遊撃隊 愛ゆえに正義を捨て、悪を振るう者 vs 愛によって悪を捨て、正義を守る者

 突き、それを薙ぎ、槍を回して、また突く。


 ……信じられなかった。


 今まで、槍を持つ者としか戦ったことが無いからなどとは思わない。

 地に這い、バク転し、かと思うと必要最小限だけ避けて、拳を叩き込んで来る。


 ……こいつの強さが異常なのだ。


 『絶対守護者ブレイク・フォー・ジャスティス』は、障害となるものをたたき折る言霊スキル


 最強と自負してきたこの技は、腕に当てれば腕を折り、足に当てれば足を折る。 ただ、当てるだけで勝てる。そのはずなのに……、


「当たらないっ……!」

「隙ぃ!」

「ごはっ!」


 再び、重く鋭い拳をもらった。


 膝を地に突きながらも、なんとか反撃の出来る体勢で踏みとどまり、私は鬼を見上げた。

 右腕が折れているのに、なぜこれだけ動けるのだ……。


「ガキはぁ、こうやって殴って分からせんのが正解~ぃ」

「くっ…………っ!」


 負けられない……。私はあの子の為に、負けるわけにはいかないんだ……っ!



 私、本多ほんだ朱埜あけのは、小学校五年生まで田舎暮らしだった。


 大好きだった学校の先生から、「みんなのために、正義のために生きなさい。悪いことは悪いと、はっきり言える人になりなさい」と教わったので、学校内で悪いことをする者を厳しく叱り、学校の外でも同じようにした。


 私と同い年の生徒は五人だけで、いつでも皆で学校内や村中をパトロールした。

 困っている人を助け、いたずらしている子供を叱り、五人が毎日一つ「村のため」になることをしていた。


 村の皆さんにはすっかり有名になった私たち五人組は、リーダーの自分が東京へ引っ越した後も活動を続けていたらしい。引っ越してから毎日のように届くメンバーからの手紙、さすがに一ヶ月も返事をしなかったら止めてもらえた。



 …………苦痛で仕方なかった。



 引っ越してきてすぐ、クラスで行われていたいじめに気が付いた。

 給食の時、女の子にシチューをよそった男子がこともあろうにその器につばを吐いたのだ。


 いままでの自分の当たり前の行動、つまりその男の子に対して怒り、女の子に謝るように言ったら、皆が揃って私を気持ち悪がった。


 助けたその子にすら、余計なことをしやがってという目で見られた。


 翌日、その子は左ほほに大きなばんそうこうを、右指にギプスをしていた。

 話しかけたらにらまれたので、それ以上何もできなかった。


 ……そしてその日から、いじめのターゲットが自分に移ったのだ。



 単に自分がいじめられただけだったら、持ち前のバイタリティーで返り討ちにしてやっていたのだと思う。ただ最初の一歩目、対応を間違えたせいで女の子に傷を負わせたことが足かせになり、甘んじていじめを受けるようになっていた。


 私のことを、活発でいつでもどこでもリーダーをしていると信じる両親には、学校での生活についてウソをつき続けた。そのせいで、相談するわけにもいかなかった。


 なんでもできた自分が、たったの一日で何もできない子になった。


 体の目立たないところに画びょうを刺され、痛くて声をあげたら授業中に変な声を出すなと先生に立たされた。

 痛みには耐えられたが、その様子を見て笑う皆に心を折られた。


 上履きはすぐに捨てられるためお小遣いで新しく買うことができなくなり、靴下が汚れると親に気付かれるからいつでも裸足でいるようになった。

 ランドセルに泥を突っ込まれ、トイレに閉じ込められ、カッターで服や体を切られるようになった。


 担任の先生に相談に乗ってやると言われて連れて行かれた指導室ではセクハラまがいの事をされ、誰かに話したら今日撮った写真を校内にばらまくと脅されて絶望しながら家に帰ったその日……、唯一の友達だった愛犬の口に、テニスボールがいくつも詰め込まれ、殺されていた。



 ……死んでしまおうと思った。



 お父さん、お母さんが仕事から帰ってくる前が良いのだろうと、なんとなくそう思ってランドセルのまま近所で一番高さがあるマンションへ向かった。


 柵を乗り越えているのに、だれも声をかけて叱ってくれない。

 自分はもう、他の誰の目にも映らない存在になったのだろう。そう思った。


 非常階段を上がると屋上へ出る柵が閉まっていたので、ランドセルを下へと放り捨ててその柵も乗り越えた。


 屋上に出ると、鹿児島にいた時の空と同じ、青い空が三百六十度広がっていた。

 ……自然と、涙がこぼれた。


 一度涙がこぼれると、途端にすべてのことが悲しくなって大声をあげて泣き出してしまった。


「だれ?」


 その時、急に声をかけられた。


 マンション内に繋がるペントハウスの陰から、自分と同じくらいの齢の子が顔を出して近づいてきた。


 自分を見つけてくれて、声をかけてくれた存在。


 そのことが私の背中を押し、気が付けば彼女にしがみついて泣き叫んでいた。


 自分のこと、学校のこと、愛犬のこと。

 小学生だった私の胸を破り割いたすべての物を吐き出したくて、大声で泣いた。


 話しをゆっくりと、始まりから今までの三ヶ月に起こったことのすべてを聴いてくれたその子はまず、自分を叱ってくれた。


 なぜ、戦わなかったのかと。

 なぜ親に、先生に、正直にすべて話さなかったのかと。


 つらいことかもしれないけれど頑張ろう。あたしも付いていってあげる。そう言って携帯電話を取り出し、家へ遅くなると電話した後、私の手を取って歩き始めた。


 まず、お母さんのパート先に行った。


 泣きながら事情を話す私の言葉の断片に表れる単語を聴いて、パート先のおばさん達が真っ青になってPTAと町内会に連絡を取ってくれた。


 お母さんは、お父さんに電話していた。


 その後、女の子はお母さんに言ってメモの準備をさせた後、私の手を握りながら、辛いだろうけど頑張って、今まであったことを全部話すようにと私に言った。

 お母さんは途中からぼろぼろに泣きながら、私の話しを書き留めていった。


 お父さんが帰ってきてお母さんとちょっとお話しをした後、私とその子をぎゅっと抱きしめてくれて、どこかへお出かけしてしまった。

 するとその子は、あたしのできることはすべて終わったわと言い、あなたは明日から学校へ行ってもいいし行かなくても構わないと言ってくれた。


 正直、もう学校へは行きたくなかったので、助かったと思った。

 そして、「でもね」と、その子はひとつ付け加えた。



 最初にあなたがやったこと。

 正義のためにやったこと。

 それを、これからも貫いていきたいの?



 どう返事をしたらいいのかわからなかったので黙ってうつむいていたら、間違っていることは間違っていると言える世界になるとしたらやってみたいかと、聞き直してくれた。

 そんなことができるのならと返事をして彼女を見ると、こう言ってくれた。


 正義のために、「暴力」を手に入れなさい、と。


 今の世界で正義を行使するためには、悪の象徴である「暴力」が必要なのだと。

 小学校へは行かなくていいから、その間、武道を身につけなさいと、そう言った。


 さらにその子が進学するつもりの高校を教えてくれて、自分は考課測定を使って東京二十三区を征服し、悪の無い世の中を作るつもりだと、そう言った。

 できればあたしと一緒に茨の道を歩いてほしいと、そう言ってくれた。



 ……だが岡崎高校でその子と再会した頃の私は、対人恐怖症を患っていた。

 そのため、その子以外の人と会話すらできないでいた。


 人と話せなければその人の心は救えない。それでは正義に支障をきたす。

 そう言って彼女は、戸田圭子が入部し、「良い部だ」と自慢してやまないソフトボール部を紹介してくれた。


 人並みはずれた反射神経と身体能力があるくせに、バットを振れば空振りばかり、球を投げればあさってに。そんな自分なのに、部のみなさんは優しく丁寧に教えてくれた。


 その気持ちにこたえようと他のみんなの倍練習したが、いつまでたっても上手くならなかった。


 何十回もバットを振ると、ようやく一球だけ当たってくれる。

 その打球はどこまでも遠くへ飛んでいくのに、そんなものはチームの勝利に役立たなかった。


 みんなは、練習熱心な私をレギュラーにと推してくれたこともあったが、悔しくて嬉しくて、泣きながら辞退した。


 では、レギュラーを目指すことなくソフトボールを続けることに意味はあるのかと悩んでしまった時も、あの子が答えを教えてくれた。


 あなたは大好きな皆を大会で優勝させたくないの? と。


 私はずっと振り続けてきたバットをトンボに持ち替え、部員の誰よりも早くグラウンドに出て、部員の誰よりも後に帰る、都内で最も長打力のあるマネージャーとなったのだ。


 部のみなさんとお話しできるようになり、無愛想ながらもそこそこ人並みな社交性を取り戻した私に、あの子は「ありがとう」と、「おかえり」と言ってくれた。

 そしてこの四月に念願だった生徒会役員へ名を連ねた私は、あの子のため、正義のために、「悪」を振るえることを、心から喜んだのだ。



 私にとって、あの子が全て。

 あの子を守ることと、私の命は同義。



「……私が貰う楽しさ、喜び、すべては利息。私はあの子に全部返す。あの子に言われて身につけた「暴力」。今こそ、あの子のために使う!」


 私は、震える膝を起して想いを叫んだ。

 だが、私の叫びにがっかりとした様子の鬼は、


「なんだそりゃぁ? ……あぁ、なるほどぉ。てめぇがガキでバカな理由は、あの松平なんたらのせぃなんだぁ」




「ぶっ殺す!」



 大会などに参加していないため世間的にはまったくの無名だが、私が師事した槍術道場では死に物狂いで腕を鍛え、師範代をも凌駕する強さにまでなった。


 遠征先では達人に「古今ここん 独歩どっぽの勇士」とまで称された技術と、さらには友の正義を守り、障害となる物を叩き折る言霊スキル、『絶対守護者ブレイク・フォー・ジャスティス』とが私に無限の強さを与えてくれる。


 激昂げっこうしているにもかかわらず、自分の体の動きは流れる水のようだった。

 軽く鋭く、そして優しい右足のステップで鬼に向かってやや左に瞬間で踏み込むと、腰溜めていたレーキの柄で、右肩を狙って大きく突く。


 鬼はこれを体半分後ろに下げつつ、さらに右肩を後ろに回すように半身をとって紙一重で避けたつもりのようだったが、レーキの柄は彼女よりもかなり離れたところへ流れていく。


 これはフェイントだ。


 私は右足を踏み込んだまま体を回転させ、完全に背中を向けたところで右の脇下から本命の、横一文字に構えられた「T字」を一気に突いた。


 が、この攻撃に鬼は反射神経ではなく経験則で反応したのだろう。

 この手ごたえは、ヤツの髪。

 既にしゃがみきって避けたためか、レーキは逆立ったままの鬼の長い髪を突いた。ならば、


「ふんっ!」


 レーキは「T字」なのだ。

 T字を縦にしながら収めれば、ヤツに致命的なダメージを……。


「むっ?」


 どれだけ場慣れしている女なんだ。この手ごたえは、拳によるはじきだ。

 しかも強烈に突き上げられている。


 瞬間的に判断し、鬼は生きている「左手」を犠牲にしてレーキの柄を下から突き上げるようにパンチしたのか。


 だが槍は、表裏どちらも攻撃手段なのだ。

 突き上げられたT字の側、これを逆らわずにそのまま回し続け、あとは体だけ鬼の方へ向きなおして柄の側で突けば決まる……。


「なにっ!」


 ……振り向いた私の顔の前に、悪鬼あっき羅刹らせつの笑い顔があった。

 レーキを弾くと同時、いや、それより前に踏み出していないと間に合わないはず。


 今、レーキは垂直に達したばかり。必殺の突きは、まだ打てない……。


 そして、鬼の左のストレートが私の顔面にめり込んだ。

 痛みも、打撃の音も、激しく揺さぶられた脳は感知できなかった。


 上も下も、右も左も分からずに地面を転がり、ようやく止まった時にはうつぶせになっていた。

 すぐに防御体勢をとりたいのに、体がいうことをきかない。


 はやく……、はやく!


 痺れて動かない四肢を気合で動かして、やっとの思いでレーキを杖に体を起すと、


「……ぐぁ……、うえっ……おぇ……」


 ……鬼が、うめいていた。


 レーキを上に弾いたということは、左手は拳ごと折れている。

 その手で、私を殴ったのか。なんという胆力。なんという根性。だが、


「……さすがの鬼も、もう無理だろう」


 殴られる瞬間、無我夢中で狙いなど付けずに柄を突き出し、偶然当たった。

 その箇所は……。


「……右腿、だな」


 立ち方で分かる。右の大腿骨がイッている。


 右の下腕、左のこぶし、右の大腿骨。これだけ折れて、立っているだけでも十分化け物だが、さすがに吐き気までもよおすほどの激痛には襲われているようだ。


「……折れると……、そうなるんだ」


 凄い敵だった。だが、あの子を馬鹿にした罪を考えればこれくらい当然だろう。

 そう考え、鬼に背を向けてよろよろと歩き始めたところへ、


「えへぇ……。まぁだだよぅ」


 そう言って、鬼はふらふらとファイティングポーズをとる。


「ばかか貴様。これ以上どうする気だ?」

「んなもん決まってんじゃね~かぁ。松平なんちゃらが小せぇせえこと言うからてめぇはひねくれたんだろぅ? だったらぶん殴って更正しなきゃよぅ」

「あの子が小さいだと? まだ言うか!」

「だってよ~。そいつおめぇに、正義のために強くなれって言ったんだろぉ? ははっ! ちいせぇちいせぇ!」


 そこまで言った鬼は何かに気付き、急に背筋を伸ばして立つと、を大きく振った。


「なっ! ………ん……!」


 バカな! 折れているのだぞ? なんでそんな真似が出来る?


 鬼が見る先に目を向けると、藪を抜けてこちらへ歩いて来る赤い髪の少女がいた。

 あれは……、


「織田……花音?」

「あぁ……。あの馬鹿はなぁ……、うちに、正義のために生きろって言って……、そんで、弱くなれって命令しやがったんだぜぇ?」

「そんな……っ! ばかな!」


 ……自分が信じてきたものを真っ向から否定する女。それが、近寄ってくる。


 亜寿沙あずさが教えてくれたんだ。

 この悪夢のような世の中を、正義に満ちた世界に変えるために「暴力」を身につけねばならないと。

 力が無ければ、何もできないではないか。あの時だってそうだった。今回だって、そうではないか。


 …………亜寿沙の隣に、生徒会の役員として並んで立つことができた幸せは、たったの一日すら続くことはなかったのだ。

 役員発表を見たぜという一本の電話をきっかけに、私はあの子の身を守るため、本物の「悪」になることを余儀なくされた。


 力さえあれば、こんなことにはならなかった。


 墨田を、いや、東京二十三区を滅ぼすことができる暴力を持っていれば、こんなことにはなっていないのだ。


「力も持たずに! どうやって正義を貫ける!」


 まやかしなどに騙されるものか。私は、鬼をにらみつけた。


 だが、この鬼は激痛のせいで意識も朦朧もうろうとしているだろうに、へらへらしながら砕けた左の手で頭を掻いて、


「正義のためにぃ、力なんかいらねぇんだよ。……試してみるかぁ?」


 口からの出まかせを、さらに続けた。

 ……だが、この言葉を聞いて、私もようやく心を落ち着かせることができた。


 そう、出まかせ、まやかし。私を動揺させるためのはったりだ。

 大きく息をついて気持ちを落ち着けたところへ、のこのこと歩いてきた女が呑気に声をかけてきた。


「あれ? みんな倒されて……、残ったの柴田さんだけなんですか? ケンカも出来ないのによく頑張ったね! それと本多さん、強いんだ!」

「……ケンカができない、だと? そいつは今までさんざん……」

「おぉともよぉ! ケンカ無しでぇ、がんばったぁ~」


 何を言っているんだ、こいつらは。


「本多朱埜さんですよね! あたし、織田花音です! 怪我してなくて良かったけど、これじゃあまだ戦うつもりですよね。それはそれで困るんだよな……」


 私は、無言でその女を観察していた。


 さっきから、バカな発言ばかり。戦況すら理解できていない。

 こんな、信念など持っていなさそうな小者がこの豪胆な女の主だと言うのか?


「えっとですね、あたし達、本多さんに攻められてすっごく困ってるんです! だから、墨田軍の味方、なんとかやめてもらえないかな?」

「……それは、無理だ」

「ど~して~?」


 当たり前ではないか。何を言っているんだこいつは。

 鬼はニヤニヤしながらこちらを見るばかりでどうにもやりにくい。だが、


「……助けたい者がいる。理由は、それだけだ」


 そう告げると、この女は大きく頷いた。


「それじゃあ本多さんも断れないよね! すっごくよく分かった!」


 そして小走りで距離をとってから、私へ振り向き、


「じゃあ、本多さんはあたしの敵です! なんとか説得してみせますから、覚悟してください!」


 いまさら何を言っているのだ? 滅茶苦茶だ。もはや問答無用。


「……敵であるのなら、暴力でそいつと貴様を倒しても文句は無いな?」

「柴田さん! 頑張って避けて下さい! まずは本多さんにゆっくり腰を落ち着けてもらって、説得できたらあたし達の勝ちです! 頑張りますよ、ケンカ無しで!」

「いや、そいつはもう」

「お~ぅ! まぁかしとけぇ~!」


 ……馬鹿馬鹿しい、なんだこの茶番は。

 鬼に説得を命じるだと?

 そいつは、もはや意識も朦朧としているはずだ。

 この女は、けが人の状態も分からないのか? やはり……、


「……あの子の足元にも、及ばないではないか」

「ほえ?」


 あの子がそこにいたとしたら、敵と決まった瞬間に私の足を押さえつけ、鬼に殴らせる。

 この女は自分は安全なところに逃げて、しかもこんな重症を負った者に無抵抗で倒されろと命じているようなものだ。この女は……、


「本多さん! あたし、友達と約束しちゃったの!」


 ……との……、約束?


「その子は本多さんのこと本当に大切にしてて、あたしその子に、本多さんに痛い思いなんかさせないよって約束しちゃったの!」


 私を……、大切に? ……痛い思いをさせない?


「だから……」


 その小さな女は鬼の方を向いて、


「どんな言葉で傷つくか分かんないからしゃべらずに! パンチもキックも無し! 本多さんに痛い思いをさせない! そんで、戦争をやめるように説得して下さい!」


「な…………、なぁ…………っ!」

「ぅはははははははははははははぁ! ぁい……わかったよ~、まぁかしとけぇ!」


 でたらめな命令を聞いた鬼が、今までと違う、心の底からの笑顔で笑っている。そして、


「ってわけだぁガキぃ! これから凄ぇもん見せてやっからぁ~、びびるんじゃねぇぞぉ~!」


 こちらに、突撃の構えを見せた。

 それはそうだ。こんなバカの命令を聞くはずが無い。


 だが、さっきまでふらふらして今にも倒れそうだった女が、低く、しっかりと腰を落として足に力を蓄えている。

 気を抜いたら、られるだろう。


「後悔…………、するなよ」


 ならば、こちらも全力で臨むまで。


 ……………いざ!


「ぅおおおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 鬼と私が、瞬時に加速した。


「え? ちょ……」


 織田……、今更出てきたか。あの子と違って、判断が遅い。

 私を抑えつけようとする、その細い腕。これを払えば、障害にもならんタイミングだ…………。え?


 待て貴様、なぜ、私に背を向ける?



 …………………………なぜ、鬼を押さえる?



「なぐっちゃだめですーーーっ!」

「いつっ! ぐぅっっっ! んあ……っ! えへへへぇ!」


 走る鬼の折れた右脚に、目測も反射神経も何も無しで正面から飛びついた女は、顎を蹴り上げられて、振り回されて、それでも必死にしがみついて、こちらに靴底を向けて地面を引きずられている。


 あれでは膝が削れるだろう。口の中は切れているだろう。なのに、


「うそつきーーーーーっ!」


 この女はただ、友達の友達である、初めて会った私を守るために……。


「だめーーーーーーーっ!」


 のに必死で……。


「なぁ? うちのメガネぇ、か~わいぃだろぅ?」


 鬼は織田を足にぶら下げたまま、いつの間にか立ち止まっていた私の目の前で、細い目の恵比須顔で笑っていた。

 そして呆然とする私は眉間に、


 ゴッ!


 ……強烈な頭突きを食らって、、気を失った。


 ただ、薄れゆく意識の中で、私もあの子とこんな関係になれたらいいのになと考えていた……。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 江東区には、鬼がいた。


 鬼が鬼になった理由は、弟や妹にあった。

 自分は健康に育ったのに、三人もの兄弟は皆、赤ん坊のうちに息を引き取っていったのだ。


 母親は心労から体を壊して病院に入り、父親は自分に辛く当たるようになった。

 鬼が中学生の頃から裏の世界に関わり出したのは当然の成り行きだったのかもしれない。


 興奮による快楽を得るためケンカに明け暮れるうち、その経験で誰にも体に触れることが出来ないほどの体術を、鬼は身につけた。

 そして気に入らないものは破壊し、好きなものは手に入れる、群れることの無い一匹狼として近隣に恐れられるまでになったのだ。


 花音が生徒会長になって初めて行った仕事。それは、鬼退治だった。


 清洲高校に史上最悪の悪がいると評判だったため、彼女は流胡に会い、くどくどと説教など始めた。

 これを逆に鬼は面白がり、町中を逃げ回ってからかった。


 途中、いつも絡んでくるチンピラまがいの大人たちを巻き込み、自分と花音とを追わせてさらに面白おかしくした。


 そして立体駐車場の二階へ逃げ込んで花音とチンピラどもの様子を眺めて楽しんでいたのだが、足元でとうとう花音がチンピラに囲まれたことを腰高の鉄柵越しに見て取ると、花音に逃げるよう大声を上げた。

 鬼は、フェンスのそばに駐車していた車を、ボンネット側から持ち上げて立たせ、そのまま下のチンピラ達へ向けて突き飛ばした。


 だが、叫び声を上げてチンピラが逃げる中央にあるものを見て、鬼は凍りついた。



 ……そこには、彼らに隠れて、一台の乳母車があったのだ。




 手を離れ、落下していく車は、だがそれを止める間もなく一瞬で背を下にして地面へ落下していく。


 ……そして絶望的な破砕の音を槍の形に変え、鬼の心臓を貫いた。


 鬼はつぶれたフェンスを乗り越えてアスファルトへ飛び下りると、震える四肢に力を込め、自分がしてしまった取り返しのつかない行為にけじめをつけるべく、その車に手をかけた。


 鼓動が激しく打ち、それが痛いほどの異音になって耳に響くと、胸の中心にある何かが砕けてボロボロになっていくのを感じた。

 きっと車の下を見たらそれはすべて砕け散って、自分は鬼ですらない何かになってしまうのだろう。


 だが、恐怖以上の感情に心臓を握られながら車を持ち上げたその下には、潰れた乳母車と、四つん這いになる赤い髪の女、そして、彼女の下で笑う赤ん坊の姿があったのだ。


 鬼は車を思い切り突き飛ばすと、二人の様子を呆然と眺めて立ち尽くしていた。


 花音は体のいたるところの骨にひびが入り、肘を地面につきながらその痛みに耐えていた。

 その顔を、赤ん坊は小さな手で撫で回してはしゃぐ。


 しばらくすると母親と思しき女性が花音を突き飛ばして赤ん坊を抱え、鬼から逃げるように走り去ってしまった。


 手足を投げ出して横たわる花音は、鬼の顔を見て、震えを伴いながらもにっこりと笑った。そして、言ったのだ。


 「ありがとう」、と。


 チンピラ達は、母親がぶつかったことに因縁をつけて、赤ん坊にひどいことをしようとしていたようだ。それを、鬼が助けたのだと勘違いしたらしい。

 だが、花音は言った。



 暴力はだめだよ、と。

 赤ちゃんを助けたかったなら、もっと他の方法でやりなさい、と。

 あなたはもっと「強く」なるために、「弱く」なりなさい、と。



 花音は鬼にケンカを捨てるように命じ、その上で正義を貫ける強い人になってくださいとお願いした。

 鬼は膝から崩れ、自分では足者にも及ばないほど強いあなたに一生付いて行くと誓い、大声を上げて泣いたのだった。


 その日、鬼は、人の子に生まれ変わったのだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……さん! ……ほん……さん! ……本多さん!」


 本多朱埜は自分を呼ぶ声に目を覚まし、薄く目を開いた。


「本多さん! 大丈夫ですか?」


 彼女の顔を覗き込むように、涙どころか鼻水まで出してぐしょぐしょになった花音が必死に叫んでいる。

 お陰でよっぽどの豪雨に見舞われたのだろう、付近一帯はびしょびしょだ。


「ん……。いや、大丈夫そうだ」


 朱埜が上半身だけ起したところで、


「すげえなあんた。姉御あねごがこんなんなったのはじめて見たよ」


 滝川徐珠亜が大の字になって呻いている流胡を木でつつきながら声をかけてきた。


「おお。俺はこんなにエロい下着を生で見るのがはじめてだ」


 そしてブラウスのボタンが外れているのをいいことに、悠斗が至近距離で流胡の胸を覗き込んでいる。


 ……本多軍を片付け終わった徐珠亜と悠斗は、残った部隊へ丹下たんげ四中に戻るよう指示を出した後、花音から「ブス顔で泣いちゃいそうだからハウス!」と言われて憮然ぶぜんとしながら道端で四つん這いになっていた郁袮を回収して来てみれば……、


「ひどいんだよ! 柴田さん! ケンカした!」

「あぁ? 襲われたんならしょうがねえだろ! だからお花畑なんだよてめえは!」


 花音が再三文句を言い続けていることに、いい加減嫌気いやけがさしていた悠斗が怒鳴りつけると、花音は大の字で倒れたままの流胡を見据えたまま膨れた。


「む~っ! まだまだ柴田さんはよわっちいなあ!」

姉御あねごにそんなこと言えるの、この世でかのんちゃん一人だって」


 徐珠亜はずぶ濡れの髪を手串でセットし直しながら、


「よし! 急いで善照寺ぜんしょうじに行かないとこんなに苦労した意味が無くなっちまう! じゃ、かのんちゃん、行くぞ! 郁袮、頼む!」

「ほいきた」


 花音の怪我をその辺の葉っぱで治療したトンでも野生児が返事をすると、膝の絆創膏からまるまんま葉っぱを飛び出させた花音は急に不安顔を浮かべ、


「え? ……柴田さんは?」

「あぁ? 置いてくしかねえだろこんなデカブツ!」

「やーーーだーーー! 心配だも~~~ん! ゆーとのばかーー! うええええ!」


 ……また泣き出した。

 すると激しさを増した雨の中、意外な人物が口を開いた。


「……なら、私が鬼を病院まで連れて行こう」

「本多さん? はい! お願いします!」

「ちょっ……、信用すんのか?」


 徐珠亜は反対したのだが、花音はきょとんとした顔で、


「……だって、松平さんのお友達だよ?」

「さっきまでそれと戦争してた事実はっ! どこに捨ててきたんだこの鳥頭っ!」

「それはそれ」

「どれとどれだよっ!」

「……では、信用してもらえるように……、これを渡しておこう」


 そう言うと、朱埜はそばに置いてあったレーキを花音の手に握らせた。


 自分の力で見つけ出した『人生の答えディスティネーション』が刻み込まれた『共に歩むものトークン』。


 ……これは、彼女自身の、生きた証だ。


 鍛え上げた自分自身、『共に歩むものトークン』、そして自分が掴んだ『人生の答えディスティネーション』、この三つを揃えることが、言霊スキルの発動条件となる。


 そんな品を……、


「こ、これをお借りするわけにはいきません!」

「かまわない……」

「だめですっ!」

「あ~~~っ! 心から謝る! 俺が悪かった!」


 徐珠亜は二人に深々と頭を下げた後、起き上がりながら朱埜にウインクし、


「んじゃ姉御のこと頼んだぜ、キュートなあけちゃん! みんな、走るぞ!」

「あ、ま……っ! きゃあ!」


 徐珠亜の合図で郁袮は花音に背中を向けてしゃがんだ。

 そして慌ててそれにまたがろうとした花音は、血も綺麗に拭ききれていない両足の痛みを忘れていたようで、ふらつきながらぼさぼさ髪を踏みつけた。


「ぷぎゅる」


 郁袮の顔を地面に押し付け、彼の口を通して変な効果音を出しながらよろけて倒れそうになった花音を、悠斗がポンと受け止める。

 そしてそのまま両手で担ぎ上げ、ムッとしながら起き上がった郁袮の肩に乗せてあげると、彼は尋ねた。


「おお、花音。……この女、殴らなくていいのか?」

「何言ってんの! あたしの友達だよ?」

「そうか……。じゃあ、しょうがねえ」


 いつそんなやり取りをしたかと抗議しようとした朱埜は、しかしその言葉を飲み込んだ。


 そして走り去る四人を見つめながら嬉しそうに、苦手な笑顔を作って俯いた。


「う……、えへへぇ……」

「……なんだ、鬼。起きていたのか」


 顔を赤くして朱埜が言うと、


「……寝れないぜぇ……。全身、ちょぉ痛くてぇ……」

「当たり前だバカ。折れた方の足であの女を引きずって走りやがって。しかもあの女を傷だらけにしてどうする? ……あの女は、私を殴るなと言ったではないか。それを何で……」

「それでもメガネはぁ、うちのこと心配してくれたぜぇ? や~だ~だって。心配だもーんだって。マヂ天使」


 ……朱埜は、流胡の言葉を聞いて、やっとそのことに気が付いた。


 主の意思を踏みにじって、主を傷つけないために暴力を振るう者、それは自分。

 主の希望を叶えるために、主を傷つけてまで力を行使する者、それはこいつ。


 どちらがホンモノの信頼なのか、問うまでもない。

 私は、彼女に腹を割って意思を伝えたのか? 彼女は私に本当の望みを語ってくれたのか?


 私とあの子の関係は、信頼ではない。

 これは、「なれあい」だ。


「傷つけ合えてこそ……、信頼、なのか」


 ……それに気付かせるためだけに。何も分かっていない子供に、それを教えるためだけに……。


「それが、お前の正義なのか?」

「んにゃ? あのメガネの正義」

「…………大きいな。貴様も、あの女も」

「えへへぇ。わかりゃぁいぃんだぁ」


 朱埜は立ち上がり、未だ厚い雲が横たわる空を見上げた。

 あの子も、こんなに傷ついた私のことを心配してくれるのだろうか。


 ……いや、違う。


 あの子は、必ず心配してくれている。まず私が彼女を信じないでどうする。

 そして、あの子を叱ってあげよう。

 自分の事のために私の武力を使おうとしないあの子。それを叱るくらいで、あの子は私のことを嫌いにはならないはずだ。


 だって、私とあの子は、「友達」なのだから。


 降り続く雨の中、一つ大人になった朱埜は、友の胸の痛みを想って涙を流すのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る