24 SCENE -12-『ジョー』
学校を休み始めてから一ヶ月半ほど経った。
俺はいま、ゴトーの家で勉強している真っ最中である。
「えー、『そのレーダーは、成功的な波を受信することで』」
「えっと、'successive'だから『連続する波』じゃないかな」
「ん? あぁ! 'successful'と間違えたわ。これあれだろ、地震で言うS波に使ってる形容詞――」
「それは'secondary' ……だと思うよ? S波は第二波って意味だから……」
「…………」
ゴトーと電話してからというもの、俺の精神は万全とはいかないまでも、家のすぐ外なら出かけられる程度には回復していた。それでもまだ夜道を一人で歩くと落ち着かなくなるため、俺とゴトーの家を行き来する際には毎回ゴトーに送り迎えしてもらっている。
まるでエスコートされているみたいで複雑な気分だが、そこはゴトーの善意に甘えさせてもらうことにした。
なにせ未だに睡眠薬がなければ眠れないほど不安定な状態なのだ。学校への早期復学を目指して外に出るようにはしたものの、不意にあの時の出来事が思い出されて震えが止まらなくなることもある。そうなったらたった十数メートルの距離だって一人で歩ける自信はない。
まったく落ちぶれたものだと悲観したくもなるが、実を言うとそのことに関してはそこまで落ち込んではいなかった。
リハビリと勉強を兼ねてゴトーの家に通うという提案は、こんな状態の俺を慮ったゴトーが申し出たことだった。
ゴトーは一足先に学校へ復帰したものの、帰宅後すぐに俺を家まで迎えに来てくれた。それからアルバイトが始まる時間ギリギリまで勉強につきあってくれている。
過保護な感がないでもないが、ここまで親身になってもらって嫌な気がするはずがない。
あんなことがあったというのに、顔を見せにさえ来ない母親とは対照的だ。
まあ、それは今に始まったことじゃないけれど。
ゴトーと接するようになってわかったことだが、ヤツは思っていたほど根暗な男ではなかった。
学校の小テストの結果に一喜一憂し、週刊連載のマンガやテレビドラマの続きが気になると言って微笑んだりもする。
先入観なく見てみれば、ゴトーは極めて普通の男子高校生だ。
もっとも、普通でない部分もあるにはあった。
たとえば、学力について。
中間試験を受けないと単位に響くということで、俺は先々週行われた試験を特別に保健室で受けさせてもらった。とはいえ本調子でないことから俺の成績は若干下がり、上位三十位にあと一歩及ばなかった。
それだというのに、こいつはよぅ……
「おまえさあ、前から思ってたんだけど、実はメチャクチャ頭良いだろ?」
「そ、そんなことはない……よ?」
「ウソこけ
「ヤマが当たっただけだよ、たまたま……」
申し訳なさそうに、もしは小恥ずかしそうにはにかむゴトー。
冷静に考えれば、ゴトーは都立高の編入試験にパスしているわけで、当然それなりの成績でなければおかしい。あまり意識しないようにしてきたけれど、話せば話すほどゴトーがとても賢い男だということがわかってしまう。
だのにそれを鼻にかけないとは、ライオンと熊を足して二で割ったような面構えのくせして、どこまでも謙虚な男である。謙虚すぎて嫌味に感じるときもあるが、それは受け手である俺の僻み根性だとわかっているから口には出さない。
それとこの間、学校の課題を終わらせるのに時間が掛かりすぎて夜になってしまったときのことだ。俺は普段から家に帰っても一人きりだし、晩飯はコンビニ弁当かデリバリーを頼むかの二択が常だった。
それを知ったゴトーがある日、夕飯を作りたいと言ってきたのだ。
「口に合えばいいんだけど、どうかな」
「……これ、鶏肉の……ワイン蒸し、か?」
「うん、プーレセレスティーヌっていうチキンを使ったフレンチ。家庭料理として食べられてるって話だけど……」
「……おまえは主夫か?」
ただの高校生にしておくには、ゴトーの家事スキルはあまりに高すぎた。
料理やらお菓子やら何でも手作りするし、裁縫やら服の染み抜きも片手間にこなすし、倹約精神にも富んでいる。コイツを家に呼んだりしたら、雑然としたうちのリビングなんか嬉々として掃除しそうな気がする。
人は見かけによらないというのは俺の口癖みたいなものだが、俺以上にその言葉が当てはまる人間をはじめて見た。
そのせいか俺はいつの間にか、ゴトーの前では警戒心を解くようになっていた。ヤツとはそこそこ話も合うし、何より妙に親近感が湧き始めていたのが大きかったのだと思う。
こんな気持ちになったのは、マキと知り合った中学生のとき以来かもしれない。
そのマキについてだが、不思議なことに最近あまり連絡が来なくなった。
俺がメールすればそれなりに返事をくれるものの、マキから連絡してくることはほとんどない。今までならむしろ逆だったのに、いったいどうしたというのか。
まあ、マキも吹奏楽部員だ。練習で忙しいのだろうけれど。
それにしては、同じ吹奏楽部のカエデからはかなり頻繁に連絡が来るんだが……
カエデからのメールは、学校の行事やら授業のポイント、部活で起こった珍事などの日常が綴られていた。学校に来れなくなった俺を心配してくれているのか、メールはとてもマメに送られてくる。
メールを読んでいると、気にかけてくれて嬉しいという反面、早く学校に戻らなきゃいけないという焦りが湧いてきた。
キリヲさんは時期尚早と反対するだろうが、いつまでもゴトーやカエデに甘えっぱなしというわけにはいかない。
早いところ学校に復帰したい。決して学校に行きたいわけではないけれど、学校から逃げているという自分が嫌で仕方がなかった。
それでも、いざ学校に行こうとすると、怖気づいてしまう自分がいる。
例の噂が根強く残っているのではないか。
今更どんな顔をして教室に戻ればいいのか。
なにより、暴行の被害に遭いそうになった『女』として見られることに耐えられるのか、わからない。
ゴトーもカエデも、そしてマキも、事件や噂のことについては触れようとしなかった。だからこそ、いま自分が学校でどのような立ち居地にいるのかが想像できない。
また優等生の仮面を被り続けられるのか。
もしも面と向かって誰かに事件のことを指摘されたとき、果たして自分は冷静でいられるのか。
心に余裕ができてきたとはいえ、所詮は脆いガラスのハートだ。いくら強がっていたところで、自分は生まれながらにして心に爆弾を抱えている。それをあの一件で改めて思い知らされた。
それでも、そんな心にいつかは立ち向かわなければいけない。
いつまでもこんなことじゃいけない。
でも、それならどうすればいい?
そんな自問自答をしながら、俺は今日もゴトーとの勉強会に勤しんでいる。
勉強会のあと、俺は例によってゴトーの家で早めの晩飯を恵んでもらってから自宅へと戻った。
俺をマンションに送る道中で何を思ったのか、ゴトーは自動ドアを潜ろうとする俺を呼び止めた。
「明日の午前中、時間あるかな」
「なぜですか」
「お願いがあるんだ」
「それはどんな」
「それは、その……」
よほど言いにくいことなのか、再び口ごもってしまう。
ゴトーは相手を思いやる余り、言葉を選びすぎるきらいがある。
二ヶ月近くも顔を付き合わせていたら、それくらいはわかる。
しかし、それで俺がイラつかないかというと話は別である。
「……こんな往来で立ちっぱなしにさせておいて、黙ってんじゃねーぞ」
俺はゴトーにしか聞こえないほどの小声で恫喝してやった。
「あ、ご、ごめん! いま話すから……」
「なんなんですかもう。そんなに面倒なことなんですか?」
呆れ半分で両腕を組む。
そんな俺をゴトーは愁いを帯びた表情で見つめていた。
「……ついて来て欲しいんだ」
「ついて来て、ってどこに」
ゴトーはかろうじて聞き取れるくらいの音量で、その場所の名前を告げた。
生憎だが、俺にはそんな場所に用はない。
「目的は? まさか予防接種が怖くて――なんてオチじゃないですよね」
ゴトーは静かに首を横に振った。
「君に会って欲しいんだ。……僕の、『父』と」
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