中備え 道は見えども裏切りの、花咲かせたりて雨を呼ぶ

 たった一日のインターバルを経て考課測定が行われることになった解放同盟の士気は低く、友達との挨拶の枕詞まくらことばには必ず花音をののしる言葉が添えられていた。


 皆、基本的には赤髪メガネのことを気に入っているものの、そうでもしないとやっていられない。

 そんな空気感がひしひしとここ、清洲高校の校庭に設営された指令本部に伝わってくるのだった。


「ねえ滝川君。あたし学校につくまでの間、二十一回も足を引っ掛けられて転んだんだけど、何のゲームか知ってる?」

「そうね、流行ってるんだよ、今日だけ」


 遊びと勘違いしてくれてよかった。

 もしただの逆恨みと知れたらどざあだ。

 通信と策敵、そして機動力が重要な序盤、いきなり全部潰されたらたまらない。


 そうなんだと呟きながら郁袮にドラパンを渡している花音を見てリラックスした徐珠亜は、自分もチョコバーを一本取り出してかじり付いた。


 墨田は悠々と、しかし確実に攻めてくるだろう。

 そう考えた徐珠亜は一部だけ例外があるものの、生徒も兵士も所属校へ通常通りに通学させた。


 開戦まであと二十分。

 徐珠亜の周りの静けさに引き換え、少しだけ離れたところに設置したテーブルに三十人並んだ通信兵は、ひっきりなしに携帯へ怒鳴っていた。


 それもそのはず、今川勇兵と太原舞の姿がどこにも確認できず、必死に捜索しているのだ。


 江東区と墨田区との東西にわたる区境、その中心付近に位置する長篠ながしの高校に確認された墨田兵は五百人。

 おそらく本隊と思われるここに二人の姿が無いということは、少人数の遊撃隊を率いていずこかに潜んでいるということだろう。


 そしてそこから遥か東、江北との境界の中央、大島おおじま駅近辺に江北勢五百人の姿が確認されている。

 ただ、ここに歴戦の武将の姿はまったく認められず、それも不気味に思われた。


「おぃおぃ。まさか、今日はおやすみってぇ手じゃぁないよなぁ?」


 花音の指示で仕方なくお茶のペットボトルを校内監視の都の職員や警察官へ配ってきた流胡は、ガラの悪い文句を言った後、花音に尻尾を振りながらお茶を差し出していた。


 そしてありがとうとのお褒めの言葉と共に塩鮭の詰まったパンを差し出され、泣きながら悠斗の首を絞め始めた。


「おお……、いてて。頑張って挑戦するならそいつの方がまだいいぜ。二個目は、納豆だ」

「どっちもぉ、むぅりだぁ~」

「なんでさ? 日本人の朝食といえばこれだろ? 花音、いいお嫁さんになるぜ!」

「年上で白馬に乗った旦那様! そしていいお嫁さん! きたこれ!」


 大はしゃぎで郁袮を見つめる花音に反して半目になってしまった郁袮は愛団に目線を移し、


「ねえちゃん、白馬の免許って、何歳から取れるの?」

「郁袮はまず、それの年上になる方から頑張れ。白馬はその過程で自然と身に付く」

「……わかった」

「分かるなよ。それより良かったぜ郁袮、いつも通りじゃん。ちかちゃんにおぶられて帰る姿を見た時にゃ、今日は無理だと思ってたんだけど」

「……なにが?」


 一同は揃って、覚えてないっていうよくあるアレかとため息をついたが、納豆パンを半分に割った花音が箸でかき混ぜ始めた音のせいで清洲名物の劇画顔になった。


「そ、それより、今川勇兵の姿はまだ見つかってないけど必ずどこかにいるはずなんだ。まいたんにはかのんちゃんぶつければ何とかなるとしても、アレの対策考えねえと」


 徐珠亜が皆の顔を見渡しながら、開戦が迫った緊張感を取り戻す発言をした。


「それなら、こいつをぶつけるといい。そうなると私は用無しになるから今日こそ早退することになるのだが」

「おや、それは此方こなたには構わぬのですが、今川兄氏は物のみやびをご存知でしょうか。あのせい燎原りょうげんをいただくまで、しばしめ置く約をいただかねば」

「そうか、時間稼ぎの手さえ考えればいいんだから、かふらおじょうちゃんが適任かもな……」


 顎に手をやりつつ悩む徐珠亜に、お茶をすすりながら花音が発言した。


「今川さんの言霊スキルの話し? あたしあれ、どうにも納得がいかないんだけど……。郁袮もそう思わなかった?」

「ああ、めちゃめちゃ痛かったな。反則だよあんなの」

「そうじゃなくて、なんていうか、違和感無かった?」

「……お前の脳が人間に詰まってる方が違和感あるから安心しろ」


 そこそこ一般的と思われるものの、清洲の面々には不評を博した納豆パンをほおばる郁袮を、はち切れそうなほど頬を膨らませた花音がにらみつける。

 そんな二人を見ながら、徐珠亜は尋ねた。


「かのんちゃんは感覚的に物を見るからね、何かを掴んだのかも。リアリストの郁袮にその違和感を説明してもらえたら糸口がつかめるんだけど、おかしい事に気付かなかったか?」

「おかしいも何も、言霊スキルなんて全部おかしい。俺は信じねえぞ」


 郁袮のリアリストぶりは筋金が入っている。

 徐珠亜はやれやれと苦笑いで両手を頭の後ろに組むと、霞蒲羅が日傘をくるりと回しながら愛団に疑問を投げた。


「時に佐久間姉氏。佐久間弟氏は、かねてよりこのような現実目線で物を見るのですか?」

「こいつがこうなったのは中学に上がる頃だ。その原因は、こいつを育てたじい様にある」

「へえ! おじいちゃん! どんな人なんですか?」


 この話題に食いついた花音が愛団の至近まで顔を寄せると、激しくなった呼吸音で一言だけ「なの!」と叫んだ愛団は、周りの目線に気付いて自制しながら説明した。


「か、変わった老人でな。北海道の山中で野良のように生活し、野生の熊を敵として戦うことを生きがいにしている。そしてこいつを小一の時に無理やり引き取り、共に山に暮らし、五年生の夏に帰ってくるまでの間いろんなことを教えてやったそうだ」


 突拍子も無い話しが飛び出てきたことに驚いた皆は、郁袮の顔を見た。


 野性的な髪、精悍せいかんでありながら粗野そやな顔立ち、雑で容赦の無い言動と四足歩行。なるほど納得と皆が頷くと、その郁袮は眉根を寄せつつ納豆パンの最後の欠片かけらを口に放り込んだ。


 それと共にころころと笑いをこぼした霞蒲羅が、


合点がてんがいくお話しに此方は大変楽しめました。褒めて差し上げます」


 などと言うと、小学生の感性を持つために大いに食いついた悠斗は興奮しながら、


「おお! 郁袮、そのすげえじいさんの話し、もっと聞かせろ!」


 と、折りたたみのテーブルに両肘をドンと付いて身を乗り出した。が、


「すごくなんかないよ? どこにでもいるよあんなの」

「いる訳ねぇだろうが野良犬ぅ。なんだぁその豪快なやつぁ?」

「え? あれ? 今の説明でわからない? あいつ、ただの中二ヒッキー」


『…………はぁ?』


 あまりにも予想外な返事が返ってきて、皆は揃って絶句した。


 そしてカラスマスクの中で大きくため息をついた愛団が、しぶしぶ説明を始めた。


「……野宿スキルはミリオタの延長。熊と宿命の対決とか設定ちゅうにも程がある。さらに山にこもって誰とも会わないのはコミュ障のせいで、幼児に自分の考えとか語るのも大人に相手にされなくなったせいだ。あまりの酷さにばあ様から家を追い出された男。それがじい様だ」

「あ、とは言えある意味凄いのかもしんない。俺の教材置き場だったところが体育館の半分くらいの広さだったんだけど、そこにはパソコン、テレビ、ゲームハード、ソフト、ハードディスクレコーダー、ブルーレイボックス、マンガとラノベと薄い本がぎっしり!」

『うわあ、すげえ……』

「おんなじくらいの建物があと二つあって、かたっぽにはフィギュアとグッズが山のように積んであったんだ。特に、床一面の抱き枕が圧巻だった」

『うわあ……』


 最初の印象と真逆を行く事実に驚きすぎて、逆に無表情になった悠斗が呟く。


「おお、最後の建物の中身が怖すぎて聞けないぜ。でも聞きたい」

「いやさすがに聞きたくは……。これはもう怪談の類いではないか。でも聞きたい」


 樹雄もなんとなく怖いもの見たさというものが湧き上がったようで、しょうがないなと前置きした郁袮が最後の部屋について語った。


「先に話した二つの建物には毎日通っていたんだ。でも、最後の建物は始めて入った時がショックすぎて二度と近づくことは無かったね」


 皆が、ごくりと固唾かたずを飲み込んだ。


「俺には何かの呪いに見えたんだ。不安定で巨大な茶色いオブジェの各所に刻みつけられたまったく同じ笑い顔が数千、数万。呪われた部屋なのか、はたまた何かの儀式なのかなって。お陰でトラウマになっちまったよ、アマゾンの空き箱」


『再生資源をためるな!』


 周囲の目も気にせずに総ツッコミを入れた一同は、脱力して机に突っ伏した。


「……じい様は、オタの友達が欲しくてこいつを拉致して英才教育を施したんだ。東京に帰ってきたばかりのこいつは、それはひどかった。だから、オレが矯正きょうせいしてやったんだ」


 淡々と呟いて遠くを見つめる愛団に、それであれに繋がるわけかと全員が半目を向ける。


「どっちも極端よ。まあ、おじいちゃんの方がちょっとひどい気もするけど」


 珍しく突っ込みを入れた花音に、パイプイスの背をギシリと軋ませた郁袮は、


「でもねえちゃんのお陰で、じじいに押し付けられた壮大な夢やロマン、超常現象も、特殊能力も、俺の右手に眠る黒炎こくえんりゅうさえもうそっぱちだったってわかってさ、俺は現実しか見ないって決めたんだ。だから、東京二十三区だけに現れる言霊スキルについても信じる気はねえ」

「信じる気は無いも何も、実際にあるものを信じなきゃただの逃避じゃねえか」


 徐珠亜がリアリストの定義に疑問を抱えながら突っ込むと、花音が口を挟んだ。


「おじいちゃんが山で育ててくれたから、あっちに敵が何人いる~、とか分かるようになったんでしょ? 役に立ってるじゃん、その辺は感謝しなきゃだよ?」

「ああ、別に感謝して無いわけじゃないよ? オタ知識だって役に立ってるし」


 話しの流れとはいえ郁袮は迂闊うかつなことを口にした。もちろんそれを許さぬ愛団は下からめるように彼をにらみつけながら、


「あぁん?」

「きゃーーーーっ! おねえちゃん! アリが浴槽にいっぱい詰まってる! ぼくこんなところに入るのはイヤだよ! 出してよおねえちゃん!」


 郁袮は周囲がぎょっとするような叫び声をあげながら、発作を発動させた。

 すると花音は彼の頭をよしよしと胸に抱きながら、


「佐久間先輩。もう郁袮も高校生なんだし、許してあげてよ。それに多少おた要素があった方が今時普通ですって」

「そ、そうなのな……ごほん。かの、織田がそれでいいなら、そうしよう」


 皆はひとまず胸を撫で下ろしたが郁袮だけはまだ回復できないようで、花音のセーラーの胸に顔を埋めてひっしとしがみ付きながらぶつぶつと独り言を呟いていた。


「おねえちゃん、ミノはもう口の中に四つも入ってるんだよ? いつまで噛んでも無くならないんだよ? これ以上入れちゃ……、あ……、ああっ!」



 指令本部は酷い有様になってしまったのだが、もう開戦時間だ。

 徐珠亜は愛団を伴ってテーブルを立ち、通信兵が三十人横並びになった指示卓の中央に設置されたお立ち台に立つ。


 すると校庭に座り込んで待機していた兵士達は、いよいよかと腰を上げていった。


 それは、緊張感ある光景だった。

 彼らを見て反省しながら、すっかり緊張の糸が切れてしまった自分に喝を入れるため、徐珠亜は強く声を張った。


「みんな! 開戦まであと一分だ! 九時を回っても敵の足取りは重いことが予想される! だが当然あなどることは出来ない!」


 徐珠亜はさらに胸を張って大きく息を入れ直し、


「こちらに比べて敵の数は倍だ! まずは通信兵! 敵の情報を出来る限り細かく探れ! そして居並ぶ兵士諸君! みんなの力が試される時がついに来た! 今日は思う存分、暴れてもらうぜ!」


『おおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!』


 まがりなりにも学業を免除されている専業兵士ばかりだ。

 当然モラルも高く、この手の演説で気合を入れてくれる。

 自分も逆に皆から気合を貰って気持ちを引き締めることが出来た徐珠亜は、校庭に集まっている二百五十人の兵士を見渡した。


 彼らは清洲の百五十人と、墨田から離れている勝幡、蟹江の五十人ずつ。

 この二百五十人に加え、五校に配置した五十人ずつの兵士、総勢五百人の皆を指揮して戦うわけだ。


 敵がどれだけいようとも、彼らがいれば決して負けない。


 徐珠亜が自分にそう言い聞かせると同時に、通信兵が三台ずつ手元に置いた携帯とノートパソコンのメール受信音が、開戦を知らせるかのように一斉に鳴り始めた。


「江北軍五百、全速力で丸八まるはち通りを南下中! 狙いは江東区南東の大高おおだか高校!」

「今川軍本隊、長篠ながしの高校から出ました! 四ツ目通りを全速力で南下しているとのことです! 進路予測、鳴海なるみ高校! あるいは清洲高校ここです!」

「…………はあ?」


 徐珠亜は愛団と顔を見合わせて眉根をしかめた。

 なぜここで速攻を選んだのか、まるで意図が見えてこない。これで対応は楽になったが、その代わり部隊展開を急がなければならなくなった。

 徐珠亜は慌ててお立ち台から降りて、小走りで通信兵の横を通り過ぎようとしたのだが、


「い、いました! 今川勇兵と太原舞です!」


 その声に思わず反応して足を止めた。


「江北領、岡崎高校へ潜んでいた模様! 本隊の五百人と江北勢五百人の中間付近から移動を開始! 解放同盟領北東部の沓掛くつかけ技術高校へ向けてゆっくりと進軍中! その数……。え?」


 徐珠亜が見つめる先、ポニーテールの一年生は見る間に青ざめた顔つきになり、震える口で叫ぶように報告した。


「その数! 千人以上! こちらが本隊です!」


 さすがに楽には勝たせてもらえないなと大きく息をついた徐珠亜の肩を、愛団は力強く叩いた。


 だが、徐珠亜は彼女に振り向いて不敵な笑みを作ると、不安顔で迎える生徒会メンバーの下へ腕まくりと共に足を進めたのだった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


大高おおだか高校陥落! 生徒は全員脱出! 兵士の皆さんは第七丸根まるね小学校と、第三鷲津わしづ小学校へ二十五人ずつ逃げ込みました!」

鳴海なるみ高校陥落! 全生徒、兵士は慌てて逃げたようで、安否は分かりません!」

「通信兵! 小牧こまき岩倉いわくら工業と犬山いぬやまの兵士を急いでここへ集めてくれ! 全部だ!」

「敵本隊、進路上の指定拠点を一つずつ開放しつつ沓掛くつかけ技術高校へ迫ります!」

沓掛くつかけに伝えてくれ! 敵とは戦わずに明け渡してしまえ! すぐ近所の猿江恩賜さるえおんし公園に逃げて、ゲリラ戦に専念するように!」

「了解!」


 こんな緊急事態に鼻歌交じりで地図へ書き込みをしていく徐珠亜を見ながら、トラウマから復帰したばかりの郁袮が心配そうに声をかけてきた。


「徐珠亜さん、結構やばくない? 鳴海高校ってここから一キロも離れてないよね」

「何言ってるのよ。郁袮が気付くようなこと、滝川君が気付かないと思ってるの?」

「そりゃそうか。てか、お前はなんで落ち着いてるんだ。鳴海が占領されたんだぞ」

「いつ? 鳴海高校って、ここから一キロも離れてないじゃん。滝川君! 大変!」

「慌てない慌てない~っと」


 こういう時こそ、落ち着いた思考が大切だ。そして落ち着いた思考の源は、清涼剤の存在。

 これがアロマであったり音楽であったりと人によるわけだが、徐珠亜にとってはほんの二週間ばかり前から毎日展開される、この二人のやり取りが堪らないほどの癒しとなっていた。


 徐珠亜は二人の頓狂でのんびりとした会話を聞いてリラックスしながら、本部のテーブルに置かれた巨大で詳細な地図へ、通信兵が何か叫ぶ度に数字やら文字やらを書き込んでいった。


「おお、聖徳太子か、こいつは」

「いや、軍隊が動くのだ。細切れの情報を脈略にすることなど簡単にできる」


 樹雄はそう言うと、何箇所かに書かれた兵士数に二重線で訂正を加えていった。

 その様子を見ながら花音は、


「男の子って、こういうの得意よね~! なんか、出来る男って感じ!」


 などと、ちょっと垂れながらもパッチリとした目を見開いてしきりに感心しながら郁袮に同意を求めたのだが、さっぱりついていけない郁袮は、


「悪かったね、できない男で。俺にはさっぱりだよ」

「あと二年もしたら分かるようになるんじゃない?」

「……ん? そういった意味で年上がいいって言ってるのか? そしたらそのうち俺だってできる男になると思うぞ?」

「違うって。年上ってさ、なんか出来る男! って感じじゃない? 年下で出来る男とはちがくって」

「……まるで分からん」


 なんで分かんないかなあという顔で郁袮をにらむ花音と、困った顔になりながらもにらみ返す郁袮。

 徐珠亜はチラリと二人を見ながらお似合いなのになあなどと考えていたら、悔しそうにしながら邪悪なオーラを放つ、二人の女子に気付いてやれやれと肩をすくめるのだった。


「さ! はじめっか!」


 そして大声を上げると、一同の目線を地図に集中させるために胸ポケットから伸縮式の指示棒を取り出した。


 まず、徐珠亜が指示棒で叩いたのは江東区の南東部、東砂ひがしすなに建つ大高おおだか高校。そこには「江北500」と書かれていた。


「兵力差四倍という局面で奇策を使う必要はない。それなのに速攻してきた両翼なんだけど、これは手柄が欲しかったためか何なのか理由は分からないけど、大きな失策しっさくなんだ」

「なんで? 滝川君この前、「フィレはせっかくの肉」って言いながら攻めるのは早い方が良いって言ってたじゃない」

「兵は拙速せっそくを聞く、だな」

「そう、その最速を出すためにゆっくり進む必要があるんだ。じっくり囲んで確実に沈黙させていかないと」


 そう言いながら、第七丸根小学校と第三鷲津小学校に「25」と書かれた部分を叩いた。


「こうなる」

「…………あ、そっか! もともとは兵士の皆さんがいないから、簡単に二つの指定拠点を取れたはずなんだ。これじゃ、今度はこの二箇所を攻撃しなきゃなんない」

「そうそう。逃げられたら二度手間なんだよ。しかもこの状態なら指定拠点を捨ててゲリラ戦を挑まれる恐れもある。いずれにせよ、江北は大高高校を守りきれる兵力を残して進むか、あるいは全軍で進みたければ五十人を何とかしなきゃいけなくなったってわけ」

「なるほどー! 郁袮、わかった?」

「すごいな。何度聞いても徐珠亜さんの戦略講座は面白い。あ、戦術なのかな?」

「そのカテゴライズは人によって違うんだけど、俺にとっては戦略かな」


 ……指定拠点とは、各地の小中学校、大型公共施設、公園などのことで、都がメインの戦闘行為をここでするようにと定めた箇所だ。

 もちろんそんな悠長なことを言っていられないので、路上だろうが私有地だろうが戦闘行為は行われるのだが、指定拠点は防御力に優れる場合が多く、多くの兵を展開できるために支城しじょうとして使われることが多い。


 徐珠亜はそこで、と前置きしながら清洲の真北に建つ鳴海なるみ高校を指示棒で叩いた。


「昨日、かのんちゃんが決定した方針を実現するため、鳴海の周辺を何とかする。そこから突破口が開けるだろう」

「なんだっけ?」

「おお、さすがにそこはボケんな。敵の大将を直接叩くっつったろ」

ういちゃんを叩いちゃだめだよ! あんなに可愛いくて優しい子なのに!」


 この忙しい最中さなか、花音は皆を驚かせる発言をした。


「え? かのんちゃんは今川愛に会ったことあるの? 極秘中の極秘なのに!」

「うん。三日前だっけ? 迷子になって泣いてたから、手を引いて府中高校に連れて行ったの」

「お前も迷子になってた事実を伏せるな。しかし、あん時の子が今川愛だったのか。俺がお前を肩車して、お前があの子を肩車して」

「そうそう」


 皆は突っ込みたい気持ちをどうにか飲み込んで、


「織田、お前の頓狂とんきょうな冒険譚は後で聞こう。今話しているのは、兄の方だ」

「ああ、そうなんだ。でも、直接叩くなんてことできるの? 今川さんって……」


 花音は地図をきょろきょろと見渡し、「1000」と書かれた高校にその名を見つけて、


「あ! いた!」


 と、大喜びで指をトンと置いた直後、徐珠亜をにらみつけて膨れながら、


「無理っ! ここだけで解放同盟の倍もいるんだけど!」

「相手は太原だ。そうそう兵力を分散させたりしない。だから、あいつらが移動中で戦線が伸びきってる時とかに奇襲するしかないんだ。そのためにいろいろ揺さぶっていく。まずは、鳴海。ここに間接アプローチをかける」

「ブローチ?」

「直接鳴海高校を叩くんじゃなくて、周りを完全に占拠して追い出そうって算段さ。最終決戦用の突撃兵を、鳴海高校か善照寺ぜんしょうじ特別支援学校に置きたいところだから、ここは取り返しておきたい」


 花音が首をひねり始めたので、徐珠亜は三箇所の指定拠点に丸を付けてから話し続けた。


「今、鳴海を囲むこの三箇所には兵士だけじゃなくて戦闘に参加してくれている生徒達が五十人ずつ逃げ込んでいるんだ。まずはここ。鳴海高校のすぐ西にある丹下たんげ四中。ここにうちの広範囲殺戮さつりく兵器、かふらおじょうちゃんを送る」

甘受かんじゅに否定をていしましょう。殺戮などいたしません」

「まあまあ。おじょうちゃんなら確実に敵を駆逐できるだろうから、三十人ほど連れてってそいつらに防御を任したら樹雄んとこに向かってくれ」

「了解ですわ、徐珠亜さん」


 霞蒲羅はいつもの日傘をくるりと回して青い瞳を徐珠亜に向けた。


「んで、その樹雄は鳴海の北、善照寺特別支援学校に三十人連れて向かってくれ」

「……負けたら、帰っても良いのか?」

「いや、頑張って勝ってくれよ……。大体ここ、そのあと突撃部隊を待機させるのに一番いい場所だって分かってんだろ?」

「もちろん分かっているが、昨日も遅くまで拘束されたのだ。今日くらい帰らせてくれ」


 徐珠亜は聞く耳持たないと言わんばかりに、話しを先に進めた。


「無茶言ってんじゃねえよまったく……。で、最後が鳴海のちょい東、第二中島なかしま中学校。ここにはちかちゃんが行ってくれ。三十で足りる?」

「少し厳しいが……。いや、江北への備えが必要なのか。……わかった。なんとかしよう」

「ねえ、ブローチは?」


 花音はブローチの件が気になって三人の別働隊の話しをまったく聞いていなかったのだが、どうせ決定打となるタイミングまで自分と一緒にいるのだから構わないかと考えた徐珠亜は間接アプローチの説明をはじめた。


「そだね、えっとどう説明すっかな。……かのんちゃんが、鳴海高校に五百人の兵を持っていて、周りが五十人ずつで占拠されて地味に攻撃され続けたらどうする?」

「なんだっけ、拠点は三倍の兵隊さんで攻めればいいんだよね? じゃあ、百五十人ずつ出してみんなやっつけちゃう!」

「じゃ、そいつらかわして全軍で鳴海を襲うけどいい?」

「こっち、五十人しか残ってないのか。よくないです。じゃあやっぱ、動かない」

「弓矢はひっきりなしに飛んでくるし、自分を囲んでる連中はお昼ご飯食べてるのに自分のところにはご飯が届かない」

「なにそれずるい! でも、鳴海にいなくちゃいけないんでしょ?」

「別に?」

「じゃあ帰るよ!」

「そういうこと。そこにいても意味が無いっていう状態にさせるんだ。でも、鳴海を取り返すことは、こっちには意味がある」


 郁袮がしきりに感心して地図を見ている姿にくすりと笑った徐珠亜が作戦開始の号令を出そうとしたその時、花音の携帯が魔法少女シリーズのアニソンを奏でた。


「かのんちゃん、ここは戦隊モノのBGMが流れるような場面だと思うけど」

「おお、でも最近の魔法少女系はバトル路線突っ走ってるぜ。たぎる」

「きもいんだょ小学校はよぅ」


 花音はみんなにちょっと静かにしてねと手を挙げつつ、携帯をポケットから取り出した。


「……魔法少女かぁ~。メガネにぴったりだぁ」

「おお、間違いなく水属性だな」

「此方もそれははげどう」

「もしも~し……あれ? あ! はい! 織田です! …………え?」


 なんとなく、皆は花音の電話の相手に興味がわいて眺めていたのだが、


「本多さんですか!」


 その声に、息を呑んで緊張した。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「…………功をあせった…………か」


 沓掛くつかけ技術高校の校庭に仁王立ちする、長い金髪の大男。

 片胸用のブレストプレートを開け放したワイシャツから覗かせた今川勇兵は、南西にある鳴海なるみ高校の方角を向いて呟いた。


「まったく……。そんで身動き取れなくなってりゃ世話ねぇって話しですよ?」


 その横で、ぶかぶかの制服でメガネをせわしなくいじる副官、朝比奈拓朗が相槌を打った。


 現在、彼らは信頼の置ける者を指揮官として小部隊を展開させ、周辺をクリアーにしてどの方向へも安全に移動できる準備を進めていた。

 特に猿江さるえ恩賜おんし公園に逃げ込んだ兵士が遠距離から弓を射掛いかけてくるのがしつこく、三百人もの兵を率いて太原が出陣していた。


「しかし、天野あまのさん、富士ふじさん、葛山かつらやまさんですか……。みなさん、ムキになって手柄を競い合っちまったんでしょうね。岡部おかべさんじゃあ、押さえ切れなかったんですかね?」

「…………五百人もの兵が、まるで遊んでいる。松井の抜けた穴は、存外大きい」

「あっしが怪我をさせたようなもんです。松井さんにゃ、足を向けて眠れやせん」


 鳴海を大慌てで落とした五百人を率いているのは、府中高校の岡部という男なのだが、大怪我を負って入院を余儀なくされた松井の代役にしてはあまりにお粗末な結果になっていた。


 とにかく乱雑に乗り込んだため鳴海の正規兵士の五十人は無事に逃げ出し、慌てて逃げた生徒の中からも携帯や財布を校内に忘れてきた者や無下に攻撃された者まで、すぐ近隣の中学校、小学校に立てこもって激しいゲリラ戦を展開しているようだ。


「その分、こちらも慌てて随分逃がしちまいやしたね……」


 岡部隊が包囲殲滅される危険が出来たため、本隊の一千人も丁寧に小さな拠点を潰しながら移動するわけにはいかなくなったのだ。

 限界まで慎重さを下げてすばやく沓掛技術高校を落としたため、やはり一般生徒が転じた兵士を多く野に放ってしまうことになってしまった。


 憤懣ふんまんやるかたない二人だったが、ここで更に不機嫌になる報告が飛び込んできた。


「報告! 大高おおだか高校の江北勢、こちらを離反したとのことです!」


 今川勇兵はそれを聞いても表情も変えず、大高高校がある南東の方角を見つめ、


本多ほんだ…………朱埜あけの…………か」


 江北軍司令官を襲名した、今回が初陣となる名も無き戦士の名を口の中で呟いた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それぞれ三十人の兵士を連れた愛団、樹雄、霞蒲羅はすでに出撃していた。


 そんな清洲高校では本多朱埜からの連絡を受けてくるくると踊り続ける花音が各所で邪魔者扱いされ、その馬は、学校で一番高い木の上に獣座りになって東の方を見ている。


 そして徐珠亜が背後の高校から呼び寄せた百人を加えた二百六十人の編成作業を慌ててこなしているところに、踊る赤髪メガネが邪魔をしにやってきた。


「松平さんとこが味方になったし、余裕できたんじゃない? ねえねえ!」


 これに苦笑いだけで返事をした徐珠亜が通信兵から手書きの紙を三枚ほど貰って電卓を叩き始めると、邪魔になると考えた流胡と悠斗が花音を引き離すために立ち上がった。


 その時、徐珠亜の元に通信兵の女の子が二人、血相を変えて走り寄ってきた。


「大変です~!」

「江北勢が、今度は墨田に寝返りました! 清洲へ向かってきます!」


 この報告に、悠斗と徐珠亜、流胡はやっぱりかと顔を見合わせた。

 が、ショックどころか茫然ぼうぜん自失じしつしてしまった花音は、目に涙を溜めながら両肩ごと腕を落としてしまう。


 そのせいで今まで燦々さんさんと照らしつけていた日がかげり、校庭で待機している二百六十人の兵たちに動揺が走った。

 そんな花音を、流胡がやさしく抱き寄せた。


「状況は詳しく聞いているか?」

「は、はい!」


 机に広げた地図を見るため書類をざっと腕でどかし、徐珠亜は状況を確認した。


 大高高校を占拠した江北勢は、三百人を高校に残したまま百人ずつの二部隊で第七丸根小学校と第三鷲津小学校へ向かったらしい。

 ここはもともと大高高校から逃げ出した兵士が二十五人ずつ逃げ込んだ指定拠点なのだが、江北勢が解放同盟側に寝返ったという情報を鵜呑うのみにし、守備の交代に来たという言葉を信じて拠点を出たところをだまし討ちされたのだ。


 丸根は全滅。鷲津の兵は清洲へと逃げるところを、その百人の江北兵に追われている。しかも、その執拗に追撃してくる軍の司令官は……、


「間違い……、ないのか?」

「はい! 間違いなく、本多朱埜だそうです!」

「だとすると、百の兵でここを落とすつもりで突っ込んでくるだろうな……」


 彼女の立場は、この二重の裏切りという行動で裏付けられた。

 松平亜寿沙を人質にされ、墨田にとっての使い捨ての手駒として清州高校ここへ向かって来る。


 そんな彼女に足を止められると、今川の本陣が移動するタイミングで奇襲部隊を前線に配置できなくなってしまう。

 だから、江北との戦闘は野戦、しかも前線に近い場所にしたいところだ。


 徐珠亜は頭をフル回転させ、本多朱埜と対峙たいじすべき箇所を考えたのだが、


「だめだ。敵の移動ルートが読めねえ……」


 思わず口に出してしまったが、敵のルートがいくつも考えられるのだ。

 交戦の時間を考えたら今すぐ出陣したいくらいなので、敵の位置を通信兵に探らせている時間が惜しい。


 そう考えていた徐珠亜の横から、いつの間に木から下りてきたのやら郁袮が地図を覗き込み、


「なんか、この道から百人くらいの塊が近寄ってくる気配があるんだけどさ。敵だよね?」


 わけも無さげに徐珠亜が一番欲しい情報を持ってきてくれた。


「郁袮! おまえすげえよ! 今度可愛い子紹介してやっから!」

「え? 何? いや、俺には花音がいるからそんなことされたら困る……」

「すぐに出撃準備! 目標、横十間川親水公園よこじっけんがわしんすいこうえん! 急げ!」

「あの、徐珠亜さん? まじで困るんだけど……」


 徐珠亜はブレザーの内ポケットからいくつも携帯を取り出して直接指示を出しながら校庭へ向かい、その後ろを郁袮が追っていく。

 そんなやり取りをよそに、悠斗はブレザーを脱ぎ捨てて地面へ放り捨てると、一歩一歩、足を重たく運んで花音の横に立った。


 彼は、流胡の胸に右耳を押し付けて目を見開いたまま固まっている花音の頭に、わしゃっとごつい手を乗せて遠くを見ながら呟いた。


「お前を泣かせたやつ……。おれが、ぶん殴ってきてやっからな」


 初めて同級生になった小学校二年のころからずっと変わらない台詞を聞いて、空と同時に泣き出してしまう花音だった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 自分のやるべきこと、ではなく、自分がしたいことのための武力……。

 そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。


 家庭という生きる根幹のようなものに揺らぎが出たせいで大切なものを見失っていたのだ。


 思えば友達にも随分と心配をかけ、しかも、皆に頼ることもしてこなかった。


「あたし…………、いやな子、だったな」


 もし、逆の立場だったらと思うとぞっとする。

 圭子が、朱埜が、苦しんでいるのにそれを相談してくれなかったとしたら……、そんな寂しいことはない。こんな大切なことを思い出させてくれた織田さんは、


「…………ふふっ」


 皆さんに頼りっきりだった。あたしの家の事情も何とかするとか言っておいて、でもあたしは何にもできないから、みんなよろしくね、なんて。


「はあ……」


 なんて素敵な関係なんだ。

 あたしたちも……、あんなふうになれたなら。



 江北連合主宰にして、今日から府中高校二年に編入した松平亜寿沙は府中高校の生徒会室前で足を止めた。

 自分を友のように心配してくれた彼女のため、自分自身の意思で今川勇兵と戦ってみせる。まずは、江東に対して考課測定を行わないように説得しなければ。


 他県では転校初日といえば職員室へ向かうのが一般的なのだろうが、東京二十三区では生徒会が学校の運営すべてを取り仕切っているため、最初にここを訪れるのが当たり前。


 しかも早朝、生徒会からの伝令なる一年生が新居を訪れ、わざわざ生徒会室へ出頭するよう伝えてきたのだ。これを無下むげに出来るはずもない。


 本当は少し時間が欲しかったが、覚悟を決めよう。

 一つだけ軽く深呼吸した亜寿沙は、胸に当てた右手を伸ばし、ノックする。


「……ど、ぞ」


 すると、生徒会室から可愛らしいけど、どこか気の抜けた返事が返ってきた。


「……し、失礼します……」


 何人ものいかつい男子が、そしてなによりあの大男がいる様子を想像しながらドアを開けた亜寿沙は、室内の様子を見て拍子抜けした。

 そこには、小学生のような女の子を除いて誰もいなかったのである。


「……ええと……、生徒会の方は?」

「……うい、せいとかい」

「え?」


 亜寿沙は、墨田区内の各校生徒会メンバーを頭の中で検索し、最後に残った、該当する人物の名を呼んだ。


「あなたが……、今川ういさんなんですか?」


 その言葉に、愛は素直に頷いた。

 あの兄のせいで勝手に朱埜以上の大女を想像していてごめんなさいと心の中で呟いた亜寿沙は、二の句を継ぐことが出来なくなって、ただ立ち尽くすのだった。


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