19 SCENE -10-『ジョー』

 待ちに待ってこそいなかったが、文化祭の日がやって来た。

 部活組にとっては日頃の成果を、教職員にとっては外部の人間に学校をPRするための絶好の機会だ。よほどやる気のないヤツでもないかぎり、生徒たちが活気に満ち溢れるのは当然のこと。

 しかし何の因果か、空はどす黒い雲に覆い隠され、今朝からと長雨が降り注いでいる。霧雨というには雨量が多く、豪雨というには威力が足りない。傘を差そうか迷ってしまう曖昧な天気のせいか、校内全体が気落ちしているようにも思えた。

 とはいえ、客入りが減ったかというとそうでもない。郊外にある学校とはいえ、公立校の中では名の知られた進学校の一角だ。貧困から抜け出したい野心家やら、金を持て余しているくせに下野する傲慢な金持ちの子息たちがうんと見物に訪れていた。

 俺はというと、午前の公演を終えてジュースを片手に校内を散策中。

 教室の半分を舞台に、もう半分を客席にするという即席ステージだったにもかかわらず、我がクラスの観客動員数は座席の8割を越えた。有名な舞台劇をモチーフにしたサスペンスという脚本が受けたのか、上演後の雰囲気は概ね上々。口コミが広がれば、午後の部は満席になること間違いなしだろう。

 正午には体育館で吹奏楽部のコンサートも聴けたし、満足続きで気分が良い。カエデの参加したクラリネット五重奏なんて素人目でも激ウマで、演奏後には万雷の如き拍手喝采が体育館を揺らした。経年劣化によって来春に建て直し予定だというのに、着工前に拍手の音で窓ガラスが割れてしまいそうな勢いだった。

 まったく、カエデの頑張りには頭が下がる。学級委員としての仕事に勉強、さらに部活まで十全にこなしてしまうとは。あの小さな身体でよくやるものだ。

 先日の体育の授業以来、俺とカエデは時折一緒に昼食を取るようになった。それからというもの、自然と彼女と会話する機会が増えた。

 俺には人様に話せない事柄が多すぎて、大した話題は提供できない。だからもっぱらカエデの話の聞き役になることが多かった。

 好きな俳優や声優の話。気に入っている歌謡曲やクラシックの話。学業の不安や、進路の悩みなど。カエデの話を聞くたびに、彼女の新たな一面が見えてくる。それまではただの気弱な女の子くらいに思っていたのに、想像以上にしっかりとした、強い意思を持った子だということもわかってきた。

 気の弱さは優しさの表われで、心の弱さとは無関係だ。俺はカエデの実像を見誤っていた。

 影から見守っている気でいたのに、そんな必要はなかったのかもしれない。

 彼女は充分に強い。俺なんかと違って誰からも好かれる、魅力に溢れる人間だ。

 それなのに、どうして俺のような半端者に興味を持つかねぇ……

 ストローからコーラを吸い上げる。ほとんど毎日飲んでいるが、祭り時に飲むと身体に高揚感を与えるような気がする。

 感慨とコーラの旨味に浸りつつ、いつの間にか俺は一階まで降りてきていた。

 正門入り口から校舎に至るまでの道は、軽食の露天が軒を連ねている。来校者たちの出入りが激しい区画のため、あまり長居したい場所ではない。

 行く当てもないし、体育館に戻るか。今頃ダンス研究会の公演の最中だろうし。

 そう思って進路を変更したとき、階段から俺を呼び止める声があった。

「ジョー、悪いんだけど、急ぎでお使い頼まれてくんなーい?」

厄介ごとに引っかかったと、思わず舌打ちしたくなる。しかも声を掛けて来たのは午前の部で少女Bを演じていたヤツだ。

 アゲアゲだったテンションがダダ下がりしていくのを感じるが、腐っても俺は優等生。無視することなどできない。

「何かあったんですか?」

「観客席の段差に使ってた踏み台が壊れちゃってさー、客席の配置組み直してるんだけどー、やっぱり踏み台があと何個か必要って話になってー」

「ああ、それならまだ倉庫にいくつか余りがあったはずです。すぐに取ってきますよ」

「おねがーい!」

 急いでいるわりにはウインクしてくる余裕はあるのなおまえ、というツッコミは口に出さないでおいてやる。

 俺は行き交う来客たちを避けながら、足早に旧校舎へと向かった。

 実習系の教室が多い旧校舎では、どの団体も催しを開いていない。そのせいか、渡り廊下を挟んだだけで旧校舎側には誰一人見当たらなかった。

 静まり返った廊下を駆けて、非常用通路の扉を開ける。その更に奥に地下への階段がある。

 この俺を雑用に使いやがって。こんな日でもなければ適当な口実で断ってやるものを。

 思い切り顔をしかめて鼻で笑う。

 誰もいない廊下で気分が緩んだのか、俺は周りを見ずに廊下を突っ走った。

 そんな俺の油断が致命的なものとなる。

 目の前に、視界を遮る人影がひとつ。

 柱の影から現れた何者かが、いきなり腹部を強打してきた。

 最初は何をされたのかわからなかった。身体の真ん中に穴が開けられたような衝撃で息すらできない。キレイに鳩尾へと打ち込まれたことで、俺は声を上げることもできなかった。

 前かがみで倒れる直前に両腕をねじり上げられた。腕とは別に両足も抱え込まれ、俺は棒にくくりつけられた猪よろしく運ばれていく。

 行き着いた先は、当初の目的地である地下倉庫だった。

 倉庫に入るなり俺は床へと転がされた。

「がはっ、ごはっ……!!」

 したたかに打ち付けた腰の痛みもさることながら、腹の痛みがまったく引かない。床に這い蹲り、何度もむせ返す。

 しかし、うつ伏せでいられる時間は長くなかった。

 誰かが俺の前髪を掴んで、強引に顔を上げさせたのだ。

「おー、マジで外人だわ。ハーフっつったっけ?」

「いや、確かクォーターとか聞いたけど。見た目はまんま外人っすね」

「北欧系? 前にヤったのアジア系だったからなー、比較すると色の白さがヤバイなコレ」

 いろいろな方向から軽薄そうな声が聞こえてくる。

 室内が暗くて見づらいが、どうやら男が三人いるようだった。

 何なんだいったい、どうなってる?

 どうしてこんな奴らが学校に?

 痛い、苦しい、吐き気が……!

 痛みと混乱のあまり、思考がまとまらない。

 ただそんな中でも、彼らの話し声だけはよく聞こえた。

「これマジでヤっちゃっていいんだよな? あとで国際問題とか発展しねーかな?」

「バッカおめー今さら。そんなんなった試しねーだろ今まで」

「女の口を塞ぐのなんかラクショーっすよー、今はだれでもスマホで動画アップロードし放題の時代なんだから」

 そう言って男の一人が俺の眼前にスマートフォンをちらつかせる。

 痛みと涙で濁った視界が突如開けた。

 冗談じゃねえっ!!

 俺は渾身の力で髪を掴んだ男の手を振り払おうともがく。

 だが、そんな俺の腕力などものともせずに、男から張り手が飛んできた。

 前髪を離され、再び床に倒れ伏す。

「オイオイ、顔殴るのはヤメロよ。証拠残って大騒ぎされたらどうすんだ」

「うるせえ。抵抗するバカにはこれに限るんだよっと!!」

 背中を踏みつけられる。

 何度も踏みつけられる。

 頭を守ることに必死で立ち上がることすらできない。

 やがて足蹴で仰向けに起こされた。

 そこでようやく男たちの顔が見えた。

 一人はニヤニヤと口元を歪めて。

 一人は汚いゴミでも見るかのように顔をしかめて。

 一人は血走った目で鼻息を荒くして。

 三人が三人、卑しい気配をまとわせていた。

「んじゃ、時間ないしとっとと済ませちまおーか?」

「うぇーい」

 男の一人が俺の両腕をがっちり掴む。

「ふざけっっっんんん――」

「うるさい口はガムテでチャックしよーねー」

 死に物狂いの抵抗も虚しく、腹に馬乗りになられていよいよ身動きが取れなくなった。

 残った一人が倉庫の扉を閉めたことで、部屋から主な光源が失われる。背後にある磨りガラスの窓からは淡い光しか射し込まない。

 薄暗さと埃っぽさと、地下特有の湿気の多さが、心の平静を乱していく。

 オイ、なんだこれ、嘘だろ?

 なんで俺が、どうして?

 身体をよじっても、力んでみても、ビクともしない。

 それどころか、そんな俺のもがく様を男たちは愉快そうに笑っている。

 馬乗りになった男の手がジャージの上着へと伸ばされる。

 そして、何の躊躇もなく捲し上げられた。

「えー、スポブラって色気なさすぎじゃん」

 ケラケラ笑いながら、男は続けて腰に手を回す。

 俺は持てる体力のすべてを費やして足をバタつかせ、抵抗した。

 そんな俺を嘲笑うかのように、スウェットパンツも下ろされる。

「ちょっ、インナー、ボクサータイプなんスけど。この子スポーツやってるって言ってましたっけ?」

「下着のセンスなんかどうでもいいだろ。最後にゃ全部脱がせるんだからよ」

 そう言って、首筋をぺろりと舐められた。

 っっっ!!

 全身が総毛立つ不快感。

 心拍が跳ね上がる嫌悪感。

 声も出せず、身動きも取れない、無力感。

 自分の身に起きている状況に対応しきれず、何度も同じ言葉が頭を過ぎる。

 嘘だ、止めろ、俺は――

 俺は、男なんだぞっっっ!?

 得体の知れない恐怖感が、この身を侵略されるという危機感が、視界をどんどん滲ませていく。

 苦しくて、悔しくて、情けなくて、次から次へと涙が零れる。

 こんな訳のわからない連中に、俺は――

 そして男の指が、俺の下着へと掛けられた。

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