第八話 召喚術士は抱えていた事情を打ち明けました
ミネルヴァが火事の消火と住民の救出を行っているとクリムから聞いたリイトは、自分もそこに加わるべく破壊の跡を引き返していた。もちろんクリムも一緒である。
火事の炎など物ともしないエイユウスーツの性能を活かし、リイトが燃え盛る建物に侵入すると、主要な柱を破壊して安全に倒壊させ延焼を防ぐ。リイトが脱出した後はクリムが精霊を巧みに操り火を鎮火させた。
超人的な力を持つリイトにすれば、瓦礫の撤去はそれ以上に容易いことだ。破壊が一直線に続いた事から、住民の救出などは思った以上に短期間で終了した。それでも反対側から同じような救出活動を行っていたミネルヴァと合流出来たのは、空もすっかり白み始めた頃だったが。
「どうやら、そちらも片付いたみたいね」
やや薄汚れた格好で言うミネルヴァの後ろに立つ――否、浮いている男に気づきリイトが目を剥いた。
男は夜のように黒いマントと曇りひとつない金の甲冑を身に纏い、ミネルヴァの物と似た仮面を着け、二刀を佩いた騎士であった。クセを持ちながらも貴公子然として流された髪と、仮面の向こうからこちらを射抜くように見つめる瞳は、マントと同じく深い黒をしていた。
「あの方は先生が使役する『騎士王』の分霊よ、リイト」
その様子に気付いたクリムが解説する。なるほどと頷くと、騎士王の分霊はニヤリと笑み、マントを翻して消えた。
「クリムは俺をああいうものと勘違いしていた訳だ」
「うぅ……もうその話は止めてよ」
バツの悪そうな顔でそっぽを向くクリムと、それをクツクツと笑うリイトの姿に、今度はミネルヴァが驚く番だった。
「貴方達、何かあったの?」
答えたのはリイトだ。
「ああ、一つ約束をな」
「まぁまぁまぁまぁ!」
そう言って手を合わせて破顔するミネルヴァの仕草は、なんだか近所の世話焼きおばさん臭い。二十二で『導師』になったとクリムは言っていたが、いったい今は幾つなのだろう。
リイトの疑問を他所に、ミネルヴァはすすとクリムに顔を寄せ、
「貴女の歳じゃ仕方無いかもしれないけれど、一回ヤっただけの相手を『運命の殿方~』なんて、勘違いしたらダメよ?」
「何を勘違いしてんのよ! 違うわよ!? 私の目的にリイトが協力してくれるって約束をしただけ!」
顔を真っ赤にしたクリムが口角泡を飛ばした。
その様子にゲラゲラ笑うミネルヴァを見て、からかわれたのだと悟ったクリムはますます臍を曲げてしまう。
「これくらいの下ネタでスネちゃうなんて、まだまだお子様ねぇ。ま、今は機嫌を直して頂戴な、宿に戻って朝食でも頂きましょう?」
女性の下ネタに慣れておらず、どう反応していいか迷っていたリイトは、その提案に一も二もなく賛同したのであった。
宿のに戻り、一階の酒場で簡単な朝食を腹に納めた三人は、再びクリムの部屋に集まっていた。彼女の言う『目的』を、リイトに説明するためである。
テーブルを囲むように座り、食後のお茶を飲みながらの話は、クリムの一言から始まった。
「名前で気付いたかも知れないけど、私は貴族――伯爵家の娘なの」
クリムヒルト・フォン・バランタイン。
フォンは帝国貴族を表す称号である。
「バランタイン家は帝国が成立した頃から皇帝陛下に仕えてきた由緒ある家柄よ」
帝国は成立してから今日まで、およそ100年程の歴史がある。バランタイン家は、一地方の領主に過ぎなかった初代皇帝が周辺地域を併呑していく中で、いち早く臣従を誓い所領を安堵された家の一つである。
「バランタイン家の領地は旧都の近くで、20年程前は今のピルケのように栄えていたと言うわ。でも、帝都がベルニカに遷都してからは、徐々に衰退の道を辿っていったの」
バランタイン家当主――つまりクリムの父は、暗愚ではなかったが殊更聡明でもない凡庸な男である。彼は自領の商業が衰え、領民が流出し、税収も落ち込んで行く悪循環に、歯止めがかけられなかった。
「それでもお父様は悪政を布く事無く、領民のために必死になって領地を経営したわ。それでも生活は苦しくなる一方だった」
そこでクリムは言葉を区切る。
苦しげに眉根を寄せ、忌々しげに言葉を続けた。
「そこに、あの男は付け込んだの」
◆
遷都以前の栄華を残すバランタイン家の屋敷の門前に、悪趣味なほど華美な装飾を施した一台馬車が乗り付けた。
何の先触れもなかった来訪者に警戒する衛兵の前で、由緒ある貴族であれば下品さを感じる成金趣味な馬車から降りてきたのは、でっぷりと太った豚のような顔にそこだけは獲物を狙う蛇が如き目をした男であった。
本来ならば門前払いする所だが、衰えていく一方のバランタイン家を救う方法を持ってきたと言う男の言葉を無視できず、衛兵が使用人に命じて主へと取次ぐと、藁でも縋る思いだったクリムの父は男を屋敷へと迎え入れた。
「バランタイン様。まずは突然の訪問をお許し下さい」
慇懃に頭を下げる男は、遷都のどさくさで富を築き、爵位を買った新興貴族マルティバ家の当主、モルド・マルティバ子爵であった。
「本日はバランタイン様に良いお話を持って参りました」
「良い話、とな」
「遷都からこちら、バランタイン様の領地からは徐々に人が居なくなり、税収が落ち込んでいらっしゃるとか。その所為か、陛下からの覚えもあまりよろしく無いご様子」
肉に埋もれそうな眼窩の奥で、爬虫類じみた瞳が細まる。
マルティバの言う事は真実だ。じわりじわりと生活は苦しくなっていき、領都は寂れる一方。領内の農村ですら、若者たちが新都での成り上がりを夢見て村を出て行ってしまったため、働き手が不足している有様だ。
前皇帝の領土拡張施策によって国境線が書き換わった結果、現在の帝都の位置は防衛上好ましくないと、新皇帝は遷都を決断したと言われているが、その裏には帝都近辺に領地を持つ有力貴族の力を削ぐため、という思惑もあったと噂されている。
早くから初代皇帝に味方した、という理由だけで力を持っていたバランタイン家は、初めから皇帝に目をつけられていたと言うわけだ。
「さらにバランタイン家には男子の跡継ぎがいらっしゃらない……」
これもまた正しい。
第一子のクリムヒルト、第二子のブリュンヒルデ、どちらも娘である。帝国法では女子でも爵位を継ぐことは可能だが、未だ女性の地位が高くないこの国において、男子の世継ぎが居ないというのは風聞がよろしくない。
またその娘のクリムヒルトも、召喚術士になるなどと言って家を出てしまった。帝都で婿でも捕まえてきてくれればと、快く送り出したまでは良かったが、学院一の秀才などと煽てられ、ますます召喚術にのめり込んでしまっている。浮いた話は一つも寄越さないどころか、殆ど帰省もしてこない。
妹のブリュンヒルデは姉に変わり、家を継ぐと言って努力している様子だが、古い時代の貴族――つまりは帝国成立時のソレに憧れている節があり、戦場で武勇を上げようと剣ばかり振り回している。現代の貴族社会において、そんな女性と結婚したいと考える貴族子弟は稀であった。
様々な不安に思いを馳せ、彼は重々しく「うむ」とだけ答えた。
「このままでは、陛下からどのような沙汰が下るか、分かりませぬぞ」
「確かに当家の力は遷都によって落ちただろう。男児が居ないのも確かだ。だがその程度で陛下がバランタイン家を取り潰すなどあり得ぬ」
それは失言であった。
バランタイン伯の中に燻ぶる不安が、思わず口に出てしまった結果だった。
その隙を、この蛇のような目は見逃さなかった。
「おやおや、バランタイン家が取り潰しになるなど、私は一言も言ってはおりませぬが……そこまで思いつめていらっしゃったとは、やはりバランタイン様もご不安な様子」
「む……」
確かにその程度でバランタイン家が取り潰しになるなどあり得ないだろう。だが現皇帝は100年の内に凝り固まった帝国を革新しようと考えている節が在る。既に賄賂や横領などを働き、腐敗していた貴族家の幾つかが改易されているのも確かであった。
遷都や跡継ぎ問題でナイーブになっていたバランタイン伯が、継ぎは我が身と考えるのも無理はなかった。
「そこで、提案がございます」
その不安に付け入る絶妙なタイミングで、マルティバ子爵は言った。
「マルティバ家は新興ながら、陛下から格別の支持を頂いており、宮廷にも伝手があります」
子爵は言うが、何ということはない。爵位を金で買った男に帝国への忠誠心は無い。改革を進める上で金が必要な皇帝は、それを承知で彼に適当な爵位を与え、金蔓にしているだけである。
もちろん皇帝からの扱いにマルティバは気付いていた。マルティバ家をさらに大きくするためには皇帝から侮られない程度の家格が要る。そして、帝国成立から続く名門バランタイン家には、それがあった。
「我が息子を、ご息女の婿養子にされてはいかがでしょう。当家との繋がりがあれば、陛下もバランタイン家を無下にはできますまい」
バランタイン伯は腕を組み、難しそうな顔で唸っている。だがその心が揺らいでいる事が、マルティバには手に取るように分かった。
「当家の財力があれば、バランタイン領の立て直しも捗る事でしょう。ぜひともバランタイン家とマルティバ家で、共に帝国を盛り立てて行きましょうぞ」
◆
「そして私は実家に呼び戻され、無理やり見合いをさせられたわけ。ホント、見たことも無いほど悪趣味な馬車が
そこでクリムは言葉を区切るとお茶を一口啜り、
「それで、クリムは結婚するのか?」
盛大に吹き出した。
「そんな訳ないでしょ! 誰があんないけ好かない豚顔息子と結婚するもんですか! 婚約なんて蹴飛ばして、帰りの馬車も断って一人で逃げてきたの」
服の袖で顔を拭いながら、リイトが問を重ねる。
「では、話に出てきた妹が?」
「そんな事させないわよ」
彼女の言葉に首を傾げたリイトへ答えたのはミネルヴァだった。彼女の眼前にはクリムの吹き出した紅茶が水球となって浮いている。体に掛かる前に水精を喚び出して操作したのだ。水球はポチャリとクリムのカップへと戻った。クリムは嫌な顔をした。
「十中八九、そのマルティバ子爵はバランタイン家を乗っ取ろうとしているわね。婿養子として爵位を継ぎ、バランタイン家を好きに操ろうとしているの」
「先生の言う通りよ。領地に引きこもっているお父様は知らないようだったけど、帝都で調べれば子爵家の前身であるマルティバ商会の黒い噂なんて、いくらでも出てくるわ」
遷都のどさくさで成り上がったマルティバは、そこからも詐欺まがいの商売や談合などで金を稼いでいた。後ろ暗い商売をしている店に行けば、どこもかしこもマルティバ家の匂いを漂わせている。
「それは親父さんに言ったのか?」
「言ったわよ! でもすっかり騙されているお父様は、私の言葉に耳を貸そうとしないの!」
では、どうするつもりだ? と言いたげに、リイトは激昂するクリムへ視線を戻す。
「お父様が心配してるように、バランタイン家が取り潰されるなんてあり得ないわ。けど陛下からの覚えが良くないのも事実。だから私は宮廷術士になって宮廷に入り、そこで信用を得ようと考えたのよ」
見習いであろうと、学院で結果を出せば宮廷術士に取り立てられることは多々ある。宮廷術士になったからと言って皇帝と直接会えるわけではないが、宮廷に住み込み研究を行う宮廷術士ならば、帝国の重鎮や他領の貴族とも面識を持てる。そうすればバランタイン伯も安心し、あのような甘言に騙されることも無くなるだろう。あわよくば家を継ぐと豪語している妹のために、信用できる結婚相手も見つけられるかも知れない。
そして秀才とまで呼ばれるクリムには宮廷術士になる自信があった。だが――
「私が実家に戻っている間、学院での研究発表会の日付が変わったの。どうやっても私が間に合わない日にね。発表会への不参加なんて、宮廷術士を目指す学生にとって、あり得ない『失点』よ」
これも恐らくマルティバの策略だろう。担当者を買収し、日付を変えさせたのだ。
「それについては私にも責任があるわ。日付の変更には何度も抗議したのだけれど……恐らく学院の上層部にもマルティバの息の掛かった人間が居るわ」
来年の研究発表会を待つことも出来るが、マルティバがその間にどんな手を打ってくるか分からない。実家の妹はそう易々と騙されるタマじゃないが、万が一という事もある。
「それでも、足踏みしている暇は無いわ。何とかして今の研究を完成させれば、きっと宮廷術士への道も開けるはず……」
その為には一刻も早く学院に戻り、研究の続きに着手しなくてはならない。
「なるほど……だが召喚術の研究となると、俺に手伝えることは無いぞ」
「いいえ、私の研究をマルティバはきっと妨害してくるわ。だからリイトにはその間、私と研究成果を守ってほしいの」
リイトの力があれば、物理的な妨害に関しては完全にシャットアウト出来るだろう。
「でも、それだけでは不安だわ」
言うのはミネルヴァだ。
「どういう事? 先生」
「学院には既にマルティバの手の者が居るのよ、貴女自身へ危害を加えることは出来なくても、今回のような妨害をしてくる可能性はあるわ」
「それは……」
思いつく限りでも、学院の管理する研究室や備品を使えなくしたり、研究時間を取らせないよう雑事を押し付ける等、様々な妨害方法が思い浮かぶ。ともすれば学院内での発表会で、不当な評価を下すことだって出来るかもしれない。
言われ、考えこむ二人だったが、言った当人であるミネルヴァが口元に浮かべるのは笑みだ。
「だからいっそ、学院の外で研究をしてしまいましょう」
◆
翌朝、話をつけてくると出て行ったミネルヴァを待ち、昼過ぎになって帰ってきた彼女に連れられるまま三人が訪れたのは、宿からさほど離れていない場所にある一件の屋敷であった。
バランタイン家の屋敷には遠く及ばないが、街の下流側にあるとは思えないほど立派な門構えをしている。
長らく人が住んでいなかったためか、少々薄汚れてはいるものの、掃除をすれば十分使えるだろう。
「どうしたの? このお屋敷……」
驚愕するクリムに向け、仮面の奥でウィンクすると、ミネルヴァは経緯を話した。
「昨日の怪人騒ぎの時に、とあるご老人を助けたの。聞けば、遷都以前に建てはいいけれど、街の中心が移って使わなくなった屋敷の様子を見るために上流側からやってきて、そこで騒ぎに巻き込まれたらしいじゃない。それで、何かお礼がしたいって連絡先を教えてくれていたから、今朝お願いに行ったのよ。ご老人も丁度この屋敷を管理する人を探していたみたいで、住んでくれるならタダで貸しても良いと言ってくれたわ」
既に鍵を預かってきていたミネルヴァに促され、門扉をくぐり屋敷の中に入ると、然程大きくはないが玄関ホールがあり、奥には幾つも部屋があった。敷地内には召喚術の実験にも耐えられそうな石造りの地下室まである。
「ここに二人で住んで研究を続けると良いわ。資料なら私が学院から送ってあげるし、研究費も多少は融通出来る」
「そんな、先生にそこまでしてもらう訳には……」
「私も責任を感じてるって言ったでしょ。それに、貴女の研究には興味があるわ」
ミネルヴァはクリムの肩を掴むと、顕になっている口元に真剣な表情を浮かべる。
「研究を完成させて、宮廷の研究機関に直接売り込むの。そうすれば、きっと宮廷術士に取り立ててもらえるはずよ」
「先生……」
肩から手を離し、振り向くのはリイトの方だ。
「リイトさん、クリムの事をしっかりと守ってあげて」
「ああ、任せてくれ」
「あ、でもリイトさんが襲っちゃうのはアリよ。宮廷術士になるのにおぼこじゃ格好付かないしぃ……」
さっきまでの真剣な表情はどこに行ったのか、相好を崩してしなを作るミネルヴァに、顔を赤くしたクリムが食って掛かる。
「それは宮廷術士と関係ないでしょ!」
「わ、分かった」
「リイトも分かるな!」
「やあねえ処女は。余裕がなくて」
「あーもう、いい加減にしろぉ!」
こうして、リイトとクリムの、屋敷での生活が始まったのであった。
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