第四陣 反撃の狼煙は、今一時の晴れを請う

 鳴海なるみ高校が占領された時、五十人ほどの解放同盟「生徒」が、すぐ西にある丹下たんげ四中へと逃げ込んだ。

 彼らのほとんどは逃げ出すときに手ひどく攻撃され、その復讐のために弓矢などを使ってゲリラ活動を続けているのだ。


 同じような抵抗を続ける指定拠点は他に二箇所もあり、イライラをつのらせた鳴海高校の墨田軍はとうとう大規模な掃討そうとう作戦を開始した。


 鳴海高校には二百人の兵を残し、三部隊がそれぞれ百人ずつを従えて指定拠点を目指した。つまりここ、丹下四中にも墨田軍の手が襲い掛かったのだ。


「もう一息だ! 押せーーー!」


 前線にかなり近い位置で大声を張り上げているのは、小さい背丈にツンツンヘアー、タレ目がいやらしい犬居いぬい学園高校生徒会長の天野あまのだ。


 彼は松平亜寿沙を墨田区へ招きこむための陰謀に加担した者だが、戦術指揮に関してはそこそこ腕が立つ。

 攻城戦とはいえ「生徒」に対して倍の戦力をあてがわれて苦戦するはずも無く、最初の混戦を脱した今はかなり余裕を持って指揮をっていた。


「敵の囲碁将棋部員達は一掃できました!」

「ああ、これで決まったな」


 中太りの八人組が予想外に厄介だったので、彼は戦力を集中させて倒したのだ。


「しかし、こんな武器でよく戦えたよな……」


 天野は、手にした将棋の駒をくるくると回しながら呟いた。

 そんな彼の後ろには十人ほどの兵士が横たわって目を回しており、彼らの額には「王将」やら「龍馬」やらの字がひっくり返しに刻印されているのだった。


「敵! 正門閉じます!」


 その報告に、天野は気迫のこもった大声で叫ぶ。


「させるな! そのまま校内に突入するんだーーー!」


 丹下四中の防衛隊は既に三十人を切っており、九十人近く残る敵に対してもはや戦うことが出来ず、ここで篭城を決意したのだ。


 正門を閉じられると学校内への突入が少々面倒になると考える墨田側は、スライド式の校門を閉めさせまいと多人数で体を押し付けるものの、ここは必死になった江東側に軍配が上がることになった。


「なんだよ、閉じられちまったな。一旦離れろ! 再編成を兼ねて小休止するぞ!」


 休憩という言葉に、そのまま地面に座り込む者が多い。

 そんな様子を見た天野は、早朝から戦いっぱなしだったことにいまさら気付くのであった。


「ふう……。なんか、ここらで余興でも楽しみてえとこだな……」


 ありえない話しを口にした彼の視界の端に、妙なものが映った。

 今閉じたばかりの校門の「上」に、一人の女が立っているのである。


 天野は最初、その女の服装を見て清洲高校からの援軍が現れたものかと警戒したのだが、よく見ればそれは清洲の制服に似ているフリルたっぷりの私服だった。

 そんな、ふりふりな服に身を包んだ金髪碧眼の少女が何をしに来たのかと眺めていたら、彼女は左手にバイオリンを、右手を胸に当て、ゆっくりと口を開き、


「……歌?」


 少女は、しなやかで張りのあるストレートボイスで歌いだした。


 休憩が命じられたタイミングで始まったために慰安か何かと考える者も幾人かいたのだが、もちろんほとんどの者が警戒して武器を構えた。

 だが少女の魅力的な歌声を聞くうちに心が奪われ、墨田側も江東側も我知らず目を釘付けにして彼女を見、意識を集中してその歌を聞くのだった。


 そんな碧眼の少女が歌っているのは、Ninnaニンナ nannaナンナ delデル chiccoキッコ diディ caffèカッフェ(ママのための子守歌)というイタリアの歌で、原曲の速さを倍にまで伸ばしたスローテンポで優しく緩やかにメロディーを紡ぐ。


 右手をゆったりと感情豊かに振ってイメージを高め、聴く者すべての胸に染み入るように歌い続ける彼女を見て、その素晴らしさにとうとう涙を流す者まで現れるのであった。


 歌は静かに終わりを告げるが、このアートはまだ完成には至らない。

 歌のパートで優しい母の愛を思い出させ、演奏のパートが心から安らぐ幸せな眠りを運ぶ。


 金髪の妖精は流麗な動きで左手に持ったバイオリンを顎に当てながら、目を楽器の表面へと向けた。

 イタリアの名器、ガルネリウスの表面に大胆にも彫り込まれた人生の答えディスティネーション

 『La veraヴェラ arteアルテ è tenerezzaテネレッツァ(真の芸術は優しき愛)』という文字を右手でなぞりながら、金髪の少女は小さな声で、言霊スキルつむいだ。



『ガルネリウスに刻まれし人生の答えディスティネーションに、此方こなたが命じましょう。愛するすべての皆さまへ、母なる愛を!』



 すると彼女が中学へと入学する時、「一つで良い、人に負けない、あなただけの才能を身につけなさい」と母から渡された愛器は――霞蒲羅かふらの『共に歩むものトークン』であるガルネリウスは、激しく青い、白い光を電撃のように放ちだした。


 感動的な歌から続くバイオリンの演奏を楽しみにするばかりで、言霊スキルの発動と分かっていても彼女を仰ぎ見る誰もがそれを止めたいとは思わなかった。


 まるで高原に咲く一輪の青い花のような、凛とした美しい瞳で皆を見渡した霞蒲羅は軽く鋭く息をつくと、目をゆっくりと閉じながら、輝くバイオリンの弓を優しく引いた。



 ぎ・ギ・ぎぃイいいィぃぎゴッ・ぎいィイイいぃぃイ! 



 …………誰一人、その芸術を前に声も上げなかった。


 ただ、白目をむいて気を失うもの、体育座りになって爪を激しく噛むもの、泡を吹いて大の字になるもの、聴く者すべてが彼女の演奏に打ち振え、その感動を体現するのであった。


 ガルネリウスを中心に半径三十メートルにもわたってドーム状に広がった青い、白い輝きは、敵味方、兵士民間人、老若男女とも分け隔てなく包み込み、すべての観客が「眠った」ことを確認した霞蒲羅はゆっくりと演奏を終えるのであった。


此方こなた言霊スキル、『魂のゆりかご』。この美しい調しらべで眠りに落ちぬ方はありません。嗚呼ああ、皆様はなんという幸運! この地上で最も幸せな眠りを今! 体験なさっているのです!」


 両手を広げて大空を見上げる霞蒲羅の足元では、彼女が率いてきた清洲高校の三十人が耳栓装備で負傷者の救護と敵兵の拘束作業を開始していた。


 それを門扉の上から確認した霞蒲羅は、ここでの役目は完了とばかりにふわっと校門から飛び降りた。するとどこに控えていたのやら白手袋で拍手を送り続ける、白髪ながら背筋をぴしりと立てた老人が近寄ってきた。

 彼は肘にかけた日傘を霞蒲羅へ手渡し、バイオリンをうやうやしく受け取る。


「それでは彼方あなた様方、ごきげんよう」


 霞蒲羅はやわらかく会釈して、次に指示されていた善照寺ぜんしょうじ特別支援学校へと優雅に歩き出した。


「この言霊スキルを使うと、美しい曲の感想をお聞きできないのが残念ですね……」


 お屋敷でも、この素晴らしい演奏を聴いてくれるのはじいやだけ。

 そのじいやも演奏の直後は先ほどと同様の拍手をするだけ。感想を求めても、まるで何も聞こえていないかのような生返事ばかりなのでなんとも張り合いがない。


「そうですわ! また、入学式の時のように、生徒会の皆様に此方の調を聞いていただきましょう!」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「なのっ!?」

「え? ……なんでしょうか、佐久間さん」

「……いや、なんでもない」


 まるで先日の入学式、霞蒲羅のバイオリンを聞いた時のような、得体のしれない寒気に背中を襲われた愛団は思わず声を上げた。


 彼女が三十人を連れて走る先は第二中島なかしま中学校。そこは鳴海高校の東、百五十メートルほどに位置する指定拠点だ。

 清洲を出てから三分、全速力で走りっぱなしだがこれに音を上げる者が「兵士」などやっているはずも無い。愛団ちかまるは、もうすぐ到着というところで、


「はじめだけ、指揮はお前に任せる。防御と回避を優先に」


 そう副官へ言い残して、自分は別ルートを取った。


 愛団は、地の利を存分に使おうとしていた。

 第二中島中学校に幾人かの守備兵が残っていたとしても満身まんしん創痍そういのはず。

 ならば手勢の三十人で百人を倒さねばならない。使えるものは何でも使う。


 彼女がビルとビルの隙間を縫うように走っていると、学校の東側で大きな戦闘音が響いた。


「急がないとなの……」


 墨田側の指揮をるのは葛山かつらやま高校生徒会長、葛山かつらやま

 自尊心が強く、学校名を自分の名前に変えてしまうほどの男で、やはり亜寿沙に対する陰謀に加担していた男だ。


 愛団も何度か戦場であいまみえたことがあったが、指揮能力はたかが知れていたという記憶くらいしかない。

 とは言ってもそれは戦力差があまり無かった時の話しで、今は人数が違う。


 さらに、この戦闘の後に指定拠点を守備し続けることを考えると一兵たりとも損じてはならない。


「霞蒲羅ちゃんみたいな便利な言霊スキルが欲しいところなのになのっ!」


 独り言を漏らしながらオフィスビルに飛び込むと、愛団は二階へ向かった。

 そして戦場側へ窓を持つオフィスへ勝手に飛び入り、窓から外の戦闘に声援を送る大人達に向かって叫んだ。


「どけっ! ちょっとそこを借りるぞ!」


 もちろんこの風貌を知らない江東区勤務者などいない。声を張り上げて劣勢だった江東を応援していた皆は、歓声と共に不敗の小隊指揮官――「攻め佐久間」に窓際を譲った。


 第二中島中学校の東門の前は、校内に残った十人の守備兵と九十人ほどの墨田兵、そして奇襲をかけた江東兵三十人が入り乱れるまま滅茶苦茶に戦っていた。

 葛山が有能でない証拠を露呈させつつ、大声を張り上げて自分を守れと指示を出す頭上から、マスクのせいでくぐもった声が響く。


「総員! 門を背に二列横隊!」


 この声に、戦闘中の全員が一斉に頭上を見上げた。

 その中で素早く指示に従った三十人が、雑に広がった九十人と対峙する。


「佐久間だと? みんなオレを守れ! オレになにかあったら退学させるからな!」


 愛団は、雑ながら扇状に広がった有利な陣形を解除して円陣を組み始めるこの男がどうして生徒会長になれたのか不思議でしょうがなかった。

 そして学校の構造を見渡し、もう一つの門扉が墨田軍の後方にあることを発見すると、そこに勝ちの形を見て取った。


 彼女はカラスマスクをとんとんと二度叩き、


「道幅一杯に近接用槍衾やりぶすま! そのまま適宜てきぎ前進!」


 十五人の横並びが道幅一杯に木刀を構えて、その後列から長物を覗かせる、完成された陣形の三十人を思うように動かし始めた。

 その攻撃は墨田兵を、皮を剥ぐように削っていく。


「おい! 押されているぞ! 何とかしろ!」


 だが槍衾とて万全ではないはずだ。

 反撃を食らい、でこぼこになってしまうと複数の敵に攻撃される者が生まれ、結局乱戦になりがちだ。


 そのはずなのだが、邪魔にならないようにオフィスから覗く会社員達は一人が歩みを止めると一斉に止まり、そして一斉にまた一歩前進する美しい陣に感嘆のため息を上げていた。


 そして十数人の兵が倒される頃には、葛山は敵陣の最後尾にまで逃げていた。


「……今だ」


 愛団が呟くと、第二中島中学校の東門から数十メートル先に設置されたもう一つの門から、音も無く兵士が飛び出す。


 彼らは、最後まで第二中島中を守り続けていた守備兵の十人だ。


 その十人が葛山の背後から襲い掛かり、彼を地面へ組み伏せると、


「まいった! 降参だ! 全員武器を捨てろ!」


 自分の身を守るため、あっさりと降伏してしまった。


 悲愴な声で叫ぶ将軍に墨田兵は呆れた顔を向けつつも、得物を放り捨てて両手を頭の後ろに組む。


 たった四十人の兵が百人に及ぶ敵を完封した瞬間、それまで邪魔にならないようにと声を潜めていた観客から歓声が湧き上がった。


 愛団はその切れ長の目をさらに細め、


「……さて、ここからが大変だな」


 オフィスビル全体が揺れるほどの大喝采だいかっさいを背に浴びつつ、次の戦いに備えるのであった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 善照寺ぜんしょうじ特別支援学校は肢体したい不自由な方や病弱な方を受け入れている学校である。

 そして立地的には、今川勇兵が一千の兵と共にいる沓掛くつかけ技術高校まで三百メートルという要所中の要所になる。


 ここには沓掛技術高校と鳴海高校からの敗残兵が集まり百人もの開放同盟生徒と兵士とで守っていたのだが、その位置の重要性から猛攻を受け、樹雄が三十人の兵を率いてきた時には既に三十人足らずの者しかまともに戦えない状態になっていた。


 また、樹雄達が学校へ入るにあたっても十人ほど討ち減らされて、結局五十人の兵でここを守らねばならなくなったのだ。


 ただ、解放同盟側にも吉報があった。


 今川勇兵の本陣から出張ってきていた兵たちと、鳴海から百人の兵を率いてきた大宮おおみや高校生徒会長、富士ふじの間で手柄争いがヒートアップし、こともあろうに同士討ちを始めたのである。


 しまいには戦術巧者の本陣の指揮官が引き上げて、頭が良いか悪いか、どちらかで言っても最悪としか言えない富士の軍がここへの攻撃を指揮することになった。


 富士軍は本陣の兵を吸収して百五十人、対して丹羽樹雄の軍勢は五十人。


 城攻めの常識に照らすと攻め側が少々有利という兵力差なのだが、それを埋めるに十分な能力が解放同盟側にはあった。

 樹雄は戦術指揮能力では徐珠亜を遥かに凌ぐ巧手で、今まで何度も不利な状況を勝利に導いてきた程の力を持っているのである。ところがその男が、


「………………どういうことだ?」


 校舎三階の窓から校門をにらみ、いつもの無表情とは異なる、憮然とした表情で呟いていた。


「その……、樹雄君。次はどうすれば?」

「どうするだと? ……もはや打つ手など無いではないか!」


 彼は、とっとと負けてすぐ家に帰ると宣言してこの場に来た。

 今日こそは早く帰って念願の漢中攻めをクリアーしてやるものと、手持ちの軍勢を上手くトレードして十分な量の肉まんを準備してあるのに。


 とはいえ、現実社会へも少しは手を貸してやるかと、最低限の戦術として正門にはフェンシング部の五人、剣道部の五人を並べて門の隙間から攻撃させ、校舎三階には弓道部八人、陸上部のやり投げ選手二人を配置したのだが……。


「冗談ではないぞ……」


 いよいよ表情を険しくした樹雄は、ついに昨年度まで自分の副官だった、イガグリ頭で背の小さい剣道部の同級生に向かって叫んだ。


「このままでは勝ってしまうではないか!」


 イガグリ頭と、付近で槍や弓の準備をしていた一同は、やれやれと首を振った。


 樹雄が善照寺特別支援学校を指揮し始めて、まだ十五分と経っていない。

 その間に富士の部隊からはボクシング部の十人、レスリング部の十人、柔道部の十人と、十人ずつ寄せ手が出てきては勝手に各個撃破されていったのだ。


 しかも敵の本陣はこちらの飛び道具の射程内でのんびりしていたため、樹雄の合図で一斉射撃しただけで二十人もの兵を削ってしまった。


「たったの十五分で五十人だぞ! 敵はどんな馬鹿やろうだ!」


 樹雄が、大通りを挟んで向こう側まで逃げてしまった敵軍を見つめてため息をつくと、校門の前に日傘をさしたおかしな女が現れて立ち止まり、こちらを見上げた。


「……入れてやれ! 一応あれでも味方だ!」


 副官の男が下へ携帯で伝えると、がらがらと正門を開けてその少女を迎え入れた。

 その様子を見た富士軍は慌てて大通りを渡ろうとしてさんざんクラクションを鳴らされ、結局元通りの位置に収まるという始末。


「なにをやっているんだあいつらは……」


 敵の様子を見ながら呟いた樹雄の横に、


「丹羽氏、ごきげんよう」


 日傘の少女がうやうやしいお辞儀と共に現れた。


「…………怪我は、していないのだな?」

「あら? さすがは丹羽氏。よいご配慮です。でも、まったく心配には及びません」

「木下の心配などしていない。お前が怪我をしたら、作戦上合流する私のせいにされるからな」

「ふふっ……ほんと、不器用でいらっしゃる」

「何がだ?」

「登ってくる間、聞きましたわよ? まず最初に、元々ここにいらっしゃったお体の不自由な皆さまを校舎の一番奥に避難させたと」

「それがどうした」

「いえ、素敵な配慮ですわ。此方こなたが褒めて差し上げます」

「いらん。あいつらにはあいつらが出来ることで我々は恩恵を受けているんだ。だが戦は、あいつらにはできんから我々がやるだけだろう。対等なあいつらに配慮などしておらん」


 それを聞いて、霞蒲羅は日傘を半分ほど回しながら、


「……ほんと、不器用でいらっしゃる」


 同じ言葉を繰り返し、ころころと鈴のように笑うのだった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「あの…………今川さん?」

「……ういだよ?」

「あ…………えっと、うい…………さん?」


 下の名で呼ばれた少女は素直に頷くと、手にした積み木を二つ、縦に高く積んだ。

 松平亜寿沙は、危うく「ういちゃん」と呼びそうになってしまった少女の姿を呆然と見つめていた。


 彼女の知能発達が遅れていることは聞き及んでいたが、体まで小学校の二年生くらいだとは知らなかったのだ。


 だが、年齢は一つしか離れていないはずだ。普通は特別支援学校などへ入学するはずの子が普通科高校へ入学したのは、今川勇兵の厳しさによるものか、はたまたエゴによるものなのであろうか。そう考える亜寿沙を、愛は急に見上げ、


「あななは? だーれ?」

「あたし? あたしは、今日転校してきた松平亜寿沙よ」

「まつ…………、しってる」

「え? あたしのこと、知ってるの?」


 それはそうか。彼女は府中高校の生徒会長だ。江北連合の主宰であるあたしを知らない方がおかしい。

 亜寿沙がそう思っていると、愛は床にぺたんと座ったまま幼児の様な仕草で部屋の奥にある大机を指差した。


「えっと…………、なに?」

「かみ。にーちゃ、わたしてって」


 亜寿沙は指し示された机にゆっくり近づくと、そこに置かれた二枚の紙、その一枚目に書かれた表題を見て声を上げてしまいそうになった。


 そこに書かれていた文字は、


『従属契約書』


 署名欄はふたつ、その片方には既に今川愛の名が書かれ、捺印なついんされている。


 あまりの平和的な出会いに最初の緊張をすっかり忘れていた亜寿沙は、しかし気を取り直して二枚目の条件詳細を盗み見ると、


「そ……、そんなっ! うそっ!」


 先ほどはこらえた声を、今度は高々と上げてしまった。


 大きな声に驚いて体を硬直させた愛に、ごめんねと謝りながら隣に座りつつ、亜寿沙は契約書の内容を確認していった。


「それ……だめなろ? いやなもの?」


 愛は亜寿沙の顔を覗き込み、ちょっと心配そうな表情を浮かべた。

 その心づかいに胸が温かくなった亜寿沙はにっこりと笑顔を返しながら、


「違うのよ。……条件が、良すぎるの」

「いいの? いいのにわるいろ?」

「悪くないわよ。だから、驚いただけ」


 愛は一つ頷くと、亜寿沙のセーラー服の裾をきゅっと掴んで積み木へ目を向けた。

 その仕草を見て、暖かな日だまりのような子だなと胸一杯に感じつつ、亜寿沙は従属条件を再度確認した。


 ……それにしても破格だ。これでは今よりも収入が高くなるし、戦争への参加頻度が下がる。

 さらに、自由に墨田に出入りできるなんて……。


「どうしてこんな条件を?」


 誰へとも無く呟いた亜寿沙だが、ちゃんとその言葉に返事をする相手がいた。


「にーちゃ…………、まつ、すきなんらって」

「…………え? ………………え? それってどういう…………」


 愛は返事をせず、亜寿沙を掴んだ手はそのままに赤い積み木を手に持った。

 この子が相手ではこれ以上深い話しは期待できないと考えた亜寿沙は、


「あの……、他の皆さんは? 今はいないの?」


 そう訊ねると、愛は俯いて寂しそうな顔になってしまった。


「あ……、どこかに、出かけてるとか……?」


 亜寿沙はおろおろしながら言葉を選んで問いかけたのだが、


「…………けんか…………。いたいろ、だめっておねがいしたろに……」

「……まさか!」


 愛の返事を聞いて、彼女は状況を把握した。


「こんなに早く? 携帯が壊れていたから考課測定の連絡に気付けなかった……」


 亜寿沙は慌てて立ち上がろうとしたのだが、愛に袖を握られていたために一旦浮かせた腰を床に落とした。


 そしてどのように言えばこの手を離してくれるものかと考えあぐねていると、乱暴な音を立てて生徒会室の扉が開き、一人の男が不躾ぶしつけに侵入してきた。


 亜寿沙は反射的に愛を胸に抱いて立ち上がりながら男から距離を取ったのだが、そもそもよそ者は自分の方だったことに気付き、慌ててお辞儀をした。


「あなたは確か……、小笠原おがさわら……、吉時よしとき


 見覚えのある男に確認するかのように尋ねると、目を吊り上げた男が叫ぶ。


「なんだと? 「さん」を付けねえか二年生!」

「すいません、小笠原さん」


 亜寿沙は、何度か戦場で見たことがある高天神たかてんじん高校の生徒会長が、敵という立場から自分の属する勢力の幹部という立場に変わったことを思い出して、もう一度お辞儀をした。


 彼は広い額の先でツンツンに立てた灰色の髪と、ほとんど生えて無い眉が特徴的な男だ。


「ええと、府中高校へはどういった御用でいらしたのでしょう」


 亜寿沙は急いで戦闘の行われている前線へ向かいたかったのだが、自分の立場も考えると下手な真似はできない。今は、彼の用件を素直に聞くのが戦場へ辿りつく近道と考えた。


 だが、彼女の問いかけに対して目を覆って笑いを堪え始めた小笠原は、骨格に皮が付いたと感じさせるほどの細い顎を大きく広げて声を上げて笑い出す。

 そしていぶかしむ亜寿沙を見つめながらポケットから携帯を取り出し、電話をかけ始めた。


「おい、聞こえるか本多朱埜。今、お前の大好きな女の目の前だ。声でも聞かせてやろうか?」


 亜寿沙はその電話相手の名前を聞いて、最悪の事態を想像した。

 役員不在の生徒会室への呼び出し。携帯電話の故障。これを偶然と考えるのは、あまりに想像力が欠落している。


 だが、ここで電話に向かって声を出すのは正しいのだろうか、そうではないのだろうか。

 亜寿沙が悩む間にも、会話は進んでいた。


「で? 指示通り百人連れて清洲に向かっているんだろうな。もし逆らったら……、ああ大丈夫だよ、指一本触れねえって……へへっ。じゃあ、せいぜい頑張りな」


 通話を終えた小笠原は楽しそうに、しかし歪に笑いながら携帯を眺めていた。

 そして亜寿沙は、慎重に言葉を選んで探りを入れる。


「……百人の部隊で清洲を攻略できるとは。既にそんなに有利な状態なのですか?」


 厳しい目で問いかける亜寿沙をいやらしく見返しながら、小笠原は返答した。


「さあなあ? 清州の兵が動いて無けりゃあ、三百はいるんじゃないか?」

「……では、いったいどんな作戦が?」

「作戦? ああ、あるぜ。…………江北を犬死にさせるってえ作戦がなあ!」


 やはりそうか。

 自分を人質に、わざわざ少人数で大軍と当たる。そしてそれを繰り返し、あたしの江北を全滅に導く。

 しかもそんなひどい指揮をあの子にさせるなんて。


 亜寿沙は無言で小笠原に近づき、素早く手を伸ばして彼の持つ携帯を奪おうとしたが、まるでからかうかのようにかわされた。そして、


「ははは! 自分の携帯でかければ良いだろ? もっとも携帯が直ってれば、な!」


 やはり携帯もこいつの仕業か。

 亜寿沙は小笠原の学ランにしがみ付き、彼が上に伸ばした手で持つ携帯を目指してジャンプする。


「それを渡しなさい!」

「おいおい色っぽいじゃねえか、そんなに抱きつくんじゃねえ。そうだなあ、服でも脱いで今みてえに抱きついてきな! それができたらこれを貸してやるぜ!」


 この言葉に、表情も変えずに亜寿沙は平手打ちを食らわせた。

 そして呆然とした小笠原が下げた手から、素早く携帯を奪い取ると、舌打ちでもしたくなるような気分にさせられた。

 当然だが、ロックがかけられている。


「ぎゃはははは! 残念だったなあ!」


 楽しそうに膝を叩いて下品な笑いを止めない小笠原を見て、亜寿沙は思った。これは、小者だと。

 そして昨日、宿敵ながら不思議な友誼ゆうぎを感じている金髪の男に教えられた言葉を思い出しながら、右手をスカートのポケットへ入れた。


「……相手が小者ならば、力で叩き伏せて指導する、か」


 そう呟きながら、左手で持っていた携帯を壁へ投げつける。


「てめえ! 俺の携帯に何しやがる!」


 小笠原は亜寿沙の予想外の行動に腹を立て、ゴムを外した剥き身の木刀を片手で振りかぶって彼女の頭を狙って殴りつけた。


 だが、快音と共に、片手では支えきれないほど激しい衝撃を剣先に食らうと、木刀は壁まで吹き飛んだ。


 何が起きたか瞬時には分からなかった小笠原の目に、東京都指定条件を満たしたゴム加工が施されたメリケンサックが映っていた。


「こ、拳、だと?」


 狙いは振り下ろされた木刀だ。

 角度、位置、ちょっとでも間違えたら指が砕ける。

 それを、事も無くこなした線の細い少女は、三千人の配下を束ねる王者の風格で呟いた。


「……あたしは、戦えないわけじゃないの。その必要が無いだけ」


 亜寿沙は流れる水のような動きでぬるりと小笠原の懐に入ると、死角から鋭いフックを細い顎先に見舞った。

 すると小笠原の首は見事に九十度振れ、どれだけケンカ慣れしている者でもあらがえない衝撃が脳に走ると、そのまま白目をむいて仰向けに倒れてしまった。


 たとえどんな相手だろうとも、敵は敵。小笠原に一礼すると、背後から不器用な拍手が聞こえてきた。

 亜寿沙は得物えものをポケットにしまいながらその観客に笑顔を向けると、この少女をこんな場所へ置いておくわけにもいかないなと考え、


「そうだ! 今度はういちゃんが人質になってくれるかな?」


 愛の前にしゃがみ込み、今思いついた大胆な作戦を手伝ってもらおうと、優しい笑顔でお願いした。


「……こわい?」

「大丈夫。お姉ちゃんが必ず守ってあげるから」

「…………ねえちゃ?」

「あ……、それって……。い、いやいや! 考えすぎよ、あたし!」


 亜寿沙は顔を真っ赤にしながら愛を抱きかかえ、府中高校生徒会室を飛び出した。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 都の職員二人と警察官三人に、やりすぎないよう監視されつつ、それでもきつめに百人もの兵を縛り上げて彼らを校庭に転がした愛団は、早速鳴海高校へのゲリラ攻撃を開始していた。


 同時に、守備の準備も始めた。

 今重要なのは情報だ。


 本来禁止されているが、愛団ちかまるは近隣の商店街や企業に協力を得るため絶え間なく携帯を操作する。

 情報提供者は多大な罰金や禁固を課せられるのだが、地元校への協力を惜しむ者は数少ない。


 そんな時、第二中島なかしま中学校のすぐ西から怒号が響き、校内に五人ほど詰めていた監視員のうち警察官ばかり三人がそちらへと向かった。

 敵襲かと慌てた愛団は状況を確認しようと携帯の履歴を見るうち、情報提供者の書き込みに紛れた徐珠亜ジョシュアからの連絡に、今やっと気付いた。


 よっぽど慌てていたようで、そこには「ちかちやんそのあたりさわぐけどしゆびおしつかり」とだけ書かれていた。


 増援に出向きたいところだが、彼なら勝算があるのだろうと考えた愛団はこちらが抱える問題の方を優先した。


 ここを襲われた場合、百もの敵兵を見張る手が足りない。

 そしてこれを助け出されたら戦略全体が破たんする可能性も高い。そう考えた愛団は、裏技を選択した。


「おい、そこにいる都の職員に、罠の安全確認をして欲しいと言って外へ連れ出せ」


 この指示を受けて、慌てながら五人ほどが適当な部材を持って走り出すと、愛団は郁袮を折檻せっかんする時の薄氷を目に宿して百人を見つめた。


「さて諸君。オレは君たちにここから出て行ってもらいたいんだが、その後まともに戦われても困るので、ここで壊してしまうことに決めた」


 マスクでくぐもっているにもかかわらず、彼女の声には恐ろしいまでの拘束力が宿っていた。

 彼らは揃って愛団を見上げて固唾を呑み、彼女が右のポケットから爪楊枝つまようじの束を、左のポケットからレモンを取り出す様子を凝視していた。



「……どっちがいい?」



 ロープで縛り付けられながらガタガタと震え始める百人が第二中島中学校から逃げ出すまでに、十分とかかる事はなかった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……分かっている。たとえ落とせずとも、必死で戦おう。だから亜寿沙には……。ああ、頼む」


 怒号どごうが響き渡る中で電話を切った本多ほんだ朱埜あけのは、亜寿沙の無事を祈って目をつぶった。

 さらに、自宅へ監禁してきた戸田圭子、そして墨田兵に監視されて身動きが取れない江北の役員達の心配をし始めたのだが、すぐに気持ちを入れ替えて前方の戦いへと目を向ける。


 色黒で背が高く、グラマーな体つきをした彼女は、オールバックにした赤い癖っ毛を指でいじりながら大きく嘆息した。


 敵に倍する兵力で当たっているものの、戦闘が開始されてから五分も経過しているのに未だ落としきれない。

 それもそのはず、敵は地の利を生かして距離を味方に付けながら上手く戦っているのだ。


 このままでは清洲高校へ辿り着く前に消耗しきってしまう。

 朱埜は本丸に控えているであろう二百人と戦うために、これ以上の疲弊を甘受するわけには行かないのであった。


 これに対し、滝川徐珠亜は大声をあげながら、ゆっくりと後退する。


「無理をするな! 三人組のうち一人が欠けたらここまで戻れ! 疲れたら休め! まだまだ下がれるんだから、心配するな!」


 彼が本多朱埜率いる江北軍百人と対峙たいじしているのは、横十間川親水公園よこじっけんがわしんすいこうえん

 川と並行して細長く続く公園は、最も幅のあるところでも十五メートル程度というロケーションのため、兵力の差を埋めるにはもってこいだった。


 徐珠亜が清洲を出る時には、既に各校からの援軍がすべて到着して総兵士数は二百六十人にもなっていたのだが、その中から徐珠亜が率いてきたのはたったの六十人。


 これは戦術的には悪手あくしゅだが、戦略的にどうしても必要な采配さいはいで、この不利な状況を少しでも長く維持することに頭をフル回転させながら指示を飛ばし続ける。


 兵を三人組で編成して、全体を三つのグループに分けてローテーションさせつつ、更に全体をゆっくり下がらせることで消耗を押さえながら戦う彼は、戦闘開始から五分で疲労が極限にまで達していた。


「さすがにきついぜ……」


 決して他人に聞かれることの無いボリュームで呟く徐珠亜の目に、折込おりこみ済みとは言え嬉しいフォローが訪れた。


『うおぉおおお!』


 敵が密集した最前線に対して、側面の茂みから新参の五人が突撃をかけたのだ。


 彼らは、もともと本多軍が追撃していた大高おおだか高校の兵士達だった。


「よし! 前線メンバー総とっかえだ! Cグループ出てくれ! 援軍サンキュー、そのまま五人で暴れてくれ!」


 敵の前衛が乱れた隙を突いて、前線を元気な兵に入れ替える。

 この時も後ろのグループが前に出るのではなく前線のグループが後ろに下がることによって距離をあけ、戦闘を長引かせることを忘れない。


 だがそれでも、最初連れて来た六十人の兵士に十五人の援軍を加えてなお、江東側は既に二十五人ほどが討ち取られて残兵は五十人。

 対して江北側は十人ほどしか倒れておらず、まだ九十人は残っている。


「さすがは鍛えに鍛えた江北の兵ってか……」


 敵は柔道部、空手部、レスリング部、その他もろもろ雑多だが、ほとんど皆が近接格闘系のようだ。このままでは瓦解は明白。


 まともな指揮官だったら撤退を考える頃合となってきた。 

 だが、


「まだまだ増援は来るぞ! 安心して戦え!」


 はったりをかまして、まだ持ちこたえさせようとする。


 これを聞いた江北の兵たちは四度も食らった側面からの奇襲を警戒し、動きが鈍くなった。


「よっしゃ! 押し戻せ―――――!」


 たまに反撃しないと、こういう作戦は上手く行かない。

 ひと当てしたらすぐに前線を総とっかえしてまた守りに徹しようとしていた徐珠亜だったのだが、敵の隙を突いたつもりで逆にこちらへ隙を作ってしまう形になった。


「はったりだ! 増援をわざわざ敵に教えるはずが無いだろう! 構うな! 一気に攻め落とせ―――――!」


 本多朱埜のげきが飛ぶと、それがそのまま江北兵のたけびに変わった。

 すると慣れない攻めに転じていた最前線は敵の逆撃に耐え切れず、一気に崩壊し始める。


「やべえ! ……いや? ……来たか!」


 勢い付く敵の前衛に、またしても増援によるサイドアタックが襲い掛かった。


 だが今回の攻撃はそれに留まらず、さらに第二波、第三波と続き、しまいには長く縦に伸びた敵の中衛辺りまで兵士が押し寄せた。

 いかに鍛えた江北の兵も、側面からの伏兵に動じないわけは無く、大パニックに陥るのだった。


 この大兵力は、木下きのした霞蒲羅かふらが制圧した丹下たんげ四中の六十人である。

 これを率いて波状攻撃をかけた指揮官は、白に近い金髪のショートモヒカンをなびかせながら、一番敵だらけのところで暴れている佐々さっさ悠斗ゆうとだ。


「馬鹿な……! 落ち着け! 敵はほぼ同数だ!」


 朱埜は大声で叫ぶが、この混戦では声がまったく届かない。

 二面から攻撃されることになった前衛部隊は自分達より力も無い敵に次々と蹂躙じゅうりんされて行き、さらに、


「むっ!」


 ……彼女のくせのある短髪を、一本の矢がかすめていった。


「これは……」


 横十間川親水公園は、道路側に高木が茂っている。

 そこから何人もの弓兵が顔を出し、密集した江北軍に射撃を開始したのだ。


「く……! 下がるぞ! 続け!」


 後衛を兼ねていた本陣が下がれば全軍が下がると踏んだ朱埜は、後ろを向いて走り出した。

 だが、本陣の十人ほどが走る姿をやっと混戦の中の江北兵が確認したその時、彼らどころか解放同盟の皆も口をあんぐりとさせた衝撃的な映像が視界を埋め尽くした。


『うあぁあああああーーーーーーーーーーーーーーーー!』


 そして、総勢二百人もの叫び声が、地面を穿つ激しい轟音で上書かれる。



 ……なんと空から、トラックが降ってきて道を塞いでしまったのだ。



 その音と振動に驚き、振り返る朱埜は、トラックで潰された者がいない事にまず安堵しつつも、完全に分断された現状に戦術としての負けを悟った。


「本多さん!」


 そして自分に付いてきた十人の叫び声に、彼らが指し示す方を確認すると、垣根をゆっくりと越えてくる、おそらく敵の精鋭とおぼしき十人の姿を見つけた。


「……お前達は、トラックを越えて皆のところへ行け」

「ですが!」


 彼らの声に、本多朱埜は手にしたレーキをゆったり大きく振り回し、


「……………邪魔だ」


 トーンを落とした声で、行けと告げた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 悠斗達は突撃をかけたが、こいつを敵の只中へ放り込むわけには行かない。

 郁袮は戦場から少しはなれた住宅街で、いつもより低めに垂れる暖簾のれんに向けて語りかけた。


「清洲を出てからずっとお前の髪がうっとうしいんだけどさ。……まだ落ち込んでんのかよ」

「だって……」


 朝は晴れ渡っていた空が、このあたりだけ厚い雲に覆われている。

 その色もかなり濃く、いつ降り始めてもおかしくない。


 花音は裏切られたくらいでここまで落ち込まない。松平亜寿沙の友達と戦うことで、自分が彼女を裏切る気がして悩んでいるのだろう。

 郁袮は、赤い髪のせいで中央だけ開けた視界から彼女の心を垣間かいま見ながら、さてどうやって元気付けたものかと考えた。


 清洲に集結した二百六十人を振り分けるとき、善照寺ぜんしょうじ特別支援学校へ二百人、本多軍の殲滅せんめつに六十人送ると徐珠亜は言い出した。


 この六十人を徐珠亜が自ら指揮し、霞蒲羅が制圧した丹下たんげ四中から六十人を率いて本多軍へサイドアタックをかけるメンバーには流胡と悠斗を指名した。

 ところがこれに、あたしも行きますと涙声で宣言した微笑ましいバカの言うことを徐珠亜としては無下むげに出来るはずも無く、参戦を許可したのだが……、


「なあ。お前、なんで来たいとか言い出したんだよ。……役に立たないのに」

「むう……」


 三択のチョイスミス。雲はより黒くなった。

 セーブポイントに戻りたいのだが、あいにく人類はまだそこまで進化していない。


 花音の太ももから右手を離して頭を掻く郁袮の目に、流胡が走りながら近寄ってくる姿が映った。


「すげえ音したけど、徐珠亜さんが言った「大きな石みたいなの」なんて良く見つけたな?」

「簡単だよぉ。まぁ、てめぇには難問だと思うけどなぁ。……おぃメガネぇ。うち、こいつより頭もいぃぞう?」

「えへへ……、そだね」


 流胡は未だに落ち込む花音を優しい恵比須顔で見上げながら、奥歯をバキリと鳴らした。

 郁袮にはよく分かる。

 流胡は、本多朱埜を決して許すことは無いだろう。


 その異音に驚いて花音が流胡を見つめ始めたので、なぜか暴力的なことを花音の前ではひた隠しにしている彼女をフォローしてあげたくなった郁袮は慌てて話題を振ってみた。


「あ、そうそう! さっきの石みたいなのが落ちたときさ! なんか金属っぽい音がしてたけど。何投げたんだよ?」

「…………あぁ。そりゃあ…………、そうだょ。だってぇ、鉄鉱石だもん」

「……は? 何いってんの?」


 郁袮と花音がさすがにおかしいだろうと思う前に、流胡は逃げ出すことにした。


「んじゃぁ、本多朱埜がぁ、倒されるの見届けてくらぁ! メガネはぁ、そこで待ってろぉ!」

「……柴田さんは、ケンカしちゃ駄目ですからね?」

「お~ぅ! まぁかしとけぇ~!」


 流胡はそう言うと、お尻までかかる長髪をなびかせながら満面の笑みで花音へ手を振って、敵の本陣側へと走って行ってしまった。


 残された郁袮は少しだけ明るくなった空を見つめながら、今度こそ上手く機嫌を回復してやるぞと気合を入れつつ、慎重に選択肢を選んでみた。


「なあ。お前、なんでこっちに来たいとか言い出したんだよ」


 ……花音は雲の色で返事をした。


 郁袮は、この選択肢も間違いだったかと空に困り顔を向けたのだが、やっとさっきと同じ選択肢を選んでいた自分に気が付いた。

 既読の選択肢がグレーになる能力を得るまで、俺はあと何年かかるのだろうかと反省しながら慌てて話題を探し始めた郁袮だったが、花音の変化に気付いてその言葉を大人しく待った。


 郁袮のぼさぼさな髪は、ちょっと痛いくらいに握りしめられ、両手で支える太ももに、明らかに力が入っている。

 すると、小さな呟きがポツリと頭の上から伝わってきた。


「これはあたしが自分で考えて、自分で行動したその結果なの。あたしは、自分が起こしたすべてのものを見ないといけないの。だから、本多さんに会わないと。……彼女が倒れているところを、自分の目で見ないといけないの」


 花音は大きく息を吐き出して顔を上げ、力の入った手足を弛緩させた。


 そして郁袮は、いつもはその手と頬が触れていても何も感じない花音の肌と体温を急に意識して、顔を熱くした。


 郁袮は、たったの二週間で何度も花音を彼女にするのは無理だと考えたことがあった。

 人のいうことは聞かない、ふらふらと消えては敵陣に現れる。

 しかも怒りっぽくて、なにかにつけてすぐにどざあ。


 そんな女、自分以外に付き合ってくれる男なんかいないだろうとなかば義務感で口説くどき続けてみても、年下NGとか物理的に却下される始末。でも……、


「お前はどうしてそう、不器用なまでに真っ直ぐなんだろうな。初めて会った時から感じてたんだけど、そんなお前の、き、綺麗な心が…………。キラキラ輝いていて、純粋で純潔で、自分の責任から逃げようとしない真っ直ぐな心が、俺は、その、たまらなく、…………好きなんだ」


 そう言いながら、照れてぎこちない不器用な微笑みで顔を上げた郁袮の目に……、人の形の点線が点滅していた。


「イッツ! ミラコーーーーーーーーーー!」


 大慌てで今しがたまで担いでいたはずの花音を探す郁袮の目に、遥か彼方かなたで転んで泣いている子供にファイトーとか言っている赤髪メガネが映った。


「なんで親切を発動すると同時にステルス機能が発症するんだお前は!」


 郁袮は照れか怒りか首まで真っ赤にしながら、やっぱりあれはやめておこうかなと考え始めた女の子を心からのグーで殴るために走り出したのだった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 滝川徐珠亜は戦略家だが、戦術家としてもそこそこの力がある。

 彼は慎重に「最も強い十人」と指定して、本多の本陣へと突撃させた。


 今日が初陣ういじんとなる本多朱埜に対して、これは破格はかくの数字なのだが、絶対に落としてはいけないところに必要数の倍の出費をするという、戦術家として中級を名乗っても恥ずかしくない兵員配分を行ったのだ。


 だから、いくら流胡から事前に敵の強さを聞いていたとしても、今回のことで徐珠亜を責めるわけには行かない。

 誰も、十人の猛者もさを相手に顔色一つ変えない女が今まで戦場に出たことが無いなどとは考えないだろう。


「よし! 花音ちゃんの指示だ! 怪我させないように押さえ込むぞ!」

「……おっきいなあ……」

「このムッツリ! もし触ったりしたら織田さんに一時間は説教されるぞ!」

「あ! それは俺が代わってやる!」

「……お前、まじ勇者だなあ……」


 本多朱埜は自分を囲み始めた男など気にも留めず、手にしたグラウンド整備用のT字レーキの柄に掘り込まれた人生の答えディスティネーション、『友のために』という文字をいとおしく撫でていた。


「でも、この子なんでトンボ持ってるの?」

「ソフトボール部っぽいユニフォーム着てるけど……」

「だったら普通、バットとか持ってこねえ?」

「慌てちゃったんじゃね? どじっ娘、萌え~」

「んじゃ、捕まえましょうかね……」


 男共が近寄り始めると、朱埜は目を伏せた。

 これを観念したものと勘違いした精鋭部隊は気を緩めたせいで、急に朱埜が上げた力強い声に驚いて後ずさることになる。



『誓いの『トンボ』に刻まれし人生の答えディスティネーションよ! 心の痛み乗せ、友を守る最強の槍となれ!』



 朱埜の咆哮ほうこうが『共に歩むものトークン』であるレーキを青い光で包むと、それは爆発的に輝きを増して電撃をまき散らし、


「食らえ! 我が言霊スキル! 『絶対守護者ブレイク・フォー・ジャスティス』!」


 そして電撃は光に変わると、ズシンと重たい音を上げながらレーキに収まって、まるで黄金に輝くような武器となった。


「ス……、スキル!」

「せ、星火せいか燎原りょうげんだと?」

「一斉にかかれ!」


 男達は絶叫と共に襲い掛かったが、一瞬でその鳴りを潜めたのであった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「はぁ?」


 流胡が茂みから顔を出した時、先行した十人は皆、地面に倒れて呻いていた。

 そんな彼らを捨て置き、トラックの方へと足を運ぶ女の手にする光り輝く得物を見て、


「なんだぁ? トンボぉ?」


 思わず口にする。


「またぁ、ヘンなもんにディスティネーション刻んでやがんなぁてめぇ」


 流胡の言葉に少し腹を立てた本多朱埜は足を止めて半身だけ振り向くと、


「……鬼、か。昨日の約束通り、勝負したいところだが……。救える仲間がいる。私は、そちらへ行く」


 そう言って、さらに足を進めた。

 そんな彼女に、


「待てよぉトンボぉ。てめぇがバカやったせいでさぁ、うちの天使ちゃんが泣いちまってんだよぉ。松平なんちゃらとの約束やぶっちまぅ~とか言ってやがんだよぉ」


 のそのそと無防備に近付きつつ、流胡が言葉でけん制していく。

 朱埜は、松平亜寿沙の名を出されて看過するわけにはいかず、足を止めた。


「……それが、どうした」

「てめぇはぁ、あるじを泣かせるための武力なんかぁ?」

「うるさい! 貴様に何が分かる!」

「わかんねぇから質問しっ!」


 朱埜は返事の代わりに、レーキの柄の側で流胡の胸の中心を突いた。

 流胡は体を右によじって避けると、バックステップを踏んで距離を取る。


「へへっ……、いいねぇ~」


 今のでスイッチが入った流胡は、ブラウスのボタンを飛ばされて下着をあらわにしたまま、黒の中に赤い色を宿す鬼の目を見開いてさらに数歩下がった。


「主の気持ちを裏切ってぇ、墨田を裏切ってぇ、うちらを裏切ってぇ……。てめぇ、そのクズみてぇな強さで、なぁにをしてぇんだぁ?」

「あの子の身を守るために! あの子の気持ちを裏切って! 何が悪い!」


 朱埜は、まるで血の涙を流さんばかりに流胡をにらみつけながら、その波動で爆風を巻き起こさんばかりの声で叫んだ。



 ……亜寿沙が墨田区へ転校することが決まった頃、今川旗下きかであり、小学校時代の同級生でもある富士から、朱埜への脅迫が始まった。

 それは江北の壊滅に手を貸すようにという内容で、首謀者の小笠原から手順の説明を直接聞いた時には、その場で殴り殺してやりたいほどの思いになった。


 だが、計画に従わなかったら亜寿沙の身に保障は無いと言われて逆らうわけにはいかない。

 朱埜は数日にわたって悩み続け、そして実行を目前に控えた昨日、同僚の戸田圭子が自宅を尋ねてきた。


 すると彼女は亜寿沙の言葉だと前置きしてから、あの子の身を敵に差し出すことに繋がるような提案をしてきたのだ。


 朱埜は悩みを打ち明けることなく彼女を監禁し、亜寿沙の想いに耳を塞ぎ、墨田の手駒として指示通りに動くことを決意したのだ。



「主の気持ちを裏切って守る、かぁ。……昨日も言ったけどよぉ。てめぇ、つっっまんねぇやつだなぁ」


 急に興味を失った流胡は棒立ちになると、


「てめぇの主の願いを叶えるための力じゃねぇのか、それ」


 そんなのと戦っても楽しくねぇやとばかりに、しっしと手で払う仕種をした。


「あの子を「守る」ための力を! バカにするなーーーーーーーっ!」


 朱埜は言霊スキルで輝くレーキのT字に右手をかけ直して、最も長くライフルのように握ると、殺気をまとって腰を落とした。


「バカだからバカにしたぁ。いいか、ガキぃ。主の願いなら、その主を傷だらけのボロボロにしたって叶えるのが家来ってもんだぁ」

「主従じゃない! 友達だ! そんなことできるか!」

「愛してねぇから、友達止まりなんだょ」

「でやーーーーーーーーーーーー!」


 朱埜は気迫と共に突撃した。


 それに対し、会話をしながら十分に間合いを取っていた流胡は低く構えると、手に握っていた小袋をお互いの直線上へ低く放る。


 爆発物かと警戒した朱埜はその袋をレーキの先で弾くが、


「なっ!」


 緩く結んだ袋から大量のコショウがばらまかれた。

 慌てて目を閉じ急ブレーキをかける朱埜だったが、その隙を見逃す流胡ではない。


「ひゃっはぁーーー!」


 コショウから逃がれるために横に向けた顔面へ、渾身のストレートをぶち込む。

 これを貰った朱埜はゴキリという異音を首に感じつつ、後方へ三回転ほど吹き飛ばされた。


 ……だが、殴りつけた姿勢のままの流胡は笑みを濃くし、口端をさらに吊り上げながら呟いた。


「なるほどぉ。……おもしれぇ」


 大ダメージにもかかわらず、朱埜は片膝立ちで流胡に光るレーキの柄を向けて停止したのだ。

 さらに、卑怯な手により閉じていた目をゆっくりと開きながら、


「……………私の、勝ちだ」


 そう、呟いた。


 二人が交錯するとき、流胡は確かに光るレーキの柄を軽く弾いてから朱埜を殴ったのだが、


「あ~~~。こりゃ、面倒な言霊スキルだなぁおぃ」


 そう呟いて、後方でうずくまっている男子の様子をいまさら確認した後、自分の胸の前に上げた右腕を見つめ、


「……折れちまってらぁ」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……面倒なことになったな……」

「そうでしょうか? 彼方あなたが出れば瞬殺でしょうに。……やはり、女性がお相手では立ち上がらないのですか? 嗚呼ああ! なんて甘美かんびごう!」

「また意味不明な……」


 善照寺ぜんしょうじ特別支援学校の戦況は一変していた。

 富士の采配でこんなことにはならないだろうから他の誰かの入れ知恵なのだろう。


 正門前には敵の全軍が集結し、前面に女子を配し、後方から男子が手当たり次第に空き缶を投げつけてくる。高さの利はあるが砲台の数が違い過ぎるために、こちらの射撃部隊は窓の下にしゃがみ込まざるを得ない状態だ。


 しかも正門が今にも破られそうになっているのだが、そちらの理由とは……、


「おい! 下の連中にもう一度伝えろ! 相手が女だからといって手を抜くな!」


 樹雄の命令に対して、窓の下で頭を押さえて空き缶を避けていたイガグリ頭の元副官は、敵の砲弾のカンカラと鳴り響く轟音に負けじと大声で答えた。


「樹雄君だって無理でしょ? 竹刀もフルーレも、女子に本気で振るえないって!」


 敵は、こちらの地上部隊が全員男だという点を突いてきた。

 ここに女子が一人でもいれば、容赦なく敵を吹き飛ばす様を見てそれに続くのだろうが、男子だけでは誰しも最初の一人になりたくないため優しく撫でるようにしか攻撃できないようだ。


「木下。さっきから言っているが、やはりお前が下で戦ってくれ」

「お断りさせていただきます。この日傘は武器や防具としてあつらえた物ではありません。彼方あなたは、調律師ちょうりつし仕立したてを願うことはなさらないでしょう?」


 そう言いながら空き缶を日傘で防御する霞蒲羅にため息をつくと、携帯が鳴ったので文句を言うことを諦め、不機嫌な声を通話相手にぶつけた。


「滝川か。もう帰ろうと思っていたところだ。邪魔をするな。……ああ、ちょっと旗色が悪い。だから帰っ……うむ。敵は百人くらいだが。……なに?」


 急に顔色が変わった樹雄の横で、霞蒲羅は徐珠亜の勝ちを悟って日傘をくるりと回すと、正門へ向かって歩き始めた。


「イベント限定SSR、『千里を走る忠義・関羽』だと! 運営の不手際でほとんど流通していない幻の……、待て! 分かっていない奴だな、調練前の状態でよこせ! そうでないとアルバムをコンプできん! では、十分後にまたかけてくれ!」


 今年に入って一番の生気ある無表情を浮かべた樹雄は、自分の手提げ袋の横に置かれた竹刀を手にして、


「俺が出る! 正門を越えるまでの間、援護射撃を厚くしてくれ!」


 剣道部員ならでは、腹の奥にずしんと響くような声を上げた。

 それを聞き、窓の下にへばりついた皆は、樹雄の勇姿に目を輝かせた。


「して、丹羽氏。徐珠亜さんは、なんと?」

「ああ、敵将を私が倒したら帰って良いとのことだ! しかも垂涎すいぜんの的だった関羽が手に入る! これで我が軍は呉起ごきを得たり!」


 その声を聞き、窓の下にへばりついた皆はやっぱりかと半目になった。


「呉起氏ではなく関羽氏でしょうに。さあ、それでは丹羽氏、参りましょう」

「なんだ? さっきまで行かないとごねていたではないか」

「それはもちろん、彼方が男性を打ち据える様を間近で見るために」

「さっぱりわからんが、邪魔だけはするなよ」

「もちろん彼方あなたのご褒美を掠めるなど致しません。此方こなたへのご褒美が減ることになります」

「…………さっぱりわからん」


 樹雄は射撃部隊へ合図を送ると颯爽と走り出した。

 彼が階段を全段飛ばしで一気に飛び降りると、霞蒲羅はゆっくりそれを追った。


 同時に弓道部員とやり投げ選手が援護射撃を開始して、空き缶の直撃により二人の弓兵がおでこを押さえてへたれ込むことになったが、急な猛攻撃に敵部隊は動揺したようだ。


 校舎を出て前線に到着した樹雄は、その動揺の呼吸に合わせ、


「いまだ!」


 なんと、自ら正門を開け放ってしまった。


 事しか指示されていなかった前衛の女子一同はあっけに取られてどうしたらいいか分からず立ち尽くしていたのだが、のしのしと歩み寄る樹雄に一息で三人を叩きのめされ、一気に震え上がった。


 わざわざ一番痛そうな音が響く肩口を叩いてアピールした樹雄は腹の底からの大声をあげる。


「清洲高校二年! 生徒会書記にして剣道部副部長の丹羽樹雄だ! 敵将、富士! いざ勝負!」


 この初撃と、名乗りのコンボは効果的だった。

 絶対安全とたかくくり始めていた前衛の女子生徒達が大慌てで逃げ出し、そのせいで後方の男子生徒も混乱して機能を失う。


 敵陣は一瞬でめちゃくちゃになったのだが、その中で一人、自分の名を呼ばれた司令官はその場を動くはずも無い。


「そこだーーーーっ!」


 剣道部自慢の発声を響かせつつ走る樹雄の前に立つ者は慌てて逃げ出し、進路は一瞬でクリアーになった。

 そしてその先で呆然と立ち尽くす男の頭に、


「……エェエーーーーーン!」 


 竹刀の先が後頭部に巻きつくほどの、会心の一撃が入った。

 男がその場に崩れ落ちるのを確認した樹雄は、


「敵将! 富士! 討ち取ったーーーー!」


 腹に響いてくるような、圧倒的な声量せいりょうで勝ち名乗りを上げた。


『うわーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』


 叫び声をあげて三々五々散っていく敵の中、樹雄はさっと周囲を見回す。

 すると随分と離れたところにぽつんと残る、中肉中背の男を発見した。


「……貴様が、富士だな」


 問いかけられた男は、そうですと返事をしているかのようにおたおたと逃げ始め、


「ふんっ!」


 しんきゃくで一気に間を詰めた樹雄に首を打たれ、崩れ落ちた。


「…………ちょっと、あざとい手だったな」


 樹雄は一人、呟きながら左手で敵将の首根っこを掴み、


「敵将富士。討ち取った」


 大した仕事でも無かったと言わんばかりのへの字口で嘆息しながら、大将首を引きずって帰還した。


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