第8幕 //第5話

 パシャリパシャリと、数枚、続け様にシャッターを切る音。

 その音が止み一段落ついたのを見てとって、俺はそっと声をかけた。


「希」


 聞こえるか聞こえないか位の呼びかけに、けれど彼女はパッと振り返った。


「玲央くん!」


 構えていたクロ亀くんを下ろし、桜の蕾がほころんだような笑顔で駆け寄って来る。ちょこまかとした足取りが、堪らなく可愛い。そして、真っ直ぐに俺の元へ来てくれるところも。


 内心で愛おしさが渦を巻く中、希は俺の目の前まで来ると、こっくりと首を傾げた。

「急に、どうしたの?」

「いや、腹ごなしに散歩でもしようかと思ってさ」

 やたら可愛い尋ね方にドギマギしながら、俺は何でもない風を装って答える。

「希は、勿論写真だよな?」

「うん。こんなに視界の開けた桜並木って中々ないから、無性に撮りたくなっちゃって。きっと今しか、残せないから」

 そう言って、希は桜を見上げた。


 俺もつられて、頭上に広がる桜を仰ぐ。

「その気持ちは、めちゃくちゃ分かるな」

 もうあと1週間もすれば、この花弁は散ってしまうんだろう。そして桜は、青々とした若葉を茂らせていく。

 毎年毎年、当然のように繰り返される光景だ。けれど、こうして希や大樹たちと花見に来て綺麗だと感じた今年の桜は、もう二度と見ることはできないから。


 眩しそうに目を細める希をちらりと見やる。

 この時間と景色を焼き付けておこうと、俺はそっと心に誓った。



 そうして暫く桜を眺めながら、俺たちは話をした。

 春休みのこと、写真と絵のこと、これから始まる日々のこと。それから、大樹と瑠花のこと。

 バレンタインを機に付き合い出した二人のことを、希は多分誰よりも祝福している。いや、勿論俺だって嬉しいし「おめでとう」とは言ったけど。真っ赤な顔をした瑠花から交際を打ち明けられた時、希は俺よりも、それこそ泣きそうなくらい喜んで。以来、自分の事のように楽し気に、そして少し羨まし気な顔をして二人の話をするようになった。


 だから、最近俺も考えてしまう。

 俺がもし、希に好きだと伝えたら。希は、同じように喜んでくれるんだろうか、って。

 まあ、俺一人で悩んだところで答えは出ないんだけどさ。


「はーっ、それにしてもお腹いっぱい!」

 隣を歩く希が、不意にそう言って大きく伸びをした。

「希、そんなに食ったのかよ」

「だって、皆とご飯で楽しかったんだもん」

 希は口を尖らせる。

「そう言う玲央くんだって、沢山食べてるの見たからね?お弁当、美味しかったでしょ?」

 見てたのかよ。

「ん、まぁ美味かった。けど」

「けど?」

 不思議そうに丸まった黒い瞳に、俺はちょっと拗ねたように口を尖らせた。この位の意趣返しなら良いだろ。

「欲を言えば、俺は希の弁当も食べたかったんだけどな?」


 希は俺の意地悪に一瞬きょとんとして、そしてすぐに吹き出した。


「あははっ、玲央くん、何それ」

「何それ、はないだろ。俺はマジで言ったんだからさ」

「あはは、ごめんごめん」

「お前なあ……」

 わざとらしい溜息を吐く俺に、希は口元に手を当てて可笑しそうに笑う。堪え切れずに零れ落ちた声は、心の中をくすぐるように転がった。

「ふふっ」

「こら、笑い過ぎだぞ」

「ごめんって」

 まだ口元に笑みを浮かべながら、希は白く細い指で目元を拭う。

「じゃあ今度、怜央くんにお弁当作ってくるから」

 小さく紡がれた言葉に、思わず目を瞬いた。

「えっ?今、なんて」

「だから、今度またお弁当作ってくるね、って」


 希は、悪戯っぽい瞳で繰り返す。

 俺の拗ねていた理由とか下心とか、そうした全てを見透かされているような顔で。いや、弁当が欲しかった事にシタゴコロなんてものはないけど!!

「要る、でしょ?」


 あの程度の意趣返しで勝てると思った俺が馬鹿だったな。


「約束、だからな」

 だから、そう言って右手を差し出した。小指を一本だけ、青い空に向かって真っ直ぐ立てて。

 こんな小っ恥ずかしいベタな”約束”、心臓が強く波打ってはち切れそうだったけど。俺の中で芽生え、そしてゆっくりゆっくり育ってきた想いが、背中を押してくれた気がした。


 希は少し驚いたように目を丸くして、けれど再び笑顔を浮かべる。

 そうしてゆっくりと小指を立てて、俺の小指に絡めた。


「分かった。約束、ね」


 右手の先っぽから伝わる暖かさは、決して忘れないだろうなんてそう思った。



 そこから、少し二人で歩いた。

 そしてクラスメイトの元に戻る前、俺はまだきちんと言ってなかった事を思い出した。


「そうだ、希」

「うん?」

「改めて、優秀賞おめでとう。聞いた時はびっくりしたけど、俺、めちゃくちゃ嬉しかった」

 本当は直接、一番最初に聞きたかったんだけどな、と内心で苦笑する。でもそんな事は言わない。言ってもどうしようもないし、何より格好悪いから。


 ただ希は、俺の言葉に曖昧に頷いただけだった。


「あ、うん。ありがと……」

「希?」

「あっ、ううん、何でもないの。玲央くんにそう言って貰えると、わたしも嬉しい。ありがとうね」

「いや、俺は別に」

 さっきまでとは雰囲気の変わった希に、俺は思わず怪訝な目を向ける。

「……希、どうかした?体調、悪いとか?」


 もしそうだったら、気がつかなかった自分に馬鹿野郎って怒鳴りたい。

 けれど希は、心配のあまり屈んだ俺にぶんぶんと首を振って見せた。


「ううん、体調は全然!元気一杯だよ!」

「そうか?」

 身を屈めた俺に、今度は大きく縦に頷く。

「うん!少し考え事してただけだから、むしろ気を遣わせちゃってごめんね」

「いや、それは全然大丈夫。けど――」

「けど?」

「もしちょっとでも気分悪いとか、何か悩みとかあったら、遠慮だけはすんなよ。俺はその……、希が無理すんのとか、嫌だから、さ」


 言葉は選んだけれど、素直な気持ちだ。

 希が大事だから、とストレートに言えたらもっと楽なんだろうけど。それでも、俺の精一杯は伝えておきたいと思ったから。


「玲央くん……」

「まあ、大丈夫ならいいんだ。うん」

 小っ恥ずかしさで紅くなった頰を隠すように、俺はそっぽを向く。

 視界の隅っこで、希は「ありがとう」と呟いた。


 その笑顔は、照れたような困ったような、ちょっと泣きそうな笑顔だった。

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