第8幕 //第4話

「それじゃあ改めて!」

 四枚を繋げたビニールシートの真ん中で、仁王立ちになった瑠花が声を張り上げる。

「クラス会、兼!希と部活動生のお祝いあーんどお疲れ様お花見会、やってこー!かんぱーいっ!」

 そう音頭を取って並々とコーラを注いだコップを掲げると、周りの元クラスメイトたちも瑠花に倣って各々のコップを突き上げた。その後、近くに座るクラスメイト同士でコップを合わせる。

 ドラマでよく見るような、グラス同士のぶつかる硬い音はしなかったけれど、代わりに「うえーい!」「お疲れ!」といった浮かれた楽し気な声が響いた。


 俺も軽く紙コップを突き合わせてから、ゆっくりと口元に運んだ。


 大樹のクーラーボックスのおかげで、並々と注がれた烏龍茶はよく冷えていた。真昼の暖かな日差しの下を歩いて来た喉に、独特の濃さが沁み渡っていく。

 このキュっとなる冷たさが心地良いのは、すっかり春が訪れた、そんな証のような気がした。



「ねえねえ、紫村くん」

 一息吐いたところで、不意に目の前に紙皿が差し出された。見れば、幾つものサンドイッチに卵焼き、ハンバーグなんかが山盛りになっている。

 差し出したのは希――と言いたいところなんだが、そこは残念、陽介の想い人茜音ちゃんだ。今日は艶やかな黒髪を三つ編みにしていて、陽介が喜びそうな淡い花柄のワンピースを着ている。おじさん的な言い方をすれば、いかにも可愛らしい女子高生、って感じだ。

 

「これ、紫村くんの分ね」

「おー、さんきゅ」

 紙皿を受け取ると、案外重たい。ぐにゃりと重心が傾いて、割り箸が転がり落ちそうになる。咄嗟にコップを持っていた右手の甲で支えると、同じように支えようとしてくれたのか、伸ばした茜音ちゃんの手と触れた。

「わっ、ごめんね」

「いや、こっちこそ……」

 反射的に、慌てて手を引っ込める。一瞬だったのに、白い肌の滑らかな感触にちょっとだけドキッとした。


 いや、手くらい触れても何ともないだろうって?

 断じてそんな事はない。普段からスキンシップ過多な奴ならどうか知らないが、俺は無理だ。俺みたいに、女子おろか男子とすら接点を持って来なかったタイプには、あーいうサプライズ的な触れ方とかボディタッチとか、結構心臓に悪い。

 普通のクラスメイトでこうなんだから、もし相手が希だったら――うん、止めよう。想像しただけで顔が熱くなるのが分かって、自分のうぶさに結構凹むから。


「あの、紫村くん……?」

「あ、いや、何でもない。ありがたく頂きます」

 紅潮した頰を隠すように頭を下げると、茜音ちゃんがくすりと笑ったのが分かった。

「うん、どうぞ。ごめんね、普段あんまり料理とかしないから下手っぴなんだけど……一応、全部私が作ったんだ」

 味はまあまあだと思う、と付け加える彼女に、「めっちゃ上手ぇよ!最高だよ!」と陽介の声が飛ぶ。

「玲央、全部美味ぇからな?マジだからな?」

「あー、おう」

 お前は茜音ちゃんの手作りなら何だって喜ぶだろ、と内心でツッコみつつ、俺は改めて紙皿を手に取った。


 言われて見れば、確かにサンドイッチの大きさは不揃いで、卵焼きはちょっと焦げた跡がある。けれどサンドイッチの具は色とりどりでどれも違うっぽいし、ごろりと丸まったハンバーグにはご丁寧にケチャップがかけてある。

 手作りならではっぽくて、ふつーに美味そうだ。


「頂きます」

 とりあえず一個摘んで口に放ると、ツナサンドだったらしく、ツナマヨのまろやかな味が舌の上に広がった。続いて二個目は、焼いたベーコンを挟んだサラダサンド。レタスのシャキシャキとした歯触りが良い。


「どうかな……?」

「うん、美味いよ」

 お世辞じゃない。ふつーに、じゃなくてめちゃくちゃ美味い。わざわざ作って貰っておいて、不味いなんてことも言わないけどさ。

「本当?良かったあ」

 それでも、俺の答えに茜音ちゃんはホッとしたように笑った。

「そう言って貰えると、作ってきて良かったなあって思うもん」

 朗らかな、それこそ春の陽だまりみたいな笑顔だと思った。確かに陽介が可愛いとかめちゃくちゃ可愛いとか天使のように可愛いとか言うのも分かる。


 だけど、。


「えへへ。まだまだあるから、沢山食べてね、紫村くん」

「あ、うん」

 

 だけど頼む。そろそろ、陽介にも同じように勧めて欲しーかな。

 そろそろ、多分嫉妬の炎に駆られた陽介の目が怖いんだけど……。




 ***




 言われるがまま皿に載せられるがままを平らげて腹がいっぱいになったところで、俺は休憩がてら腰を上げた。


「玲央、どーした?」

「いや、ちょっとそこら辺歩いてこようかなって」

 怪訝な顔で見上げる陽介に、俺は付け加える。

「折角花見に来たし、絵のネタが探せそうだと思ってさ。ほら、俺一応美大志望だし」

 まあ他にも、そろそろ希とゆっくり話したいみたいな動機があるんだが。嘘は吐いてないから良いだろう。

 だって糸流川ここに着いてからというもの、一度も話せなかったどころか希の弁当を貰うことすら出来なかったんだからな。


 案の定、“絵のネタ”って言葉は効いたみたいだ。陽介はニッと歯を見せて、俺にグーサインを突き出した。

 そのサインを行って来いだと受け取って、俺は無造作に靴を履いた。

 


 さて。当の希は、と。

 弁当を食べている時は、隣のビニールシートで瑠花や倉持さんと楽しげに笑っていたようだったけど。ついさっきクロ亀くんを手に立ち上がって、一体どこに……――


 そう思いながら辺りを見渡すと、直ぐに居場所は分かった。というか、彼女の元に目が吸い寄せられた、って言った方が正確か。


 俺のところから、丁度数十メートル先の土手。その斜面に、希は立っていた。

 河原へと伸びる斜面に大きくせり出した桜の枝を、丁度下から見上げるようにクロ亀くんを構えている。

 俺が“絵のネタを探せそう”って言ったように、希はきっと写真のネタを探していたんだろう。今しかない風景や人に出会った時、どうにかしてそれを切り取っておきたいと思ってしまう、俺たちはそんな人間だから。


 ざあと吹いた一陣の風に、希の少し伸びた黒髪がなびいた。


 桜色と土手の若草色、そして空と川面の澄んだ青の中、希だけがくっきりと浮かんで見える。

 ファインダーを覗く横顔はいつもより大人びて、俺はすごく綺麗だと思った。

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