05 SCENE -02-『ジョー』
「……つまりそれ、ゴトーちゃんにアンタの正体バレてたってことじゃない!」
「信じられねぇよ……よりにもよってあいつにだぜ!? 俺の優等生面はなかなか堂に入ってたと思うんだがなぁ……」
俺は先日の出来事をマキに話し終えると、ストローをくわえてコーラを吸い込んだ。喉の奥を掻きまわすような刺激が心地いいが、塞いだ気分は晴れそうにない。
放課後、もうじき夕べの鐘が鳴る時刻。俺とマキは地元から少し離れた繁華街のファーストフード店で骨付き肉にかぶり付いていた。
俺たちは窓に面したカウンター席に座っていたが、これは本意ではない。まだ日が長いせいもあってか、中学生と思しき団体がテーブル席を占領していたのだ。
店の前を同年代の学生たちが入れ替わり立ち代り通り過ぎていく。窓ガラス越しに好奇な目つきを向けられるたび、俺は手元で湯気をあげている鶏肉へ視線を落とした。
窓の外から聞こえてきそうなあざけり声など気にしない。どうせ俺とマキがカップルにでも見えて冷やかしてやりたいのだろう。
だが残念だったな、下衆どもよ。
俺とマキは互いに一切全く微塵たりとも恋愛感情など通わせていないことを遥か昔から認識している。
貴様らの期待するような展開などないわっ、バーカバーカ!
俺の思考を読み取ったのか、マキはじとーっという擬音でも聞こえてきそうなほど湿っぽい視線を浴びせてきた。
「アンタねぇ、その小憎たらしいドヤ顔、やめなさいよホントに。ただでさえ最近は治安が悪いのよ? 目をつけられたらどうするの。ウチの学校でも何人か不登校になってるじゃない。あれだって、どっかのバカに襲われたって噂が――」
「ハイハイわかってますよそんぐらい。俺だって気ぃつけてるっつーの」
とは言うものの、窓ガラスにぼんやりと映りこんだ自分の表情を見て、自分自身でも引いてしまった。
ドヤ顔なんて生易しいものじゃない。大きく見開いた眼は不気味に輝き、口角は三日月形に吊りあがっている。どう欲目に見ても、今にも街中で乱射事件を起こしそうな狂人の顔である。
これはさすがにマズイ。
すかさず両手で数回、顔の筋肉をほぐしてから、
「これでよろしいでしょうか、マキさん?」
と、俺は瞬時に真面目腐った優等生の笑顔を作ってみせた。
普段から学校で使っている仮面とはいえ、俺の変わり身の早さにマキは呆れの感情を露にした。
「……まぁ、そうしている分にはアンタ、いい子にしか見えないんだけどねぇ。残念で仕方がないってゆーかって
顔が疲れるのでさっさと仮面を取り去って、楽な表情へと戻す。もっともその表情とは、マキ曰く「まるでこの世の憂いを全て見つくしたかのような疲れ切った仏頂面」らしいが。
誰が何と言おうとこれが俺の素なのだ。文句は認めない。
「とにかく、話を戻すぜ。俺の中身がゴトーのバカにバレた件についてだ」
「……まぁ、別によかったんじゃないの?」
「はあっっっ!? おまっ、バッカじゃねぇのか!?」
「ちょ、こ、声声。みんな見てるじゃないの、もぅ」
マキは両手の平を俺に見せて宥めようとした。
悔しいがマキの言い分には一理ある。俺はマキのほうに顔を近づけて、かなり声のトーンを下げて耳打ちする。
「俺が中学校でどんな目にあってきたかおまえだって知ってるだろ! まわりのヤツはみんな、俺のことを異常者扱いしてハブり出した。教師だってそうだ。俺のことなんか誰も守ってくれなかった。なら、妥協点を探すしかねぇだろ!? うざったい価値観を押し付けてくる世間に身を隠しながら、自分が自分であり続けられる道を探すしか……高校に入って心機一転、これまでの俺をリセットできると思って頑張ってきたのに、良かったもクソもねぇよ!」
紙コップをカウンター席に叩きつけると、コップの中で氷が擦れ合う音がした。小気味いい音だが、愉快にはなれそうにない。
忌々しいことに、俺が異常とみなされているこの状態には病名がつけられている。
『性同一性障害』。これが、俺を俺たらしめている由縁だった。
簡単に説明するなら、『生物学上は女に生まれついた人間の脳や心が、自分は男なのだと認識してしまう』、またはそれの男女逆のパターンの症状を示す『病気』のことを言う。
つまり世間のヤツらから言わせれば俺は変態さんか、よくて重篤精神病患者っていう立場なわけだ。
だけど俺は俺にそういう扱いしてをくるヤツに対してただ一言、「死ね」と言ってやりたいね。
俺は自分が、自分の心が、『治されなければならない病』だなんて思ったことはない。
俺は言いたい。
人は「自分は男だ」とか「女だ」とかって自覚するのに、何か特別な理由でもいるっていうのか? バットとボール二つ付いてるから男で、ホールが付いてるから女だ、なんて当たり前な顔してみんな言うけど、おまえらちょっと考えてもみろよ。もしも自分の性別が男だの女だのって決めつける理由を、自分のカラダとは関係のないところで判断しろって言われたとき、おまえらは一体どんなふうに答えるんだ?
多くの声を代弁して俺が答えてやるよ。
それはな、「たぶん自分は男(女)だと思う」だ。
自分の性別が何かなんて、カラダを根拠にしなければたったこれだけの理由づけしかできない。それなのに、世界の多くの人間はカラダの形通りの振る舞いを要求する。女のカラダに生まれた以上、女らしく振舞わなければならない。長い歴史の下積みだか知らないが、あとづけで「○○らしさ」を設定しただけのクセに、それのどこが正当だっていうんだ。少なくともこの国のクソ連中はみんなこぞって、そんなくだらない言い分をさも当然と言わんばかりに強要してくる。
そんなヤツらに俺は言いたい。
どうして俺が『男』であっちゃいけないんだ?
この世界にはいろいろな人間がいる。生まれたときから手足がなかったり、視聴覚がなかったり、逆に指の数が多かったり、頭がくっついた双子が生まれてきたりする。二千人に一人は、男とも女ともいえないカラダで生まれてくるヒトもいる。
そういった不確定要素の多い生命を、人間の都合で勝手に男女で二分して、正常か異常かで区分けして、社会が仕組んだ『普通』の枠組に当てはまらないヤツは異常者だの変態だのと除け者にする。
こんな不条理がまかり通っていいはずがないだろう!!
そもそも俺は、こんなカラダに産んでくれなんて頼んだ覚えはない。
俺の理想形は、容易く
…………とは言っても、そうやって息まいていられたのは中学時代までのことだ。今はもう、俺の状態についてまわりの理解が得られないことは、完全に理解できてしまってる。もう、すっかり諦めてしまっている。
俺が俺であろうとすればするほど、俺はこの世界から異端者扱いされてしまう。そんなのは精神衛生上よろしくない。
だから俺は、妥協するしかなかった。
服はシャツにジーパンを穿いていれば『ボーイッシュな女の子』扱いで大目に見てもらえる。
話し方だって、万人に対して敬語で通せば問題はない。
ただ、もしも男言葉なんか口を衝いた日にはどうしようもない。一発アウト即退場レベルの不祥事だ。「まぁあの子はなんてはしたない話し方をするのかしら、親の顔が見てみたいわ(笑)」となって、あとは昔と同じお決まりコース。
すなわち、異端者狩りが始まるわけだ。
「なのにどうして『よかった』なんて口にできるんだ、えぇ? マキさんよぉ、俺はおまえの口からそんな言葉を聞くことになるとは露とも思わなかったぞ」
「先走りすぎよアンタ。話は最後まで聞きなさい」
マキは俺の熱っぽさを下げようとして、できるだけ穏やかに話を進めてくる。これで怒るなというほうが無茶な相談だということがなぜわからないのか。
「わたしが言いたいのはね、バレた相手がゴトーちゃんでよかったわねこと」
「ますますもって意味がわからん」
「だって、よく考えてごらんなさいな。あのゴトーちゃんなのよ? わたしには彼がアンタの正体を言いふらして楽しめるような悪趣味な人間には見えないけど?」
「見かけじゃわかんねぇことだってあンだろ。ここに生き証人がいるんだぜ?」
「まー、それ言われちゃうと確かに痛いかもねー」
マキは素気無く返事すると、コップに突き刺さったストローを咥えて、さもおいしそうにジュースの味を楽しんでいた。
……ったくマキのヤツ、人事だと思って完全に楽しんでやがる。こっちは死活問題だってのに……
バレるわけにはいかないんだ。少なくともあの
マキを真似て俺もストローを咥えてコップの中身を吸い上げる。たちまち細い管を上り詰めてきたコーラが口内に広がって、鼻の奥をツンと刺激する。舌をチクチク刺激する甘辛い味も、今はあまりおいしく感じなかった。
知られるわけにはいかないんだ、絶対に。
もう、あんな目に遭うのはこりごりだ。
「あぁもう、そんな深刻にならなくたっていいじゃない。わたしの人を見る目は八割方確かよ」
俺の左隣からけだるそうにフォローを入れてくるマキに、
「二割ダメなんじゃねぇか」
とツッコミを入れて、俺はカップの中に残るコーラに呼気を吹き込んでいく。
「なら今回ばかりは断言してもいいわよ。ゴトーちゃんは、誰にもばらさない。安心した?」
「…………俺もおまえみたいに楽観的になりてぇよ」
店先でマキと別れた後、俺は一人で駅へと歩いた。
店で確認した時計は午後七時を過ぎていたから、おそらく家に着くのは九時頃になる。
自宅からも高校からも遠く離れた街に来ている以上、それは甘受すべき代償だとわかっている。たとえどれだけ時間を無駄にしようと、高校の同級生に素の俺の姿を見られるよりはマシだ。
とはいえ、今日はいつも以上に長話をしてしまった。しかもほとんど俺の愚痴にだ。付き合ってくれたマキには、今度改めて礼をするべきだろう。
殊勝なことを考えていた俺の前に、チャラい男二人組がぬっと姿を現した。
「ねぇねぇねぇ君ぃ、もし暇ならオレらとカラオケでも行かね?」
本来なら鼻で笑いたいところだが、見ず知らずの相手に喧嘩を吹っかけるほど俺もバカじゃない。当然、無視して素通りするまでだ。
本当に、いつもいつもこうなんだ。
速足で歩いても、ラフなTシャツにGパンを穿いていても、胸部についた不必要な物体二つを矯正下着で締め上げても、駅にたどり着くまでのちょっとの距離でこうやってバカな野郎どもが近づいて来る。
化粧っ気どころか髪一つ気にかけてないってのに、どうして俺のカラダに群がって来るんだこのクソ虫たちは!
俺はいつまでも言い寄って来るバカの相手をするのも面倒で、最後には猛然と駅まで駆け出した。さすがのナンパ男たちも後を追っては来なかった。
駅のホームにたどり着いたと同時に電車が到着したので、それに飛び乗る。帰宅ラッシュの時間を少しずらしているとはいえ、それでも車内の会社員たちに妙な目つきで見られてしまった。
電車の中では互いが見知らぬ者同士だから悪口こそは聞こえないが、見られているという気配だけは強く感じる。俺はその視線に背を向けて、電車の外を眺めた。
スイーツの匂いが漂うホームと車内が遮断され、電車が走り出した。駅のホームからネオンで彩られたけばけばしい町並みへと風景は徐々に移り変わっていく。さっきまでマキといたファーストフードの有名チェーンの看板が、端っこだけビル群から顔を出していた。
やがて電車は町の煌びやかな照明を引き離していく。
すると突然、俺の目の前に、眉根を寄せた、感じの悪い高校生が姿を現した。
それは、真っ暗闇のガラス窓に写った俺自身の姿だった。
その姿はまるで……いや、自分に嘘をつくなんてバカげてる。今後の反省点として、今感じた自分自身の印象を覚えておくべきだ。
窓ガラスに映った俺の姿は……まぎれもなく、女そのものだった。
異国の姫君が、男に身をやつしてお忍びで夜遊びをしている。俺の目が見た俺の姿は、一瞬にして俺にそんな感想を与えた。
……中性的ではあるが、これじゃ男だとまでは思われないか。
街中で俺に言い寄ってきたナンパ男たちのいやらしい表情が頭をよぎる。
あぁ、気持ち悪い。気味が悪い。気色悪い。
男に言い寄られるなんて、クソほどにも嬉しくもなんともない。
俺は、男なんだ。
誰が何と言おうと俺は、ジョスリーヌなどという柔な女ではない。
俺はジョーだ。ジョーっていうただの日本人高校生なんだ。
ちょっと姿見がアレなだけで、俺は普通に男として……
…………素の自分でも、男には見られないって言うのに。どうして普通に男として生きてるなんて言えるんだよ俺は。全然ダメだろ。なんだよその細い眉は、淡い唇は、小さな肩は!!
こんなもん、誰がどう見たって男なんかじゃ……!!
『ルミエールさん、君が女の子じゃないってことだよ』
何個目かの駅に着いた時、ゴトーに言われたセリフを思い出してしまった。
……それなら、なんであいつは『俺』のことがわかったんだ?
再び走り出した電車に揺られながら、俺は考えはじめていた。
マキとお茶するときでさえ、用心に用心を重ねて県境ギリギリのところまで足を運んでいるんだ。町中で俺の素に気づかれたってことはないだろう。学校だって、いつも優良生徒のフリを貫徹してるし、同級生のバカどもに付け入られるような痕跡は残してない。俺の演技は完璧のはずだ。
だが、ゴトーのヤツは断言しやがった。
俺が普段敬語で話してる理由まで完璧に当てやがった。
なんでだ、どうしてわかったんだ……!?
ちくしょう、やっぱりあのウドの大木は気に食わない。まさかあんなヤツに見抜かれるなんて。
あれから三日ほど経ったが、クラスの連中が俺の正体に勘付いた様子はない。
だが、そもそも文化祭が近づいてきて皆浮ついてるし、ゴトーのバカが俺のことを言いふらしているかどうかなんて見分けがつかない。
クソっ、マキのヤツめ、
あんな何を考えてるかわからない不気味なヤツのことなんか信じられるかよ!!
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