第6幕 //第10話
「何、馬鹿なこと言ってるんですか」
もう一度、一際強く希は言い放った。凛としたその声に、ざわついていた周囲はしんと静まり返る。華奢な身体で俺の前に立つ彼女には、俺たちを取り巻く全ての瞳が注がれていた。
「てッ、てめえェ!!」
顔を真っ赤にした世良が反駁しようとするより早く、希は再び口を開く。
「玲央くんは危ない人でも、無闇に暴力を振るう人でもありません。勝手に決めつけないで下さい」
「ア"!?」
投げ捨てられ、踏みつけられた幾枚ものビラを見つめ、希は「それに」と続ける。
「このお化け屋敷の看板も、あなたが払ったそのビラも。全部全部、玲央くんが心を込めて描いたものです。玲央くんにとってもわたしたちのクラスにとっても、全部大切なものなんです。あなたたちに雑に扱われるために作ったわけじゃない」
「は?そんなの俺らには関係ねーよ」
「うっせーよお前」
堺と本田が睨みつけるが、希は怯まない。だからと言って負けじと睨み返すわけでもなく、ただ凛と立った姿勢のまま、「そうですね」と大きく頷いた。
「確かにわたしたちの事情なんて、あなたたちには関係ないかもしれない。それはわたしたちも同じです。あなたたちと玲央くんの間にあった過去なんて関係ない。あなたたちがどういう過去を持っていようとも、勝手に他人のものを––––玲央くんと、わたしたちの大切なものを踏み躙る権利はないでしょう」
希の拳がぎゅっと握り締められた。小さなその拳が小刻みに震えているのは、多分側にいる俺しか分からないんだろう。それだけ希は毅然として、カッコよくて。真っ直ぐに世良たちを見つめる丸い大きな瞳から、この場の誰も目を離せない。
「玲央くんに、みんなに、謝って欲しいとは言いません。謝罪なんていらないから、もう帰って下さい。そして二度と––––玲央くんの前に現れないで」
キッパリと言い切った声には、静かな怒りが満ちていた。
取り巻く人の群れは、世良たち三人の方をおずおずと伺う。帰れと言われた当の本人達は、怒りの余り凄い形相になっている。顔を真っ赤にして唇を震わせ、人集りの中心でなければ殴りかかってきそうな様子だ。
「お前、なんなの?うぜぇから消えろよ」
漸く堺が絞り出した言葉は、しんとした空気の中で滑稽に響いた。堺もそれが分かったのか、悔し紛れに足元に唾を吐いた。
「あの」
眉間に皺を寄せる希。
「ここから消えてもらうのは、あなたたちなんですけど」
––––おいおいおい、希!それは流石にマズイって!!
「ア"ァァァ!?」
案の定、怒りが御しきれなくなった世良が目を見開いた。
「てんめェ、ぶち殺すぞァ!?」
やばい。俺が世良たちに殴られた時と同じ、頭がイってる状態だ。濁った目は血走って、終いには何を言っているかも分からなくなって、ただ相手を痛めつけようとする前兆––––ってちょっと待て、希に歩み寄んな!
ふらりと近付く世良に慌てて椅子を蹴倒して立ち上がる。すると、俺の肩にポンと大きな手がのった。振り向けば、そこには顔中を包帯でぐるぐる巻きにした包帯男、大樹が立っている。気がつけば大樹の他にも、片瀬をはじめお化け屋敷にいたクラスメート全員が俺の後ろに立って、世良たち三人を睨んでいた。
「玲央」
大樹は肩に乗せた手に力を込め、低く呟く。
「お前はちょっとどいてろ」
「あ、おう……って、は?」
思わぬ言葉に怪訝な顔をするが、大樹は俺の方なんて見向きもせず希と世良の間に割って入った。突然現れた包帯男に、堺や本田は勿論、理性の飛びかけていた世良でさえ目を丸くして足を止める。
「あのさ」
いつもの明るい雰囲気とは違って、大樹の声音は低く重たい。包帯の隙間から覗く目が、鋭い光を放っていた。
「なに、玲央が人付き合いを避けてたのって、お前らのせいなわけ?」
「は?意味分かんね」
「何だァ?てめェ」
「俺?俺は玲央の親友だけど」
睨めつける視線を物ともせず、さらりと言う大樹。親友というたった二文字の言葉に、世良たち三人は絶句した。––––いや訂正、俺もだ。
「お前らといた頃の玲央は知らねーけど、俺の見てきた玲央は不器用で、意外と優しいやつで、責任感強くて、めちゃくちゃ絵が上手いやつだよ。お前らみたいに無闇に人を攻撃するよーなやつじゃない。だから吉田さんが言った通り、お前らはもう帰れよ」
そうじゃなきゃ俺が追い出すぞ、と付け加える大樹。
「そぉそぉ。あんたらの事なんてどーだっていいけどぉ、玲央とあたしたちの売り上げの邪魔はしないでくんない?」
今度は後ろから、片瀬の気怠げな声が飛んだ。声の主に文句でも言おうとしたのか本田が首を伸ばし……––––途端にその首を竦ませる。粗方片瀬の格好にビビったんだろう。そりゃそうだ、金髪カラコンにどぎつい化粧にメイド服の片瀬が、見た目の派手さといい威圧感といい奴らに負けるはずがない。
思わぬ反撃に合った世良たちは、それ以上何も言えずにただ睨み付け、俺たちもまた世良たちを真っ直ぐに見据える。周囲の人集りも成り行きを見守ることにしたのか、俺たちのいる廊下には一瞬の沈黙が訪れていた。
––––––沈黙を破ったのは、突如階下から響いた大勢の足音だった。
「で?騒ぎの中心は、貴方達なのかしら?」
大勢の足音の正体、栄をはじめとする先生や警備員を引き連れてやって来たのは、亜麻色の髪をなびかせた女子生徒。
「わざわざ前原の学園祭で騒動を起こすなんて、いい度胸してるわね?」
高飛車とも取れる物言いに、俺たち全員を一瞥した冷たい視線。紛れもなく、理事長の孫娘・倉持本人だ。
「前原全体に名の通る学園祭で騒ぎを起こしたのだから、うちの生徒は勿論、学外の貴方達もそれ相応の罰は覚悟しておくことね」
倉持が言い切ると、その後ろに控えていた警備員が一斉に駆け寄る。数人の警備員によって世良たち三人は瞬く間に拘束された。
「っくそ、おい、放せよ!」
「てめェ紫村ァ!覚えとけよォ!?」
警備員に引きずられながら、世良が捨て台詞を吐く。憎しみの篭ったその表情に、俺は覚悟を決めた。
「世良さん、堺さん」
––––––大丈夫、もう俺は一人じゃない。
「中学の時は、怒りに任せて世良さんたちとやり合いました。お互い様、なんて言葉では到底片付けられないけど、あの時はすみませんでした」
「ア"ァ!?」
「今更何をっ、」
「今更でも、それは謝ります」
大きく息を吸い込んで吐き出して、両拳をぐっと握り締める。誰かを殴るためじゃない、ただ、自分自身の勇気を絞り出す力だ。
「だから、もう終わりにしましょう。もし言い足りない事があるんなら、俺一人に言って下さい。なのでもう二度と、俺の、と……とも、」
––––––うわやべぇ、実際声に出したらこんなに緊張するもんなのか?
さっき世良たちと対峙した時とはまた違う、今度は緊張で汗が噴き出る。でも大丈夫、きっと言える。俺の方を見つめるあたたかい(あたたかいというよりはニヤニヤしている奴も多いんだが)視線を、ひしひしと背中に感じているからきっと言える。
俺は、もう一度深く息を吸った。
「もう二度と、俺の友達、には関わらないで下さい」
ヒュウ、と包帯の隙間から口笛が漏れた。片瀬はアイラインのきつい目を細めて、「やるじゃん」と笑った。相変わらず腕を組んだままではあったが、倉持の口角も少し上がっているような気がした。
そして希は、その大きな黒い瞳を潤ませて。
「希。俺、ちゃんと言えてた?」
「うん、うん、うん!玲央くん、とっても––––とっても、格好良かったよ」
そしてほら、いつもの、あの満開の笑顔を見せてくれるんだ。
「じゃ、後は宜しく頼みますね。理事長には私の方から報告しておくので」
倉持が、引き連れてきた先生と警備員に軽く頭を下げる。彼らは世良たち三人を取り囲むようにして、また階下へと消えて行った。
「あーっ!マジ、びっくりした!」
気が抜けたのか、大樹が廊下にしゃがみ込む。足元に散らばったビラを拾いながら、大樹は俺を見上げた。
「あいつら、もう来ねーよな」
「そうだといいんだけどな」
本当に、そうだといい。これ以上、俺の周りに迷惑をかけられるのは困る。俺だけならまだしも、希や大樹や片瀬や、一緒になって世良たちに対峙してくれていた他のクラスメイトにはもうこんな思いはさせたくない。
「でも、玲央くんは一人じゃないからね」
希がそう言って、微笑んだ。
「大丈夫、分かってるよ」
「そーだな玲央、お前はそこらへんちゃんと分かっとけよ」
「分かってるって」
正午の日差しが、開け放たれた廊下の窓から差し込む。だからだろう。じわりと周りの景色が滲むのも、思わず目を細めてしまうのも、身体中が熱く感じられるのも。全部全部、窓から差し込む光が眩しいせいだ。
「んじゃぁ、早速売り上げ取り戻すよぉ!」
クラスメイトの中心で、片瀬が声を張り上げた。
「学園祭はまだ後半日!クラス賞は絶対手に入れるんだからぁ!!」
「おう!」
「がんばろーっ!」
再び賑わいを取り戻したクラスメイトたちが、それぞれの持ち場に戻っていく。その色取り取りの背中を見ながら、俺もビラを集めて受付に座り直した。まだ火照った身体は、やはり真昼の日差しのせいだとそう言い聞かせて。
(第6幕 終)
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