第7幕 //第4話

 それ以上何も言えずにいると、バシバシと肩が叩かれる。俺の左肩を遠慮なく叩く瑠花は、今にも吹き出しそうな顔をしていた。

「あはっ、もぉっ、あははっ」

 いや、もう吹き出してはいるのか。むしろ止め方が分からないって感じで。

「玲央ぉ、」

「ん?」

 若干瞳を潤ませながら、瑠花がたえだえに言葉を紡ぐ。

「じゃあさぁ、あはっ、あんたはどうなのよぉ、」

「どうって」

 眉間に皺を寄せて問い返すと、隣から不機嫌そうな声が飛んできた。

「ンなの、将来の話だろ。俺らに言わせたんだから、当然お前も答えるよな?」

 有無を言わせない響きに、俺はまず苦笑で応える。

「何笑ってんの」

「いや。珍しく目に見えて拗ねてんなと思って」


 大樹の機嫌が悪いのは、100パーセントさっきの発言が理由だろう。何度も言うが、あの発言には全く悪意はなかった。それにどっちかと言えば、元凶は瑠花の一言だと思うんだが––––まあ、唇を曲げたこの顔を見るに、俺の言い分など聞く気はなさそうだが。


「拗ねてねーし」

 ほらな。

「つか、早く答えろよ。平均点以上の頭を持つ玲央サンの将来について、詳しく聞貸してもらおうじゃねーの」

「お前なあ……」

 完全にそっぽを向いた大樹に軽く溜息をくれてから、俺は残る二人に向き直った。そして、自分の中で考え始めていた答えを口にする。

「俺も最近、考えてるんだけどさ」

 実際に言葉にするには、少し勇気を出す一呼吸が必要だった。

「俺、絵を極めたいと思うんだ」




 ***




 近頃は週に4日は一緒に下校するほど日課となった二人での道すがら。それまで話していた今日のテレビ番組の話が落ち着いたところで、

「ねぇねぇ、玲央くん」

 と、希が切り出した。


「ん?どうした?」

「今日、みんなで進路の話をしたじゃない」

「ああ、したな」

「わたし、あの時、玲央くんが絵を極めたいって言ってたのが本当に嬉しくて」

「そうか?」

「うん!」

 丸い黒目をくりっと輝かせて、希は力強く頷く。

「だって、玲央くんが好きなことを思い出して、その道に進みたいって言ってくれるんだもん。昔はあんなに、自分なんかどうでも良い、みたいな感じだった玲央くんがだよ? 成長だよ!成長!!」

「成長ってなあ……」


 隣に並んでいる筈なのに、身を乗り出す勢いでまくしたてられる言葉の波を、俺は苦笑しつつやんわりと受け止めた。褒められているのに、どこか釈然としないのは昔を引き合いに出されたからだろう。しかも、割と酷い昔の自分だ。だが、希の瞳に、俺はそんな投げやりなやつに映っていたんだよな。

 希の言う通り、つい半年前まで、自分の未来なんて見たことはなかった。況してや、その未来に希望の色を見出そうなんて。


「まあ、正直なところ、俺自身も驚いてる」

 ポロリと本音が漏れた。

「そうなの?」

「当たり前だろ。今となると恥ずかしいけど、実際昔は誰かさん曰く“俺なんてどうでも良い”ってスタンスだったわけだからな」

「もお、裏声してまでわたしの真似はいいってば!」

 ぷんと頰を膨らませる希に、はは、俺はと軽く笑って、それから深く息を吸った。二月の空気はまだ冷たくて、鼻腔の奥を刺すようだ。だがそのツンとした鋭さは、全く嫌な痛みではなかった。


「でもそう考えると、希は凄いよな」

「え?どうして?」

「だって、好きなことを将来の道に選ぶって決めたのは大分早かったんだろ? 何が自分に合ってんのか、これからどうなるか検討もつかないような時期なのにさ。すげーよ、やっぱ」

「うーん、どうだろう……。そうでもないけどなぁ」

 今度は希が苦笑いを見せた。

「わたしは実家が写真館だったから、小さい頃から写真が身近に合っただけだと思う。写真に触れる機会も、望んで学べる機会も多かったから、恵まれてはいたと思うけれど。玲央くんの英断とは違うよ」

「英断ほど格好いいもんじゃねーよ」


 ヒヨッ子もいいところ、漸く絵の道と言う可能性に気が付いた俺に、英断なんて自信の持てるものはない。どちらかと言うと、

「むしろ覚悟、ってとこかな」


「覚悟?」

 首を傾げる希に内心で悶えつつ、表面上は平静を保って答える。

「そ。俺、世良たちのこととか、自分が周りと距離を置いたりとか、散々遠回りしてきたからさ。漸く、自分が好きだったことを思い出したばっかなんだ。それを、これからは絶対失くしたくねーから。ちゃんと向き合っていこうと思ったから。覚悟って、そう言うこと」

「––––ふふ。そっかぁ」

 くるりと、歩きながら希が身を翻した。華奢な右肩が、俺の右腕にとんと触れる。触れたところから、じわりと甘酸っぱい熱が身体中に広がっていくような気がした。


「いいね、それ。一生懸命な玲央くんらしい」

 俺が内側に燻る熱を持て余しているなんて事は知るはずもなく。希は空を仰いで、目を細める。木立の合間から差し込む橙色の日差しに、肩で切り揃えられた黒髪が艶めいた。

「実はね、玲央くんが絵の道に進むって決めたら教えようと思ってたことがあって」

「え?」

 空を仰いだまま、希は続ける。そして、驚くべきことを口にした。


「麗華――あっ、倉持麗華のことね。麗華が教えてくれたんだけど、美術部の顧問の先生、成冨武さんの知り合いなんだって。だから、もしかしたら玲央くんの力になってくれるかもよ?」

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