35 SCENE -18-『ゴトー』
元日を終えた直後、ゴトーは飛行機に乗って長崎へ向かった。
本当なら遺体が見つかった大晦日当日に出向きたかった。一日でも早くアキラの元へ駆けつけたかった。しかし、年末の帰省ラッシュと重なってしまったせいで、飛行機も新幹線もチケットを取ることができなかった。
旅程にはゴトーのほかに三人の同行者がいた。
一人目はジョーだった。身内のことだから遠慮して欲しいと頼んでも、ジョーは絶対についてくると言って聞かなかった。
二人目はアキラの親友にして主治医、ヤシロである。彼もまた、電話でアキラの死を伝えたところ、後生だから同行させて欲しいと希った。
三人目はヤシロの妻で、名をミドリと言った。ゴトーとは初対面だったが、ヤシロが身元確認に行くならば当然自分もと言うように、ゴトーになんの断りもなく同行した。
奇妙な取り合わせの四人は、道中ほとんど会話らしい会話をしなかった。誰もが憂鬱に表情を翳らせ、視線すら合わさなかった。
身元確認をするために霊安室に案内されたとき、最初にアキラの元へ駆け寄ったのはヤシロだった。彼は横たわる遺体が確かにアキラであると視認すると、悲鳴にも似た声をあげて慟哭した。
アキラの死に顔はとても安らかだった。
いっぺんの悔いも残さなかったというように、満足げですらあった。
アキラの遺体は大晦日の早朝、諫早のとある墓所にて発見されたという。第一発見者である墓所の管理人が言うには、アキラは自分の先祖たちが眠る墓石の前で、眠るように亡くなっていたらしい。
ジョーも泣いていた。ミドリも涙を堪えていた。
しかし、アキラの唯一の肉親であるゴトーだけが涙を流さなかった。
その様子をジョーは終始心配そうに見ていたが、ゴトーは何の言葉も返さなかった。
ゴトーの瞳は何も映してはいなかったのだから。
いまやゴトーは、与えられた情報を規定のやり方で返事をするだけの機械人形に成り下がっていた。
涙など枯れ果てた。
誇りも消え、矜持も潰え、たった一人愛した実母はこの世の人ではなくなった。
ゴトーにはもう何も残っていなかった。
もう何も、残ってなどいないはずだった。
葬儀については、ヤシロがほとんどすべてを取り仕切った。
遺体は長崎で直葬した。これは生前のアキラの言葉に従ってのことだったという。
しかし、そのあとの対応には四苦八苦させられたらしい。
長崎にあるアキラの実家に納骨を頼んだところ、ゴトーの祖父と継祖母はこれを頑なに拒否した。逐電した娘とは既に縁を切っており、受け入れる道理がないとの一点張りだったと言う。
そのため、アキラの遺骨は一旦東京のアパートへ持ち帰ることになった。その後の対応についても自分に任せて欲しいとヤシロは言っていた。
ゴトーはそれに唯々諾々と従った。
ヤシロもミドリも、ゴトーから血の通った反応が返ってこないことに顔を見合わせて心配したが、それでもゴトーは必要最低限の言葉しか返さなかった。
冬休みが終わってからもそれは変わらなかった。ゴトーは休み明け初日から登校し、いたって平然と授業を受け続けた。
アルバイト先のレストランでも、ゴトーは厨房でせっせと調理の補助作業に勤しんだ。
しかし、それだけだった。
ゴトーと関わったほとんどすべての人間がゴトーに違和感を感じていた。
そして、その違和感を最も敏感に察知したのはジョーだった。
ゴトーからは、以前のような腰の低さも穏やかさもなくなっていたのだ。
ゴトーは自分を心配して家まで訪ねてくるジョーのことを、まるで抱き枕のように扱った。彼がジョーに対してする行為はハグに留まっていたものの、その手つきは段々と強引になっていた。ジョーが抵抗しないことをいいことに、その手が胸や股座に触れていることも度々あった。
挙動のおかしくなったゴトーのことを、ジョーは離れるどころかますます心配した。その分、二人が一緒に過ごす時間はどんどん増えていき、いつの間にかジョーがゴトーの家で夜を明かすことも多くなった。
それでもゴトーは、ジョーと性交だけはしようとしなかった。
それもこれも、ゴトーたちが長崎から帰って来たあとの一件に起因するのだが、ゴトー以外の誰もそのことを知る由もなかった。
学校が再開する前日のこと。
ゴトーの家の郵便受けに一通の封筒が投げ入れられた。
封筒には住所の記載も切手の添付もない。ただ裏面に差出人の名前と思しき「Brandon Teena 」の文字があるだけだった。
封筒の中にはワープロで印字された粗雑な手紙が入っていた。
「私のことを知っているか」
それは、まごうことなき脅迫状だった。
「私はおまえがしたことを知っている。クリスマスの夜、おまえが『彼』にしたことを知っている」
文節ごとにフォントが変えられた手紙からは、ゴトーに対する明確な憎悪が滲んでいた。
「これ以上『彼』の魂を脅かすなら、『彼』を私の元へと連れて逝く。招待状を送る手はずは整っている。それが嫌なら、今すぐ『彼』の元を立ち去れ」
封筒の中にはもうひとつ小さな封筒が入っていた。
中身は写真が一枚だけ。
その写真を見た瞬間、生気の失われていたゴトーの瞳に光が灯った。
いや、光と言うには生温い。
それは地獄の業火と呼ぶべき、憤怒の閃きだった。
写真には二人の男に暴行を受けているゴトーと、裸に剥かれて胸を弄られている少女が映っていた。少女の顔にはモザイク加工が施されていたが、それが誰であるかは言うまでもない。
ゴトーはもう一度、差出人の名前を見返した。その字面から、昔アキラから教わったことのある事件について思い出した。
その名も、ブランドン・ティーナ事件。
それは一九九三年のアメリカで起きた殺人事件だ。特筆すべきは、被害者ティーナ・ブランドンが男の心を持った女性、つまり性同一性障害だったということである。
ティーナ・ブランドンは普段から男装して、『ブランドン・ティーナ』という名の男として振舞っていたことから、『彼』を男だと思って接する人はとても多かったらしい。しかし『彼』は一九九三年十二月二十五日に『彼』が女だったと気づいた悪友たちによってレイプされる。その後ブランドンは悩みぬいた末に警察に被害を届け出るも、その事実を知った悪友たち逆恨みされて同年の大晦日に撃ち殺されてしまった。
のちにこの事件を元にした「ボーイズ・ドント・クライ」という映画が一九九九年に公開される。そのためこの事件は、保守的な価値観を持った人間によるヘイトクライムの典型例として知る人ぞ知る存在となっている。
この事件を知っていることをアピールし、あの写真を同封したことの意味。
それは、差出人「Brandon Teena 」なる人物がジョーの秘密を知っているということ。
そして、ゴトーがジョーと離れなければ、この写真をいつぞやのようにネット上に公開するということだ。
もしそんなことになったら、ジョーの傷ついた心は耐えられない。
ジョーの心は死んでしまう。
しかし、ゴトーはこの脅迫を敢えて無視することにした。
それどころか、この脅迫とは真反対のことをしてやると決意した。
なぜならゴトーは、この脅迫文を送ってきた犯人の見当がついていたからだ。
もしも脅迫文の送り主が想像通りの人物なら、その動機を推察するのはもっと簡単だった。
だからこそゴトーはこの犯人を許すことができなかった。
ゴトーは脅迫状と写真をガスコンロの火にかけた。
紙片はフライパンの上で炎と踊り、数秒経たずに灰と化した。
(ああ。これでもう、思い残すことはない――)
罪を犯したなら罰を受けなければならない。
害を被った者には、害を与えた者へ報復する権利がある。
誰もがこの犯人を見逃すと言うなら、自分が報いを受けさせてやる。
「人として、為すべきことは……信義を尽くすこと」
ゴトーのつぶやきに答える者は誰もいない。
それを諌めるものも、誉めそやす者も、誰もいない。
もうゴトーの傍には、誰もいないのだから。
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