07 SCENE -04-『ジョー』~ a

 塗装のはげたドアが目の前にある。

 屋根の外側では、遅すぎる夏の終わりを示すかのように雨がしとしと降っている。それでも気温はたいして下がってくれず、生ぬるい空気が雨水と一緒に地べたから跳ねて来る。

 まったく、不快でたまらない。

「……何で俺が」

 目前のドアをにらみつけながら、心の中で叫ぶ。

 こんなメンドクセー雑用押しつけられなくちゃならねぇんだよ!!



 時をさかのぼること三時間前、場所は我らが学校牢獄・法武高校。

 まさに帰ろうと下駄箱から靴を取ろうとした、その時だった。

「ジョーーー!」

 と、一際大きな呼び声が廊下の奥から聞こえてきたのだ。

 いつもなら、自分を呼ぶ声など面倒ごとを押しつけるための騒音に決まっていると内心で舌打ちしているところだが、今回は違う。

 なぜなら、それがカエデの声だったからだ。

 さすがに委員長とあだ名されるようなお方が、俺のような一介の生徒に雑務を押しつけるわけがない。それくらいは信用している。

 俺はさり気ない仕草で振り返り、

「どうしましたか?」

 と、にこやかに問うた。

「あ、あのね……ジョー……」

 カエデは息も絶え絶えといった様子で、額には汗が滲んでいた。

「えと、先生が、職員室に……来てくれって、伝えに……」

「先生が?」

「うん、なんか、急ぎの用だって……」

 やっぱり面倒ごとだった。

 急に舌打ちしたい気分になったが、ここは優等生として我慢する。

 そもそもカエデのせいではないのだから、彼女に嫌な顔をするのは筋違いというもの。

「わかりました。それでは、これから職員室に向かいます」

 カエデの横をすり抜けて、校舎へ舞い戻る。せっかく帰れると思ったのに、またあのオッサンの顔を拝みに行かなければならないとは。やっぱりあとで十回くらい舌打ちしておこう。

 あっ、そうだ。まだカエデにお礼を言ってなかったな。わざわざ伝えに来てくれたんだし、何か言わないと。

「あの」「あの」

 ハモった!

 うわー、なんか気まずいような、小っ恥ずかしいような。

 顔が熱っぽくなっていく気がして、誤魔化し気味に笑ってみる。

 カエデも気が動転しているのか、ぎこちなく微笑んでいた。

「どうぞ?」

「えっ、うん……」

 明らかになにかを言いたそうな顔をしているのに、なぜか言いよどんでいる。

「えっと、その……」

「はい」

「もしよかったら、今度――」

「カエデちゃーん!」

 カエデが口を開きかけたと同時に、ジャージ姿の女子数名が階段の上から呼びかけてきた。

「映研のヒトたちがコンサートでのカメラの配置を相談したいから、来てほしいってー!」

「わ、わかった、いま行くから!」

カエデはそのままジャージ女子たちのもとへ駆けていった。ただ、話の腰を折られたのが気になったのか、途中何度か後ろ髪を引かれるような顔でこちらを振り向いた。

 身振りで気にしていないことを伝えると、カエデは片手を立てて謝ってから旧校舎方面へと消えていった。

 彼女がいったい何を言おうとしたのか、少しだけ気になった。

 とはいえ、無理に聞き出す義理があるわけでもないし、なによりやぶ蛇はゴメンだ。

 一人寂しく肩をすくめて、俺は職員室へと歩いていった。



「ルミエールさん、こっちこっち!」

 職員室のドアを開けた瞬間、窓際からダミ声が聞こえてきた。

 四十前半くらいの色の黒いおっさん、もとい担任のウジイエが、あぶらぎった顔に半笑いを貼りつけて手招きしている。

 うわー、かったりー、呼ぶなボケがぁ。

 とは口が裂けても言えるはずもない。代わりに俺はいつもどおり優等生面で、

「はい何でしょう」

 と定型句を口にしてヤツに近づいた。

「いやさ、今日ゴトーちゃん学校休んだじゃない? 本当は本人に直接プリントとか、いろいろ渡さないといけないんだけど。おれ今日の午後から会議出ることになっててさ、さすがにゴトーちゃんの家には行けそうにないんだよなあ」

 相変わらず回りくどい、いやらしい言い回しをする男である。

 つまるところ、この担任教師は自分の仕事を一生徒であるこの俺に丸投げしようって腹なのだ。直接自分が頼むと、重要書類を失くした云々で責任問題に問われかねないから、に生徒にパシリをさせる。それなら、生徒の監督責任は問われるかもしれないが、懲戒免職級のお咎めは受けない。さすが非出来高製の教職員、考えることがせこいのなんのって……

 だが当然、俺はそんな黙示の要求をむつもりはない。

「それなら、他の先生方に頼まれてはどうでしょう。先生が忙しいのは仕方がないとして、他に手の開いている先生いるんじゃないですか?」

「いやいやこの時期はみんな忙しくってねえ。文化祭で食品を扱うクラスの指導の準備とか、資材の手配とかいろいろでさ。誰かが直接ゴトーちゃんの家に書類を持っていこうとしたらさ、最低でも来週になっちゃうんだなあ」

「郵送ではダメなんですか」

「うぅんダメってことはないけどねえ、何分急ぎの書類も入ってるからさ、できれば今日明日中にでも渡しちゃいたいんだよねえ」

 そんなに急ぐんなら前もって渡しておけばいいものを……

 自分の怠慢を生徒に押し付けるとはどんな了見だ。

 だいたいどうして俺に白羽の矢を立てやがった。

 ものの数秒でそんな不満が頭の中を駆け巡った。

 すると、ウジイエ担任がささっと周りを見渡した。そして今度は、もっと近づくように手招きしてきた。口元に片手を隠すような仕草からして、何かおおっぴらには言えないことを伝えたいらしい。

「な、なんですか。いったい」

 とりあえず、椅子にふんぞり返っている担任の近くに顔を寄せる。鼻息が荒いのがとにかく気持ち悪いが、今は耐えるしかない。

 黒光りする顔を不格好に笑わせて「他の子たちにはないしょにしておいてね」と前置きしてから、ウジイエは話しはじめた。

「実は、ゴトーちゃんの家は金銭的な事情があって、奨学金財団から授業料の貸し付けを受けることになってるんだ。ただその、色々と忙しかったらしくて、手続きに必要な書類を用意できてなくってね。家の方に連絡がつかないからっていうんで、先方から学校の方に電話がかかってきたんだ」

 ……初耳だな、そんなこと。

 まぁ、ゴトーと俺はそんなことを話すような間柄でもないし、はっきり言って俺には関係のない話だしな。

 そもそも、ゴトーの経済状況と俺が雑用を押しつけられることにどんな関係があるというのか。

 俺が聞く前に、ウジイエのほうから勝手に答えてきた。

「さっき確認してみたんだけどね、ルミエールさんとゴトーちゃんの家って、歩いて一分かからないくらいのところにあるんだよ」

「は?」

 ウジイエが目を剥いてこちらを見ていた。

 あ、ヤベッ、一瞬素に戻っちまった。

 呆気にとられてコンマ数秒あほ面をさらしてしまったに違いない。

 すぐさま元通り、優等生面の表情へと作り直す。ウジイエは何度か目をこすってこちらを見直してきたが、俺は涼しげにその視線を無視した。

 何という事実だ。

 歩いて一分もかからない距離って、ほとんど隣近所じゃねぇか。

 ヤツが転校してからこれまで、登下校中にヤツと鉢合わせになったことなんてただの一度もなかったのに。

 俺はそこではっとした。

 もしかして俺が知らなかっただけで、ゴトーはずっと前からこの事実を知っていたのかもしれない。

 だがヤツの性格から考えて、何の理由もなく俺に話しかけてくるはずがない。俺だって特に親しくも何ともない同級生二人が道すがら顔を合わせたところで、挨拶したいとは思わないしな。

 だからヤツは俺に気取られないよう遠巻きに監視していたんじゃないか。そうしているうちに、俺のわずかな気の緩みでも見出して、ゴトーは俺の事情に気がついた。

 悔しいが、筋は通ってる。

 決まりだな。

 あいつは本物モノホンのストーカーだ。

「ってなわけなんだけど……ルミエールさん?」

 憮然と考え込んでいた俺の顔を、黒光りする顔面が怪訝そうにのぞき見ている。俺は気を取り直して、教卓に両肘をついた姿勢で担任教師を見上げた。

「いいですよ。そんなに彼の家が近いというなら、先生の代わりに書類を届けに行っても」

 苛立ちが相手に伝わらないよう、微笑とセットで答えてやった。

「え……お、おう。そうか行ってくれるか」

 俺が返事をすると、ウジイエ担任はテカテカの顔を浅く赤らめると半歩ほど身を引いてしまった。

 テメェに笑いかけたんじゃない、社交辞令だよ勘違いすんな。

 俺は急に挙動不審キョドリはじめた担任から地味な茶封筒を受け取り、さっさと学校を後にした。



 そうして俺は自分の本拠地に帰ってきた。いつもならそのまま自宅マンションに直帰してベッドにダイブするところだが、今日はそれどころではない。

 俺はメッセンジャーバッグから件の封筒雑用を取り出した。

 内心でニヤリと笑う。

 普段なら、やる必要もない雑用を善意だけで受け入れるほど、この俺は優しくない。

 無論、雑用とは別の思惑があったのだ。

 封筒の裏面にある走り書きによれば、ヤツと俺の住所は丁目・番地とも同じで号数だけが違うらしい。ほとんど隣近所だというウジイエの話は本当だったようだ。

 それなのに、ヤツの家はなかなか見つからなかった。俺は自分の現在位置を把握するために、一度自宅マンションの入り口へと戻った。

 スマートフォンの地図機能を立ち上げる。どうやらヤツの家はこのマンションの裏手にあるらしい。俺は地図を片手に駐車場側から道に出た。

 しかし俺は次の瞬間、思わず歩みを止めてしまった。

 そこには郊外とはいえ首都圏に位置する民家の在り方とはとても思えないほど荒廃した町並みが広がっていた。

 町全体に影が覆っているような、とにかく長居はしたくない不穏な空気が漂っていた。住居のひとつには何だかよくわからない雑草が鉄柵を越えて道路にはみ出しているし、別の住居では錆つきすぎてもはや物置としてしか使えないような自動車が庭に放置されている。

 裏口なんて普段使わないからあまり意識していなかったが、自宅のすぐ側にこんなスラムみたいな町があったなんて。

 舗装が割れてボロボロの砂利道を足早に通り過ぎる。あいつは本当にこんな場所に住んでいるのだろうか。

 ほどなくして、目的地はあっさりと見つかった。

 それは、有り体に言ってオンボロなアパートだった。

 二階建ての木造建築で、部屋は計六つ。金属製の柱もドアも、塗装がはげて、建物全体が錆の色に染まっている。建物の前に用意された駐輪場と思しきスペースには、破れたトタン屋根が風に吹かれてキィキィと音を立てている。そこに人の手がかかっている自転車が置いていなければ、誰かが住んでいるとは思わなかったかもしれない。

 ウジイエからゴトーが貧乏みたいなことは聞いてたが、ここまでとはな……

 視界の先で揺らめいているトタン屋根を眺めながら、ほんの少し、ほんの少しだけ、ゴトーのヤツを気の毒に思った。

 だからといって、俺が何をしてやれるわけでもないし、無駄な感傷だとはわかっている。ただそれでも、ヤツの事情を無関係と斬って捨てたさっきまでの自分が腹立たしかった。

 俺はゴトーの部屋の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。

 十秒待つ。返事はない。

 もう一度鳴らす。

 二十秒待つ。やはり返事はない。

 もう二度鳴らす。待つ。返事はない。もう三度~以下省略。

 合計十数回呼び鈴を鳴らして、最終的には声で呼びかけもしたが、誰かが部屋から出てくる様子はない。留守なのだろうか。

 それならと思って、俺は郵便受けに書類を詰めこもうと画策した。だが、錆ついたドアにはそれらしき穴はついていないし、呼び鈴の上部に備えつけられた郵便受けでは小さすぎて、封筒を入れようとすれば三つ折りするしかない。一応重要書類だと聞いていたし、さすがにそれはマズイだろう。

 それなら仕方ない。かったるいが、またあとで来ればいい。どうせ自宅から徒歩一分もかからない距離なのだ。

 そう思って、ドアの前から離れようとした矢先だった。

 信じられないほどの水量で雨が降り出したのだ。

 遥か遠くの空は青く晴れているのに、いつの間にかこのあたりの空だけ灰色の雲に覆われていた。

 顔面蒼白、とまではいかないまでも、そんな天気の変貌ぶりに俺はぽかんとしていた。

 全力ダッシュで帰れば、帰れないこともない。ただしそれだと書類はびしょ濡れになってしまう。

 無言で見上げた空から、恨めしいくらいに水玉が落ちていた。



 そうして、時間は現在に戻る。

 ただのスコールだと思われた雨は、十分ほどしたところで止んだ。あとは勢いを失った雨脚が尾を引くように地面を濡らしている。俺はそれを二階廊下の軒下で見つめていた。

 恥ずかしげもなく、腹の虫が泣き喚いた。

 正直、雨の勢いが落ち着いた時点で家に帰ればよかったと後悔していた。いくら重要書類だからといって、この雨量だったら服の下にでも隠して疾走すればたいして濡れないことぐらいわかっていた。

 それでも足を棒にしてまであのバカの帰りを待っているのには理由がある。もちろんそれは、ゴトーのボケに優等生スマイルを添えて封筒を手渡すことではない。

 今度は俺が、ゴトーの真意を暴く……!

 どうしてゴトーは、ジョーがということに気づけたのか。

 また、どうしてそのことをジョーに告げたのか。

 今日、俺はヤツにサシで問い質すつもりだった。

 自分が男であるということは、周りの人間には一〇〇パーセント理解されない。それは過去の経験からわかっている。だからこそ、俺の正体は誰にも知られてはならない。

 だが、どうして自分の秘密が知られてしまったのか、その原因がわかっていなければ今後の対処のしようがない。これからの学園虜囚生活にも重大な支障をきたすことになる。

 ヤツが俺の秘密を知った手段如何によっては、俺もを考えなければならなくなる。

 荷物を地面に投げ捨て、封筒をそこに乗せ、息を止める。

「ふんっ!!」

 右上段蹴りが空を切り、蹴りの勢いのまま左足を軸に自転。瞬時に正面に戻る勢いと体重を乗せて左裏拳、心臓部にワンツーパンチ。最後は顎部に重心を乗せて掌底、フィニッシュ!!

 ひとしきり乱舞したあと、あたりに静寂が帰ってきた。

趣味である筋トレやら格闘技のまねごとやらが高じて、いつしかこれくらいなら簡単にできるようになっていた。実戦経験こそないが、暴漢からの時間稼ぎくらいにはなるだろう。

 もしゴトーが暴漢になった時はを蹴りつぶしてやるけど。

 その光景を想像すると、「ざまあ見ろバァカ、げひゃひゃひゃひゃ!!」と思うのと同時に、ひどく羨ましくなってしまう。

 たとえそれが息の詰まるほどの激痛だとしても、その痛みを感じる余地がないカラダよりは、ずっと羨ましい。

 俺だって、そうなるはずだったんだ。まわりのバカ共と同じか、いやそれ以上に立派なイチモツをぶら下げたナイスガイになるはずだったんだ。それが何の間違いでこんな弱々しいカラダなんぞに生まれつく羽目になったのか。

 ないものねだりだと言われてもかまわない。そういう意味では、ゴトーのような屈強な身体つきは俺にとっちゃ羨望の的なんだ。

 ……ま、絶対に口になんか出さねぇけどな。そもそも――

「あの獣顔はありえねぇし」

「……ごめん」

 なにぃっ!?

 慌てて振り返る。

「……見られない顔ってことは、自覚してるんだけどね」

 いつの間にか俺の真後ろで、びしょ濡れのゴトーが苦笑していた。

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