第6幕 //第6話

 俺は声のした方をギョッと振り返った。


「え、マジで何してんの……」

 黒髪のポニーテールをして、白いブラウスに濃紺の膝丈スカートという、前原第二中学の地味目なセーラー服。

 語尾を震わせ、信じられないといった表情で俺を見つめているのは、まさかの俺の妹・紫村玲奈だった。


 その隣には、またまさかの……––––


「母さん……」

「あら、玲央じゃない。あなた面白い格好してるわね」

 涼しげなワンピースにカーディガンを羽織ったよそ行きの格好をした母さんは、目を丸くする俺にふふっと微笑んだ。久々にきちんと化粧をして、なんだってそんなに気合が入ってんだよ……。



「なぁに、紫村の妹ちゃん?」

 俺の背中から、片瀬がひょいと顔を覗かせた。

「てか紫村って兄妹いたんだぁ」

「あー……うん、玲奈れなっていうんだけど」

「マジ!玲奈ちゃんはじめましてー!あたしぃ、紫村の友達で片瀬って言いまーす!」

「えっ、すごい、顔……」


 玲奈が思わず後ずさる。そりゃあそうだ、金髪ツインテールにメイド服を着て、赤いカラコンを入れた案内人がいきなり現れたら、誰だって同じような反応をする。

 ただ、玲奈の正直すぎる呟きに、片瀬は怒るどころか嬉しそうに笑った。


「まぁねー、今日のメイクは自信作だから!」

「あ、作品なんだな、それ」

「紫村は黙れ」


 俺のツッコミは瞬殺される。


「てかてか玲奈ちゃん、うちのお化け屋敷入ってみなぁい?」

「えっ……」

「お化けも内装もクオリティやばいからぁ、絶対楽しいよ!」 

 そう言いながら、片瀬はぐいと玲奈の肩を押した。相変わらずの強引っぷりだ。


「あ、ちょっと待っ……」

「紫村の妹、玲奈ちゃん、ごあんなーい!」

「ちょっとおにーちゃんっ……!」


 玲奈が俺の方を向いて、必死に目で訴えてくる。が、


「明るいお友達ね、玲央。私も行ってこようっと」

 母さんが絶妙にずれたタイミングでそう言って、二人はお化け屋敷の中へと吸い込まれていった。




 ***




 お化け屋敷から出てきた玲奈は、今朝の三人組よろしく魂の抜けた顔をしていた。一方母さんは流石というべきか鈍いというべきか、ケロっとした顔で出てきては、どのお化けの顔が美しかっただのどの墓場が壊れそうだの、何やら色々と語り始めた。


 玲奈には気の毒なことをしたな、とは思うが、日頃の反抗期のバチが当たったのかもしれない。



「てか母さん」

 片瀬を相手に、未だつらつらと感想を述べている母さんの肩を叩く。

「なに、玲央」

「何で二人して来たの。俺、いついるとか言ってないよな?」


 学園祭があることは伝えたが、俺がいつ受付をやっているとか、そもそも受付をするなんてことは一切伝えていない。

 それは別に恥ずかしいからとかじゃなく、ただ、去年の学園祭は仮病を使ってすっぽかした俺が、今年は学園祭に参加してるなんて知れたら……––––さっきの玲奈のように、「なんでお前が受付なんだよ」という反応をされるか、嬉々として面白がられるかのどっちかだと思っていたからな。



「あぁ、そのことなら」

 母さんはにっこりと微笑む。

「玲央は何にも言ってこなかったけど、会ったのよこの前、偶然」

「誰に」

「希ちゃんにね」



「……は?」



 母さんが口にした名前への理解は、一瞬遅れてやってきた。


「え、いや、何で希が……じゃなくて、一体どこで」

 混乱する俺の様子に、母さんは面白そうに目を細める。

「この間、駅前の商店街でね。買い物をしている希ちゃんと会って、少し話したのよ。その時聞いたの、玲央が当日受付やってるって」

 

 あんの希……!!


「まさかねー、玲央が学園祭に参加して頑張ってるなんて驚いたわー。去年のサボり方もそうだけど、あんたは学園祭とか体育祭とか、そういう行事ごとには全く興味がないんだとばかり」

「いや、それはまあ……」 

 実際この間までは微塵も興味はなかったのだが、中々に酷い事を言われている気がする。母さん、もしかしなくても俺のこと、大分冷めたやつだと思ってたな。


 いやでもちょっと待て。何で母さんが希のことを……?


「てか、母さん」

「なに?」

「母さん、希と面識なんてなかっただろ?よくお互い分かったな?」


 母さんには希を始め、大樹や片瀬たちの話は幾度かしたことがある。だが、実際に顔を合わせる機会なんてなかった。それは希側からも同じことだ。俺が希に母さんの写真を見せたことなんて、一度もない。



「あんたねぇ、」

 はあと大きくため息を吐きながら、母さんは俺の眉間をツンツンとつつく。

「二学期に入ってすぐ、写真見せてくれたじゃない。一緒に夏祭りに行ったメンバーの顔くらい、何となくだけど覚えてるわよ」

 

 ––––––あ。あの写真か。放課後の教室で、希が見せてくれた。


「特に希ちゃんの話は多かったしね。だからそんな怪訝な顔は止しなさいって」

 眉間の皺をつつ、となぞって、母さんはまた目を細めた。

「聞いたわよ。この看板も、校内に貼ってあるビラも、玲央が描いたんでしょう?」

「えっ、マジ!?これ、おにーちゃんが描いたの!?」


 さっきまで魂の抜けていた玲奈が、途端に目を丸くして俺を見上げた。母さんに似た黒い猫目が、俺の顔とお化け屋敷の表看板を交互に見比べる。


「マジ……どうしちゃったの、おにーちゃん……」


 再び信じられないといった表情をした玲奈の頭を、母さんが優しくぽんぽんと叩いた。

「どうしちゃった、というより、戻ったのよね」

 そんなことを言って、母さんは微笑む。その瞳には、俺と、そして俺の後ろで事のなり行きを見守っている片瀬と、お化け屋敷かた出てきたばかりの包帯男––––大樹が映っている。


「すごいじゃない、玲央。やっと、好きに描ける場所を見つけたのね」


 

 ––––––好きに描ける場所。



 呆然と黙ったままの俺を置いて、母さんは片瀬たちに頭を下げた。


「みなさん、玲央と仲良くしてくれてありがとう」

「えっ、あ、はい!」

「ああ……って、あれ、玲央の母親なのか、片瀬」

「どう見たってそうじゃん馬鹿大樹!」

「怒鳴ることねーだろ。はじめまして、俺中嶋大樹っす」

 差し出された包帯まみれの右手を取って、母さんはもう一度小さく頭を下げる。

「はじめまして。あなたが大樹くん、ね。玲央から聞いてるわ。いつもありがとう」

「や、こちらこそ」


 それじゃあそろそろ、と言って、母さんは俺に向き直った。

「また後でね、玲央。学園祭楽しかったわ」

「お、おう……」

「希ちゃんにもよろしくね。ほら、玲奈も」

「分かってるよ。じゃーね、おにーちゃん」

 母さんに促されて、口を尖らせながらも玲奈は挨拶をしてくれる。その小さな唇が、小さく呟いた––––「絵、やっぱうまいじゃん」。



 もしかしてももしかしなくても、家族だって、待ってくれていたのかもしれない。

 俺がもう一度絵を描く事を、待っていてくれたのかもしれない。



「ありがとな、母さん、玲奈」

 ようやく絞り出した言葉。

 ありふれた言葉ではあったけれど、掠れた俺のその言葉に、二人はゆっくりと頷いた。

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