12 SCENE -06-『ゴトー』
「へーい」
「よいしょー」
「アタァァァァァック!!」
「ゴトーちゃんっ」
チームメイトの掛け声を受け、バレーボールの落下地点まで駆けて行く。その間にすばやく両腕をまっすぐ体の前に突き出し、左手を下、右手を上にして手をつかみ合う。
でも、指ひとつ分届かない。
ボールはむなしく地面へ着弾し、何回かバウンドしながらコートの外へと転がっていった。
「15対9ぅ~、ゲームセットぉ」
休憩する間に審判役をまかされている別のチームのメンバーが、気だるそうに得点板の数字をめくる。
ゴトーは額に浮かび上がった汗をぬぐいながら、その様子を眺めていた。
日本人離れしたがっしりとした体格ゆえ、いかにもスポーツマンであるかのように誤解されがちなゴトーだが、そもそも彼は運動があまり得意ではない。なかでもバレーボールのような団体競技では、自分の失敗がチームのゆくえに影響するという緊張感から簡単なミスを連発してしまう。
現に今回も最後の最後でチームを敗北に導いてしまった。
「両者せいれーつ。れーい」
「「
中央ラインに集まる際も、そこから立ち去る際も、ゴトーを除くメンバー五人のうち四人は露骨に不機嫌そうだった。もちろん負けて喜ぶ人間などいるはずもないが、彼らの表情は負けたことに対する悔しさよりも、メンバーの不手際に対する怒りのほうが色濃くにじみ出ている。
そしてそれは、彼らが実際に怒りの声をあげたことで確証された。
「おいおいおい
「だーもぉっ!! だぁからくじ引きでチーム組むの嫌なんだよ!!」
一人は頭をかきむしり、一人は地団太を踏み、残るメンバー二人は眉間に深いしわを刻みながら、チームメイト一人を囲んでくどくど恨み節を唄っている。
しかし四人に囲まれているのはゴトーではなかった。
「いやさ、人間誰にだって得意不得意くらいあるぜ? おまえにゃあ自慢のオタ芸、じゃなかった、撮影技術がある。それはそれでどうでもいいし別にかまわないんだけどさぁ」
「15失点のうち7点がおまえ一人のレシーブミスってどうよ? もっとこうシャキッと動いてくんなきゃ困るんスよぉ~ムツキきゅんさぁぁぁぁぁ」
「あはは、ご、ごめん……」
ムツキと呼ばれたチームメイトは、苦笑いを浮かべながら周りのメンバーにぺこぺこ頭を下げた。
少年の容姿を一言で述べるなら、小太りだということに尽きる。
ほかのメンバー四人に比べて、少年の身長は頭ひとつ分ほど小さく、恐らく百六十センチもない。まるで人間型の粘土を頭上から押しつぶしたかのような、縦に短く横に長い身体をしている。
「ごめんなちゃーいって、おまえはそれしか言えねぇのかよぉ?」
「とりあえず土下座しとこーぜ土下座っ! はぁいどーげーざっ! どーげーざっ!」
運動部出身と思しき四人が、軽快な動きで囃し立てる。
その間ほかの生徒たちは各々の試合に精を出しているし、教師に至ってはベンチに腰掛けて書類に目を通すばかり。
誰もこちらを見向きさえしない。
それは、この光景がそれくらいありふれていて、日常的に繰り返されている証拠でもあった。
そんな既視感のある光景を眺めているうちに、吐き気にも似た感覚がゴトーを襲った。
胸の奥に押し込まれた袋が、だんだん膨れあがっていく感覚。
ゴトーは慌てて胸を鷲づかむ。
また、動悸がはじまったのだ。
鈍痛に耐えるような面持ちで、ゴトーは五人の姿を視界から追いやった。顔を背けて、大きな音を立てないように、ゆっくり息を落ち着かせていく。
息を吸うたび力を込めて、息を吐くたび暴れる何かを締め上げる。これ以上は絞まらないというほどに硬く硬く緒を縛って、その袋の中に押し込められたモノをあふれさせないようにする。
そんなイメージで何回も何回も深呼吸をした。
嫌な脂汗が額に浮かびかかったところで、弾けかけていたモノがようやく体の奥底に戻っていったような気がした。
ゴトーが乱れた息を整えていた間にも、聞くに堪えない罵声は続いていた。その汚らしい声を肩越しに聞きながら、ふらつく頭で考える。
何もここだけの話ではないのだ。どのクラスにも、どの学年にも、どの学校にもどの地域にもどの国にもどの世界にもどの時代にも、こんな光景は当たり前のように繰り広げられている。誰かひとりをのけ者にすることで連帯感を保ち、弱者を踏みにじって優越感に浸る。全人類全時代共通の、伝統ある慣わしである。
誰もその『ひとり』になんてなりたくない。できれば傍観者でいたい。あわよくば踏みつける側になりたい。
そんなふうに要領よく立ち回ることが穏便に生きていくための最低条件ならば、誰だって同じことをするだろう。
だからここでゴトーがあの小太りな少年に背を向けたところで、誰にゴトーを責める権利があるだろうか。
誰もが同じ穴の狢名なら、しょせんは目くそ鼻くそを笑うというもの。
手拍子交じりの土下座コールは、勢いのとどまることを知らない。悪趣味な祭囃子には耳をふさいで、今すぐにでもこの場から立ち去ってしまいたい。
ゴトーは誘惑されるままに前足を踏み出そうとする。
しかし彼の足はコートの上をじりじりと擦るだけで、一歩も前には進まない。
どうしても、進めなかった。
(こんなとき、『彼』ならどうするのだろう)
頭の片隅に、あの放課後のジョーの姿が浮ぶ。
ジョーは、間違っていることを間違っていると言えるだけの強さを持っていた。
たとえそれで自分が悪目立ちしてしまっても、自分が正しいと信じることをやってのけたのだ。
きっとジョーなら、こんなときでさえ決然と立ち向かって行くのだろう。あの端正な顔に自信たっぷりな微笑を張りつけて、誰もがかしずく正論を振りかざすのだろう。
自分はジョーのようにはなれない。
『彼』みたいな強い人間ではないから。
でも、それでも。
たとえ弱々しい、取るに足らない人間でも。
どれだけ拒絶されたとしても。
(そんな『彼』に、あこがれたっていいじゃないか)
「「「どーげーざっ! どーげーざっ!」」」
媚びるような笑みを浮かべて許しをこうムツキを囲んで、いつまでたっても下らないことに興じている四人の生徒たち。
ゴトーはようやく振り返った。その巨体はかすかに震えていたが、加害者たちに向かっていく足取りに迷いはなかった。
「僕が」
喉の奥から這いずるような声で言いながら、囃し立てていたうちの一人の肩を後ろからつかむ。
その一人をはじめ、他の三人も、ゴトーの呼びかけにぎょっとした面持ちを向けた。
そこで凛としていればいいものの、いきなり振り向かれたゴトーも驚いて黙ってしまったことから、不穏な沈黙が場を支配した。
ほどなく加害者四人は冷静さを取り戻し始めるだろう。口数の少ないゴトーでは、多くをまくし立てられれば押し負けてしまう。
そうなれば、いつかの放課後の二の舞である。
だからゴトーは、その場にいた誰よりも早く口を開いた。
「僕がレシーブしそこなったせいで、チームを負けさせてしまって、すいませんでした」
土下座こそしなかったものの、腰を直角に折る勢いでゴトーは頭を下げた。首筋から地面へと汗が落ちていくのを眺めながら、ゴトーは彼らの反応を待った。
しばらくすると、メンバーの誰かが舌打ちした。それを皮切りに加害者四人は隣のコートへと去って行った。
彼らの足音が聞こえなくなってから、ゴトーは頭をあげた。四人は別のチームの試合を見始めたようだった。
(…………よかった)
先ほどとは違った意味で心臓がバクバクと脈打っている。こんなふうに面と向かって誰かに反論するなんてほとんどしたことがなかったから、上手くいくかとても不安だった。
「あ、あの」
ムツキが何とも言えない曖昧な表情をして話しかけてきた。
「なんかその、ご、ごめんね。負けたの、ぼくのせいだったのに」
「その原因をつくったのは僕だ。だから、君のせいじゃない」
嘘偽りのない気持ちでゴトーはそう言った。
事実、先ほどの場面でゴトーがきちんとボールを受け止められてさえいれば、あそこまであっけなく負けることはなかった。おそらく他のメンバーも少なからずそう思っていたから、ゴトーの言葉に対してああも簡単に引き下がったのだろう。
だからこそ、この場で自分が責を負うことが正しいと、信義をまっとうできる方法だと思っていた。
しかしそれが思い違いだったということを、ゴトーは次の瞬間に知ることとなる。
ゴトーが弁解した直後、ほんの一瞬だけ、その場に似つかわしくないものがゴトーの視界をかすめた。
――『鬼』。
俯き気味になったムツキの表情が、1秒にも満たないわずかなあいだ、鬼のそれへと変わっていたのだ。
ゴトーはその場で目を見開いてしまった。さっきまでの弱々しい気配とは打って変わって、少年の周囲には刺々しい空気が漂っていた。
しかしそう思ったのも束の間、ムツキの表情はすぐに媚びた笑みへと戻っていた。
あまりの豹変ぶりに、意図せず固唾を呑み込んでしまう。
「次は、ぼくたちのチームが審判だね。みんなはよそへいっちゃったから、審判はぼく一人でやっておくよ。へへへ……」
愛想笑いを絶やさずに頭をかきながら、ムツキはゴトーを置いて、さっさと得点板のもとまで駆けて行ってしまった。
それを見ながら、ゴトーはその場で呆然と立ち尽くしていた。
すぐに別のチームの生徒たちがコートの中に入ってきて、試合の準備がはじまった。生徒たちの邪険な視線を感じながら、慌ててコートから離れた。
一見無表情なゴトーでも、その内心はひどく混乱していた。
(僕の対応が、間違っていた……?)
とても見間違いとは思えなかった、ムツキの形相。
怒りと、恥じらいと、憎しみと、悲しみと、恨みとを全部ごちゃ混ぜにしたような、敵意に満ちた表情。
とても近しくて、いつも隣り合わせで、かといって親しみなど持てるはずのない、醜く歪んだ相好。
肌をひりつかせるほど強い敵意が、ほんの一瞬だけとはいえ、自分に対してあらわにされたのだ。心穏やかでいられるはずもない。
(まして……)
ましてやその敵意の向け方に、見覚えのある面影を――
――ジョーの姿と重なってしまったら。
「どったのゴトーちゃん、
はっとして、ゴトーは声のしたほうを見降ろした。いつの間にかゴトーの真隣に、茶色く髪を染めた細身の少年が立っていたのだ。
少年はゴトーと同じように金網に背を預け、彼の顔をにんまりと見上げていた。
先ほどの一件を思い返すことに必死だったせいで、ゴトーはこの少年の名前をすぐに思い出せないでいた。
同じクラスではない。合同授業で一緒になる、隣のクラスの生徒だ。吹奏楽部所属の生徒だということまではわかっているのに、肝心の名前が喉元につかえて出てこない。
ゴトーから話の続きを切り出してくるのを待っているのか、少年はしどろもどろしているゴトーを愉快そうに眺めていた。
しかし待っているのがつまらなくなったのか、茶髪の少年は自ら話を再開させた。
「ワルツ。『
手振りで帽子をとるジェスチャーをし、恭しくお辞儀する。そんな彼の珍妙な動作を見て、確かに彼――ワルツが以前にも転校したてのゴトーに対してこんな振る舞いをしていたことを思い出した。
礼を終えると、ワルツは背中から体全体を金網に放り投げた。金網同士が軋みあって、金網に反発する彼にあわせるように甲高い音が反響する。
「まぁ自己紹介とかはどーでもいいとしてさ、結局どーしたんよ? なんかムウちゃんと話してたみたいだけど」
「……ムウちゃん?」
「そっそ、ムウちゃん、ってわかんねぇか、ゴメンゴメン。ほら、ムツキのことだよ」
(そういえば、彼とよく一緒にいる大きな女の子が彼のことをそう呼んでいるのを聞いたことがあるような……)
ゴトーは、放課後によく隣のクラスで二人きりで掃除をさせられている生徒たちの姿を思い返した。
「オレとか、あとうちのクラスのキイちゃんとかはムウちゃんとは幼馴染でさ、昔っからの呼び名で慣れちゃって今更変えられないってゆーか……いやだからそんなことはどーでもいいんだって。オレはだね、さっきゴトーちゃんがすげー怖い顔をしてたって、つまりそーゆーことを聞いているわけだよ、君」
一瞬だけ真面目腐った顔を作ったかと思うと、次の瞬間にはにんまりとした笑顔に戻っている。ころころと表情を変える、野良猫でも見ている気分だった。
そんなことを考えながらも、ゴトーは自分の感情を交えないよう、先ほどの出来事をできるだけ客観的にワルツに伝えた。
話を聞き終えたワルツは腕を組んで、わかりやすいくらいうなり声をあげていた。
「うーん、つまり、だ。ゴトーちゃんは、ムウちゃんがいじられまくってるのを見て、良かれと思って割って入ったと」
「……そうなるね」
「はっはーん、なるほどなるほど。事情はよーくわかったわ」
顎鬚でもなでるかのようなジェスチャーをしたあと、ワルツはしたり顔でゴトーに向き直った。
「早い話、余計なお世話ってやつかな」
「えっ……」
率直すぎる言葉にゴトーは虚をつかれた気になった。
ワルツは相変わらずさわやかな笑顔を浮かべてこちらを見ている。しかし、彼の声音には少なからずゴトーを非難する色がこめられているように思えた。
「ゴトーちゃんのやったことはそりゃ立派だと思うよ。弱いものいじめはよくない、かわいそうだ、だから助けなきゃいけない。その通りだよ。弱いヤツは、誰かに助けてもらえる権利があるんだ」
コートの向うで審判を勤めているムツキをまっすぐ見据えながら、ワルツは続ける。
「でもさ、その発想は場合によってはすごく残酷で、傲慢でもあるんだよ。だって考えてもみてみ? 誰かから助けられたってことは、その誰かからは大なり小なり、自分のことを弱いヤツだって思われたってことになるっしょ。助けられた側にしたらそれ、いわば見下されてるわけだから、いい気分はしない。ましてやプライドの高い人間なら、感謝どころか恨みに思うかもしれない」
それを聞いて、先ほどのムツキの表情が思い出される。
眉間には剣山、口には歯噛み。俯きがちであったとはいえ、あのとき彼から発せられていた雰囲気は確かに感謝のそれではなかった。
(僕が、彼を見下していると思われたから……?)
断じてそんなことは考えていない。ゴトーはただ、理不尽に責められているムツキを見ていられなかったからこそ、あの場に割って入ったのである。
彼を見捨てることが、自身の掲げる信義に反すると思ったから。
(信義に反するから、彼を助けた……? いや、でもそれは――)
ムツキを助けたかったから助けたというのとは毛色が違う。確かにゴトーは、彼を弱いヤツなどと卑下し、優越感に浸るために手を貸したわけではない。
だがしかしゴトーがムツキをかばったとき、彼をかわいそうだと、自分より格下の守るべき存在だと微塵も思わなかったと言い切れるだろうか。
ゴトーは自分の信義に忠実でありたかったからこそムツキを庇いたかったのである。でもそれは、自らの信義を果たすためにムツキの不幸を利用したともいえるのではないか。
「なら僕は、どうするべきだったのかな……」
わからない。見捨てるのが正しかったのか、本人を傷つけてまで助けることのほうが正しかったのか。
負の思考は更なる負の思考へと連鎖していく。
それは、ジョーのことだった。
ゴトーの『父』と同じ、トランスジェンダーという運命を背負ったジョー。ゴトーは、どうしても『彼』の力になりたかった。
そのアプローチは不器用極まりないものだったが、対人関係に不自由しているゴトーにしては、あれでも彼の人生史上でもっとも根気強く他人に関わる努力したほうだった。
先日、ジョーがゴトーの自宅まで奨学金関連の封書を届けてくれたとき、ゴトーはジョーに、自分の『父』のことを話した。
物心ついたときから感じていた身体の違和感を両親に打ち明けたために、勘当同然に上京してきたこと。
貧乏暮らしをしながら料理人修行に励み、フランスでも訓練をつんできたこと。
ゴトーを身ごもってからは東北の地、ひいては遠く北海道でたった一人きりで彼を育てたこと。
その間もずっと『父』が抱いていたであろう、自身の性に対する違和感や嫌悪感のこと。
そして今年の六月、病に倒れ、治療のために東京の病院へ移ってきたこと。
そのすべてをジョーに打ち明けた。
よほど疑われていたのだろう、最初ジョーは明らかにゴトーから逃れようとしていた。しかしゴトーが
ジョーはゴトーが話している最中も、ゴトーの作った料理を食べている間も、一言も口をはさまなかった。あのあと『彼』が喋った言葉といえば、帰り際にぼそっと呟いた「ごちそうさまでした」くらいである。
あれから数日の間、ゴトーはジョーと話をする機会に恵まれていない。
いや正確には、ゴトーがジョーを避けているのだ。ジョーにまた拒絶されてしまうのではないかと不安になり、二の足を踏んでしまっているからである。
もしもジョーが、先ほどのムツキと同じ思考を働かせていたら?
つまり、ジョーが先日のゴトーの話をこう解釈したとしたら。
ゴトーの『父』はかわいそうな身の上だった。自分を偽り続けた結果、病に倒れた哀れな人間だった。
(違うっ!!)
(そんなこと、これっぽっちも、考えてない、考えてないんだ!!)
(僕はただ……本当にジョーのことが心配で……!!)
思い切り叫び出したい衝動に駆られるも、ゴトーにはそれをこの場でどう処理するべきかわからなかった。だからこそ、その表情はひどく苦りきってしまった。
悠然と話していたワルツも、ゴトーの顔色の変化に気づくや慌ててこう継ぎ足した。
「あ、いやっ、別にゴトーちゃんを責めてるわけじゃないんだよ。むしろその逆。オレはさっきのゴトーちゃん、すげーかっこよかったと思ってる」
「…………」
「悪いのはムウちゃんのほうだ。あいつは昔から人の好意を素直に受け取れないところがある。逆恨みなんてしょっちゅうさ。それでも幼馴染だからかな、どうしても嫌いになれない。困ったもんだよホント」
ゴトーの不満を買ったと思っているのか、矢継ぎ早に繰り出された言葉には焦りゆえの震えがあった。
ワルツの誤解を解くべきなのだろう。しかし今のゴトーにはそんな言葉をつむぐ余裕などなかった。
すべての人間がゴトーと同じ思考をたどるわけではない。ワルツのいうような物事の捉え方だって十分にありえるのだ。なのにゴトーは、そこに考えが至らなかった。
自分のふがいなさに心底嫌気が差す。
ゴトーの渋面はもはや青い顔と化していた。
一方つくづく察しがいいことに、ワルツはゴトーの表情から、何か別の事柄に思いをはせていることに気がついたらしい。ワルツはわざとらしく胸をなでおろして見せた。
「まぁ、さ。要するにオレは、誰かを本気で助けようと思うなら、その誰かが自分に向けてきた全てを受け入れなきゃいけない、ってことを言いたかったんだよ」
「それは、どういう……?」
「つまり、好意だろうと悪意だろうと、そういうものすべてひっくるめて受け入れられないなら、誰かを助けるなんて無責任なことはしないで、無関心でいるのが身のためってこと。それを卑怯だっていうヤツもいるかもしれないけど、誰だってわが身が一番かわいいもんさ。ゴトーちゃんが誰かを見捨てたって、ほとんどのヤツは君を卑怯なんて言えないよ」
「……もし人から責められなくても、見捨てたことで、罪の意識は残り続けるよ」
「それはゴトーちゃんが優しい人だからだよ。大抵のヤツは見捨てたことさえ忘れて日常に戻っていくんだ。だから、中途半端な優しさが一番ダメなんだ。そういうのは、自分も他人も傷つける」
ワルツはぴしりと人差し指を屹立させて、ゴトーの前につけたてた。
「それでもゴトーちゃんが誰かを助けたいなら、感謝なんか求めちゃいけないよ。それが博愛精神、『汝の隣人を愛せ』ってヤツだよ。まぁ、どこぞのカミサマもたまには良いことを言ってる。こういうのも誠実さの形なのかもしれないねぇ」
ゴトーが誰かの――ジョーの力になりたいというのならば、きっとワルツの意見は正しい。
相手から見返りを求めるために助けるというのなら、それはもう誠実でもなんでもない。ただの打算である。ゴトーはそんな空虚な結果が欲しいわけではないのだ。
欲しいのはただ、ジョーの幸せ。ただそれだけ。
信義を守るためにジョーを助けるのではない。ジョーを助けるために、信義を貫くのだ。
「……ワルツくん」
「ん?」
「ありがとう。君は、いい人だと思うよ」
「よせやい、照れるだろうが」
顔の前でブンブン手を振るワルツを見て、ゴトーは胸がすく思いがした。
これまで散々、他人には苦しめられてきたけど、彼とは友達になれる気がする。そんな予感があった。
二人が何ともなく微笑みあっていると、突然コートの誰かから声をかけられた。
「あーそこの……でかいヤツ。悪いが予備のボールを取ってきてくんねーか? バカ共がボールをパンクさせやがって使い物にならねーんだわ」
授業などそっちのけで書類を読んでいた体育教師だった。
彼はゴトーを指名したかったようだが、すぐに名前が出てこなかったらしい。
そんな雑な呼びかけに気分を害したのか、
「なら最初からボール籠ごと持って来いよサボリ野郎が」
とワルツがボソリと呟くのを聞いた。
ゴトーはワルツから用具入れの場所を教えてもらい、一人で駆けて行った。
身体の大きなゴトーは、この手の雑用を押し付けられることがままあったので、たいして気にならなかった。それでもワルツは彼の代わりに怒ってくれたらしい。悪い気はしなかった。
ただし、良いことというものは長続きしないもので。
用具入れには先客が居たのである。
「…………ごきげんよう、ゴトーさん」
「…………こんにちは、ルミエールさん」
ゴトーは、背中から汗が吹き出ているのを感じていた。
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