第十一話 召喚術士は弟子をとる事になりました 前編
鉄鍋の上で米粒が踊った。
卵を纏い黄金に輝く米がパラパラと宙を舞い、一粒残さず手元に舞い戻る。
鍋底を舐める紅蓮の触手めいた炎を見下ろし、汗を流しながら一心不乱に手を動かすのはリイトだ。
「わぁ」
肩口まで捲られた袖から覗く筋肉の躍動と、それに追随してリズムを刻む鍋。まるで激しいダンスのような調理法に、少し離れて魅入っていたユーリが感嘆の声を上げた。
荒々しい舞踏は徐々に終焉へと近づく。
鍋の動きが早くなり、炎は盛る。一際大きな火柱が立ち上った直後、あまりにもあっさりと鉄鍋は竈から外された。
もうもうと湯気を上げる米粒と具材を鉄匙でかき集め、一皿、二皿、慣れた動作で盛りつける。
「よし」
呟くと、料理の盛られた皿を掲げ、食堂へと歩む。その後ろにトコトコとユーリが続いた。
テーブルに座り待つクリムの前に置かれたのは、金色に輝く山盛りの飯。
「チャーハンだ」
リイトの得意料理の一つである。
二皿目を対面に座ったユーリにも差し出すと、二人は食前の祈りもそこそこに木匙を握りしめ、金山へ突き刺した。
匙を掬い上げればパラパラと零れる米粒。ふわふわとした卵は黄水晶のようだ。はしたなく皿に顔を近づけて口に含めば、適度に効いた塩味と香辛料の香りが鼻に抜ける。噛みしめれば輪切りにされた腸詰めから肉汁が溢れ、米の甘さと交じり合う。
「んまぁい!」
頬を押さえうっとりするクリムを、腕組みで見下ろしていたリイトが僅かに笑んだ。
その時である。
「兄貴!」
食堂のドアが開かれ禿頭の大男が駆け込んできた。
ドぎつい色の悪趣味な服が視界に入り、クリムが眉をしかめた。
「なんだ、騒々しいぞゲブル」
「屋敷に入り込もうとする、怪しい女を捕まえました!」
ゲブルの言葉を聞いたリイトの表情が、瞬時に真剣なものに切り替わる。
「分かった。すぐに向かおう」
「庭で簀巻にして、今は子分共が見張ってまさぁ」
構わず食事を続けるクリムと心配そうにオロオロするユーリを残し、リイトはゲブルの後に続いた。
果たして、こじんまりとした庭でガラの悪い男たちに囲まれていたのは、荒縄で乱暴に縛られた少女であった。
少女はチンピラ達の下卑た視線に囲まれているからか、涙を流して怯えている。
一体どんな相手がクリムを狙ってきたのかと気合を入れていたリイトは、予想外の侵入者に拍子抜けした表情でゲブルを見やった。
「女の子相手にやりすぎだ……縄を解いてやれ」
「ですが兄貴、女だからって油断すると痛い目を見るかも知れやせんぜ。ほら、姐御とか……」
手下を引き連れて屋敷に挨拶に来た際、強盗と間違われ、クリムの召喚術でめった打ちにされた事のあるゲブルはぶるりと背筋を震わせた。
「確かにな……」
腕を組み頷いたリイトは厳しい顔のまま少女に近寄ると、へたり込む彼女に視線を合わせて問う。
「君は何者だ?」
「ひぃっ! ごめんなさいごめんなさい!」
「落ち着け。名前は言えるか?」
「ヘルガ! ヘルガです!」
「ヘルガ、君は何の用でこの屋敷に来たんだ?」
「先日見かけた術士様がこの屋敷に住まわれていると聞いてお願いをしに……ごめんなさい! 許してくださいぃ!」
ヘルガと名乗る少女はチンピラに捕まったのがよほど怖かったのだろう、それ以上は謝罪を繰り返すばかりで話にならない。
リイトは溜息をつくとゲブル達を下がらせ、縄を解いた。
「ほら、泣くな。奴らが手荒なことをして悪かった。だから落ち着いてくれ」
「は、はい……」
縄を解かれた事でようやく落ち着いたのか、何度かしゃくり上げながらも涙を拭き、立ち上がる。
「それが侵入者?」
と、頬に米粒を付けたクリムがユーリを伴って庭に現れた。
黒色の三角帽とマントを目にし、ヘルガの目が輝く。
「やっぱり! あの時空を飛んでいた術士様ですね!」
「うっ……そう、だけど」
尊敬の眼差しで見られながら、クリムの歯切れは悪い。
ウイヴルと戦った時の事を言っているのだろう。しかしアレは風精の暴走で空に打ち上げられていたような物だ、飛んでいたというより飛ばされていたと言う方が正しい。
「風精を操って空を飛べるような
「弟子ぃ!? いや、私だって見習いだし……」
「見習いでそれほどの召喚術を……!? すごいです! 天才です!」
「い、いやぁ……それほどでも無いっていうか。まぁこれでも
「帝都学院の方なんですか!? やっぱり凄い方だったんですね!」
「んふふ……」
最初の気まずそうな照れ笑いはどこへやら、クリムの表情は得意げな含み笑いに変わっていた。
クリムの性格もあるだろうが、なんとも『よいしょ』が上手い少女である。自覚的にやっているとしたら相当な悪女だ。
「弟子に、と言うことは君も召喚術士なのか?」
リイトが問うと、ヘルガは姿勢と服装を正してお辞儀を一つ。
「申し遅れました、わたしは精霊遣いのヘルガと言います。下流側を中心に湯屋をやっています」
湯屋といえば最近になって件の宿屋が契約したという、風呂桶の水を温める仕事だ。
召喚術士の小銭稼ぎと言っていたくらいだから、大した額を稼げる仕事ではないのだろう。ヘルガの服装は、下流民にありがちな仕立ての悪い布服である。
「それでクリム、彼女を弟子にするのか?」
照れてユーリの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回していたクリムに水を向ける。二人はこの数日で姉弟のように仲良くなっていた。これもユーリの真面目さと素直さ故だろう。
クリムはユーリの手を握ったまま向き直った。
「私も見習いだから、正式に弟子にする訳には……そもそも貴女は私に弟子入りしてどうしたいのよ」
「その、私は下流の孤児院出身でして……たまたま召喚術の才能があったから、成人してからは湯屋をして、一部を孤児院に寄付しながら生計を立てていました」
ユーリの手に力が入る。彼の境遇を聞いていたクリムは、安心させるようにその手を握り返した。
「ところが最近、孤児院の子供が増えて、運営費が足りなくなってきたそうなんです。私の召喚術が上手くなれば、もっと良い仕事につけて、寄付金も多く出来るかと……」
それは良い考えだ、とリイトが頷く。ユーリの話を聞いて、孤児をなんとかしてやりたいと思っていた矢先の話である。ぜひとも手を貸してやりたい。
「クリム、なんとかしてやれないか?」
「それなら良い考えがあるわ」
と、クリムが手を打つ。その顔には人の悪い笑みが張り付いていた。
「貴女、私の実験台になりなさい」
◆
例えば風精であれば、風の流れのある場所や高所である程、召喚が容易となる。
この原則は精霊遣い達の間では常識であるが、中には例外も存在する。場所によっては風の淀んだ洞窟の中でも風精を呼び出せたり、乾いた土地でも水精を喚び出す事が出来るのだ。
そうした場所のことを召喚術士達はマナスポットと呼び、精霊遣いだけでなく、神話の詠い手や
余談だが、帝都も巨大なマナスポットであり、遷都の理由の一つにそれが挙げられている。
「その原理を調べて、人工的にマナスポットを作ろうって言うのが私の研究よ」
得意気に語るクリムを四つの目が見つめる。内二つは瞳を輝かせて、もう二つは疑問符を浮かべて、だが。
リイトとヘルガである。ユーリは使用人としての仕事に戻ってもらっていた。
「私が着目したのは『魔力』よ。ヘルガ、貴女は魔力についてどこまで知ってる?」
急に話を振られ、ビクリと震えると前のめりになっていた姿勢を正し、ヘルガがつっかえつっかえ言葉にした。
「えーっと、あらゆる生物が持つ力で、召喚術においては……パスを通って来た被召喚物を、この世に……現世に顕現させるエネルギー、です」
「まあその理解で概ね正しいわ。魔力は『この世在らざる者』の力を受けて変質し、対応した現象を起こす……」
ここでクリムは一口紅茶を含み喉を潤す。
そんな彼女を見つめるヘルガの喉がゴクリと鳴った。
「普段私たちは、体を流れる魔力を使って召喚術を使うわ。そして消費された魔力は体を休めたり、物を食べることで回復する。物を食べて魔力が回復するのは良いわ、魔力はあらゆる生物が持つのだから、それを摂取すると魔力が回復するというのは理にかなってる。じゃあ、体を休めると魔力が回復するのは?」
「別の要因があると言うことか?」
「そうよ、その要因こそが土地の持つ魔力よ。生物だけでなく、無機物も魔力を持つと考えたの。そしてその魔力を多く持つ土地こそ――」
「マナスポット、と言うわけですね」
その通り、とクリムが指を鳴らす。
「それで、そのマナスポットとヘルガの悩みに何の関係があるんだ?」
元はといえばクリムの実験を手伝うことがヘルガの修行になるという名目で、この講義を始めたはずだ。まさか「召喚術を上手く使うなら、マナスポットに行きなさい」などと言うわけでもないだろう。
「始めに言ったでしょ、私の研究はマナスポットを人工的に創りだすこと。場を整えてやることで召喚術の成功率を上げるのよ」
「場を整える……ですか?」
「そ、召喚術が上手く使えない理由の一つは、魔力を召喚術に変換する効率が悪いのに原因がある事が多いの。変換効率が悪いなら、もっと多くの魔力を使って召喚術を行えばいいっていう、単純な発想ね」
「そのための魔力を土地から吸い上げる……という事ですか?」
「簡単に言えばそんな所ね。論より証拠、私の研究を見せてあげるわ」
クリムの後に続いて二人が向かったのは彼女の研究室である。地下室を改造した石造りの部屋に明かりを灯すと、本棚に納められた本や、机の上に散乱する何枚ものメモが浮かび上がる。そして部屋の中央に描かれていたのは、四人掛けのテーブル程もある召喚陣であった。
クリムは机の上の水差しからコップに水を注ぐと、召喚陣の上へ立たせたヘルガにそれを持たせる。
「まだ実験段階だけど、この場所では普段よりも魔力の回復が早くなっているはずよ。水精を喚び出して、その水を操ってみて頂戴」
「は、はい!」
言われ、ヘルガがコップを持つ手に力を込めた。するとコップの中の水が軟体生物めいて動き出し、コップの縁から顔を出すと彼女の腕を這いまわり始めた。
「おお……!」
超常的な現象を目の当たりにしたリイトが声を上げる。水の蛇はするすると腕を伝い、彼女の首を一周してコップに戻った。ヘルガがふぅと息をつく。
「水精の使役に関してはなかなか器用じゃない」
「はい、それだけが取り柄でして……」
「じゃあ次は風精も一緒に喚び出して、水を浮かせてみて」
ヘルガは頷くとコップを見つめ、眉間に皺を寄せる。先以上に手の力が強まるのが分かった。
コップの中で鎌首をもたげた水蛇がゆっくりと体を持ち上げる。体を伸ばしていく蛇は空中の見えない足場を這うが如く、徐々に体を伸ばしていった。
コップから十数センチ立ち上がった所で、水の先端が傘のように開き始める。水はドーム状に広がりながら膨らみ、ついにはコップの水全てが半球形となって宙に浮いた。
「まるでクラゲだな」
リイトのつぶやき通り、水の傘はクラゲのような動きでふわふわと宙を舞っている。
「動きを安定させて、同じ場所に留めるの」
返事をする余裕が無いのか、ヘルガはじっと水のクラゲを凝視しながらクリムの言葉に頷く。クラゲは小刻みに揺れながら、少しずつ彼女の眼前にとどまり始めるが、
「あっ」
ヘルガが小さく漏らした瞬間、大きく形を歪めると、水飛沫となって彼女に降り注いだ。
「うぅ……冷たいです」
「上出来ね、どう? いつもと何か違う感覚はあった?」
タオルを差し出してクリムが問うと、短く礼を言ってそれを受け取る。
「はい、いつもより精霊が素直になった気がします!」
タオルで体を拭きながら、ヘルガは顔を上気させ興奮気味に言った。クリムはなるほどと手元の紙に何かを書きつけていく。
「他の精霊に関しても同じようにやっていきましょう。魔力変換のコツを掴めば、他の場所で召喚術を使っても上手くいくようになるわ」
「はい! 頑張ります!」
しかし鼻息荒く拳を握るヘルガのテンションは、次のクリムの言葉で一気に急下降する事となる。
「それじゃあとりあえず日が暮れるまで練習しましょう。大丈夫、魔力が尽きてもすぐ回復するはずだから。あ、一つ実験が終わるたびに聞き取りもするからね」
リイトは顔を青くするヘルガに同情しながら、何か精の出る食事でも作ってやろうと、地下室を後にしたのであった。
◆
それからというもの、ヘルガは湯屋の仕事の合間を縫って屋敷に訪れるようになった。
修行という名の実験は、最初のようなコップの水を使った物を始め、蝋燭の火を業火にしてみたり、地下室の石壁を操作して空間を無暗に広げてみたりと多岐に渡った。そして数日経った頃には、ヘルガが何かコツを掴んだのか、それともクリムのマナスポット改良が上手く行っているのか、大抵の試験はクリア出来るようになったのである。どちらにせよ、元々素質のあった水精召喚に至っては、平場でのクリムに並ぶ程の実力を手に入れたのだから、ヘルガの努力は認められて然るべきだろう。
しかしどれだけ努力を繰り返しても、擬似マナスポットを出た途端、ヘルガの召喚術は不安定になるのであった。
「コツは掴めてると思うんだけどなぁ」
クリムの言葉に、小さな庭の井戸の横、焚き火を前にしたヘルガがしょんぼりと項垂れた。
顎に手を当てて考えこむのはクリムだ。パスはきちんと繋がっているようだし、本人の魔力も少ないわけではない。擬似マナスポットの中での魔力変換効率は悪くないのに、そこから出ると同じことが出来なくなる。
「先生が居れば、もう少し詳しく教えてくれるのだけど……」
こうなってしまうと彼女にはお手上げである。つい弱音も零れるというものだ。
「……ごめんなさいクリムさん。私が不甲斐ないばかりに」
「そんな、練習すればきっと上手くなるわ。もう一度、落ち着いてやってみましょう」
「えっと、でも、そろそろ仕事に行かなくちゃいけないので……」
申し訳なさげに眉尻を下げるヘルガの表情は暗い。
「そう、なら……仕方ないわね。また明日頑張りましょう」
「はい、また明日」
ヘルガはペコリと頭を下げると、肩を落として屋敷から出て行った。
「今のは良くないな」
気まずそうにそれを見送るクリムの背に声がかけられる。
ハッと振り向くと、そこに立っていたのはリイトだ。
「弱気は伝染する。特に教える側がそれではな」
「でも、こうまでして上手く行かないと……」
「君は優しいな」
項垂れるクリムの頭をリイトが優しく撫でた。驚いて顔を上げれば、そこには優しく笑む彼の顔があった。
「君の目的は擬似マナスポットの検証なのだろう? マナスポットの中で彼女の術が上手く行っているのなら、君の研究に関しては証明されたと言っていい。外で召喚術が上手く行かずとも、それは君の責任じゃ無いはずだ」
「それはそうだけど……」
「そんな彼女を見て、なんとかしてやろうと悩む君は立派だ。だから、そう弱気になるな」
「リイト……」
リイトはクリムの頭に手を置いたまま、ヘルガが去っていった方向を見つめていた。
「明日一緒に彼女の事も励ましてやろう。諦めない心があれば、いつかは上手くいくものだ」
しかしその日以降、ヘルガが屋敷に来ることは無かった。
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