第8幕『Spring has come』

第8幕 //第1話

 前原で過ごす、三年目の春が来た。

 

 真っ青な空に、随分高く昇るようになった太陽。窓から差し込む、眠りを覚ます暖かな日差し。外に出れば冬の間は見かけなかった花や虫が賑やかに遊び、通勤する人々の服装からコートやマフラーがなくなった。学園に通じる並木道にも桜が咲き誇り、春風にひらりひらりと舞っては、アスファルト上に春めいた絨毯を広げている。

 その真新しい絨毯の上を、高校生活を始めたばかりの新入生が駆けて行った。両の手が隠れるほど袖丈の長いブレザーに、ダボついたズボン、まだ遠慮の見える丈の長さに止めたスカート。その姿は、もうどこか懐かしい。――この春、俺たちは三年生になった。




***




 体育館、クラスごとに作られた列の中で、俺はふわあと大きな欠伸をした。眠気と退屈さの原因は、朝会でよくある校長の長ったらしい話のせいだ。

 新年度一発目の全校朝会では、大抵上級生と新入生の顔合わせ、そして春休みの間にあった大会の授賞式が行われる。普段よりも長丁場でかったるい事この上ないが、今回ばかりは流石にサボれない。朝会中もアトリエに籠れたら良いんだけどな。

 せめて早く終わってくれと願いながら、俺は再び欠伸をした。



「なあなあ大樹、今日の天使見た?」

「あ? 何を」

「天使といえば決まってるじゃねーか。茜音ちゃんだよ、なあ。今日の茜音ちゃん、超絶可愛いポニーテールなんだって!」

「は?」


 隣の列、斜め後ろあたりが何やら騒がしい。ひそひそ声だが、俺のところにも届くレベルだ。


「ほら、これまではずっと二つ結びだったじゃん?それが、今日初めてポニーテールしてんの! ヤバくね? 超絶可愛くね?まじ天使じゃね?いや俺は勿論二つ結びも幼い感じがして好きだったけど!」

「陽介、お前ヤバいな……」


 声には勿論、心当たりがあり過ぎるくらいにはある。つか、名前聞こえたし。ただ内容がぶっ飛んでいるだけに、余り関わりたくはない。こういうのは知らんぷりが正解だ。


「ヤバいって何だよお」

「何って陽介、そんままだよ、見たまんま」


 俺もその意見には賛成だ。俺の場合は聞いたまんまだが、さっきの発言はめちゃくちゃヤバい。幼い感じが〜とか、本人に聞こえたらドン引きどころの話じゃないぞ。


「どこがヤバいんだよぉ」

「いや、髪型の変化そんなことに気づいてるってのが変態ぽいっつーか」

「変態って!大樹お前っ、自分ばっかり彼女できたからってなぁ……!」

「なっ、今彼女瑠花は関係ねーだろ!」


 ボリュームの増した二人の言い合いに、俺は軽く顳顬を押さえた。お前ら今に見てろよ、その内絶対怖い顔で睨まれるからな?


「くっそう、もう名前呼びですか!羨ましい、羨ましーなあ!」

「おい陽介、一回黙れよ」

「はー?彼女持ちの言うことは聞きたくありませーん」

「あ!?」


 ぞくり、と今度は俺の右斜め前から殺気がした。

 右隣は俺と同じクラスの女子列だから、殺気の発信源をわざわざ確認するまでもない。むしろ絶対目を合わせたくないから、必死で知らぬ振りを通させてもらう。


「大樹のバーカバーカ」

「陽介、お前なあ!」

「――大樹、陽介」

 俺が反射的に身体を縮こまらせたところで、低く怖い声が頭上をすり抜ける。

「ねぇ、あんたたちさぁ……、ちょっとくらい静かにできないわけ?」

 声の主なんて一人しかいない。そう、だ。

 バレンタイン直後から大樹と付き合い始めたものの、時折見せるめちゃくちゃな怖さは健在で。この春、トレードマークだった金髪をブラウンに染め直した――瑠花の凄みに、大樹も陽介も、ただこくこくと首を縦に振るばかりだった。

 


 とばっちりを食らう恐怖が過ぎ去ったことを確認して、俺は漸く肩の力を抜く。

 あの感じだと、大樹と陽介は後でこってり絞られるだろう。声を低くしたマックス怒り状態の瑠花に絞られるとか、想像しただけで生きた心地がしない。本当に関わらなくて良かった。


 バレンタイン当日の瑠花の様子を見た時は、ああこいつも一人の恋する女子高生なんだな、と可愛く思えたんだけどな。大樹から当日の話をこっそり聞いた時も、瑠花って結構純粋じゃんなんて感想を漏らした覚えがあるし。

 だが、告白が上手くいって付き合いだしてからは、瑠花はしおらしくなるどころか益々強くなった気がする。大樹の尻の敷かれ方を見ていると、バレンタインの一日は夢だったんじゃないかと思えてくる程に。そう、バレンタインは夢……


 あ、やべ。思い出したら悲しくなってきた。


 何がって、2月14日、バレンタイン当日の話に決まっている。

 俺にとってバレンタインが夢であって欲しいというか、そもそもそんな日などなかった事にしたいのには、ちゃんと理由がある。


 あの日、俺が卓たちとの約束を思い出して慌てて帰ったために、希からのチョコレートを貰い損ねたからだ。希はその後家に届けてくれたんだが、俺としては当日、手渡しで貰いたかった。何が悲しくて、「はいこれ。さっき希ちゃんが届けてくれたわよ」って母さんづてで渡されなきゃなんないんだよ。しかも、「何?玲央、あんたバレンタインだってのに一緒に帰って来なかったの?ちょっとも期待してなかったの?」ってトドメまで刺されて。


 くそ、期待はしないようにしてたんだよ!期待して義理すら貰えませんでしたってのが一番しんどいからな!


 とまあ、毎度毎度思い出すたびに腹が立つやら情けなくなるやらで、いっそもうバレンタインなんかなかった事にしようと思っている。うん、なかった。今年のバレンタインはなくて、あるのは次の二月、つまり卒業前のバレンタインなはずだ。よし、それで良い。



 自分のこじつけ具合にため息を吐くと、全校朝会は丁度校長の話が終わったところらしかった。司会進行をしている学年主任が、「次は表彰式を行います」と告げる。

 表彰式まで終われば、この長ったらしい朝会から解放される筈だ。俺はまた襲ってくる眠気を噛み殺して、壇上に登る校長に目を向けた。


「まずは春の高校野球大会において――」

 学年主任が、淡々と表彰の紹介を始める。その紹介通り、野球部、水泳部、弓道部といった部活動団体が壇上に上がって、校長から賞状を受け取った。この時期だと同じ三年が主将をやっているのだろうが、壇上に上がる団体に俺の見知った顔は全然いない。

 そもそも俺や大樹は部活動に入っていないし、陽介や日高は運動部に所属してるものの、あんまり強い部活じゃないらしいからな。春休みは二人の部活終わりに大樹の家に集まって、度々対戦ゲームをした。陽介は意外と格ゲーが上手いんだ。


「それでは次は個人の表彰に移ります」

 団体の表彰が終わって、今度は個人の表彰にうつる。個人表彰なんてそんなに多くない筈だから、もう直ぐ終わりだな。


「まずは全国写真コンテスト、高校生の部で優秀賞を飾った、三年の吉田希さん」


 ――はっ?今なんつった?


「吉田さんは、二月から三月にかけて審査の行われた全国写真コンテストにおいて、見事優秀賞と認められました。どうぞ、皆さんで大きな拍手をお願いします」

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