?」と疑っていたが、あの妙にスキンシップの多い接し方も子供を安心させる上では必要だったのかもしれない。
仲間の下に戻ったらイエローとゆっくり話でもしようと考えた所で、リイトははたと気付く。
それは目の前の少女の異質さだ。
日本人ではないのか、滑らかな腰まである金髪、大きくくりっとした翡翠色の瞳、幼さを残す輪郭にすっと通った鼻梁と薄桃色の小さな唇。掛け値なしの美少女であるがそれはこの際どうでも良い、問題はその格好だ。
頭には黒いとんがり帽子。細い肩に羽織る同色のマントの裏地は赤、その下に着こむのは白いブラウスで、小柄な割に膨らんだ胸元に刺繍されているのは杖を掴んだ梟の紋章。ダブっとしたブラウンのズボンの裾は絞られ、革のブーツの中に収められていた。腰に巻かれたゴツいベルトからはいくつかの小袋と短剣が吊るされ、背には大きなリュック、手には捻くれた木の杖を携えている。まるで物語に出てくる魔法使いのような格好だ。
そしてリイトの思考は少女から先ほど倒した怪物へと移る。
邪竜帝国の放った新たな怪物かと思ったが、倒しても爆散せずそれどころか血飛沫まで上げて未だ生々しい骸を晒している。体についた返り血はスーツの自浄作用で清められたが、肉を裂き、骨を断った手応えは未だ手中にある。邪竜帝国の怪物にそんなものはなかった。アレは戦うためだけに生み出された存在であるから臓器などは存在しないのである。
そもそもここは何処だ。今立っているのは岩の転がる山の斜面だ。頂上の方角は同じような土と岩だけの山肌で、眼下には森が広がっている。遠くを眺めれば青い空がどこまでも続いており、人工物は見えない。送電線も鉄塔も無いとは一体どんな田舎なのか。いや日本人とは思えない少女を見れば、外国だと考えたほうが良いだろう。なるほど言葉が通じないとなれば決めポーズが通用しなかったのも頷ける。
「アンタ……じゃなくて、貴方様は悪魔では、無い……のですか?」
少女の言葉にリイトは目を丸くする。
まさか悪魔と思われていたとは、どこからどう見ても正義のヒーローだったはずだが……いや、それこそ文化の違いによる勘違いだろう。なにせここは外国――
待て。
今少女はなんと言った?
「君は日本語が喋れるのか?」
「ニホンゴ? 私が話せるのは大陸語だけ……ああ、待って……ください。聞いたことがあります、言葉の通じない相手を顕現させても、パスを通じて意思の疎通はできると。こういう事だったのかぁ」
少女は一人で納得しているがリイトには意味がわからない。……まあ、言葉が通じるなら良いだろう。それよりも聞き逃せない間違いがある。
「俺は悪魔ではない。神話戦隊エイユウジャーの一人、正義のヒーローだ」
正義の味方として悪魔などという邪悪な存在と同一視されるのは我慢ならなかった。人々を救い、平和を守ることこそ自分の使命であり、存在意義だ。復讐を成したからこそ、胸を張ってそう言える。
「神話、エイユウ……悪魔じゃなくて、
「分かってもらえたようだな」
お互い食い違った理解ではあったが、悪魔では無いと分かってもらえただけで満足したのか、リイトは細かい言葉を聞き流したようであった。
「私は召喚術士見習いのクリム……と申します。どうか、貴方様のお名前をお教え頂けないでしょうか?」
「俺は藤原リイト、またの名をジーク・ブルー。好きな様に呼んでくれ」
「ジーク? リイト? そんな名前の英雄居たかしら……」
記憶を辿ろうと首を傾げる少女――クリムを見下ろし、リイトはがっくりと肩を落とした。竜殺しの英雄から名前を借りてコードネームとしているエイユウジャーの五人だが、自分がそのモチーフとするジークフリートは割りとメジャーな英雄のはずだ。英雄本人ではないとは言え、全く知らないと言われるのはショックであった。今なら「マルタなんか、日本人で知ってる人なんて居ないわよ……」と嘆いていたピンクの気持ちが分かるというものだ。ちなみにマルタとは新約聖書に登場する竜退治の聖女である。
「ジーク様、申し訳ありません。私は貴方様の名も逸話も知りません。ですが無事に帝都へたどり着いた後、必ず聖地まで赴き祈りを捧げたいと思っています。どうか私に聖地の場所とご活躍された時代だけでもお教えください」
次に考えこんでしまうのはリイトの方であった。
英雄ジークフリートの名を借りるリイトであったが、このコードネームも
「聖地は恐らくドイツ……。年代はかなり古いという事だけは分かるが……すまん、詳しくは思い出せない」
「ドイツ、ですか……聞いたことのない地名です。それにジーク様がもう思い出せないほど昔となると、既に滅んだ国なのかも知れませんね」
「ドイツを知らないのか?」
「申し訳ありません、大陸の国の名前ならある程度は知っているのですが」
流石にドイツを知らないという事は無いだろう。日本人なら百歩譲って知らないとしても、クリムはどう見ても西洋人である。下手すれば彼女自身ドイツ人であってもおかしくはない容姿だ。なんとも噛み合わない二人であったが、ここでようやくリイトは異変に気付いた。
「クリム、ここは何処だ? 今は西暦何年になる?」
震える声で問うリイトに、愛らしく小首を傾げたクリムが答えた。
「ここはビズソウン帝国の北西、ベギオス山地です。ここから南へ四日程歩けば帝都ベルニカがあります。今は星暦597年の星降月です」
◆
喚び出された英雄――リイトは、クリムの言葉を聞いた途端顔を引き攣らせて固まってしまった。
(何か、不味いことを言ったかしら)
慣れない敬語を無理に使って失礼のないように接したつもりだ。
通常の方法で喚び出した英霊ならともかく、状況を整えた場所に自ら顕現した英霊を術士は制御出来ない。パスを通じた意思疎通でお願いする事はできるが、拒否されてしまえばそれまでだ。もし機嫌を損ねて暴れられでもしたらコトである。
それにしても不思議な英霊だ。まずリイトなどという英雄を聞いたことが無い。
召喚術士はパスを繋いだ次元によって呼び方が変わる。
さらにこの英霊、どうも自分が召喚された英雄であるという自覚が無いように感じるのだ。その仕草や態度から、まるで自分が『先ほどまで生きていた』と勘違いしているように見える。そう推察できる程、クリムは敏い少女であった。
……間違いだらけだが。
と、そこまで考えた所でリイトが口を開いた。
「俺は、異世界へ来てしまったのか……」
そう考えるのも無理は無い。彼は自分が死したことも忘れるほど長い間、人々から忘れ去られ『英霊の館』で眠り続けてきたのだろう。誰からも信仰されなくなった神や天使、英霊が邪神に堕ちるのは稀にあること、ここは話を合わせてリイトを落ち着かせるべきだ。悪堕ちして世界を滅ぼされては堪らない。クリムにそんな責任は取れない。
「恐らくそうでしょう。古代国クスノベキオスに心当たりは? 始祖神ユトルはご存知?」
「どちらも……聞いたことがない」
クスノベキオスは記録が残る大陸最古の国だ。500年以上過去に現代では再現不可能な超技術を保持していたと言われる大国で、その技術を恐れた周辺国家から総攻撃を受け滅びたとされている。始祖神ユトルは人々がこの大陸にやってきた、千年近く前に信仰されていたとされる神の名だ。今では古代遺跡の壁画に刻まれた名前くらいしか伝わっていない。
リイトはそのどちらも聞いたことがない。
(つまりリイトは、千年以上前の英雄って所かしら)
「次元爆発の影響で、異世界に飛ばされてしまったのか……」
千年も時が経てば、そこはもはや異世界であろう。クリムはリイトの境遇を思うと震えが止まらなかった。誰からも信仰されず、自らを失う恐怖は如何程のものか。彼が『英霊の館』に帰還した暁には、必ずや祠を建て毎日祈ろう。『神話の詠い手』らしく、彼の神話を人々に伝えよう。そう決意した。
恭しく膝をつき、頭を垂れたクリムは精一杯厳かな声を作り、紡ぐ。
「リイト様、どうか私に貴方様のご活躍をお教え下さい。見習い召喚術士ではありますが、これでも『詠い手』の端くれ、必ずやその神話を人々に広めて見せます。そしてどうか、そのお力でこれからも私をお助けください」
誰も知らない古代の英霊、しかも強大な力をもつモノを発見し、今後も召喚できるとあらば、クリムの召喚術士としての名声は大陸中に広まるであろう。悪魔ではなかったから『三重召喚術士』には成れなかったが、それを凌駕する程の功績である。この功績は国も、
クリムは伏せた顔の下でニヤリと笑んだ。
「待て、召喚術士だって? じゃあ俺がこの世界に来たのは……」
「はい、『英霊の館』とのパスを繋いだのは私です。そしてリイト様は私の助けを呼ぶ声に応じて顕現してくださいました。感謝の念に耐えません」
「大した事じゃない。助けを求める人々を救うのが俺の役目だ」
無表情ながらどこか照れたような声音でリイトは言った。あまり褒められ慣れていないのかもしれない。これは彼に気に入られるために重要な情報である。
「しかし、俺の活躍……だったか? それについて話をするのはいいんだが、これからも君を助ける、というのは約束出来ない」
「……何故、でしょうか」
色好い返事がもらえず、動揺に震える声でクリムは問うた。
なんとしてでもこの英霊を召喚できるようにならなければならない。
「俺は仲間の下へ帰り、共にリヴァイアサンを倒さなきゃならない」
「では目的を果たした後、再びこの世界へ顕現していただけませんか? どうか、私にお力をお貸しください。そのためならば何だってします。全てを捧げます」
クリムは美少女である。そして自分の容姿についてよく理解していた。小さくたおやかな両手でリイトの手を握り、大きな翡翠色の瞳を潤ませ、震える睫毛で彼を見上げた。もちろん、上目遣いの威力を知っていて、である。
そして、生涯を復讐に捧げてきたリイトは、妹とマルタ・ピンク以外の女性に免疫がなかった。
「それは……分かった、恐らく一ヶ月の間に俺達はリヴァイアサンと対決する。だから一ヶ月後にまた俺を召喚してくれ。その時にまだ生きていれば、俺は君の力になると約束する」
やった! とクリムはガッツポーズをしかけて止めた。まだボロを出すわけにはいかない。長い眠りで未だ記憶が錯乱しているのだろうが、『英雄の館』に帰還すれば己が既に命を落とした――もしかしたら、そのリヴァイアサンとの戦いで命を落とし、英霊となったのかもしれない――事に気づき、次はまともな英霊として召喚されてくれるだろう。言質は取った、悪魔ならばともかく神や英霊は嘘をつけない。
「時間がない。俺の活躍についてはリヴァイアサンを倒した後に話そう。元の世界に帰る方法を教えてくれ」
「『英霊の館』へは、ご自身が強く願えば帰還できるかと。今回パスを繋いでいるのは私ですが、リイト様はご自身の意思で顕現されましたので」
これはクリムの推測でしか無かったが、恐らく間違いではないだろう。気まぐれに顕現した英霊や神は、目的を果たして満足したら自然と帰還するものだ。
「分かった。……クリム、また一ヶ月後に会おう」
「ええ、お待ちしております、リイト様」
そしてリイトは美しい少女が見つめる前でそっと目を閉じ、脳裏に元の世界を、仲間たちの事を思い浮かべ――
帰れなかった。
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