25 OTHERS -05-『不事二君』

「お疲れ様でした、社長」

 黒塗りの車のドアを開けながら、私はそのお方に対して深く頭を下げた。

「ご苦労さま」

 そのお方が車に乗り込んだ一瞬、緑の黒髪が舞い上がる。すれ違いざま、酸味がかったリンゴの香りが私の鼻をくすぐった。

 いつ見ても、いつまでも、本当に綺麗なお方だ。

 私は素早く運転席に戻ると、すぐさま車を走らせた。

「お休み中のところ、急にお呼びだてして申し訳ありませんでした。取締役会の直前になって、古参の役員どもがCEOの解任要求を渋りだしたものですから、私の部下の一存では対処しきれなかったのです」

「別にいいわ。こうなることなんて、わかりきっていたしね」

 不夜城とも称される夜のビル街に視線を流しつつ、そのお方は続けた。

「一族経営のワンマン社長にはよくあることだけど、粉飾決済に不正人事、セクハラにパワハラ。雇用環境上の問題点も次から次へと出てくる。それを見過ごすことで甘い汁を吸ってたジジイ連中が、進んで自分の金づるのクビを斬れるはずなんてないもの」

「ひとまず一番の障害だったCEOの排除には成功しましたが、このあとはどのようにいたしましょう」

「いつもの手順で、処理して頂戴」

 、適当な投資家たちを誘導して株価を持ち上げさせて、利益が出たところで全て売り飛ばす。

 その反動で会社が潰れようと、自殺者が出ようと、知ったことではない。

「かしこまりました」

 相変わらず容赦のないお方だ。自分のコンサルタントに歯向かって業績を悪化させた企業を、この方は決して許さない。

 バックミラー越しに見えるそのお方は、まだ窓の外の光景を眺めている。

 倦怠感を浮かべた表情が、夜景を写す冷淡な瞳が、私は何よりも愛しく思えた。

「ねえ、キリヲ」

 そのお方は内ポケットからタブレット端末を取り出すと、気だるそうに画面を操作しだした。

「明日の予定、すべてキャンセルにしてくれないかしら」

「……例の彼、ですか?」

「ええ。どうしても会わなければならないから、ね」

「かしこまりました。店はどこを手配いたしましょう」

「いいわよ、自分でやるから。そろそろあなたもゆっくり休みなさい。ここ一ヶ月、ろくに寝ていないのでしょう?」

「仕事ですから」

「私や子供の世話は、成功報酬には含めていないけど?」

「使命ですから」

 窓の外に向けられていた眼差しがいつのまにか、バックミラーを通して私に向けられていることに気がついた。

 薄く笑う美しい唇がゆっくりと開かれる。

「あなたのそういう生真面目なところが大好きよ、キリヲ」

「お褒めに預かり光栄の至りです」

「ならもう少しだけ甘えさせてもらうわ」

「はい、社長」

 そのお方はタブレット端末に再び視線を落とすと、後部座席に体を横たわらせた。夜道のネオンと端末のライトが、物憂げなお顔を仄かに照らし出す。

 正直に言えば、今回の社長の行動に私は賛同しきれていない。

 社長はとても聡明なお方だ。誰よりも多くのことを考え、常に来るべき未来のことを想定する。近年かの国で勃発した大手証券会社の倒産も、彼らがそのきっかけとなる商売を始めた数年以上前から社長は見抜いておられた。

 社長には、私などでは思い至らないようなお考えがあるのかもしれない。だがそれでも、あんなどこの馬の骨とも知らないガキと交渉しようとするなど、やはり理解に苦しむ。

 相手は確か……ゴトーとかいっただろうか?

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