第五陣 意地と理想と愛憎を、戦略戦術戦闘へ

 沓掛くつかけ技術高校には、次々と敗戦の報が飛び込んできていた。

 無理に突出した岡部おかべの軍が兵力を分散させて周辺の指定拠点を襲い、各所で各個撃破されていく。


 そして今も、本陣からの増援を蹴散らしてまで手柄を一人占めにしようとした富士の軍勢が潰走し、その半分にも満たない人数が沓掛技術高校へ逃げ込んで来た。


 それは勇兵に、太い溜息をつかせるには十分な醜態だった。


 岡部は未だ鳴海高校にあるが、周りを囲む三か所の指定拠点へ差し向けた三百人が討たれ、残る二百人の兵も各所からひっきりなしに攻撃を受けて、既に戦える兵は百人を切っている。

 このまま鳴海を放っておいたら岡部の隊は壊滅してしまうが、これを救いだす余裕が、実は墨田側にはない。


 一見、善照寺ぜんしょうじ特別支援学校に二百人、あとは各所に数十人ずつ分散された江東に対して、沓掛に一千人、鳴海に百人を置く墨田が圧倒的にも見えるのだが、南方に四百人もの江北勢力が中立化しており、これが江東にくみする空気が漂っている。


 墨田はそれを避けるため、戦略に目を向け直す必要性が出てきた。


 今川勇兵、太原舞、朝比奈拓朗の三人は、千人の兵から少しだけ離れた位置で額を寄せていた。

 そのそばには第二中島中学校から壊走してきた百人が、体育座りでガタガタと震えながら一斉に何かを呟く不気味な光景が広がっていた。


「お願いだよおねえちゃん……、もう、これ以上の爪楊枝は……、三本目なんて無理だよ……」

「レモンは……、もう、レモンの刺激はこれ以上……、あ、ぁぁぁああああっ!」

「……何があったんだ、あいつら? どいつもこいつもクールにぶっ飛んでんじゃねえか」


 いつものライブ衣装……黒い革のボンテージにミニのタイトスカートといういでたちの舞が呟くと、詰襟の袖から指先だけを覗かせた拓朗がメガネをかちゃかちゃといじりつつ、


「太原先輩、それより今の戦況を心配して下せえ。江北がどっちに転ぶかさっぱりわかんねえ以上、速攻でこれを味方につける必要がありやすんで」

「お? 分かってんじゃねえかよ。じゃあどう動くんだ? 墨田切っての戦略家殿」


 長身の舞は、百三十センチほどの拓朗の頭をわしゃわしゃとかき回して楽しそうに笑った。

 この黒衣こくい宰相さいしょうは、こう見えて拓朗のことを気に入っている。


 それは愛玩や友愛というものではなく、戦略と戦術において時に自分よりするどい見解を出してくることがあるからだ。


 拓朗は少しムッとしながら、ずれるメガネを何度も直して太原を見上げ、


「千人。全軍で迎えに行きやす。それも、今すぐに、大高おおだか高校へ」


 拓朗は、第七丸根小学校の百人と大高高校の三百人、合計四百人の江北兵に対してさらに多くの兵力を見せ付け、開戦当初通り自分達へ味方しろと命じる方法を考えていた。

 既にどちらの味方をしたらいいのか判断できない江北も、そんな威圧をされたら大人しく墨田に従うだろう。


「拓朗。だからテメエはいつまでたっても拓朗なんだ……。良く考えろ、第七丸根小学校の百人を食ってから大高高校へ行ったほうがルート的に効率がいいじゃねえか」


 彼らがいる沓掛技術高校から南東に第七丸根小学校、そこから南へ下れば大高高校が建っている。確かに配置的にはそうなのだが、


「いえ? ほぼ全軍の三百を呑み込めば、百だって勝手に付いてくるんじゃねえですかい? わざわざ第七丸根小で百人を説得する時間を省けるじゃありやせんか?」


 舞は、自分と同じ方法を考え、自分より効率的な答えをはじき出した拓朗をにんまりと見ながら背中をバシバシと叩いて笑い始めた。

 あと一年、自分達が卒業するまでには十分な智謀を身につけて欲しいなどと考えていたことが恥ずかしい。嬉しさのあまり、勇兵が割って入るほどに拓朗を強く叩き続けた。そして、


「さすが次期軍師。というか、摂政か。それじゃアタイは本来の戦術家ってやつに専念してやらあ。第二中島中に、何人連れて出向けばいいんだ?」


 そう、この状況で最も怖いのは勇兵への奇襲だ。

 解放同盟のほぼ全勢力である二百人は、ここから直線で三百メートル先の善照寺特別支援学校に収まっている。この軍勢は、こちらが全軍で移動を開始した場合その背後から襲い掛かることはできても、先回りして奇襲をかける事はできない。


 だが、第二中島中にいる佐久間を押さえ込まないと、移動中の本陣が彼女に襲撃されるおそれがある。そのために先行部隊が足止め、あるいは殲滅しておかねばならない。


 滝川にしては焦りすぎた戦力配置だと考えながら、舞は拓朗の答えを待った。


「……太原先輩は、ここにいる兵を五百人連れて第二中島中へ向かってくだせい。その間に、墨田区から守備兵力を五百人呼び寄せやす。そいつらがここに到着したところで、本陣を移動開始させやす」

「ああん? ロックに穴だらけじゃねえか。解放同盟に先を越されたらどうするんだよ。移動開始までの時間がかかりすぎる。それに、アタイだったら五百になった本陣を狙うし、滝川だったら手薄になった愛を直接狙うと思うぜ?」


 それは分かっているのだが、拓朗とて舞を家族と慕っているのだ。確実に勝てる兵数ではなく、無傷で勝てる兵数を渡したい。


「それじゃあ、三百……いや、二百で、本陣とあんまり離れずに行くとか……」


 この用兵を聞いて盛大にため息を漏らした舞は拓朗の頭をひじ掛けのようにしてもたれかかりながら、


「拓朗よう。だからテメエはいつまでたっても拓朗なんだ。第二中島中は確実に落とす。そして江東兵が襲い掛かる気も湧かない数で本陣が移動する。わかんだろ?」

「また無茶なことを……。わかりやすけど、だったら本陣は、千人まるまんま移動しなきゃ効果なんかありやせんぜ?」

「その効果ってやつが、勇兵を守る盾になるんだ」


 勇兵は、この弟分と妹分の会話が好きだった。

 自分の、ゆっくりとした思考ではここに入っていけない。愛などはこの二人の会話が加速していくと少々怖がってしまうのだが、それを我慢させてでも楽しみたい。

 そんな気にさせてくれるものだった。


 舞は憮然とする拓朗の頭をくしゃくしゃと撫でたあと勇兵に向き直り、岩にかかる清流を感じさせる、清々しい表情で告げた。


「おい、勇兵。ちょいと、二十人ばかり借りるぜ」


 口をあんぐりと開けた拓朗に目を向けた勇兵は、細い目線を舞へと移しながら、


「舞。……いつも言っているだろう。俺は家族に、怪我をさせたく、ない」

「ばっ……、あ、アタイは! テメエの家族になった覚えはねえ!」


 いつものように顔を真っ赤にしながら腕を振って抗議する舞だったが、すぐに落ち着くと、勇兵のブレストプレートをやさしく叩いたまま俯いた。


「…………どう、した」


 勇平の問いに、舞は俯いたままで下唇を噛む。


 ……彼女は、昨晩見てしまったのだ。府中高校生徒会室に置かれた、江北従属の契約書を。


 江北が、墨田に対して従属を破棄したいとは決して言い出さないほどの好条件は、一つの事実を表していた。

 たった一人の女の命を救うため、区の財源をも大幅に差し出すことを、この男は一人で決めたのだ。


 舞は目を閉じ、勇兵のブレストプレートに押し付けた手を広げて、その感触を体にしみ込ませながら考えた。


 松平にはできなくて、あたしじゃなければしてあげられないこと。

 それは、勇兵さんを二十三区の王にしてあげることだけだ。


「……勇兵。アタイが勝鬨かちどきを上げたら、悠々と千人の兵を連れて、王者みてえに大胆に行進して来な」


 彼の顔を見ずとも、舞には分かる。こういうのが苦手なあなたのことだ、どうせ、むっとした顔になっているんでしょ?

 でも、今日があなたの王への第一歩。私が、あなたを王にした女、ただそれだけの女となる最初の日。……何が何でも、従って貰います。


「……威圧感が大事なんだ。分かれよ。その姿が堂々としてれば、テメエの家族にでもなんでもなってやる」

「…………それは、破格な条件だな。うむ。堂々と、していればいいのだな」

「ああ、せいぜいアタイに釣り合うような、クールな姿で迎えに来い!」


 舞はいつものハスキーな声を、いつもよりかすらせながら叫ぶと、勇兵の顔を見ずに歩き出した。


 そして、絶対に負けることの出来ない戦いに備え、敵を恨むことでその闘志をたぎらせた。


「さぁぁくまあ! その首洗って待ってろ!」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 鳴海高校から東へ四百メートル。ここに、愛団が四十人の兵を置いている第二中島中学校がある。

 この正門からさらに百メートルほど離れた路上に、太原舞はステージを背にして立っていた。


 彼女の正面には、墨田区各校の学生服姿の男達が十人並んで舞を見上げている。


「わりい。テメエ達にはここで再起不能になってもらうことになる。奴をペテンにかけるにはこれしか方法がねえ。それくらい、奴の戦闘指揮能力はずば抜けてるんだ」


 今まで何度も経験しているのに、慣れることは決して無い。死んで来いという命令は、人が人としての輪郭を保つために、一度たりともしてはいけないものなのだ。

 それでも流れるこの涙は、偽善でしかない。そんなことは分かっているのに、止めようなどない。


「だけど、さすがの奴でも目の前に二十人の敵が降って湧いたら、泣きを入れることだろうよ。そのために、お前らの力がどうしても必要なんだ」


 舞がそう告げると、男達はそれぞれに照れた表情を浮かべたが、そのうち一人が胸を叩いた。


言霊スキルの強制力も無しで、俺たちは舞さんのフリークスですよ。舞さんにそこまで言われるなんてめちゃめちゃ嬉しいです。体がぶっ壊れたって構いません、それこそ勲章です」


 その言葉と共に、十人は会員証を誇らしく掲げた。

 墨田区内十人に一人、一万人ものファンクラブ会員がいる舞だが、彼らの会員証ナンバーはすべて二十番以内だ。


「……見舞いには必ず行く。欲しいもんはあるか?」


 舞が全員の顔を見渡しながら聞くと、かぶる様な勢いで十人は次々に叫ぶ。


「サイン入り生写真!」

「最前列のチケット!」

「B2タペストリー!」

「お風呂ポスター!」

「なにそれいい! 俺、それにチェンジで!」

「俺も!」

「俺は、等身大抱き枕カバー! スムースで!」

「やべえ! 俺もそれで!」

「俺も!」

「俺も!」


 そんな緊張感の無い皆の様子を見て苦笑いを浮かべた舞は、真面目な表情に変えながら全員の目を順に見た。


「いいぜ。準備しておいてやる。あとおまけで、信頼ってやつもプレゼントさせてもらう。邪魔じゃなきゃ、受け取ってくれ」

「舞さん……」


 一同は涙ぐみ、それでも歯を食いしばって笑顔を舞に向けた。

 それに舞は大きく頷くことで返事とすると、鋭く息を吐いて気持ちを切り替え、彼らを割るように進み出て二十メートルほど先に居並ぶ敵に向かって声を上げた。


「佐久間! この砦、取らせてもらうぜ!」


 これに呼応したかのように四十人を割って、カラスマスクの女が現れる。


「策も無しに、正面から突っ込んで来るとは。お前らしくないな、太原」

「アンタの方が策をろうすると思って警戒してきたらこのザマだ。だが、策なんかいらねえ。アタイが勝つよ」


 舞はそんなやり取りをしながらも、守りは苦手なくせに大した女だと、改めて佐久間を評価していた。


 ステージから敵までは二十メートル。

 そこから校門までは八十メートル。

 こちらのことをよく分かっている完璧な配置だ。


 だが、よく分かっているからこそ、策にかかってくれる。


 舞は、ここまでは予定通りと思いつつスタンドに挿した『死神の肋骨ブラック・ブラッディー・クロス』に手をかけると、ハスキーで魅力的な叫びを上げた。


「さあ行くぜ! 最初のナンバーだ! 『きゅんくる☆ファーストでえと』!」


 舞がタイトルコールをすると、バンドメンバーによる大音量の演奏――ポップで可愛い、バリバリ電波な曲に合わせて自立式のライティングボールが回り出す。

 二つの玉は色とりどりのハートマークを地面に映し出し、ピンクのピンスポを浴びて「きゅん!」と連呼し始めたヴォーカリストの周りに萌えの花を咲かせた。


 そして舞の言霊スキル、『もっしゅ&だいぶ』の効果で青い光に包まれた十人のフリークスは、この曲のテーマカラー、ピンクのサイリウムを手に一糸乱れぬオタ芸を披露し始めるのであった。


 墨田側の盛り上がりとは対照的に、初見の者がほとんどという江東兵は口をあんぐりと開けたままになって、愛団を見つめている。


「……なんだおまえら、知らなかったのか? 伝説級の地下ドル、『まいたん』と言えば超有名な電波系アイドルだぞ?」


 愛団の説明を聞きながら逆に半目になっていく江東兵は、一斉にこちらへ振り向いた十人を見ると慌てて武器を握りなおした。


「Aメロが終わった。来るぞ!」


 青い光に包まれ、何物にも屈することの無いバーサーカーが突撃してきたその時、


「全軍! 退け!」


 愛団の叫びに合わせ、江東軍は一斉に後ろへ向かって走り出した。


「なにっ? テメエこらっ! 逃げんな!」


 舞の叫び声を背中に聞きながら、愛団は考えていた。

 『もっしゅ&だいぶ』の効果は三十メートルほどと聞いている。

 だが策士の情報など、それこそ策というものだろう。


 彼女が振り向くと、あんじょう、フリークスは情報の距離を遥かに越えて追って来た。だが四十五メートルにまで達すると、彼らは揃ってピタリと止まった。

 進みたくとも進めず、何かに引っ張られているような姿勢で彼らは手を伸ばす。


「よし、反転! 弓兵構え! 速射三連!」


 既に指示されていた作戦通り全員は停止し、後方を走っていた二十人の弓兵が至近距離から次々と矢を放つ。

 これに墨田兵は吹き飛ばされ、しかしむくりと起き上がってはまた矢を食らって倒れこむ。


「ちいっ! 退けーーーー!」


 フリークスは砲火を浴びて怪我どころでは済まないような倒れ方をしつつ、しかしスキルの効果で事も無げに立ち上がると舞の元へと戻った。


 舞は苦々しげにバンドメンバーへ手を挙げると、皆はそれぞれ演奏をやめ、それと共に言霊スキルも光を失い、フリークスの十人はうめきながら倒れて動かなくなった。


 遥か遠くでは愛団が腕を水平に構え、射撃の合図を引き絞ったままで留めて隙など見せようともしない。


 これで舞としては演奏を再開しても意味がなくなった。

 残ったバンドメンバーと共に突撃しても、六十メートル近い距離を無事に辿り着けるはずも無い。


 悔しそうな顔を浮かべてにらむ舞の姿を眺めながら、だが、愛団は緊張を解くことなどしなかった。なぜなら、舞の作戦に気付いていたからだ。


「……存外、芝居が堂に入っている。本気で悔しそうに見えるもんだ」


 愛団は、近隣の住人から情報を掴んでいたのだ。

 これ見よがしに本陣から出撃した舞とバンドメンバーと十人の兵、これとは別に、もう十人が第二中島中学校の裏手から接近していたことを。


 今の突撃は、裏門から別働隊が校内へ入るための目くらましだ。


 そして別動隊が十人ということは、狙いは自分の首ではない。

 こちらの兵のうち半分ほどを、まず潰すつもりなのだろう。


 佐久間はそこまで読み、ご希望通りだろうと言わんばかりに弓兵を二十人残して、残る二十人を率いて正門から校内へ悠々と入って行った。


 舞は、そんな黒髪の女を遠くに見つめながら状況を確認した。

 ここから六十メートルほどの距離を置いて弓を構える二十人。

 校門はそこから四十メートル。


 その意味が理解できた彼女は、別働隊がばれていることを確信した。


 佐久間は今の突撃がフェイクで、本命の別働隊十人が学校内へ入り込むための目くらまし、と考えてくれたのだろう。

 弓兵の注意をこちらに引き付け、背後から十人で襲えば二十人の弓兵を倒しきることが出来る。狙いはそれだと考えてくれたのだろう。


 ……かかった。


 あいつはこちらの別働隊に気付いていないフリを装って悠々と引いたが、恐らく校内に入ったところで物陰に隠れ、こちらの別働隊が出てきたところを二十人がかりで襲う気だ。


 佐久間が策にかかってくれたことを肌で感じた太原は、不敵に笑みを浮かべて再びマイクを握りしめた。ああ、やべえよ佐久間。アンタのこと考えただけで、体が熱くなってくるぜ。


 ……その時、弓兵による射撃が始まった。


 通常の物と比べ、先端をゴムで加工した矢は飛距離が半分まで激減する。

 それでも確実に人へ命中させて突き飛ばすほどの威力を十五メートルほどの距離で実現し、五十メートルほど先の敵に対してもそれなり有効なのだが、ここから先はそう上手くいかない。

 数を撃てば幾分の効果が得られる、という程度のものだ。


 だが、その数に任せた射撃が始まった。


 矢はそこそこの精度をもって舞達に迫り、慌てて演奏を再開させた舞は今までぐったりと横たわっていた十人に自分達と楽器とを守らせた。


 この攻撃を見て、校門まで達していた十人の別働隊はあらかじめ与えられていた指示通りに静かに飛び出し、弓兵まで四十メートルの距離を走り出した。

 背撃としては理想形なタイミング。弓兵たちは未だに気付いていない。

 だが、


「ご丁寧に、全部か」


 愛団が学校の塀の上に現れると、彼女の左右から十人が塀を越えて飛び降てきた。

 さらに別動隊の背後から十人の江東兵が迫り、弓兵のうち半分が木刀を構えた。


「さぁくまあああああああああああっ!」


 舞は完全に囲まれて身動きが取れなくなった味方を助けるべく、ステージ側の十人も向かわせた。

 だが彼らは弓兵の手前十数メートルを残して先ほど同様立ち止まり、至近、必殺が可能な距離で弓の強打を浴びながら、その手を叩きのめされていく味方に向け続けることしか出来なかった。


 舞は、佐久間の部隊の異常性に気付いていた。


 指揮官が声も上げずに、伏兵が同時に飛び出したこと。

 弓兵の後ろ十人もそれに合わせて同時に振り向いたこと。

 そして、いくら三十人対十人とは言え、こちらの攻撃が誰一人にも当たらず、完璧に封じられていたこと。


「……貴様の切り札、確かに刈り取った。オレの勝ちだ」


 これだけの距離があるのに、愛団のくぐもった声がすぐ目の前から聞こえ、舞はぎょっとして歌うのを止めた。

 それに合わせてバンドメンバーも曲を途中で止め、『死神の肋骨ブラック・ブラッディー・クロス』から伸びる光が消えるのに合わせて、弓を浴び続けた十人はその場に倒れこんだ。


 ……解放同盟の四十人を割るように一歩ずつ歩み寄る愛団のマスクは、青い光を放っていた。


 いくら戦術・戦闘指揮の巧者と言えど、戦闘中一人ひとりに的確な指示を常に出せるはずは無い。何かのスキルがあるのだろうと踏んでいた舞は、得心した。

 これが葛山の指揮する百人をたった四十人で完封し、そして今の戦闘が一方的だった理由なのだ。


 戦場のすべてを見渡せる位置から、常に多対一の形になるよう兵の一人ひとりに指示を出す。


 恐らくその間凄まじい勢いで指示を飛ばすことになるのだろうが、大声を張り上げずに狙った者に指示を聞かせることが出来るのだ、さほど苦ではなかろう。


 舞はマイクに手をかけたまま、うな垂れた。

 佐久間はそれを見ても冷静に、残った十人の弓兵へ射撃の指示を発するべく右手を水平に構えたのだが、


「へへっ……。さくまぁ。アンタの戦闘指揮、見事だ。アタイじゃあ勝てやしねえ」

「……そうだな。戦術レベルの戦いにさえしなければ、オレの土俵、戦闘で戦えるというわけだ。戦術で貴様に勝てるとはとても思えん」


 愛団は構えた腕を下ろし、両手をポケットに突っ込んで、舞の方へさらに近寄る。

 そして彼女が、弓兵の前で呻きも上げず倒れ込む十人のフリークスと、江東兵三十人に組み敷かれた別働隊の兵とのちょうど中間あたりに達した時、


「そうかい。じゃあアンタに、戦術の極意って奴をくれてやるよ」

「……ほう。ご高説、拝聴させていただこうか」


 その場で歩みを止めた愛団には、見ることができなかった。

 俯いたままの舞はその時、笑っていた。


「いいかぁ、覚えときな! 切り札って奴は最後の最後に出したヤツが勝ちなんだ! 新曲!『おべんとはあとまあく♪』っ!」


 ドスの効いた叫び声にまったくマッチしないタイトルをコールしながら舞が顔を上げると、バンドメンバーはカウント無しで演奏を開始した。

 そのビートに合わせて輝きを放つ『死神の肋骨ブラック・ブラッディー・クロス』の青い光が舞を包み込んだかと思うと、まるで爆発したかの様に電撃をほとばしらせ、



 ズ・ドンッ!



 ……荒れ狂う電撃は、輝きに変化した。



「馬鹿な! 星火せいか燎原りょうげんだと! しまっ……」


 光る舞の体から本の地を這うラインがメートル以上先に倒れる墨田兵の体を瞬時に包むと、彼らを不死の兵として立ち上がらせる。


「狙いは佐久間だ! 行けっ!」


 二十人のフリークスは上着の内側から激しい光を放つU・Oウルトラ・オレンジを八本取り出し、リズムに合わせて愛団へ襲い掛かった。


 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


「たまごやきは?」

『あまあま、ふわふわ!』

「ミートボールはふたつ?」

『みっつ!』

「恋の決まりはまだ早いよね、お弁当にもルールあるのかな~?」

『パン! パパン! フー! パン! パパン! フー!』


 正面の十人は弓兵が慌てて剣に持ち替えて迎撃し、後方の十人は押さえ付けていた者が突き飛ばされつつも、愛団を守るために必死でその歩みを止めようとする。

 しかし奇襲の効果は絶大で、みんなのアイドル・まいたんの鍛え上げられたフリークスは、特にコール時の同時攻撃で確実に解放同盟の兵士を沈黙させていった。


「ウインナーは?」

『たこさんで!』

「さくらでんぶはどうするの?」

『ハート!』

「あなたのおなかガッツリ掴んで、すぐそばにあるハート盗むのよ~」

『L・O・V・E! ラブリー! まいたーん!』


 愛団は、狼狽した。急な反撃に適切な指示が出せないうえ、至近距離で高低差の無い位置にいるため状況がまったく把握できない。

 倍の兵力に守られているものの、その差は見る間に詰まっていくようだ。だが、


「バンドだ! 今あいつらは丸腰! 弓兵全軍、太原へ突撃!」


 残された兵でどれ位の時間防ぐことができるのか。だが、慌てて走り出した弓兵がバンドメンバーを襲うほうが絶対に早いはず。

 愛団は足元に転がった木刀を掴むと、目の前に迫った舞のフリークスにそれを振り下ろした。


「デザートは~、甘い甘い甘いとちおとめ~」

『う~~~~~~~! はい! う~~~~~~~! はい!』

「あたしのchu! の当たり付きどれでしょ~」

『当ててみせるよラブリーまいたーん!』


 新曲だってのになんでこんなに完成したレスポンスができるんだと感じつつ、鎖骨を叩き折っても脳天を強打しても踊り続ける敵に対して攻撃を諦めた愛団は、とうとう残る味方十人ほどに囲まれ、打撃に耐え続けるという選択をした。


 だが、タイミング的に間に合うはずだ。

 さっき走った味方は、今やバンドメンバーに襲い掛かることだろう。


 太原のスキルは、バンドの曲と共に発動していた。

 何人倒せば良いのかは分からないが、全部倒せば歌は必ず止まるはずだ。そう考える彼女の耳から伴奏が消えた。


 そう、曲は消えたのだが、


「もっともっともっともっとあたしをあげたいの~」

『う~~~~~~~! はい! う~~~~~~~! はい!』

「味見してたナポリタン~。口から戻してもりつけちゃ・う・ぞ~~~~!」

「そ、それはやめてあげろ!」


 思わず突っ込みを入れた愛団の眼に、絶望的な光景が飛び込んできた。


 舞の傍では、ステージへ向かった江東兵をすべて地面に横たえた四人のバンドメンバーが楽器を手にこちらをけている姿があり、そんな彼らの後ろでは舞が厚底のブーツでビートを刻みつつ、アカペラでサビを歌い上げていた。


 気付けば愛団を囲む十人の兵は横たわって呻きすら上げず、さらに外から彼女を囲む二十人のフリークスは骨が折れ、血を流したぼろぼろの姿になりながら始まったばかりのサビに合わせて踊り出す。


「………………この、ペテン師め………………」


『あいたたまた指切っちゃった~。ちょっと見え透いちゃってるけれど~、あたしの想い、届けたい。おべんと箱は、はあとま・あ・く♪」

『いぇーーーーーーーーーーーーーーーーい!』


 ……何のことは無い。切り札は、まだ三つも隠されていたのだ。


 まず、星火せいか燎原りょうげん。まさか射程距離も制御人数も跳ね上がる言霊スキルがあるとは思わなかった。


 次にバンドメンバーは一騎当千で、彼らの得物えものは楽器そのもの。意外な奇襲を食らったとはいえ、十数人をたったの四人で瞬殺など尋常ではない。


 さらに、舞の言霊スキルに、曲は要らなかったのだ。アンプさえ通せば、歌だけで発動するものだったとは。


 圧倒的で、かえって清々しい思いになった愛団は、その切れ長の眼を閉じて空を仰いだ。


「こーんなかたちのビームどきゅん!」

『いぇーーーーーーーーーーーーーーーーい!』

「……………太原。オレの、負けだ」


 その言葉を聞いた舞はバンドメンバーとフリークスに向かって投げキッスをした。

 すると彼らは楽器を手に、舞の元に駆け寄り、大サビを歌い始めるのだった。


「あいたたまた指切っちゃった。ちょっと血が付いちゃってるけれど~、あたしの指の~、ばんそおこ。はがしてご飯に、はあとま・あ・く♪」

『うぉーーーーーーーーーーーーーーーーっ!』

「……こええよ、そんな女」


 突っ込みどころ満載の歌詞を聴きながら、愛団は考えた。


 この女に、戦術では勝てない。

 そう思って、この戦いを戦闘級のものにするために考えた采配、それこそが戦術級の戦いだったのだ。これでは、負けて当然だ。


 戦闘級の戦いなら勝てる自分、戦術なら勝てる舞。だが、


「………………後は任せたのなの、滝川君」


 アイツなら、この敗北を利用して戦略に組み込んでくれる。そう信じつつ、地面に転がった一本のU・Oウルトラ・オレンジを手にして大粒の涙に濡れるステージへと足を向けた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「よし! それならここで決まりだな!」


 善照寺ぜんしょうじ特別支援学校の校舎一階で、最新の戦力分布図を中央に車座くるまざになった花音たちは、携帯を切って浮かれる徐珠亜に注目した。


「おお、何の電話だよ」

「第二中島なかしま中のみんなが、全員捕虜にされちった」

「なんと、にわかには信じがたいな。しかしなぜ喜ぶ」


 出兵の準備を急ごうと立ち上がった徐珠亜に、清洲の面々がいぶかしんだ目を向けると、


「敵さんが今一番怖いのは、江北の四百人なんだよ。それを手に入れるにはいくつか方法があったんだけど、これではっきりした。あいつら、一千人で学校の前に行くって手を選んだようだ」


 徐珠亜は予め準備しておいた指令書を通信兵の三人に手渡しながらさらに続ける。


「今、両軍で一番意味の無さそうな位置の第二中島中学校を襲ったのがその証拠。ここからなら敵の戦列に奇襲をかける事が可能だからな。ここが落ちたお陰で、本命の俺たちが奇襲をかけるタイミングが生まれたわけだ。敵さん、安心してのびのびと行進してくれるだろうよ」


 ……徐珠亜がほぼ同数の戦力で本多軍に当たった意味は、無傷の精兵二百人を最前線である善照寺特別支援学校に準備することだった。

 もし本多軍に全軍で当たっていたとしたら、今頃横十間川親水公園よこじっけんがわしんすいこうえん付近で再編成の真っ只中となり、この機を逃していたことだろう。


 これは速度をたっとぶ徐珠亜の、本日一番の巧手と言える。


 だが移動中で千人が縦に長くなっているとして、どうやってその側面に奇襲をかけたらいいのか。

 そう思った樹雄は、ショッパーと竹刀を手にしながら聞いた。


「滝川、帰る前に聞きたい事があるのだが。奇襲をかけるにしても、敵の進軍ルートが読めまい。どこが奇襲ポイントになるのだ?」


 通常考課測定が宣言されると、野戦が想定される大通り、大軍が移動するルート、そのような道路については東京都が車両通行止めにして、その情報を両校へ伝えるのが常だ。


 だが、この考課測定はいつものものと大きく異なっていた。

 封鎖された道路はいつもの四倍以上あり、しかもその情報は最初、墨田江北連合にしか通達されていなかった。

 徐珠亜による強い抗議が功を奏してようやく情報は掴めたものの、結局進軍ルートが読めないほど大量の封鎖情報が渡されただけとなったのだ。


 だが、徐珠亜は気楽に地図の一点を指差し、


「百人の江北兵がいる第七丸根小学校まではルートなんかいくつもあるけど、そこから大高おおだか高校までは一本道。ここが狙い目さ! さあみんな、第七丸根小学校の南まで急いで移動するぞ! 隠れる時間も必要だしね!」

「……なんで?」


 一同はがっくり肩を落として、いつも通り周回遅れな発言をする花音をにらんだ。


「あぁ? てめえはなんでいつもいつも一周遅れてんだよ! 郁袮、なんかビビッと来る突っ込みいれてやれ!」


 悠斗がそう言いながら振り向くと、その郁袮もきょとんとしていた。


「……いや、俺も花音と同じ意見だ。大高高校に行きゃ済む話しだろ? 一番多い狼の群れを従順にさせたら、周りの狼は大人しくなるだろさ」


 その言葉に、全員が色めきだった。


「おお! すげえぞ郁袮! さすが野生児だなおい!」

「やべえ、最後の最後でやっちまうとこだったぜ! 助かったぜ郁袮!」

「ふむ。郁袮がいれば解放同盟は安泰だ。では私はこれで」

「ちょっと! あたしは? ねえ! あたしは?」


 普段の借金の補填ほてんには程遠い活躍を評価してもらえない花音が膨れる中、郁袮は疑問に思っていたことを尋ねた。


「でもさ、奇襲ったって、ここから出たら敵さんから見え見えだぜ? ここにいると思わせといて移動するなんて真似、できんの?」


 善照寺特別支援学校の正門は、今川勇兵が現在出陣の準備をしている沓掛くつかけ技術高校と同じ通りに面している。


 当然こちらを見張る生徒が山ほど配置されていて、二百人の兵がここに集まっていることもばれている。

 のこのこと学校から出ても、一人目で見つかるのが落ちだ。


「そのために、徐珠亜さんの命で此方こなたが準備させていただいたものがあるのですわ」

「……私の、帰りの脚でもある」


 霞蒲羅と樹雄も立ち上がり、花音と郁袮を見下ろしつつ言った。

 そこで口を覆うように手を当てながら地図を見ていた郁袮が、


「なるほどね……」


 地図の青い線へ指をトンと置き、呟いた。


「川、か」

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