第三章
第十五話 召喚術士の妹は姫騎士でした
リイト達一行は『竜脈』に合わせて蛇行しながらも南東に進み、ピルケの街から出て数日後、無事バランタイン領の領都を臨む丘の上にまで到達していた。
竜脈がバランタイン領へと続いていることを確信してから、一行は通常の街道を進むようになっていた。昔は多くの人で賑わっていただろう、固く踏みしめられた太い道に、今や殆ど人の姿は見えない。
バランタイン家の衰退を如実に表しているようで、ドニはなんとも痛ましい気持ちになったものであるが、当のクリムはと言うと、生まれた時からこれが当然であったので、特にこれといった感情は抱いていないようである。それはリイトも同様で、元の世界とあまりにもかけ離れた旅路に新鮮な物を感じてはいたが、物寂しさを覚えるような記憶も知識も無かった。彼の常識だと旅の移動は長くても数時間といった所か、海外に出たことも無いので一日がかりの移動すら初体験である。
一行は丘の上での休憩を終えると、日が暮れる前に領都へ入るべく、神馬の加護を最大にして街道を走りだした。
丘の上から見下ろしていた城壁を見上げなければならない距離まで近づいた所で、周囲を警戒していたリイトが不審に気付いた。
「なにか来る。あれは……騎馬か?」
エイユウスーツのバイザーだけを展開して望遠機能を発動してみれば、城壁の反対側からこちらへ駆けてくる騎兵の姿が確認出来た。数は十数騎、ほぼ全員の装備が灰色の鎧で統一されているが、先頭を走る騎士だけが白地に赤いラインの入った鎧を纏っている。
リイトの報告を聞いたクリムは首を傾げた。
「灰色の鎧はバランタイン領騎士団の正規装備ね。でも白地に赤なんて目立つ格好の騎士、居たかしら?」
一行は街道脇に馬車を止めると、平原を走ってくる騎士団を待つ。そしてリイトが彼らを発見してから数分後、騎士団は馬車を取り囲むように展開した。無駄のない素早い布陣だ、騎士団の練度の高さが伺える。
馬車の中から緊張感のない視線を向ける三人の前で、指揮官と思しき赤白の騎士が前に進み出た。騎士が馬上で純白の羽飾りのついた兜を脱ぐと、そこから短く切りそろえられた栗色の髪が零れる。
それは、なんとも美しい女性であった。
触れれば切れそうなほどシャープな輪郭に、すっと通る高い鼻、翡翠色の瞳は三白眼気味の切れ長で、ともすれば冷たさすら感じさせる美貌である。馬上なので分かりにくいが、上背は小柄な成人男性を見下ろせる程か、女性にしてはかなりの長身だ。
「ブリュンヒルデ!?」
女性の顔を見たクリムが驚きの声を上げ、馬車を飛び出す。一瞬警戒した騎士団であったが、クリムの顔を見た途端、警戒を解くどころか大いに動揺し、落馬したのではという勢いで下馬すると、慌ててその場に跪いた。
「お姉様!?」
クリムを姉と呼んだ女性――ブリュンヒルデは馬から降りると、駆け寄ってきた姉を見下ろした。
地面に立つとなおさら長身さが目につく。小柄なクリムなど、彼女より頭一つ……いや、ブリュンヒルデが小顔なので二つ分程低いか。
「確かクリムは十七歳だったはずだが」
「それより年下にはとても見えませんね」
この姉妹を見た十人中十人がブリュンヒルデを姉だと勘違いするだろう。
ポカンとするリイトとドニを尻目に、女二人の会話が続く。
「何よその鎧、それに騎士団まで引き連れて。アンタもう十五でしょ? 騎士団ごっこは卒業なさいな、でかい図体してみっともない」
「久しぶりに会う妹に、ひどい言い草ですわね、お姉様。ごっこではなく、わたくしは正式にバランタイン薔薇騎士団の団長になりましたのよ」
「ちょっと待ってバラバラ? え、何? ていうかアンタそんな喋り方だっけ?」
「バランタイン薔薇騎士団ですの! この口調も騎士団長になる上で改めたのです!」
「無いわぁ、似合ってないわぁ、なにそのコテコテのお嬢口調、何時の時代の貴族よ。アンタって昔から努力が方向音痴なのよねぇ……」
「何よ! お姉様こそ変な帽子被って、怪しいマントまで羽織っちゃってさ! 召喚術士の人って絶対センスおかしい!」
「お嬢様、口調が乱れておりますぞ」
と、姦しく言い合う姉妹に水を差したのは、跪いていた騎士の一人。兜を脱いで二人の間に立った、真っ白な口ひげを蓄える長身の老騎士である。
「団長とお呼びなさい、ギルベルト」
「これは失礼いたしました」
慇懃に頭を垂れた老騎士は顔を上げると、クリムヒルトへ深い皺の刻まれた笑みを向ける。
「お久しぶりです、クリムヒルトお嬢様」
「久しぶりね、ギルベルト。貴方までこの娘の悪ふざけに付き合っているとは思わなかったわ。そんな鎧より執事服の方が似合っているわよ」
「ほっほ、これでも昔は騎士として名を馳せた身、まだまだこちらの方がしっくり来ますわ」
髭をしごきながら楽しそうに笑う老騎士ギルベルトの表情は、孫娘の相手をするような微笑ましさを湛えている。
ほっこりしたその表情に毒気を抜かれたのか、クリムは溜息を一つ、置いてけぼりにされている二人へ振り返った。
「紹介するわ。私の妹、ブリュンヒルデ・バランタインと、執事のギルベルト・シューゲルよ」
「
「藤原リイトだ」
二人の自己紹介に、ギルベルトが丁寧な礼を返す。ブリュンヒルデは未だ興奮冷めやらぬのか、ふんと鼻を鳴らしたきりだ。
「団長様、折角お姉様が帰られたのです。ここは一度演習を中止し、お屋敷に戻られてはいかがでしょう?」
「そうね、私も長旅で疲れたわ」
帽子から零れた金髪を払い、貴族然とした態度で言うクリムを見下ろしながら、憮然とした表情のブリュンヒルデがギルベルトに問う。
「今の屋敷にお姉様を連れて行くなど、本気で言っていますの?」
「ですが、お嬢様をむさ苦しい騎士団の詰め所にご案内する訳にも行きますまい」
「屋敷で何かあったの?」
クリムの疑問にギルベルトは答えない。話して良いものか、主の反応を待っているようであった。
それを察し、クリムがブリュンヒルデへと視線を向けると、彼女は渋々と言った様子で口を開く。
「マルティバ子爵が来ていますのよ。だからわたくしは、演習にかこつけて屋敷を出てきたんですの」
「マルティバと言うと、クリムの家を乗っ取ろうとしているとかいう貴族か?」
リイトの言葉に、ブリュンヒルデとギルベルトがぎょっとした目を向ける。まさか護衛か何かかと思っていた男に、クリムがそこまで話していたとは思わなかったのだ。
それどころか、小声でなにか言い合う二人は妙に親密そうである。
もしや、とギルベルトが口端を持ち上げた。
「クリムヒルト様にもようやく春が訪れたのですな! 帝都に旅立たれてから二年、これほどこの日を夢見たことはありませんでしたぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってギルベルト、何か勘違いしていない?」
「ガーラント導師が仲人と言う事は、学院でのご学友ですかな? いやはやそうと決まればすぐにでも挙式を上げ、あのいけ好かない成金男を屋敷から追い払って――」
「ふ、巫山戯ないで!」
舞い上がり、一人妄想を膨らませるギルベルトに鋭い声を浴びせたのはブリュンヒルデであった。
肩を怒らせ姉に詰め寄ると、驚いた顔で見上げる彼女へと怒声を降らす。
「あっ、貴女まで! お姉様まで、わたくしが跡継ぎに相応しく無いと言うんですの!? お父様と同じで優しい言葉とおもちゃを与えておけば満足すると思っているのね! バランタイン家を任せたと言ってくれたのは嘘だったの!?」
「ちょっと、落ち着きなさいブリュンヒルデ。私は別に……」
「決闘よ」
すらり、と腰に差した剣を抜く。
一歩、二歩下がり、ブリュンヒルデはその切っ先を、真っ直ぐクリムへと向けた。
「わたくしが勝ったら、貴女を追放して後継者の座を頂きますわ」
瞳に渦巻くのは失望と嫉妬、そしてそこから生まれる怒りか。
唐突な激昂に動揺する周囲を他所に、ブリュンヒルデは冷たく言い切った。
◆
バランタイン家の姉妹は正反対の容姿で生まれてきた。
姉のクリムヒルトは母親譲りの金髪に、よく似た可愛らしい瞳と小柄な体。
妹のブリュンヒルデは父親似で、栗色の髪と鋭い目つき、大柄な体を受け継いだ。
その上で性格はよく似ており、それ故に小さい頃から反発して育ってきた。と言っても、幼い頃から人並み外れた利発さを見せた姉に、妹のブリュンヒルデが勝てるのは、恵まれた肉体故の身体能力くらいだ。それすらも貴族の娘としては不必要な才能でしか無い。そのことがブリュンヒルデを余計に苛立たせ、さらなる反発を招いた。
それでもいつかは姉を追い越そうと努力を重ねていた彼女だったが、クリムが召喚術の才能に目覚めた事で、その心すらポッキリと折れてしまう。出入りの術士から神童だと褒め称えられ、女性術士の地位向上という目標まで掲げた姉に、何の信念も持たない自分では、もはや勝てないと諦めたのだ。
成人し、領地を出て帝都の学院に入る事を決めた姉は、ブリュンヒルデにとって輝いて見えた。いや、物心ついた時から姉は眩しかったのだ。ずっと自分が姉に感じていた苛立ちは、憧れから来る嫉妬だったのだと気付いた。
クリムが帝都へと旅立つ前夜、そんな姉がブリュンヒルデの寝室を訪れた。顔を合わせれば喧嘩ばかりしてきた二人だったが、その時の姉の顔は穏やかで、妹への優しさに満ちていた。
「ねえ、ブリュンヒルデ。今まで喧嘩ばかりしてきて、今更こんなことを言うのも恥ずかしいのだけど……私はずっと貴女に嫉妬していたの」
彼女の手を取り言うクリムの言葉に、ブリュンヒルデは目を剥いた。嫉妬していたのは自分の方だとばかり思っていたからである。
「はっきり言って没落気味のバランタイン家から、家臣たちが離れていかない理由は何故だと思う?」
「古く、由緒正しい家柄だから?」
「いいえ、それはお父様が当主だからよ。お父様には人に慕われる不思議な魅力がある。そして貴女は、それを受け継いでいるわ」
なんとなく思い当たる節はある。父母は元より、執事のギルベルトや使用人たちもブリュンヒルデには甘かったし、なんだかんだと世話を焼きたがった。それは姉に劣る自分を哀れに思っているか、大人びている姉と比較して、子供扱いしているのだとばかり思っていた。
「そうやって可愛がられる貴女が、私はずっと羨ましかった。でもね、物語の騎士に憧れて、必死に努力している貴女を見て気付いたの。目標があって、努力家で、そして誇り高く、決して諦めない貴女の事が、みんな好きなんだって」
それは一種の皮肉でもあった。自分には無い才能を持つ姉を羨み、必死に努力しても追いつけなかった自分が、その結果姉の最も欲しいものを手に入れていたのだから。
「ブリュンヒルデ、バランタイン家の家督は貴女が継ぐべきよ」
「どうして?」
「今のバランタイン家当主に必要なのは、人に慕われる魅力だと思うの。お父様は過去の栄華を取り戻そうと必死だけど、生まれた時からこの領地が当たり前だった私にとって、ここは決して悪い領地じゃないと思うわ。出て行く人も確かに居るけど、残った人達は皆幸せに暮らしている。そんなバランタイン領を残すためには、お父様のような――ブリュンヒルデのような当主が必要だわ」
「お姉様……」
「私は帝都で勉強をして、バランタイン家を良くする方法を探してみるわ。私は外から、貴女は中から家を支えるのよ」
こうして、バランタイン姉妹はお家のための約束を交わした。
ブリュンヒルデはその夜、クリムヒルトを抱きしめて眠りながら、自分に誓った。
皆が憧れに向かって努力する自分が好きだというのなら、私はもう諦めたりしない。お姉様が家を任せたと言ってくれるなら、立派な当主になってみせる。お姉様は勘違いしていたけれど、私が本当に憧れていたのは物語の騎士じゃなくて、お姉様だから。
その誓いを胸に、ブリュンヒルデは言葉を改め、貴族らしく振る舞うことに決めた。参考にした物語が古かったからか、若干方向性は間違っていたものの、それが逆に、放って置けない魅力となった。
戦争がなくなり、廃れていた騎士団を再興して自警団のような事も始めた。平民にも別け隔てなく接していたからか、成人する頃には領民からも慕われる薔薇騎士団団長、ブリュンヒルデ・バランタインが生まれたのだ。
だが二人の父、現バランタイン伯は彼女を後継者に認めなかった。過去の栄華を取り戻したい父にとって、それが出来なかった自分と似ているブリュンヒルデに、バランタイン家は任せられないと考えたのだ。それどころか成金子爵に騙され、姉のために婿を取るとまで言い出した。マルティバの意図は明らかだったが、頑固な父は家臣の諫言も耳にしない。このままではバランタイン家を支えてくれている家臣達の心が離れていってしまう。焦り、八方手を尽くすブリュンヒルデだったが、その折にこんな言葉を耳にしてしまった。
「こんな時、クリムヒルト様が居られたら……」
結局、自分は可愛いわがまま娘としか思われていなかったのだ。そう落ち込むブリュンヒルデだったが、彼女にはまだ姉との約束があった。クリムヒルトは今も、帝都で方策を探っているに違いない。マルティバ家との見合いを蹴って逃げ出したというし、彼女だけは自分を信じてくれているはずだ。
「そう、信じていましたのに……わたくしの騎士団を馬鹿にするどころか、婿を連れて領地に戻ってくるなんて。やっぱり、わたくしでは力不足という事ですのね? わたくしに領主は任せられないと、そういう事ですのね!」
ギルベルトの喜びようもまた、彼女の癇に障った。まるでクリムヒルトがまともな結婚相手を連れて当主になれば、全ては解決するとばかりの言い様。決して彼にそんな意図は無かったが、今の彼女にそれを察せられる余裕はない。
「違うわブリュンヒルデ、さっきのはつい軽口で……それにリイトはそんな相手じゃ……」
「問答無用ですの! お姉様自慢の召喚術を破り、わたくしの方が優秀だと証明してみせますわ!」
それは子供の頃、姉が領都を出て行く前によくした喧嘩と同じ口上。姉を越えてみせると息巻いていた時のブリュンヒルデだった。
「はぁ……いいわ、相手になってあげる。でもね、生身の人間が召喚術士に勝てると思わないことよ」
クリムはクリムでかなり短気だ。さっさとぶちのめして、強制的に話を聞かせようと考えたのか、ばさりとマントを翻し、三角帽を目深にかぶり直す。
「ギルベルト、盾を」
「しかし、お嬢様……」
「早くなさい! それとお嬢様言うな!」
自分の早とちりが主の逆鱗に触れてしまったと薄々勘付き始めたギルベルトが止めようとするも、激昂したブリュンヒルデは聞く耳を持たない。せめてクリムが手加減をしてくれますようにと願いながら、体の半分を覆い隠せるカイトシールドを手渡した。
「バランタイン薔薇騎士団団長、ブリュンヒルデ・バランタイン! 参る!」
「
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