第7幕 //第5話
翌日の放課後。
俺は、前原学園理事長の孫である、倉持麗華の元を訪ねていた。いきなり教室まで押しかけて「話がしたい」なんて言ったら拒否されるんじゃないかと思ったが、当の倉持本人はあっさり「いいわよ」と快諾してくれた。「色々聞きたいことがあるんでしょう?」と、俺の訪ねた理由を見透かされていたあたり、やはり怖い相手だ。
二人並んで、中庭のベンチに腰掛ける。
学園祭の前は、ここに希と座って世良たちの話をした。俺にとっては、初めて自分を認めるきっかけを貰った特別な場所だ。雨風に晒されて傷んだ木目をそっと撫でていると、倉持が口火を切った。
「それで? まず何を聞きたいのかしら。貴方が成冨武に惹かれているのを何故知っているかって事?それとも、何故美術部の顧問の素性を知っているかって事かしら?」
聞きたいことまで見事に言い当てられて、俺は一瞬面食らう。――本当に、恐ろしい女だ。一体全体、隣に座る令嬢にはどこまでお見通しなんだろう。
「あら、違った? それとも、他に何かある?」
「いや、違わない。そこまで分かってる事に驚いただけだ」
正直にコメントすると、倉持は満足そうに頷く。
「そう、成る程ね。それで? まずどっちが聞きたいの?」
「勿論、両方。というか、倉持さんが俺が聞きたいと思っているだろうと考えてる事、全部話してもらえると助かる」
「あら、欲張りね」
かき上げられた亜麻色の髪が、ふわりと背中に流れる。
「まあいいわ。貴方は
そう言った倉持の形のいい唇の端は、微かに上がっているように見えた。
「まず、貴方が成冨武に惹かれているというのは、希から聞いた事なの」
「希から?」
「ええ。そうよ」
予想外の答えに目を丸くする。倉持はそんな俺の反応も織り込み済みだと言うように、深く頷いた。
「貴方、希と福丘の美術館に言ったことがあるでしょう?」
「ああ、ある。学園祭前に、希と写真展を見に行った時のことだと思う」
学園祭前、父から貰ったと言うチケットを希が持って来てくれたことがあった。確か内容は秋の芸術写真展で、本当に凄い写真だらけだった。希なんてはしゃぎまくって、沢山戦利品を抱えていたっけ。宝物を見つけた子犬のような姿を思い出して、思わず口元が緩んだ。
そんな俺の様子などお構いなしに、倉持は続ける。
「希はその時、貴方が中野芸術大学のポスターを熱心に見ていることに気が付いたんですって。最初は単に、芸術祭に興味があるのかと思ったらしいけれど、そこは流石芸術に通じる子よね。講師紹介に載っていた人の名前に聞き覚えがあったらしくて、お父様の助けも借りて調べたようよ。成冨武が福丘出身で、以前から時折美術館で特設展示をしていたことまでね」
相変わらず一生懸命よね、あの子、と倉持が零す。独り言のようなその言葉は、普段の強気な女声とは違って、不思議と柔らかい響きをしていた。
「そして希は、私の元に聞きに来たわ。貴方がもし芸術大学で学びたいと思った時、前原学園は受験の支援ができる体制にあるのか、もしなかったら、何が出来るのかってね。私は、今まで中野芸術大学に進学した生徒の例はないけれど、どこの大学学部を受験するに限らず、生徒への情報提供や願書の取り寄せなどはできる限りサポートする、と答えた。もし美術で受けるのなら、美術部への途中入部や美術室の使用許可を尋ねることもできる、とも付け加えたわ。希は直ぐにお願い、と言った」
そこで出てくるのが二つ目の疑問に対する答えよ、と倉持は告げる。
「その後私の方でも、色々と調べてみたの。受験に必要なことや、
滔々と語られる内容に、俺はついていくだけでいっぱいだった。辛うじて分かるのは、倉持はもちろん、希が凄いという事くらいで。たった一枚のポスターからここまで来るのに、一体どれだけ時間を要したのだろう。それも自分のためではなく、俺という一人の友達のために。
「これで、貴方の知りたかったカラクリは以上よ」
そう言って、倉持は不意に立ち上がる。
「さて、ここで話すだけじゃ現実味も湧かないし、何も進まないでしょう。外も冷え込んで来たし、後は貴方自身の目で確かめてみなさい」
「え、今からどこに」
くるりと身を翻した倉持に声をかけると、彼女は振り向いてふっと不敵な笑みを浮かべる。そうして、プレハブの隣に立つ校舎を指差した。
「そんなの決まっているでしょう。美術室よ」
専門教室棟2階にある美術室は、日差しがプレハブに遮られているせいか、どこか薄暗い雰囲気の場所だった。授業で使う一番大きな美術室の隣には、アトリエ1教室とアトリエ2教室が並んでいる。アトリエ教室はまだ入った事はないが、倉持が言うには、描画だけでなく陶芸や彫刻に使う教室で、美術部員が専ら部室として利用しているらしかった。
「高場先生は、この時間だと隣のアトリエ1教室にいらっしゃると思うわ」
美術室の前まで一緒に来てくれた倉持は、そう言って踵を返す。
「え、ちょっと倉持さん、」
「ここから先は、貴方次第よ」
背を向けたまま、彼女はぴしゃりと言い放つ。
「私の方から、芸術大学に興味のある生徒がいるとは伝えておいたけれど。今後貴方がどうしたいか、高場先生に何を望むのかは、自分で決めることね」
「……」
「こう言うの、軽々しく口にするのは憚られるのだけれど。――貴方なら大丈夫でしょう。希のお墨付きもある上に、私自身が見てそう思ったのだもの」
「倉持さん……」
それじゃあね、と倉持はひらりと手を振って歩き出す。腰まで流れ落ちる亜麻色の髪が、歩みに合わせてゆらゆらと揺れた。その背中が校舎の奥に消えるまで見送ってから、俺は教室に向き直る。そうして意を決し、分厚い扉をコンコンとノックした。
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