第6話 屍の城
魔族領であるフィーレの密林を西南へ行くと、トワの湖がある。その湖は縦長で、600km²ほどの大きさを誇り、今まで枯れたことのないという言い伝えから永久の湖とも呼ばれている。しかし、その水は魔力によって犯されており、また、魔族領のため人間たちが汲んだりすることはなく、そこに住むのは物好きな魔族か水生の魔獣のみである。
「しっかし広いなー、向こう側なんて霧がかかってみえねぇし、海と勘違いしそうだ」
シュリの乾燥の通り、湖には常時、薄い霧がかかっており、その霧の為か、はたまたその湖の大きさの為か向こう側を視認することが難しくなっている。
マリウスは自信の魔法”俯瞰”を発動させ、上空から湖を見下ろす。霧の影響はあるが、何とか見える位置まで視点を移動させる。
「……西方向に何か建築物があるようだ」
マリウスの視界には霧によって見えにくくはなっているもの、湖の畔から延びる橋とその先にある構造物が映る。
「まー、やっぱりあそこだよな、行くとすれば」
シュリは少し落ち込みながら、マリウスたちがその建物の前まで石造りの橋を渡り行くと、その全貌が見ることができた。
そこには西洋風の城があり、その手前には庭、そしてそれらを囲うようにして石壁があり、中央に大きく開かれた門があった。また、その城からはジャズのような落ち着いたメロディが流れており、庭には人間や魔族が骨や腐りかけの状態でいた。また、それだけではなく、石でできたいわゆるゴーレムと呼ばれる石像や宙に浮く青白い火の玉、木製の人形など、通常なら動くはずのない物たちも音楽に合わせ踊ったり、何かを話し合ったりとそれぞれがそれぞれの行動を起こしていた。
「……」
「うわぁ……やべ、吐きそう」
シュリは生のないものたち(特に腐りかけのゾンビ)を見ると口を押える。マリウスもその光景に圧倒されたためか、言葉を失っている。少なくともいい顔はしていない。
そんな風に立ち尽くしていると、門から続く道の先にある城の扉から一人の魔族が出てくる。そして、マリウスを確認するや否や、マリウスの下へと駆け出した。
「マリちゃ―――――――――――ん!」
その魔族はマリウスの元まで来ると腕を広げ、マリウスに思いっきり抱き着いた。
「マリちゃん……で、いいわよね? よかったー、また会えてうれしいわ。私待ってたんだから。ようこそ! ”美しき死者の楽園”へ!」
その魔族は抱き着きながら一気に言葉を吐き出す。そして足元にいたシュリを一瞥すると、「あら、きてたの」と興味なさげに言葉を発する。その言葉に対し、額の青筋をピクリと動かしたシュリは苛つきながら「早くいくぞ」と魔族に対していった。
・・・
2人と1匹は場所を移して、城の中の応接間に座っている。石造りの壁の周囲には様々な本の並ぶ本棚と共に、頭蓋骨でできた置物など、とてもよい趣味とは言えないものが置かれている。中央にはアンティーク調の木製の机とアンティーク調のさらさらとした肌触りの布に羽毛が詰めてあるフカフカの椅子が2対で置かれており、一方にはマリウス、もう一方には先ほどの魔族が座っている。ちなみにシュリは机の上で胡坐をかいている。また、机の中央にはティーポットが置かれており、マリウスたちの前にはティーポットから注がれた紅茶とケーキが置かれている。
魔族は全員分のお茶を注ぐと自己紹介をした。魔族の名前はエマ・クリントン。降霊術を使える魔族で性別は見るからに男だが、本人曰く、心は乙女らしい。いわゆるオカマというやつだ。また、マリウスと同じく青い肌と尖った耳、こめかみからは小さな三角錐の赤い角が生えている。身長はマリウスより頭1つ分ほど高い。そして、その姿は本人の趣味を如実に表しているようで、神はピンク色に染められ、モヒカンと呼ばれる髪型をしている。また服装は、その細身の身体に合う臍までチャックを下したライダースーツを着ており、ピアスが確認できるだけでも口端に3つ、両耳に2つづつ、臍に1つ、左目の目元に3つ、喋るたびに見える舌に1つとまだあるのではないかと疑えるほど様々な場所についている。また、心は乙女と言っているように口には真っ青な口紅をつけており、その顔は青い肌をより綺麗に見せるようにメイクが施してある。
「で、あれはなんなんだ?」
一通りエマの自己紹介が終わったのち、マリウスは窓の外にいる本来では生きているはずのない者たちに指を指しながら質問する。
「ああ、あの子たちはね、一回死んだ、でも生きたいって思った子たちなのよ」
エマは少し寂しそうな顔で語った。その内容をまとめると、こうだ。生きる者にはすべて平等に死にゆく定めがある。しかし、そんな中でも死に抗いたい。なんとしてでも愛する人たちを守りたい。そう強く願うものがいる。また、甦らせて、共に暮らしたいと望むものもいる。それは当たり前のことで、だけれど叶えることなどできないことだ。しかし、そんな中でも蘇りの噂を聞きつけここにやってくるものがいる。そして、その者たちは皆一様に降霊術の使えるエマに頼み込み、時に愛するものを、時に愛するものを守るため自分を甦らせるためにやってくるそうだ。そして、エマはそんな彼らを降霊術によって甦らせていた。しかし、そんな彼らだが、もともと死んだ体に蘇ったため、意識はあるものの身体は腐っていく。そんな彼らを見た町の人々は彼らを化け物呼ばわりして迫害してしまった。それからというもの、エマは自らが甦らせた者たちをここに住まわせているそうだ。
最後にエマは「ちゃんと甦らせる前にしていいか聞いてるし、アフターケアもばっちりよ」と付け加えた。
「ってこと。理解したかしら?」
「なるほど、一つ質問していいか?クリントンは誰でも甦らせることができるのか?」
「マリちゃん、エマって呼んでよぉ」
エマは冗談めかしく声を上げる。だが、その後すぐに目を細め、神妙な面持ちで言葉を続ける。
「ま、できるっちゃできるわよ。二度としないけど」
「それは、どういう……」
「まぁ……あれよ、拒絶反応が起こるからしたくないの」
言葉を濁すエマ。それに対してシュリは口を開く。
「そんなことはどうでもいーんだよ、早く本題に入るぞ」
門でぞんざいに扱われたのを根に持っているシュリは怒気のこもった声でせかす。
「もぉ、わかったわよ。マリちゃんちょっと待っててね」
そう言い残し、エマはパタパタと部屋を出ていく。そして、1分もしないうちにすでにマリウスが持っているものと同じような緑色の水晶とアルバム、手紙を持ってきた。
「はい、これ。以前マリちゃんから預かったものらしいけど、なんなのこれ?」
エマは緑色の水晶を渡しながら質問をする。
「ま、とにかく記憶を戻してからだな」
シュリはマリウスを見ながら額を突く。マリウスは以前密林でしたように水晶を額に当てる。すると、今度もまた、いくつかの情報が頭の中に流れ込んできた。
「……なるほどな」
「で、何を思い出したんだ?」
マリウスが水晶から引き出した情報は3つ。1つ目はシュリと出会ったときにシュリが言っていたように自分が魔族と人間の戦争を止め、争いをなくすべく動いていた事、2つ目は自分の記憶喪失と同時に生物の中からマリウスという人物の記憶が無くなったという事、そして最後に魔王城という目的地の情報。
2つ目の情報についてシュリに聞くと、どうやら知っていたようで「ま、言っても混乱するだけだろうと思ってな」と返された。ちなみに、シュリには出会ったときに被っていた白い布が記憶を守ったと説明される。
「で、なんでお前はマリウスの記憶があんの?」
シュリの言葉にエマは「あら、マリちゃんの事呼び捨てなの」とおちゃらけた後、言葉を続ける。
「私、マリちゃんのことなーんにも覚えていないわよ?現に今でもマリちゃんとの思い出を思い出そうとすると頭にもやがかかったようになるもの」
「……は?」
「でもね、私には記憶が無くても記録があるのよ。だからマリちゃんをマリちゃんと分かったのよ」
「すごいでしょ」と続けるエマは水晶と一緒に持ってきたアルバムから1枚の写真を取り出し、マリウスに見せる。
そこにはエマを睨み付ける日に焼けたショートカットの黒髪の人間の女性とマリウスに抱き着くエマ、そして顔が固くなっているマリウスの姿が写し出されていた。
「私、いつも暇なときはここへ来た人たちととったアルバムを見るんだけどね? その中に見覚えのないあなたの映ってる写真を見つけたの。それで日記を確認したら、3か月前あなたが来たって書いてあったってわけ……あと、これ。マリちゃんからあなたへの手紙よ」
と1通の無地の白い手紙がマリウスに渡される。どうやら自分から自分への手紙らしい。
マリウスが手紙を開くと、そこにはこう書かれていた。
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記憶のない私よ。おそらく私に今一番聞きたいことは”なぜ、記憶が無くなったか”、”自分は誰なのか”この2つであろう。だが、今ここでそれを明かすわけにはいかない。そして、なぜ記憶が無くなったかは事の最後にわかるだろう。とにかく、今後行うべき行動をここに書き記そう。やらねばならないことは2つ、1つ目は緑の玉から得る情報の場所順に廻り、その順に記憶を回収することだ。決して順番を違えるな。そして2つ目は人間の文化発展に貢献しろ。理由は記憶を回収していけばいづれ分かる。次の行先は魔王城だ。そこでは魔王に会え。そうすれば緑の玉を回収できる。
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手紙を読み終え、しまおうと便箋の中をみると、何か入っている。そこから1枚の透き通った水晶でできたコインが出てきた。そのコインから、薄ぼんやりとした青色の光がマリウスの顔を優しく包んだ。
エマに「何が書いてあったの?」と聞かれる。
「どうやら私の記憶喪失は意図的のもののようだ。そして、人間に助力せよ、とも書いてあった」
「そう、人間に……」
エマは窓に目を向ける。窓の外では未だ異形といえる者たちがダンスや会話などをして楽しんでいる。
「で、この後どうするの?」
「そうだな、ここの事とそれから庭にいる者たちについて教えてほしい」
「あら、いいわよ」
喜んで答えるエマに対し、シュリはゾンビなどに抵抗があるためか、露骨に嫌そうな顔をした。
「ふふ、シュリちゃんはここで待っててもいいのよ?」
「……やっぱ俺も行く」
エマの返答に対し、何か悪い予感を覚えたシュリは嫌々ながらも付いていくことを決断した。
・・・
場所を移し、動く屍たちのいる庭へ来たマリウスたち。マリウスはエマの説明を聞きながら、肩にシュリを乗せ、庭を歩く。
「それで、この石像たちはなぜ動いているのだ?」
「それはね、この子達も私が甦らせた子たちだからよ」
「どういうことだ?」
「私が使える降霊術はね、魂を死後の世界からの呪縛を解くもの……って言ったらいいかしら。ようは魂の状態で自由に行動できるようにするものなの」
エマは1体のゴーレムを指さし、言葉を続ける。
「たとえばあの子。あの子の名前はマリエルっていうんだけど、最初はあの子たちのように肉体を持っていたわよ」
続けて腐りかけのゾンビや白骨化したスケルトンに指を指しながら説明を続ける。
「私、降霊術はできるけど、死体の腐敗とかを止めたりはできないの。だから蘇った子の身体は日が経つうちに肉が腐り、骨も風化するの。でもさっきも言ったように、魂は自由に行動できるようになるからマリエルみたいに魂のままここで暮らす子もいるの。でもそれじゃあ不便じゃない? 魂のままじゃもちろん物に触れられないし、愛する人に愛しているともいえない。だからそんな魂はあんなふうにゴーレムや人形に宿って仮の身体を作ってあげるの」
「死にたくなった魂はどうするんだ?
エマの説明を聞き、マリウスは新たな疑問を口にする。
「さっきも言ったように、降霊後の魂は自由だから自由に天国へ行けるわよ。あ、因みにさっき魂との会話ができないって言ったけど術者の私には何言ってるのか伝わるわよ」
「なぜだ?」
「さぁ? わからないわ。私みたいに魂を縛らない降霊術はかなり希少な術だし」
マリウスは庭の異形の者たちに視線を戻す。マリウスの目には、ここへ来た時のおどろおどろしい光景ではなく、どこか楽しげな彼らの姿が目に映った。
「ちなみに、なぜ腐っているものもいるのに臭わないんだ?」
「乙女の基本的な身だしなみよ♡」
エマは自慢げに言った。
細部まで手入れされた庭で踊る王族風の夫婦や、なにやら賭け事をしている人形たち、笑いながら殴り合いをするゴーレムなど、庭を一通り見て回ったマリウスは、肩でぐったりとしているシュリに気づき、城へ戻ろうとした。そのとき
「とうとう見つけたぞ!父上を返せ!」
門の向こうから1人の金色の髪をなびかせた青年が叫んだ。
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