第七話 異世界のヒーローを待ち受けていたのは異世界の怪人でした
建物の燃える匂い。
破砕される木材や土壁の崩落音。
逃げ惑う人々の悲鳴。
思い出されるのは六年前。
古代の地層から甦った邪竜帝国が現代人の戦闘力を計るため、災害に見せかけてリイトの住む街を襲ったあの日。何も出来ず、妹と抱き合いながら両親の殺される姿をただ眺めることしか出来なかった無力な自分。際限なく溢れ出る孤独感と絶望感に泣きながら復讐を誓った夕暮れ。リイトはそれらを今でもはっきりと思い出せる。
強化された脚力に任せて道を駆け、家々を飛び越えて真っ直ぐ進む彼の表情は、ヘルメットのバイザーに隠れ伺えない。それでも、その身から湧き上がる闘志の奔流は誰の目にも明らかだった。
破壊は一度目の轟音が聞こえてきた場所から、街の外へと向かって続いている。リイトはその道中で、瓦礫に挟まれた老人や火災の中に取り残された子供などを助けながら、少しずつ破壊の爪痕を辿っていく。
破壊は徐々に激しさを増し、ついには周辺一帯が完膚なきまでに破壊されてできた広場へと辿り着いた。
幸い完膚なきまでに破壊されていることから、これ以上火が燃え広がる心配は無いだろう。
この辺りまで来ると轟音に気づいて巻き込まれる前に逃げ出せたのか、取り残された住民は居ない。
だから人気のない広い空間で、リイトはソレと対峙した。
一言で言えば人間大で手足の生えた蛇だろうか。ワニのような頭、大きく開かれた口には鋭い乱杭歯が立ち並び、瞳は暗闇の中で赤々と光っている。太い首の下にある肩は筋肉で盛り上がっており、無数のスパイクのような鱗がびっしりとその上を覆っていた。胴体は長く、足はやや短いが、どこも蛇のようなしなやかな筋肉と鱗に覆われ、地面に付くほど長い腕にも同じような鱗とスパイクが生え揃っている。長い尾の先はまるで銛のような鋭さだ。
リイトはその姿に見覚えがあった。
あれは間違いなく、邪竜将軍ファブニールの生み出した怪人、リントヴルム。
「そんな、お前は俺達が倒したはず……」
「ググ……」
動揺するリイトを嘲笑うかのようにリントヴルムが唸る。
赤い瞳に宿るのは狂気と憎悪か、過去に戦った時と違い一欠片の理性も感じられない。
だが姿形は紛れも無く怪人のソレだ。そして怪人を生み出せるのは邪竜皇帝と五大幹部だけ。
「まさか、ファブニールはまだ生きているのか……?」
信じたくはないが、リイト自身時空爆発に巻き込まれながらもこうして生きているのだ、その可能性は否定出来ない。
と、思考を巡らせていたリイトを敵だと判断したのか、それとも破壊衝動による反射か、リントヴルムは指先から鋭い爪を生やし、こちらへと躍りかかってきた。
瞬時に思考を戦闘用へと切り替え、鋭い爪の一撃を転がり避けると、リイトは腰に提げたバルムンクを抜き放つ。
追い縋ってきたリントヴルムの連撃を鋭い剣捌きでいなし、反撃の突きをお見舞いするが、これは硬い鱗で受け流されてしまった。
素早くバルムンクを引き戻し、次は鱗の間を狙った斬撃を放とうとしたリイトだったが、視界の端で動いたリントヴルムの尾に反応し、素早く後ろに下がる。その直後、リイトの眼前を鞭のようにしなる尾が切り裂いた。
「チッ……」
リントヴルムは特殊能力を持たない、ただ強く硬いだけの怪人だ。五人で戦った時は手数の差で押し切ることが出来たが、一人になった今ではその単純さが逆に脅威であった。
その後も何合か爪と剣を打ち合わせる怪人とヒーローだったが、互いに決定打を打てず場は膠着状態に陥る。
両者は一度大きく撃ちあうと互いに距離を取り、睨み合った。
隙を探りあい、ジリジリと間合いを探る中、先に均衡を破るべく動いたのはリントヴルムの方だった。
「グガガッ!」
一つ嘶き、大きく腕を広げたリントヴルムがその場で回転を始める。
「まずい!」
回転は徐々に早くなり、さながら爪撃の竜巻と化した怪人は、残像を残すほどの速度で、広場の中を縦横無尽に駆け回り始めた。
瓦礫が吹き飛び、旋風に煽られた炎は勢いを増す。爪の一撃で地面は捲れ、その勢いは岩をも断ち割るほどだ。
ほとんど無差別な攻撃を必死になって躱すが、こうなってしまったら止める手段は少ない。何度かバルムンクで打ち掛かるも、勢いの乗った回転に弾かれてしまう。
「なんとかヤツの足さえ止められれば……」
旋風を避けながら呟いた時だった。
「土精よ!」
凛とした声が広場に響く。
すると地面が盛り上がり、リントヴルムの前に分厚い壁が立ちはだかる。
「グオオオ!」
土壁は回転の勢いこそ止められなかったものの、一時的に移動を止めることに成功した。
「絡め取れ『茨の女王』!」
そして足の止まったリントヴルムに地面の召喚陣から現れた紫の茨が絡みつき、何度か千切り切られながらも回転を弱め、拘束する。
「リイト様、今です!」
「分かった!」
その声に応え、リイトがバルムンクを大上段に構えた。
リイトの体から溢れる勇気が青い光となりバルムンクへと集まると、そこに形成されるのは光の巨剣だ。火吹き大蜥蜴を断ち割ったあの技である。
「グガアアアアア!!!」
リントヴルムがもがき、茨が一本、また一本と千切れていく。が、もう遅い。
掲げていた巨剣を八相に構え、大地を蹴ってリイトが駆ける。
重さを感じさせない速度で飛び上がり、勢いを乗せて巨剣を振るう。
「邪竜両断! ジィィィィィィク・スラッシャァァァァァァァ!」
気勢を上げて振り下ろされた蒼き巨剣は流星の如き残光を残し、リントヴルムの体を茨ごと真っ二つに断ち割った。
「グギャアアアアアアア!?」
断末魔を上げ、リントヴルムが爆発四散する。真っ黒な爆炎は火柱となり、天をも焦がす勢いで渦巻くと、幻のように消え去った。
後には灰も残らない。
◆
リイトがバルムンクを鞘に収め変身を解除すると、瓦礫の向こうから先ほどの声の主――クリムが姿を現す。
「助かったよクリム。感謝する」
リイトが感謝を述べるが、クリムに反応はない。
「クリム?」
誰もいない、破壊されきった瓦礫の広場で二人が向かい合う。
燃やすものが無くなり火事も自然鎮火した今、広場を照らすのは柔らかい月明かりだけだ。
月光に照らされたクリムの表情は硬く、どこか思い詰めているようにも見える。
無言で向き合ったままどれだけ時間が経っただろうか。言葉を選ぶようにして、クリムが口を開いた。
「貴方が……」
満月に雲が掛かる。
光が消え、もはや彼女の表情は伺えない。
「貴方が復讐を果たせたのは、目的を遂げられたのは、その力があったから?」
力。
エイユウスーツが齎す、ジーク・ブルーとしての超人的な能力。
これまでの、わざとらしいまでにへりくだった敬語ではなく、彼女の本心から出る言葉。
その様子から彼女の真剣さを感じ取ったリイトは、しかし何の気負いも無いすっきりとした声音で答えた。
「そうだな……この力がなければ、俺はファブニールの前に立つ事すら出来なかっただろう」
表情は見えずとも、クリムの気配が変わるのが分かった。
彼女から感じるのは絶望と嫉妬。
強大な力を軽々と、惜しみなく振るう彼に、人知れず抱いていた感情。
ギリ、と歯を軋ませる音が聞こえた。
「じゃあ力のない私は、どうやって目的を遂げればいいの?」
涙を堪え震えるその声に、リイトが応える。
「だが、力だけでも奴には勝てなかった」
「でも、貴方は復讐を果たしたわ」
「力だけじゃない……俺には仲間が居た」
神話戦隊エイユウジャー。
邪竜帝国を倒すという目的を掲げた四人の仲間達が、彼には居た。
「俺の手に入れた力はたしかに強力だろう。だがどんな力にも限界はある」
それを知ったのは、両親の仇を追う内に知り合った羽場博士から、初めてエイユウギアのプロトタイプを受け取り、一人で怪人と対峙した時の事だった。
ジーク・ブルーの力を持ちながら、リイトが初めて怪人と相対した時に抱いた感情は、恐怖だった。
スペック上では一対一で並の怪人なら圧倒できる力を持ちながら、リイトは苦戦し、怪人を追い払うことは出来ても倒すことは適わなかった。
「恐怖を克服しなければ、人は壁に立ち向かえない。その恐怖を打ち払う力こそ、勇気だ」
憎悪はあった。覚悟もあるつもりだった。それでも、壁に立ち向かうことは怖かった。
「壁を超えるためには力が必要だ。壁に立ち向かうためには勇気も要る。そしてその両方を与えてくれるのが仲間だ」
そこでリイトは言葉を区切り、過去を懐かしむような表情で、続ける。
「それを教えてくれたのが、スサノオ・レッド――山本タケルだった」
リイトに続いて羽場博士にスカウトされたタケルは、復讐のために様々な武術を修めてきたリイトと違い、戦いに関しては素人だった。それでも初めて二人で怪人と戦った時、彼は臆する事無く壁へと立ち向かったのである。
「怖くないのか? そう聞いた俺にタケルはこう言った。『怖かったぜ。でも仲間が一緒に戦ってくれてるって思ったら、勇気が出て来たんだ』ってな」
その後に続いた言葉は、今でもリイトの心にしっかりと残っている。
『何変な顔してるんだよ。同じ目的に向かって一緒に戦ったんだ、俺達はもう仲間だろ?』
一人では恐ろしくて立ち向かえない敵でも、二人なら立ち向かえる。信じられる仲間がいれば、勇気が湧いてくる。
「でも、私に仲間なんて居ないわ。一緒に立ち向かってくれる人なんて……」
きっと彼女は、これまで懸命に、一人で戦ってきたのだろう。
高く分厚い壁に怯えながら、それを押し殺して立ち向かってきたのだろう。
力のない自分に、何度も絶望したに違いない。
だから、リイトがクリムに言う言葉は一つだ。
「だったら俺が君の力になってやる。だから君は、俺に勇気を分けてくれ」
雲が流れ、月が再び顔を出す。
影は拭われ、クリムの顔が顕になった。
そこに浮かぶのはキョトンとした表情だ。
「助けて、くれるの?」
「どうやら俺にも、この世界で戦う理由が出来てしまったみたいだからな」
「理由?」
「さっきの怪物……あれは邪竜帝国が放った怪人だ」
この世界の生き物がたまたま邪竜帝国の怪人と全く同じ姿をしていたと考えるのは、都合が良すぎるだろう。となると、怪人が現れた理由は一つだ。
「恐らく、ファブニールも生きてこの世界にやって来ている」
どうやって過去に倒した怪人を復活させたのかは分からないが、リントヴルムはファブニールが生み出した眷属だ。どのようにしてかヤツもこの世界に召喚され、再び悪事を働こうとしていると考えるのが自然だろう。
「一緒に戦ってくれ、クリム」
月光を背に、リイトが大きく逞しい手を差し出す。
クリムは彼の手をじっと見つめ、逡巡する。
一つ、二つ。深呼吸をして、クリムは躊躇いがちに彼の手をとった。
「クリムヒルト・フォン・バランタイン、それが私の本名よ。今まで通りクリムでいいわ」
「藤原リイトだ。様はいらない、リイトと呼んでくれ」
「よろしく、リイト」
「よろしく頼む、クリム」
満月に照らされて、二人の影が長く伸びる。
瓦礫の街に佇む、夜闇のなかでも輝く金の髪の少女と、精悍な顔立ちをした黒髪の青年。
それはまるで、神話の中に登場する騎士と姫君のようであった。
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