37 OTHERS -08-『大罪の報い』
「二人ともそこに座って欲しい」
夕食のあと、父さんが神妙な顔をしてぼくと母さんに声をかけた。
改まって、いったい何の話だろう。
母さんは席について塩らしくしている。どうやら内容を予期しているらしい。
最近、二人が私室で話をすることが減ってしまったせいで、ぼくには話が見えないのに。
これかなというバカバカしい予想はあるけど、まさかそんな話が現実にあるわけないし。
そんな昼ドラみたいな話――
「ゴトー君を認知したいと思ってるんだ」
…………はぁ?
認知って、えっ?
まさか、本当に?
「……彼は君のお兄さんにあたる。このことは、お母さんには前もって了承してもらった」
母さんは今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。
父さんは事の成り行きを丁寧に説明してくれた。
父さんが医大生だったころ、あのアキラとかいうヤツと友達だったこと。
父さんはお祖母さんが死んでしまったショックで鬱状態になっていたこと。
そのとき、生涯でたった一度だけ浮気をしてしまったこと。
その一夜の過ちによってできたのが、あのゴトーだということを。
父さんは一切言い訳をしなかった。母さんも浮気相手も何一つ悪くない、ただただ自分の愚かさが招いた結果だと、ぼくたちに土下座して謝った。
ぼくは愕然とした。
信じられなかった。
あの優しくて誠実で、誰よりもカッコイイぼくの父さんが、あんな男みたいな女と浮気してただって?
いったいそれは何の冗談なんだよ。
「今日、二人に聞いてもらいたいことはもう一つある」
開いた口が塞がらないぼくの足元で、父さんが顔を見上げていた。
「アキラの遺骨を、我が家の墓に納めさせて欲しいんだ」
それを聞いた母さんは、とうとう本格的に泣き出してしまった。
父さんはそんな母さんの足にすがりついた。
「頼む、お願いだ! このままではアキラが一人ぼっちになってしまうっ! 僕がアキラの人生を狂わせたのに、死んでまで一人きりにさせるなんて可哀想じゃないか!」
……どうして、そんなことまでしなきゃなんないの。
「君は僕の人生を変えてくれた、君のおかげで僕は幸せな人生を送ることができた。感謝してもしたりない、君は僕の天使だよ。いままでもこれからも君だけを愛してると誓う!」
……どうして、そんなにあいつらばっかり構うんだよ。
「それでも、それでもっ、アキラはこんな僕を救ってくれたんだ、一生かかっても返せない恩を受けたんだっ! お願いだから、最後にもう一度だけわがままを聞いてくれっ、頼むっっっ!!」
……そんな言い方、ずるいよ。
父さんのお願いなら母さんは何でも聞いちゃうって知ってるクセに。
何なんだよこれ。
どうしてウチがあんなヤツらのせいで悲嘆に暮れなきゃなんないんだよ。
どうしてあんなヤツらのせいで。
どうしてっっっ!!
気がついたら、ぼくは家の外へ飛び出していた。
家から父さんが必死に追いかけてきたけれど、裸足では自転車に乗っているぼくには追いつけなかった。
チクショウ、チクショウ……
ゴトー……
おまえらさえいなければ、ぼくはずっと幸せでいられたのに。
父さんの仕事が忙しすぎてあまり構ってもらえなくても。
母さんにウンザリするほど干渉されても。
それでも家庭は円満にまわっていたのに。
おまえらが現れてすべてがおかしくなった。
父さんは打つ手のない治療の日々にやつれていった。
母さんは父さんが離れてしまうんじゃないかと毎日脅えていた。
学校でだってそうだ。
転校早々にぼくの成績を追い抜いて。
あれだけぼくに付きまとっていたマキが、あいつの話ばかりするようになって。
それになによりも、おまえは……!
おまえはぼくからジョーを奪ったっ!!
何なんだよあの態度はっ!?
人前で手なんか握りやがって、見せびらかしやがってっ!!
ぼくは書いたんだぞ脅迫文を、なのになんで余計にジョーとべったりしてるんだ!?
怖くないのかよ、おまえの大事なジョーの赤裸々な写真をばら撒くっつってんだぞ!?
文章が高尚すぎて意味が伝わらなかったのか?
写真にモザイクを入れたのがマズかったのか?
でも、でもでも、ああするしかないじゃないか。
もしも万が一のことが起こったら、ジョーは……!!
どれだけ長い時間、自転車を漕いでいたのだろう。
ぼくは県境を越えた街中を突っ走っていた。
自転車の漕ぎすぎで息が切れる。
サドルから降りて自転車を引いて歩くと、ズボンのポケットが振動しているのに気がついた。
スマホをポケットに入れっぱなしにしていたのだ。
時計を見て驚いた。家を出てから三時間も経っている。
それに着信履歴も凄いことになっている。一分間隔で家から電話がかかってきていた。
履歴の中にはマキの名前もたくさんあった。たぶん、母さんがぼくの居場所を知っている可能性のある相手に片っ端から電話をかけたんだろう。
マキへのリダイヤルボタンに指を伸ばしかけて、やめた。
マキに対する仕打ちは我ながら鬼畜の所業だったと思ってる。それなのに、まだぼくのことを気にかけているなんて。お人よしにもほどがある。
ぼくはスマホをポケットにしまおうとした。
そのとき、再びスマホが振動した。
着信相手を見て心臓が飛び出るかと思った。
ぼくは慌てて電話を受けた。
「こんばんは」
その野太い声を聞いて、ぼくの期待は打ち砕かれた。
ゴトー……!!
どうしておまえがこの番号からかけてくる!?
ぼくが黙っているあいだに、ゴトーは勝手に話し始めた。
「家出したらしいね。僕と血が繋がってるって知ってそんなにショックだったの? みんな君のことを心配してるみたいだよ」
「…………」
「でも、僕は違う」
スピーカー越しに静かな怒りを感じた。
「これから高校の体育館に来てくれないかな。君とじっくり話し合いたいことがあるんだ」
「…………なにを」
「ジョーのことについて」
こいつ……!?
「裏口をひとつ開けておくから、日付が変わるまでに来て欲しい。でないと、君がやったことを全部ジョーに話す」
「待っ――」
電話は一方的に切られてしまった。
全部話すって、まさかこいつ、僕が手紙の差出人だとわかったのか!?
スマホの時計を表示させる。時刻は二二時。この場所からだと、高校まではたぶん一時間以上かかる。
ちょっとでも休んだら間に合わない。
ぼくは慌てて自転車に飛び乗った。
計算よりはやく、二三時ちょうどに高校についた。
ぼくは自転車を踏み台にしてなんとかフェンスをよじ登った。
これだからチビは不便で嫌なんだ。いつも他人から見下される。
宿直の教師や警備員に見つからないかを注意しながら、体育館まで移動する。
言われたとおり、グラウンドに面した裏口の扉が少しだけ開いていた。
隙間から中を覗いてみても、真っ暗で何も見えない。
なにせ今日は月明かりのない暗夜だ。夜空には分厚い雲が覆っているし、さっきからポツポツと雨が降っている。遠いどこかで雷まで鳴っている。確か、深夜から朝にかけて雷雨になると天気予報が言っていた気もする。
ぼくは恐る恐る体育館の中に入った。
あたりを見渡しても、ゴトーの姿はどこにも見当たらなかった。
しばらく歩き回ってみると、体育館の中央に細長い箱型のシルエットが見えた。
間近に寄ってみると、ジェラルミンのケースのようだった。
箱の中身は、大きな包丁だった。
その包丁を掴んだのを見計らったかのようにステージの照明が点灯した。
片手を眼前に翳して光を遮断する。
ステージの袖から、上下共に黒い服を着た大男が現れた。
「来てくれてありがとう。嬉しいよ」
ちっとも嬉しそうじゃない、淡々とした声だった。
ゴトーはゆったりとした動きでステージから降りた。
逆光のせいでゴトーの表情はわからない。
「早速だけど、ジョーについての話をしよう」
こいつは学校でジョーのことを苗字で呼んでいたはず。
やっぱり、ぼくの見ていないところで二人は昵懇の仲になっていたんだ。
奥歯がギリリと鳴った。
「君がジョーに特別な感情を持っていることは知ってたよ。だけど、やって良いことと悪いことがあるのはわかるよね」
「…………」
「君はジョーのことを盗撮してたんだよね。たぶん、僕が転校してくるずっと前から」
「…………証拠は?」
こいつ、ぼくの手口が盗聴だったことに気づいていない。
ぼくがやったことを全部話すだって?
当て推量のハッタリに騙されるとでも思ってンのか?
「ネット掲示板に掲載された写真と、僕の家のポストに投函されてた写真」
はぁ? 写真が何だって?
「あの二枚の写真はまったく同じアングルから撮られてた。地下倉庫の中と、廊下側の出入り口。この二箇所を同時に撮影できるポイントは一箇所しかない」
……ハッタリだ。わかるわけが――
「それは、グラウンド側に通じる吹き抜け階段」
「…………」
「地下倉庫の磨りガラスは、フィルムを張って作ったものだった。だから、あらかじめフィルムの一部分だけ削り取っておけば窓越しからでも撮影はできる」
「……据え置きカメラだったのかもしれない」
「窓ガラスの前には何も置いていなかった」
「ピンホールカメラやCCDカメラとか、超小型カメラが隠してあったかもしれない!」
「その可能性はあった。でも、今回に限っては違う。あのとき、君は窓のすぐ外にいたんだ」
「証拠は!? 証拠がない!!」
「…………吹き抜け階段は、長らく使われていないらしいね。だから、廃棄予定の机やイスとかが大量に積んであって、グラウンド側から旧校舎の地下に行くことはできなくなってた」
「それなら――」
「君は僕の目の前であの階段を下りたじゃないか。ソフトボールを拾うために」
生唾を飲み込む。
外ではシャワーを思わせる勢いで雨が降り注いでいた。
ゴトーはそっぽを向いて鼻で笑った。
その態度が癪に障って、ぼくは勢い任せで反論する。
「あの階段を下りられる人間は他にも大勢いるはず、ぼくだけとは限らない! 盗撮なら、まっさきに映研を疑うべきじゃない!!」
「……それは、
「それ以外に誰がいるんだよっ」
「彼の太った体型では廃材の隙間を通れない。よしんば通れたとしても、彼が犯人なはずがない」
「どうしてそう言い切れるっ!?」
「あの日は雨が降ってた。吹き抜けの階段には、当然雨が降り注いでいたはず。だけど、彼が先生たちと一緒に地下倉庫まで駆けつけたとき、彼は濡れていなかった」
「レインコートを着てたかもしれないっ」
「……うわばきも濡れていないのに?」
息が詰まった。
「レインコートを脱いで、靴も履き替えて、先生たちを呼びに行ってなんて時間をかけていたら、僕が暴漢の一人に反撃してからすぐには地下倉庫に駆けつけられない」
「くっ……!」
「それになにより、君は文化祭の翌日に病欠してる。翌々日には登校したけど、僕が学校を休みはじめるまでの間、君はずっと咳き込んでいた。それは、吹奏楽部のコンサートが終わった直後から事件が起こるまでの間、冷たい雨に打たれ続けたせいで風邪を引いたんでしょ?」
眉間に皺が寄っていく。
「もうやめようよ、こんな不毛なやり取り」
ゴトーが溜息交じりに言い捨てた。
「手紙の差出人は君だよ。
空が白く光ったあと、雷鳴が響いた。
その一瞬だけ、ゴトーの表情がはっきりと見えた。
「ひぃっ」
轟々と燃える怒りの眼差しと、陰影の深い野獣のような顔面。
ぼくはあまりの恐怖にたじろいだ。
「どうして誰かに伝えなかったの?」
口調は穏やかでも、激怒していることが伝わってくる。
「君があの写真を撮影できたのは、あそこで待ち伏せしていたからだ。待ち伏せできたということは、あそこで事件が起こると知っていたってことだよね。どうして誰にも相談しなかったの?」
「そ、それは……」
「心にやましいことがあったんだよね。なにせ君は卑劣な盗撮犯なんだから」
「と、盗撮なんて、あの一度だけだよ!」
「じゃあ盗聴犯なんだね。やっぱり卑劣な」
どうしてわかるんだよ……!!
「あの大学生たちを学校に呼び出したのは、いま学校に来てないあの四人組なんでしょ? 彼らの計画を盗み聞けて、ジョーの家での出来事も盗み聞けるなんて方法、盗聴くらいしかない。調光機を自作できるほどの君なら、ジョーの私物――たとえばCDコンポとかに盗聴器を仕込むなんて訳ないんじゃないの?」
言葉が出ない。
口数が少ないから誤解してた。
こいつのことを見くびってた。
ただの野蛮人じゃなかったんだ。
転校したてであっさりぼくの成績を追い抜かしたのだって、偶然じゃなかったんだ。
薄ら寒い雰囲気を放ちながら、ゴトーはゆっくりとぼくに近づいてきた。
「学校裏サイトに掲載した写真も、二枚目の写真も、脅迫文も、全部緻密に計算したうえで作ってたね。万が一それらがネット上に流出しても、赤の他人にはジョーのことだとはわからないように」
乾いた笑い声が体育館に響き渡る。
「ジョーのことが好きだったの? それとも憧れてたの? ああ、たぶんどっちもかな。君のジョーに対する視線からは、ジョーのすべてを知りたいっていう偏執的な欲求と、ジョーを傷つけたくないっていう想いが絡み合ってる気がしたし」
一歩一歩近づいてくる。
「確かに、あんなに情に厚くて凛としてる女の子がいたら誰でも惹かれちゃうよね」
ぼくは立ち竦んでしまって動けない。
「だけどね、あれは僕の女なんだよ?」
ぼくの目の前に立ったゴトーは、巨人みたいに大きかった。
遥か頭上から、小さなぼくのことを見下ろしている。
しかも、厭らしい笑みを浮かべながら。
「あのクリスマス以来、僕らは毎日のようにセックスしてるんだ」
笑みの隙間から前歯が覗く。
「引き締まった身体の感触、クールミントの匂い、どれもこれも最高だったよ」
やめろ……
「最初こそ抵抗されたけどね、冬休み中なんか朝から晩まで僕の家で調教三昧さ。男に生まれたことを心から感謝したよ」
やめろよ……
「ジョーがどんな喘ぎ声をあげるか想像できる? んっ、んふっ、だって。心は男だの言ったってやっぱり身体は女だよ。彼女の中、下半身が蕩けるほど暖かいんだ……」
「き、聞きたくない」
「まあ聞けよ、おチビちゃん」
ゴトーが震えるぼくの肩を抱き寄せる。
「将来的には結婚して、三人くらい子どもを産ませようかと思っててさ。だけど――」
ぼくの耳に口を押し当てて、囁く。
「そしたら君とは一生会わせない」
「っっっ!!」
「姿も見せないし、声も聞かせない。盗聴なんかしでかすストーカー女なんて、警察に行って接近禁止命令を出してもらうよ」
「いやだ、い、いやだ……」
「嫌じゃねーよ犯罪者」
肩を解放したぼくの頭を小突く。
「金持ちのっ、お医者様のっ、一人娘がっ」
何度も頭を小突く。
「クラスメイトをっ、付け回すっ、ストーカーなんてバレたら……みんなどう思うかって聞いてンだよ」
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
力強く頭を小突かれて、ぼくの体はよろけた。
そんなぼくのことを両手を広げて嘲笑う。
「いっそ僕らのパパに慰謝料でも請求しようかぁ? 僕の母さんを苦しめた分も含めてさあ!!」
膝を叩き哄笑する。
顔に手を翳し高笑いする。
そんなゴトーの油断しきった背中が見えたとき。
ぼくは――
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ」
手にした包丁を突き出していた。
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