17 SCENE -09-『ジョー』

「君も呼び出されたのかい?」

「あ、あなたもなの? それってつまり……」

「ここにいる4人全員、ヤツに指名されたっちゅうこっちゃなあ」

「護堂ヒカル、か。あいつ、いったい何を――」

「あーはいストップー、ちょっと集まってくれるー?」

 文化祭を二日後に控えた放課後の教室では、役者担当の生徒たちによる予行演習が行われていた。

 黒板の前には洋館の客間が描かれた書き割りが立て掛けられている。美術部出身者による渾身の力作とは描いた男子生徒本人の談だったが、確かに奥行きの感じられる良い画だと感心する。

 俺は役者たちの練習風景を教室の中央から眺めていた。

 手元にはリモコンがひとつ、目の前の机には自前のCDコンポが一台置いてある。

 そう、俺は音響係(午前の部)としてクラスの出し物に参加するのだ。

 夏休み前に文化祭で演劇をすることが決まった際、俺はすかさずこの役職を希望した。理由は単純、役割分担で揉めることが目に見えていたからだ。クラスには、クラスの出し物以外にも部活の出し物に参加しなければならない者が大勢いる。敢えて練習時間の割かれる役職をやりたがる生徒はそう多くはない。

 俺の予想通り、一部の目立ちたがり屋を除く大多数の生徒が舞台設営の役回りを望んだ。それらの役職は自分の仕事が済んでしまいさえすれば、舞台練習にまで顔を出さなくてもいいからだ。

 俺は帰宅部なうえ、このクソ忌々しい容姿のせいで役者担当を押し付けられる危険性があった。だからこそ俺は、劇の裏方でありつつ練習に参加しなければならない役職という微妙な線をついて、BGMやらSEやらを鳴り響かせる係に捻じ込んだのである。

 脚本家兼監督による演技指導が入ったため、俺はCDコンポのスイッチを切った。文学部出身だというその生徒は、一度こだわりだすと話が長い。練習再開まではもうしばらく掛かりそうだ。

 俺の隣からパチリという乾いた音が聞こえた。

 照明係(午前の部)のカエデが調光機のスイッチを切ったのだ。

「また始まっちゃったね」

 カエデが苦笑気味に言った。

「いまの演技、そんなに悪くなかったのに」

「監督には監督のこだわりがあるのでしょうが、あと2日だということを忘れないでほしいものですね」

「ううん、でもさっきのD夫人のセリフはちょっと棒だったっていうか、カメラを意識しすぎて役者同士の絡みになってなかった気がするっていうか――」

 怒涛のようにまくし立てるぼやきが俺とカエデの間に割って入ってきた。

 映像研究部から派遣されてきたムツキとかいう生徒だった。彼は学園祭の様子を映像に残す係として、ビデオカメラの設置場所を相談しに来ていた。

このムツキという小デブから醸し出される独特な雰囲気が俺はかなり苦手だった。相手の出方ばかりを窺うジメジメした視線や、自分がどう思われているかを意識しすぎたオドオドした態度。それに加えて、当たり障りのないことを言いながら他人への悪意が隠しきれていないところなど、挙げればキリがない。

 ステレオタイプな物の見方はあまり好きじゃないが、社会に適応しきれないオタクというのがムツキに対する第一印象だった。

「いや、やっぱり表情が険しすぎるきらいがあったと思うんだけど、ル、ルミエールさんはどう思う?」

 一人でつぶやいていたと思ったらいきなりこちらに話を振ってきた。どうやら俺と会話していた気でいたらしい。

 俺の顔を卑屈に仰ぎ見るムツキに対して、よそ行きの微笑みと共に、

「特に何も」

 とキッパリ言い切った。

 この手合いは自分が相手に対して一切興味を持っていないことを示さないといつまでも食い下がってくる。しかもこのムツキとかいう根暗な男には、街中で言い寄ってくるチャラ男とは違ったしつこさが感じられた。

 案の定ムツキは俺との絡みを続けようとしてきた。

「ほ、本当? だってさっきのシーン、謎の人物に呼び出された4人が初めて顔合わせするところなんでしょ、だったらもっと相手を警戒しつつも表情に出さない工夫をするべきなんじゃないかな」

「まあでも、映像作品と舞台演劇では理想的な演技が違うのかもしれないよ?」

 カエデが横から口を出した。もしかしたら、困っている俺を見かねたのかもしれない。

 それにも関わらず、ムツキの講釈は終わらなかった。なまじっか演技の知識があるだけに、こちらが求めていないレベルの細かな指摘がいくつも飛んでくる。しかもその都度遠回しに同意を求めてくる口ぶりで、いなすだけでも一苦労だった。

 ただし、そんな衒学的な解説が気に食わなかったのは俺だけではなかったようで。

「外野うるせーよ、特にそこのデブ! カメラの配置決まったならとっとと部室に帰れ!」

 無頼漢C役の男子生徒が怒りに任せて台本を投げつけてきたのだ。

 第三者が専門家気取りで講釈を垂れることほどムカツクことはない。まあ無頼漢Cがそこまで考えていたかどうかは別として、ムツキが徐々にヒートアップしていたのは事実だった。

 ムツキは薄気味悪い愛想笑いを浮かべながら頭を下げた。しかし教室中からの視線に耐えかねたのか、結局は半笑いのままそそくさと教室を出て行った。

 まったく、打たれ強いオタクの薀蓄ほど厄介なものはないな。

 これで心穏やかに休憩できる。

 そう思っていられたのはムツキがいなくなってからほんの数秒だけだった。

 先ほどムツキから批評されていたD夫人役の女生徒が、こともあろうにカエデに絡みだしたのである。

「だいたいイインチョーがもって来たライトがダメなんだよ。なんか眩しすぎるし、壊れてんじゃないのそれ?」

「えっ? だってこの間、照明をもっと明るくさせようって話し合ったじゃない、だから――」

「限度があるっつってんのよ、それくらいもわからないなんてバカなの? ねえ、バカなの?」

 煽るような物言いに、A紳士役の男子と少女B役の女子が便乗し出す。

「そもそも企画から無理あったんじゃね? ああ、誰だったっけ、演劇がいいなんて言い出したヤツ」

「あたし覚えてなーい。委員長、おバカなあたしたちに教えてくれない? こんな面倒押し付けたの、いったい誰だったっけ?」

「それは……」

 カエデが所在無さ気に口ごもってしまう。

 夏休み前、俺たちのクラスは出し物が決まらなくて会議が難航した。そんなとき、吹奏楽部のOGが教室で演劇を披露したことがあるという話を議長だったカエデが持ち出したのだ。喫茶店か町の史実展で揉めていたとき、この第三局の登場によって票が分散された。その結果、僅差の多数で演劇をすることになったのである。

 このような経緯に不満を持っている生徒が多いのは事実だ。

 しかし、彼らの言い分はあまりに理不尽だった。

「ちょっと待ってくださいよ。面倒を押し付けられたって、あなた方は自分で役者担当に立候補したのではありませんか?」

 俺はカエデを自分の背後に隠すように一歩前へ踏み出した。

「他のみなさんだって、部活の出し物との両立が難しいなかで努力しているんです。それをあなた方は――」

「庇ってんじゃねーよ外人がっ、帰宅部のテメェが偉そうなことほざくなや!」

 無頼漢Cが脚本家の制止を振り切って俺に詰め寄ってきた。

「だいたい何なんだその気持ち悪ぃ喋り方は、ナメてんの? それが外人の礼儀作法なンすか?」

「そうそう、前からその上から目線、気に食わなかったんだわ」

「いつもいつも正義面しちゃってさ、ホント何様って感じ」

「そういやルミエール、おまえ委員長のこととなるとすぐに突っかかってくるのな」

 A紳士がニヤニヤしながら役者仲間を見回した。他の三人も一様にいやらしい含み笑いを浮かべている。

「この前の掃除のときといい、ちょっと口出しすぎじゃない? なんか監視されてるみたいでキモイんだけど」

「良い人ぶろうとして転校生に色目使ったりしてな!」

「俺たち奥ゆかしい草食系な日本人だからさぁ、野蛮で好色な外人の感性とか理解不能だわー」

「それじゃ、委員長もそういう目で見てるかもってことー?」

そしてD夫人は極めつけの言葉を口にする。

「そんなんレズじゃん、気色悪い。マジで近寄んないで欲しいんだけどぉ!」

 ピシッ、という掠れた音が聞こえた気がした。

 優等生の仮面に罅が入る音が。

 心の奥底に押し込んだ仄暗い感情の蓋を砕く音が。

 ああ、表情が抜け落ちていく実感があるのに、どんな顔をすればいいのかわからない。

 ふざけるなよゲス共っ!!

 心の中では叫び声を上げているのに、それを表に出すことはできない。

 詰め寄って来たのはテメーらの方だろ、ケンカ売ってんのかゴラァッ!!

 口に出せば、中学の時の二の舞になる。

 俺を同性愛者とひとくくりにするんじゃねえええええ!!

 カエデを、罪のないクラスメイトをまた一人追いつめることになる。

 俺がガマンすればいいだけの話だ。

 いつも通り何食わぬ顔で、涼しげな顔をして適当にあしらうだけでいい。これまでだってずっとそうしてきたんだ。今更できないはずがない。

 それなのに。

 後ろからカエデが見ていると、カエデに見られてると思うだけで、手も足も出せなかった。

 気の利いた一言も、機知に富んだ嫌味も、何も出てこない。

 目の前でわめき散らす同級生が、わけもわからない怪物のように見える。

 消えたい。いますぐここからいなくなりたい。

 そう思った矢先。

「どうしてそんなヒドイこと言うの!? ジョーに謝ってよっ!!」

 たまりかねたカエデが、俺の後ろから飛び出してきたのだ。

「自分勝手なことばかり言って、それを指摘されたから逆上するなんてサイテーだよ!!」

「うるせーよクソチビ、どけよ!」

 小さな悲鳴が視界から消える。

 少女Bが荒々しくカエデをなぎ倒したのだ。

 目の前が真っ白になる。

 カエデが床に転がされている。

 どうして、俺が、なんで。

 何も言わずに、いや、遅かった、違う。

 わからない、でも。

 俺の拳が極限の力で握り締められたことだけは実感できた。

「ルミエールさん」

 遠くなった俺の意識の中に、大型バイクのマフラーから洩れた排気ガスのような重低音が這いずり込んだ。

 音がした方角へ首を振る。

 引き戸の前に巨漢が一人。

 ゴトー。

 強面を不自然なまでに緩ませて、頭を手で掻いたりなんかして。

 これ以上ないほど申し訳なさそうに腰を低く落として、ゴトーは言った。

「あの、お手透きなら、教えて欲しいことがあって、その、できれば一緒に来て欲しくて……」

 それは俺を連れ出すための明らかな口実だった。

 教室での騒ぎに右往左往していた生徒や、騒ぎを起こしていた張本人たちからの凝視に晒されて、ゴトーは肩身を小さくする。

 だが、その哀しそうな双眸は俺の瞳を真っ直ぐに見据えていた。

 …………鬱陶しい。

 そんな眼で見てんじゃねーぞデカブツ。

 ゴトーに対する些細な苛立ちが、俺の視界を広めていく。

 今にも身体から噴出しそうだった怒りの感情が、静かに引いていくのを感じた。

 いかにも「暴力反対」みたいな目つきで嘗め回しやがって。

 おまえに言われんでもわかっとるわ。

 深呼吸を一回。

 それから倒されたカエデの手を取り、優しく立ち上がらせた。

 眼に見えるケガはなさそうだった。心の底からホッとする。吹奏楽部の公演が控えているのだ、これ以上、彼女を傷つけさせるわけにはいかない。

 俺は役者たちの間をすり抜け、脚本家から台本を奪って舞台へ立った。

 仕返しの術は暴力がすべてではない。もっと優雅でなければならない。

 そうでなければ、二年近くも優等生のフリなんて勤まらない。

 俺は台本を片手に、先ほどまで役者たちが演じていたシーンを再演した。

 これまでの練習で感じていた物足りなさを補完するように、洩れ聞こえていた脚本家の注文を満たすように、俺は過剰なまでに役者になりきった。

 誰もが唖然とした表情で俺を見るなか、

「完璧だ……」

 という脚本家の嘆息だけは耳に入ってきた。

 正味一分ほどの実演を終えると、手にはじっとりと汗が滲んでいた。俺は一言謝罪してから脚本家に台本を返した。

 舞台から降りた俺を前にして、役者たちがたじろいでいる。

 俺はさも当然という調子で言ってやった。

「偉そうなと仰るなら、あなた方もこれくらいの仕事はこなしていただきたいものですね。適正に分担された役職を自分の怠慢で疎かにするなら、あなた方には誰かを非難する資格はない」

 役者担当の4人からぐっと息を呑む気配がした。

 俺は目を丸くして成り行きを見守っていたカエデの手を引いて、ゴトーの元へと歩き出す。

「ああそれと――」

 そして思い出したように一言添えてやる。

「私は確かにフランス人の血を引いていますが、生まれも育ちも日本ですし、れっきとした日本国籍の人間です。もっとも、生粋の日本人のような奥歯に物が挟まった物言いはできかねますから、決して奥ゆかしくはないですが、ね」

 ゴトーとカエデを引き連れて廊下に出たあと、教室から憎憎しげな罵倒が聞こえてきたが、それは言葉の体を成していなかった。

 気分爽快、晴れ晴れとした心地だった。

 それにしても、と後ろを歩くゴトーへちらりと眼を向ける。

 こいつはいったい、いつからあのやり取りを見ていたのか。

 俺が手を出しそうになったのがわかったから、わざわざ口出ししたのか。

 人前に出たがらない臆病者の癖に、どうしてこう俺にばかりかかわりたがるかね。

 ジメジメした眼差しで、オドオドした態度で。言葉で表現すると先のムツキと大差ない仕草のはずなのに、ゴトーからはムツキのような気味悪さを感じない。

 それはたぶん、俺がこいつの心からの善意を理解しはじめているからなのだろう。

 大きなお世話だと反感を覚える俺がいる一方で、ヤツの登場に安心を覚えた俺もいる。

 癪なことに、仮面を被らなくても自然と微笑みが浮かんでいることに気づいてしまった。

 本当に癪なことに。

 そんな自分を鼻で笑って、俺たちは階段を下って行った。

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