10 OTHERS -01-『怠惰』
今日も下の階から聞こえてくる、母の媚びるような喘ぎ声。
今年に入ってもう何度目だろうか。
ノートを取り出して、ぱらぱらとページをめくり、目的のところを探し出す。『正』の漢字が十個も書かれていた。
……あぁ、そういえば今年の夏休みに入ってから急に多くなったんだっけ。
カウントするのも面倒で、きり良くやめちゃったんだった。
父さんも大変だよなぁ。外科医なんて重労働なのに、来る日も来る日も求められるなんて、ぼくならゾッとするね。
まったく、あんなのがぼくの母親だなんて、考えるだけで恥ずかしい。
とはいえ、あんな母親でもたった一つだけ称賛すべきところがある。
それは、一途過ぎるほど父さんを愛して止まないこと。
あのヒトは心の底から、狂信的に、盲目的に、病的に、父さんのことを愛している。それはもう見ていて痛々しいほどに、父さんのことを溺愛している。むしろ神のごとく崇拝しているといっても過言じゃないかもしれない。
いかに色狂いな女とはいえ、父さんへの異常なまでの愛情に対してだけは拍手を送ってもいい。
たぶん母は、父さんのためなら平気な顔で人を殺せるし、父さんのためなら喜んで死ねる類の人間だ。
父さんの鼻息が荒くなってきた。終わりは近いようだ。
母の悲鳴にも似た嬌声がイヤホンを通じて耳朶を打つ。
ハハハ、必死に声を押し殺しても無駄なのにさ……
ああ、最低だ。
最悪だ。
不潔だ。
不浄だ。
脳髄を痺れさせる快楽に酔いしれたあとは、いつだって後悔と嫌悪感に苛まれる
ぬめった左手をティッシュで拭いとると、くしゃくしゃに丸めて壁に投げつけた。
それもこれも、あいつのせいだ。
そう、あのゴトーとかいうデカブツ。
夏休みが始まる直前、あいつが東京に引っ越してくることが決まったあたりから、母の様子はおかしくなった。
まあ元々おかしなヒトではあったんだけど、より情緒不安定になった。どうやら、父さんに捨てられると思い込んでいるらしい。
ありえない話だ。父さんが母を大切に思っていることは、どんなバカでもわかるっていうのに。
あのヒトは父さんの愛情が信じられなくなっているのだ。
だからこうして、目に見える形で愛を表現して欲しがる。
……呆れ返るばかりだね。
昔、あのアキラとかいう女となにかあったんだろうけど、そんなことどうだっていいよ。
そんなことより、ぼくにはあの人がいる。
今はまだ遠くから見ていることしか――いや、聞いていることしかできないけれど。
必ず振り返らせてみせる。
待っててよ、ジョスリーヌちゃん。
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