第7幕 //第3話
思ったより、その声は大きかったらしい。近くの席で弁当を広げていたクラスメイトが、何事かと俺らの方を振り向いた。希が少し恥ずかしそうに、怪訝な顔を見せる彼らに小さく頭を下げた。
「え、」
瑠花はというと、周りの様子に気が付くはずもなく、眉根を寄せる。
「え、それ……まじ?」
そして恐る恐るといった風に聞き返してきた。顔は怖かったが、返し方が意外なほどに殊勝だったから、思わず即座に再び「まじ」と答える。それは希も大樹も同じだったようで、「まじだよ」「大マジ」と口々に三人の声が揃った。俺は希が、瑠花に合わせて「まじ」なんて言葉で返したことがちょっと意外で、そんなギャップも可愛いななんて思ったりした。
「そっ、かぁ……」
発色の良い、紅の唇からころりと零れ落ちる。安堵と歓心を織り交ぜたその呟きに、俺らはただ頷きで返した。
「なんか、みんな、ありがと」
漸く笑顔になった瑠花に、大樹が「ま、感謝しろよ」と軽口を叩く。こいつ性懲りもなく、また怖い顔で詰め寄られるぞなんて俺はヒヤヒヤしたが、どうやらそれは杞憂に終わったようだった。瑠花の目が、さっきみたいに吊り上がらなかったから。よっぽど、俺たちの反応が嬉しいらしかった。
「それで?」
大樹が調子良く尋ねる。「片瀬は将来とかどうすんの?俺らに聞いたってことは、自分もなんとなくは考えてあるんだろ?」
「んー、それがさぁ。実は、結構迷ってて」
思案顔で、瑠花は再び足を組み直す。
「この前までは、卒業まで遊ぶだけ遊んで、そんでまぁあたしの行けそうなトコに就職でもするんだろぉなーって思ってたんだけど。あたし勉強とか全然だし。でもさぁ」
切れ長の瞳が、俺と希を交互に捉えた。
「学園祭やって、希がすごい沢山写真撮ってるの見たりとか、玲央があんなにすごい絵描いてるのを見たりしてさ、好きなこととか得意なことってゆーの?そぉゆーのをめちゃくちゃ頑張るのも、なんか良いなぁって思って。それにあたしも衣装係とか、本番のメイクを手伝ったりしたんだけどさぁ、自分の好きなことが上手くいくってゆーか、喜んで貰えたりとかもして、結構嬉しかったし」
その時のことを思い出したのか、ふっと笑みが漏れる。
そういえば、あったよなぁ。金髪カラーコンタクトまで気合の入った、瑠花の強烈なお化け屋敷案内人メイクとか……。「ケバめ金髪守銭奴支配人JK」なんて内心で呼んだその姿は、あの世良たちすらビビッていたくらいだ。上手と言うか得意と言うか……、とりあえず力作には違いない。
「だからさぁ、就職する前に、もしかしたらメイクとか服とかの勉強ならしてみたいかなって思って。あたしバカだから、受かるかどーかはチョー微妙なんだけどさ。なんか、良く分かんないまま適当に働くんじゃなくって、学園祭の時みたいに、めっちゃ楽しいな、上手くいって嬉しいなって事なら、あたしも頑張れるんじゃないかなぁって思っちゃったんだよね」
「へぇ。良いじゃん」
一番先に反応したのは、大樹だった。
「俺には化粧とか全然分からねーけど。楽しいとか、やりたいとか思えるものが見つかったのってすげーよ。勉強も、今からだったら何とかなるだろ?」
「や、あたしホンッとバカだから!てか、そもそもこんな単純な理由でいいわけ?」
「単純かどうかは置いといて、片瀬は化粧とか服のことが、好きなんだろ?」
さらりと口にした「好き」に、瑠花の肩がぴくりと震えた。
「そりゃぁ、好きだけど。でも、それだけってさぁ」
「好きなら良いじゃん。何かを始めるのに、好きってほど分かり易くて純粋な感情なんて他にねーよ。俺から言わせれば、十分だって」
「大樹……」
大樹の凄いところの一つが、この率直さだと俺は思う。最初俺に話しかけてきた時も、俺とクラスメイトを繋いだ時も、世良たちとの間に入った時も。大樹の言葉はすべて本音で、裏表なんて存在しなかった。真っ直ぐ向けられる揺るぎない言葉は時に痛い程だったが。だが、それらに何度も救われたこともまた事実だった。
「あたし、頑張れるかな」
瑠花は不安気に口にした。その僅かな靄さえ、大樹は笑って吹き飛ばす。
「何だ、片瀬らしくねーな。折角気づいた気持ちなんだろ。俺らも応援してるし。な?」
ふいに求められた賛同に、俺と希は慌てて頷く。
「そう?」
「おう」「うん」
重ねて頷きながら、考える。言いたいことは全部、既に大樹が言ってくれた。他に俺が付け加えられるとすれば、そうだな。
「瑠花、受験勉強なら、俺も少しは教えられるから」
「ほんと!?」
俺なりの精一杯のコメントだったが、瑠花は即座に食いついた。
「や、でも俺だって頭が良いって訳じゃねーから……」
「ううん全然!あたしに比べれば全然!だって玲央って、毎回テストめちゃくちゃ良いじゃん!赤点とかなくない!?」
「あー、まあ、基本平均はあるかもな……」
「でしょ?いやぁ、平均超えてるってだけで、あたしからしたらチョー頭良いから!ぶっちゃけさぁ、大樹に勉強のこと言われても不安しかなかったんだけど。あたしとほぼ似たようなもんだし。でも、玲央ならめっちゃ頼りになるぅ!」
「おい!」
大樹が悲痛な声で突っ込む。それを完全に無視して、瑠花は「勿論希も頼りにしてるよ」とにっこり微笑んだ。
「片瀬、お前なあ、」
確かに瑠花の言う通り、大樹は決して学校の勉強が余り出来る方ではない。ないんだが、こうもバッサリいかれると、聞いている俺の胃もきゅっと絞られるような感覚がした。
「あ、あの、中嶋くんはどうするんですか?」
そんな大樹に気を遣ってか、希が話を振る。
「ああ、俺? 俺は地元就職のつもり。誰かさんと同じくらいの頭の出来らしいからな、はは……」
「えええ」
最後が大分自嘲気味な返事に、希は慌てて俺の方を向いた。その丸い瞳が訴えるところを何となく察して、俺は大樹の肩にポンと手をのせる。
「何だよ玲央。同情とかは要らねえぞ」
はっ、と吐き出された乾いた笑いに、俺はゆっくりと首を横に振った。
「大丈夫だ大樹」
この際だから、心底本音から思っていることを言ってやろう。普段なら中々口に出せないが、今日は特別だ。
「大丈夫だ。テストの点は悪かったとしても、大樹の人柄はそこらの奴よりずば抜けて最高だ。俺が保証する。それに頭の出来はどうにでもなるが、性格は割と生まれ持っての才能にもよると思うぞ。うん。ある程度馬鹿でも大丈夫だ、お前は。自信持って良い」
「いやおい玲央。お前、それ大分ひどくねえ!?」
「え?」
さっきより五割増しの悲痛さに首を傾げると、泣きそうな大樹の隣で目を見開く希と、必死に笑いを噛み殺す瑠花の姿が目に入った。おかしい。
「玲央くん……」
「ぶっ……、玲央、あんたっ、ひっ……最高っ」
「え?いや、俺は」
大樹を安心させるために念を押しただけだぞ。大丈夫だって、一体何回繰り返したと思ってるんだ––––とは、彼らの様子を見るに口には出せなかった。
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